第7話

 ガリア公国とログレス王国の国境近くにある城塞都市――ルベルトワは、五百年以上前の生活様式を色濃く残した古風な街だった。隣国からの侵略を想定した石造りの高い防壁がぐるっと街を丸ごと囲んでいる。その中にある建物の多くが当時の状態を維持しており、街全体が時代を置き去りにしてしまっているかのようだった。


「検問があるのか」


 フードを目深に被ったシオンが面倒くさそうに呟いた。両脇には、鳥打帽とマフラーで顔の大部分を隠したステラと、頭をエルフ独特の長い耳ごと布で覆ったエルリオがいる。

 ステラが、慌ててシオンの腕を引っ張った。


「ど、どうするんですか? 私たち三人とも、ガリア公国から見たら敵ですよね?」

「堂々としていろ。検問といっても、大したことはしていなそうだ」


 シオンに宥められ、ステラはマフラーを深く巻き直した。それに倣って、エルリオも頭の布をきつく締め直す。


「エルリオ、他のエルフたちはちゃんと近くで隠れられているのか?」


 歩きながらシオンが訊くと、エルリオは静かに頷いた。


「ああ、問題ない。この街から少し離れたところに雑木林があった。そこに十人ほど待機してもらっている。囚われている同胞を街の外に出した後は、私が彼らのところまで誘導してそのままログレス王国へ戻る算段になっている。戻ったあとは、御身の計画通り、新たな女王が誕生するまで身を潜めて生活する」

「十人もいてちゃんと隠れられるのか?」

「安心してほしい。我々は人目につかないよう木々の中に隠れるのは得意だ」


 エルリオのどこか誇らしげな言葉を聞いて、シオンは肩を竦めた。

 そうこうしているうちに、ついに検問の順番が回ってきた。銃剣で武装した二人の兵士が近づいてくる。

 兵士たちはシオン、ステラ、エルリオの顔をそれぞれ一瞥すると、手持ちの荷物を見せるよう指示してきた。


「その背嚢の中身も見せろ」


 兵士が、ステラを指して言ってきた。ステラは大人しく背嚢を降ろし、口を開けて中身を地面にばらまく。主に生活用具ばかりで特に変わった様子もなく――とは、どうやら兵士たちは思わなかったようだ。

 兵士たちの顔が強張る。


「おい、この筆記道具はガリア国内のものではないな? 貴様ら何者だ?」


 しまった、とステラが青ざめる。弁明しようとするが、何も返す言葉が見つからなかった。

 そこへ、


「俺たちはログレス王国から来た。国の政治が不安定になったので、暫くガリア公国で暮らそうと考えている」


 シオンがそれらしい理由をでっち上げた。

 兵士たちは顔を見合わせ、再度シオンたちを見る。


「……国交旅券は?」

「ない」

「旅券がないのに一般人が国境を越えたら駄目だろ! ちょっとこっちこい!」


 兵士の一人がそう言って街の中へと促してきた。もう一人の兵士は、ここに残って検問を続けるようだ。

 兵士はシオンたちを防壁内の関所へと入れると、呆れたように首を振るう。

 関所の中に、他に兵士はいない。


「まったく、ログレス王国が不安定な状態なのは承知しているが、せめてルールは守ってもらわないと! 今日だけでお前たちで三回目だぞ! 今から出す書類に身元を――」


 兵士がそこまで喋ったところで、シオンが片手で兵士の首を後ろから掴み上げた。兵士は頸動脈を圧迫させられ、短い抵抗の後に失神してしまう。

 シオンは、気を失った兵士を椅子に座らせ、テーブル上に突っ伏した姿勢に整えた。


「無事に街に入れたな」

「だ、大丈夫なんですか、これ?」

「長居するつもりもない。それに、どのみちここを出るときは大騒動になるはずだ。行儀よくするだけ時間の無駄だろ」


 一切の躊躇いのないシオンの行動に、ステラとエルリオが揃って苦虫を嚙み潰したような表情になる。それには構わず、シオンはさっさと関所を出て街中へと向かって行った。ステラたちも慌てて彼の後を追う。


 ルベルトワの街の中は、古めかしい造りの家が多く建ち並び、どことなく渋い雰囲気が見て取れた。だが、その落ち着いた景観とは相反して人々の横行は激しく、見かけの人口密度以上に大都会のような活気で溢れていた。露店が並ぶ通りでは、注意していないと人とぶつかってしまいそうなほどの喧騒である。

 そんな街並みをステラが物珍しそうに見ていた時、ふと、彼女の顔色が変わった。


「どうした?」


 それに気付いたシオンが声をかけた矢先、続けて、エルリオもステラ同様に顔色を悪くしていた。

 二人の視線の先を追うと、そこには粗末な服を着たエルフの女と子供が檻の中に入れられ、まるで見世物小屋のようにして晒されていた。


「ログレスにずっと住んでいれば、ああいう奴隷市場を見ることもないか。そう気分のいいものじゃないが、今は耐えろ」

「……はい」


 ステラは鳥打帽を深く被り直してそれきり黙ったが、エルリオはというと、そう簡単に切り替えることができていない様子だった。足を止め、悲痛な面持ちで檻の方を見続けている。

 シオンは早足で立ち戻り、エルリオの傍らについた。


「まさかあの中に妹がいたのか?」

「……いや、いない」

「ならさっさとここを離れるぞ。そんなに凝視していると、無駄に怪しまれる」


 エルリオはシオンに腕を引かれ、覚束ない足取りでその場を後にした。

 それから三人は、この街にあるとされる収容所の場所を確認しにいった。収容所は街の中央区に存在しており、周囲の街並とも一線を画していた。古めかしい建築物が多いこの街で、その区画だけ現代的で真新しく無機質な建物が建ち並んでいる。恐らくはどれも軍の施設なのだろう。

 その中でもひと際大きな低階層の建物――しかし敷地は広く、周囲は金網と有刺鉄線で固められている――それこそが、収容所だった。金網の前には一定間隔で武装した兵士たちが立っており、警備の体制も厳重だ。


「あれが収容所みたいだが、予想通り警備が手厚いな」


 シオンが、建物の陰から覗き込むようにして言った。エルリオが険しい顔つきで口を開く。


「街全体を巻き込むような騒ぎを起こして、その隙に収容所を解放させると御身は言っていたが、何か具体的な方法はあるのか?」

「まだ決めかねている。それと、収容所をどうにかする前に、奴隷の売買記録を手に入れる必要がある。エルリオ、アンタはここの領主が持っているんじゃないかって言っていたが、確度はどの程度だ?」

「……正直、推測の域を出ていない。その情報も、今から三十年ほど前に、この街の奴隷市場から逃げてきた同胞が一人いて、その時に聞いただけだからな。帳簿のようなものを大切に保管していたようで、領主自ら管理していたと」

「三十年も前の話となると、帳簿での管理運用が今もされているかどうかも怪しいな」


 嘆息気味に短い息を吐くシオンの隣で、ステラが小さな疑問の声を上げた。


「三十年前って……エルリオさん、今いくつなんですか?」

「九十三歳だが?」

「え!? おじいちゃんじゃないですか!」


 ステラが驚きの声を上げると、エルリオが若干不機嫌そうな顔になった。

 それを察したシオンが、話の流れを止めるようにすかさず手を上げる。


「この王女、歳の割にあまり教養がないみたいなんだ。少し大目に見てやってほしい」

「……いや、別にいい。人間からそう反応されることはある程度慣れている」

「ステラ、エルリオに一言謝罪しておけ」


 シオンからの鋭い眼光に一瞬たじろぎながらも、ステラは自身の失言を内心恥じた。心底申し訳なさそうに眉根を寄せ、しゅんとなる。


「エルリオさん、ごめんなさい」

「王女よ、御身が王位につく前に、是非とも我々エルフのことを深く理解してくれることを心より願う」

「はい……」


 エルリオから皮肉のような返しがきて、ステラはしょんぼりと肩を落とした。

 一連のやり取りに嘆息したシオンが、改めて二人を見遣る。


「そろそろ視察は終わりにしていったん離れるとしよう。領主への接触の仕方も考えないと――」

「あ!」


 シオンがここから引き下がろうと提案した矢先、突然ステラが声を上げた。彼女が指し示すのは、収容所の端の方だ。


「なんだ?」

「あそこ、エルフの小さな女の子が収容所に近づいていってます」


 見ると、確かに、まだ十歳にもなっていなさそうな少女が周囲を気にしながら収容所へと駆け寄っている。少女の耳はエルフ特有のものであり、右の方には金属製のタグがピアスのようにしてつけられていた。


「あの子も奴隷なんでしょうか?」

「耳にタグが付けられているので恐らく。だが、妙だ」


 エルリオがステラの疑問に答えつつ、眉根を寄せる。


「奴隷にしては身なりが小奇麗すぎる。顔や腕といった肌を露出している部分にも傷や痣が一切ない。それに、一人で出歩いていることも不自然だ」


 エルリオの言う通り、エルフの少女は可憐なワンピースを着ていて、その肌つや、表情などは、奴隷とは思えないほどに良好そうだ。

 三人が不思議に思っている間に、エルフの少女は収容所の入り口前にたどり着く。それから少女は、何やら入り口前の兵士たちに向かって話し始めた。

 ステラが、ハラハラした表情でその様子を伺う。


「だ、大丈夫なんですか、あの子? 奴隷なんですよね? あの兵士たちに酷いことされないですか?」

「少し静かにしてくれ」「少し静かに」


 シオンとエルリオから、同じ言葉が同時に発せられた。人間の身体能力を“騎士の聖痕”の力で超越した騎士と、もとより人間より遥かに優れた身体能力を持つエルフの聴力を以てすれば、少し離れた場所の会話など、耳を澄ませば容易に聞き取ることができる。

 シオンとエルリオは、少女と兵士たちの会話に耳をそばたてた。


「お母さんは、元気ですか?」


 エルフの少女は、兵士の機嫌を損ねないよう、慎重な声色でそう訊いた。

 兵士は心底どうでもよさそうな顔つきで鼻を鳴らす。


「さあな。我々も収容所にいる奴隷一人ひとりの健康状態を見ているわけではない」

「そう、ですか……」


 冷たい兵士の回答に、エルフの少女は元気をなくして肩を落とす。少女はそのまま踵を返し、とぼとぼと収容所から離れようとした。

 どうやらエルフの少女は、収容所にいる母親の様子を伺いに来たようだ。


「下手をすれば兵士に殴り飛ばされるかもしれないのに、勇敢な子だな。母親のことを訊くためだけに兵士に話しかけたのか」


 シオンが感心していると、不意にエルリオが何かに気付いたように短く声を上げる。


「……アリス?」


 彼の口から出てきたのは、少女の名と思しき言葉だった。


「知り合いか?」


 シオンが咄嗟に聞き返すと、エルリオはしっかりと頷いた。


「ああ。一年前に連れ去られた同胞の一人だ。少し成長しているからすぐには気付かなかった。母親と一緒にガリア軍に囚われたはずだが、まさかこんな形で見ることになるとは……」


 彼は感極まったように声を震わせ、思わずといった様子でエルフの少女――アリスへと駆け寄っていく。シオンが呼び止める間もなく、エルリオはあっという間にアリスのもとへとたどり着いた。


「アリス! 無事だったか!」


 エルリオが声を上げると、それまで俯きがちに歩いていたアリスが徐に面を上げる。アリスの視界にエルリオが入った途端、彼女の表情は瞬く間に明るいものになった。

 そして、エルフの少女は一心不乱にエルリオの方へと駆け寄った。


「エルリオ伯父さん!」

「伯父さん!?」「伯父さん!?」


 シオンとステラが、揃って間抜けに叫んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る