第20話

「――こ、これで、この街のエルフ全員、解放したはずだ」


 フレデリックが、執務室の電話の受話器を置き、怯えた声でそう告げた。その喉元には、シオンがナイフを突きつけている。


 昨日の騒動の後――シオンたちはフレデリックを連れて屋敷に戻り、諸々の後始末を強要していた。

 この街の奴隷市場、娼館、収容所にいるすべてのエルフの解放、そしてドミニクの弔いだ。エルフたちに関しては、その生死を問わず、身柄をシオンたちが指定した街の防壁外に送るように指示を出した。

 今の電話は、兵士たちがすべての作業を終えたことを知らせるものだった。今頃、エルリオが、解放されたエルフたちを導いている頃だろう。


「すべて俺の指示通りに動いたか?」

「も、勿論だ! ちゃんと馬車も用意させた! エルフ全員が乗れるように!」

「作業させた兵士に箝口令を出しておけ。もし口外した場合はお前の家族もろとも殺しにいく」

「わ、わかってる!」


 抑揚の欠いたシオンの声と表情は、フレデリックに対してこの上ない脅しとなっていた。その様子を見ていたエレオノーラが、


「ねえ、アンタってマフィアやってた?」


 とまで訊いた始末である。

 いつもならそんな光景も、ステラは笑って見られていたのが、今回に限ってはそうもいかないようで――シオンとエレオノーラが諸々の話を進めている間、彼女はずっと執務室の窓から外を見続けていた。

 だが、感傷に浸っている暇もなく――シオンは続けて、フレデリックから取り上げた書類を取り出した。


「奴隷の売買記録と、実験記録は貰っておく。教皇とガリア公国の不適切な癒着を知らしめる証拠になるかもしれない」

「え、ちょ――」

「文句あるのか?」


 シオンが睨むと、フレデリックはその老体をビクつかせて沈黙した。


「そろそろ俺たちもここを出るぞ。街の外でエルリオと合流しよう」

「はい」


 ステラが短く返事をして、踵を返した。シオンがそれを気づかわしげに見ていると、傍らにエレオノーラが立った。


「約束通り、外に出たらアンタたちが何者なのか教えてもらうからね。収容所で“黒騎士”なんて不穏な言葉も聞いたし――ここまで巻き込んでおいて、今更バックレるのはナシだから」

「わかってる――ただ、首を突っ込んできたのはお前の方だろ」


 シオンが言うと、エレオノーラは露骨に顔を顰めてそっぽを向いた。そのまま、ステラの後を追うように執務室を出ていく。

 シオンは肩を竦め、彼女たちに続こうとした。その時――


「……奴隷を解放して、気分は晴れたか?」


 フレデリックが、低い声で唸ってきた。潰れた左目をそのままに、なんとも言えない表情で凄みを利かせている。


「いいか、よく覚えておけ。貴様らのやったことは正義でもなんでもない。ただの強盗の類だ! この国で亜人の奴隷が認められている以上、貴様の所業は盗人同然の行いだと思え! 亜人なんてものは、人間に管理されて然るべき生き物だ! 人間の社会に馴染めない生き物を、獣のように扱って何が悪い!」


 シオンは足を止め、短く息を吐いた。

 その後で一度、フレデリックの方へ踵を返す。


「そうだな。アンタの言う通りだ。ただ――」


 シオンは、フレデリックの眼前に、顔を近づける。


「ログレス王国と、エルフたちから見れば、それはアンタたちも同じだ。苦し紛れに説教垂れたつもりだろうが、俺たちから見たアンタも、アンタから見た俺たちだ。アンタの正論は、俺たちを納得させる理由にはならない」

「……この青二才が――」

「最後に聞いてほしいことがある」


 突然、シオンがそう切り出した。フレデリックが眉を顰めると、


「両手を重ねて机の上に置いてくれ」


 シオンはそう指示した。

 怪訝な顔をしたまま、フレデリックが従うと――


「――!?」


 フレデリックの両手ごと、机の上にエルフのナイフが突き立てられた。


「アアアアアッ!」


 老人の叫喚が執務室に響き渡る。

 シオンはそれを無視して、執務室を後にした。







 ルベルトワの防壁を出てから少し離れたところに、十台の馬車と共にエルフたちがいた。奴隷として捕らえられていたのは女子供ばかりだった。酷く弱った様子であったが、近くの雑木林で待機していたエルフたちと再会し、双方、感極まって喜びに涙していた。

 それを、シオンたちが少し遠く離れていたところから見ていると、エルリオが近づいてきた。


「御身らには、感謝しきれないほどの借りができてしまったな」


 その言葉に、ステラがぴくりと反応した。

 エルリオはさらに続ける。


「私たちは予定通り、このままログレス王国領域に入って暫くは放浪の旅に出るつもりだ。だが、その前に、一度森に立ち寄り、ソフィアとアリスたちを還しに行く」


 ステラが顔を上げた。


「人間たちが、宗教やしきたりによって愛する者を弔うように、我らにもそうする風習がある。聖王教を信仰する人間たちは、その身が亡びると魂が天へと還るものとしているようだが、我々エルフは違う。自らが生まれ育った大地に還ることで、いつまでも、愛し愛される者と悠久の時を過ごすという死生観を持っている」


 そこでステラが、あ、と小さく声を上げた。


「我々エルフが森にこだわる理由がそれだ。エルフにとって森は、家であり、墓なのだ。人間には、中々理解されないようだがな」


 そこで、エルリオが仲間のエルフから声をかけられた。

 別れの時だ。

 先に手を伸ばしたのは、ステラだった。


「旅のご無事を祈っています」


 ステラの言葉に、エルリオは微笑んだ。


「御身がログレス王国の女王になれることを、我々も心から願っている。どうか、我々の未来を頼む」


 エルリオが力強く握り返すと、ステラはしっかりと頷いた。

 次にエルリオは、シオンの手を握る。


「ログレス王国の中にもガリア兵は大勢いるみたいだ。充分に用心してくれ」

「ああ。もう誰一人として奴隷なんぞにはさせない。御身にも、世話になった。“噂に違ぬ英傑”であることをこの目で知れたことが、私の誉れだ」


 その言葉を聞いたシオンの双眸が、ほんの一瞬だけ曇った。それにエルリオが気付いたかどうかはわからないが――


「“御身の過去の選択”が正しかったことは、いつの日か必ず認められるはずだ」


 そう続けた。

 シオンは一度目を伏せた後で、首を横に振った。


「今更な話だ。俺は教皇の首さえ取ることができれば、あとはどうでもいい」

「……そうか」


 エルリオが少しだけ寂しそうに言って、手を離した。

 二人のやり取りをステラが怪訝に見ていると、その隣から――


「あ、アタシは別に感謝されるようなことはしてないから、別れの挨拶はいいよ」


 エレオノーラが、気を遣っているのかいないのかよくわからないことを言った。エルリオは、はあ、と一言発して、それに同意する。


 そして――


「では、また」


 エルリオたちが、出立した。

 その背を見送っている時、ふとステラが口を開く。


「本当なら、もっと、大勢救えたんですよね」


 悲しむでもなく、希望を述べるでもなく、淡々とした口調だった。

 シオンは、横目でステラを見たあと、


「それはない。数年前から攫われた時点で、何人ものエルフが実験に使われていたはずだ。お前が何も言わなければ、あそこにいるエルフたちは誰一人して助からなかった。お前の選択があったから、“あれだけの数を救えた”んだ。誇りに思え」


 いつもの調子で、簡単に励ました。

 ステラが、シオンを見据える。


「シオンさん」


 その姿は、まるで昨日までの世間知らずの少女とは別人のようだった。

 シオンがそれに少しだけ驚いていると、


「私、必ず女王になります」


 決して大きくはない声だったが、確かに宣言した。


「エルリオさんたちに、また森で平穏に暮らしてもらえるように。もう二度と、アリスちゃんみたいな子を出さないために。だから――」


 王女の瞳が、黒騎士を映し出す。


「私を、王都まで連れていってください」


 そして、黒騎士は首を垂れるように、小さく頷いた。


「ああ」

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