最低の英雄《終》
今のその雷は、リンフーの瞳と、そして心にしっかりと焼き付けられた。
自分の中で、何かが変化したような感覚。
血肉と骨に雷鳴の振動が伝播し、その振動が通った所から塗り替えられていくような感覚。
——この瞬間、リンフーの【
今まで使っていた【天鼓拳】の技の威力は、抑えられたものだ。
真の術力を発揮するには、【逆さに昇る雷】の意念を強く胸に抱かなければならない。
今、その条件が整った。
長年探してやまなかったものがようやく見つかったはずだが、思ったよりも感動はなかった。心は無風の湖面のように平静だった。
ただ一つ分かるのは——あの白い怪物に勝てる可能性が見えた、という事実のみ。
シンフォは言った。
真の【天鼓拳】の術力は、非常に強力で、かつ、おぞましいものだと。
彼女がかつて幾度も強者を殺めた技。
それが今、己の血肉にも宿った。
打てばどうなるのか、想像もつかない。
見るに堪えない光景を、その目に焼き付けることになるかもしれない。
それによって、癒せない心の傷を残すかもしれない。
けれど、それでシンフォさんを守れるというのならば——ボクは喜んでこの拳を血に染める。
降りしきる雨の向こうに立つルォシンを、射抜くように見据える。
白い怪物は炯々と眼光を放つ。眉間には、刀傷のような深い怒り
「——モうイイよお前。こノまま生キテられルと、腹ノ立つコトばッかリ言うカラさァ。だカら……もうとッとト死ネよォぉッ!!!」
ルォシンは地を蹴って爆進した。変身によって強化された脚力に、足底で爆液を炸裂させる勢いを加算し、弾丸のごとき俊敏さを得てリンフーへと急迫した。
掌を作った右手。その手首が大きく膨れ上がった。今までで一番大きな膨張。一度に溜め込める限界まで爆液を溜めたのだ。これを一気に放出すれば、とてつもない大爆発が起こるだろう。頑丈な武法士だって五体満足ではいられないだろうし、下手をすると山の一部が崩落する可能性もあった。
間合いの内にリンフーを捕らえた刹那、ルォシンはパンパンに溜まった爆液を一気に解放しながらの掌底を放った。爆液は砲弾のように巨大な滴となって掌から吐き出され、空気に触れた瞬間に一気に燃焼を起こし、次の瞬間にはルォシンの視界全てを余裕で紅蓮に覆い尽くすほどの爆炎と化した。
見上げるほどの業火の球体。太陽がその場に顕現したかのごとき熱気と、巨人が拳を振り下ろしたかのような凄まじい衝撃波が、轟ッ!! と周囲一帯へ波及し、この世の終わりのような大破壊をもたらした。
岩盤が高熱で溶け崩れ、周囲の岩が粉微塵に砕けて飛ぶ。
ルォシンの想像を超える威力だった。人がそこにいれば、死に至るどころか、人らしい形すらまともに残らないだろう。
しかし——リンフーは生きていた。
人の形を保ったまま、あまつさえ左拳を脇に構えながら、自分の懐深くにどっしりと立っていた。
心に強く思い浮かべる。
天に歯向かう龍のごとく駆け上る、【逆さに昇る雷】を。
肉体が刻むは【
しかし、今までの【頂陽針】とは、術力の流れが違った。まるで足底から左拳へ向かって、電流のようなものが走る感覚。
その電流が拳へ達するのと同時に——ルォシンの土手っ腹に正拳は突き刺さった。
いつもならば、すさまじい術力に敵が押し流されるはずだった。
けれど今は、押し流されるどころか、敵が
そもそも、打った時に、手応えが全く感じられなかった。
——失敗、した……?
ルォシンは歪に破顔した。
「驚かセやガっテ。全然痛くモ痒クモなイじゃナイか。——じゃアな、死ね。一足早クあの世デ師匠を待っテいるガいイサ」
ルォシンはリンフーの側頭部へ平手を走らせた。耳の穴を叩いて脳を揺さぶり、なおかつ爆液を注入するつもりだった。
だが、その平手打ちが、途中で止まる。
——ぴしっ。
音がした。
石に亀裂が入るような音。
否。「ような」ではない。
確かに亀裂が走る音であった。
ただし、亀裂は石にではなく——
白い肉体の表面をゆっくりと走る、稲妻のような黒い
リンフーの左拳が打った箇所を起点に、亀裂は植物が根を張るがごとく八方へ広がっていく。
ゆっくりと、しかし確実に全身を侵していく。
胴体から始まり、両足、両肩、両腕、首へと……
「あ、あア……あアアあっ……!」
邪悪な表情しか浮かべてこなかった白い魔人の顔に、初めて人間らしい恐怖の色が浮かんだ。
しかし、亀裂は無慈悲に幾本にも分岐していき、その白い体を覆っていく。
やがて亀裂は、頭部を完全に包み込んだ。
その時点で、ルォシンは絶命していた。
魂が抜けた白い巨体は力の支点を完全に失い、崩壊を起こし始めた。
全身に浮かんだ亀裂が口を開け、繋がりが解離していく。
人の形を失い、無数の肉片として完全に崩れ落ちる決定的瞬間が訪れるより先に、その肉体内部に残っていた爆液が空気に触れ、爆発が起こった。
「うわっ……!?」
爆風で転がされるリンフー。
体勢を立て直してから、ルォシンのいた位置を見る。
爆発によって咲き誇った炎の大輪。その大輪の端々で、飛び散った爆液の飛沫がさらに小さな爆発を起こしていく。まるで、紅蓮の花畑のようである。歪みきった生き方をしたルォシンの命が放った、最期の輝きなのかもしれない。
「——っ?」
リンフーは不意に、己の身が虚脱する感覚を覚えた。
骨格がふにゃふにゃに軟化し、体の中の「柱」が失われたような感覚。
重心を整えようとしても、体に力が入らず、なす術なく仰向けに倒れていく。
散々体に無理をさせたのだ。本当はもうとっくに限界を超えていたのだろう。
やがてリンフーは、松明の炎が吹き消されるように、ふっ、と意識を失った。
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