出る杭は打たれる

 【槍海大擂台そうかいだいらいたい】は、新たな伝説を生む、映えある舞台。


 今年も、新たな伝説が生まれていた。


 あらゆる試合を一撃で終わらせる怪力美少女……と呼ばれ始めている少年・・汪璘虎ワン・リンフーは次々と勝ち抜いて行った。


 他の武法士達も良い試合をしていた。特に宋璆星ソン・チウシンは、偉大な父親の七光と呼ばせないほどの優れた武技で、順調に勝ち進んでいた。……だが流星のごとく現れたリンフーという小さな武法士は、それらが霞んで見えるほどの衝撃を人々に与えた。


 まだ成人もしていない小柄な少女少年が、大地を揺るがすほどの強烈な術力を発し、強豪たちをたった一撃で場外または気絶に追い込んでいったのだ。


 チウシンのように偉大な父を師としているわけでもなければ、大流派の上位実力者というわけでもない。【天鼓拳てんこけん】などという、誰もが聞いて首をかしげる無名流派の出身。


 そんな物語的な意外性は、人々の心を掴むのに十分な力を持っていた。


 それに対する、【槍海商都そうかいしょうと】の住人の反応は様々だった。


 武法の世界で将来輝くであろう若者の存在を、喜ぶ者もいる。


 一方で——その若者の優勝を、快く思わない者達もいる。










「……慈星ツーシン、今日はお前の好きだった花を持って来たぞ」


 整然と立ち並ぶ石板の数々。宋淵輝ソン・ユァンフイはその中の一つにしゃがみ込み、野山で摘んできた花を添えた。夏にしか咲かない花で、この墓の主が好きだった花であった。


 ここは【槍海商都】の北東に広がる墓地だ。正午はとうに過ぎ、中天より西へ傾いた茜色の陽によって、大小いくつもの墓標が地面に陰影を描き出している。


 個人の墓標も少なくないが、流派の門人が共同で眠る墓標も多数存在する。武法流派は一つの家族であるという考え方が根強く、門人が死んだ後、同じ墓標にその門人の名を刻む流派も少なくない。そんな流派代々の墓標がいくつもあるあたり、さすがは人口の七割を武法士が占める【槍海商都】と言うべきか。


 ユァンフイが前にしている墓標は、個人のものであった。


 彫られた名前は「宋慈星ソン・ツーシン」。六年前に先立った、最愛の妻の名であった。


「……チウシンは、ますますお前に似てきているよ。見た目も、溌剌はつらつとしているところも、生前のお前にそっくりだ。俺に似ているところといえば、武法に執心しているところくらいか。夢中になり過ぎて、ちゃんと嫁に行けるのか時々心配になる」

 

 いかめしい面構えを微笑で緩め、しみじみと語る。


「……もう、お前がいなくなって、六年になるのだな。早いものだ。俺には、まだ昨日のことのように思えるよ」


 まぶたを閉じると、六年前の情景が思い浮かぶ。


 「薬草の里」と呼ばれた街【玉芝郷ぎょくしごう】。そこで起こった、悪夢のような惨劇。


 妻のツーシンは薬師だった。薬草と触れ合う職業柄、草花を観察するのが好きだった。そんな妻を喜ばせるために家族三人で【玉芝郷】へと訪れたのが運の尽きであった。


 突如現れた【求真門きゅうしんもん】の武装集団。【玉芝郷】において厳重に管理・生育されていた門外不出の薬草を略奪するために、その集団は街を荒らし回った。


 山間やまあいという天然の要塞であることに胡坐こざをかいて武装をおろそかにしていたその街は、あっという間に血みどろの地獄と化した。草木の涼やかな香りに血臭が乗り、緑豊かな野原が赤く染まった。


 襲撃を受けて間もない時間、不運にもツーシンチウシンは、ユァンフイと別行動を取っていた。ユァンフイは【求真門】の暴徒を蹴散らしながら、妻と子を必死に探した。


 そして見つけた。


 娘を庇い、剣で背中を突き刺されて事切れていた妻の姿を。


 そこから先の記憶は、途切れ途切れでしか思い出せない。


 頭が弾けそうなほどの憤怒に突き動かされるまま、【求真門】の外道共を鏖殺おうさつした。ある者は頭が西瓜スイカのように砕け、ある者は胴から真っ二つになり、ある者は胸に大穴が空き、ある者は頭が胴体にめり込み、ある者は壁に激突して汚いシミになり、ある者は…………


 あの時のユァンフイは、殺すための獣だった。もしかすると、欲望という「目的」を持って殺していた【求真門】より、下等で穢らわしい存在だったのかもしれない。


 人々はそんなユァンフイを「英雄」と賛美した。影すら映らないほどの蹴りの速さを讃え【無影脚】と呼ばれるようになった。


 だが、そんな称号になんの意味がある? ユァンフイの心の中に誇らしさなどなかった。あったのは、埋めようのない虚無感だった。


 自分は英雄豪傑などではない。守るべき者を守れず、衝動の赴くまま殺した犬畜生だ。


 本物の「英雄」は自分ではない。


 命をかけて娘を守った、妻だ。


 妻は娘だけでなく、自分も救った。もし娘まで失っていたら、自分は迷わず己の喉元に剣を突き立てていただろうから。


 生き残った娘の存在のおかげで、ユァンフイには生きる理由ができたのだ。


 娘を人として、武法士として立派に育て上げる。それを成し遂げた時、自分は初めて「英雄」と呼べる人間になれるのだ。


「……【槍海大擂台】の日に死んだのは、チウシンへの激励のつもりなのか」


 ユァンフイは益体も無い独り言を呟いた。


 今、チウシンは【尚武環しょうぶかん】で戦っている頃だろう。


 しばらく妻の墓標を無言で見つめてから、ユァンフイは墓地から立ち去った。


 北東の大通りに出て、真っ直ぐ【尚武環】を目指す。娘はまだ勝ち残っているだろうか。


 だが、その途中、すれ違った人々から妙な会話が聞こえてきて、思わず足を止めた。


「——くそっ、せっかく【無影脚】の娘に大枚賭けたってのによ。なんなんだ、あの怪力娘は? このままじゃ【無影脚】の娘が優勝できなくなっちまうよ」


 チウシンのことを言っているのだということはすぐに分かった。


 それに「賭けた」という単語。……賭博。


 何に金を賭けている? 会話を聞いたところだと【槍海大擂台】の優勝者が誰であるかに、金を賭けているのだろう。


 この【槍海商都】は商業都市だ。人々の射幸心を煽り、商売や風紀を腐らせかねない賭博という遊戯は禁じられている。だが【槍海大擂台】は、賭博としても機能している。興行として少しでも盛り上げるための措置だ。年に一度しか行われない行事のため、賭けに狂うこともない。


 ユァンフイは目を閉じ【ちょう】を発動させた。


 往来する人々の体から、その人数と同じだけの無数の振動が発せられ、それが大雨のごとく押し寄せてきて【基骨きこつ】に伝播する。


 【聴】に長けた者であれば、その膨大な振動の中から、己の欲しい振動だけを選び、それを優先的に感知することができる。息が詰まるほどたくさんの振動の中から、先ほどすれ違った連中の振動に意識を絞り、その会話を振動として骨で聴く・・


「まさかあんなとんでもない女がいたとはな。今んとこ全試合一撃で勝って、もうすぐ決勝戦だ。相手は【無影脚】の娘の宋璆星ソン・チウシン


「馬鹿、汪璘虎ワン・リンフーとかいうガキは男だって話だぞ?」


「本当かよ。あんなめんこいナリでか?」


 汪璘虎ワン・リンフー


 その名を聞いた瞬間、ユァンフイは目を見開いた。


 娘が決勝にまで勝ち上がっていたのも驚きだったが、あの少年までとは。


 経験不足だが、なかなかに腕の良い少年だとは思っていた。が、そこまでいくとはユァンフイにも予想外であった。


「……このままじゃ、少しマズくねぇか?」


「マズいだろ。俺ら三人、宋璆星ソン・チウシンに大枚賭けてんだぜ。賭ける選手は大会が始まる前に決めて、途中から変更はできねぇ。あのリンフーってガキが優勝してみろ、賭け金全部パァだ。しばらく酒も女もやれやしねぇ」


「年に一度のどでかい花火って感じで、持ち金の大半を賭けちまってるしな。……で、どうするよ?」


 話がどんどん不穏な方向へと流れていく。


 やがて、男の一人が静かに言った。


「大丈夫だよ、心配すんなお前ら。ちゃんとその辺の手は打ってあるよ」


「は? どういうことだよ」


「ついさっき、リンフーってガキを襲うように仲間に頼んだんだ。同じく宋璆星ソン・チウシンに賭けてる奴と、その手下さ」


「襲わせてどうすんだよ? あのガキ、めちゃくちゃ強いんだぞ? そんじょそこらの武法士じゃ返り討ちだろ」


「馬鹿、やり方なんていくらでもあるんだよ。……【麻手ましゅ】を使うぞ、そいつら」


「っ! ……なるほど、そういうことかい。倒せなくても、うまく動けない体にしちまえばいいって話か」


「そうさ。【麻手】は打った箇所に特殊な術力を流し込んで、しばらくその動きを麻痺させる。そいつで小僧の足でも打って動けなくすんだよ。持続時間は数時間程度だが、決勝戦で宋璆星ソン・チウシンを不戦勝させちまうだけの時間稼ぎはできるはずだ。仮に足以外の部位で受けたとしても、不自由な体で勝てるほど甘い相手じゃねぇよ」


「確かに有効っちゃ有効だなぁ。けどよぉ、今からそんな計画企んでる時間あるか?」


「大丈夫だって。言っちまうと、もうすでに俺の仲間が向かってる。もちろん、一人一人の実力はあの小僧にゃ及ばねぇけど、たくさん数集めて攻めてやりゃ一回くらい触れるだろ。【麻手】は触っただけでも効果があるからな。そうすりゃ、晴れて【無影脚】の娘の勝利ってわけだ」


 全員の心音が高鳴った。最初は乗り気でなかった男達も、その説明を聞いた瞬間にやる気になっているようだ。


 ——【毒手功どくしゅこう】と呼ばれる技がある。


 読んで字のごとく、手に毒を……正確には「毒性のある術力」を手にこめて相手を打つ技だ。触れた相手を一定期間中に衰弱死させたり、触れた部位の肉や骨を腐らせたり、触れた部位を麻痺させたりと、邪悪な効力を持つ。


 そんな邪悪さゆえに、【毒手功】は真っ当な武法士の間では蛇蝎だかつのごとく嫌われている。しかし、武法を争いの道具としか思っていない武法結社のようなヤクザ者達の抗争では少なからず使われている。


 連中の言う【麻手】とは、その【毒手功】の一つである。触れた部位を数時間麻痺させるという、【毒手功】の中では比較的穏健なものだ。しかし効果は穏健でも、相手を麻痺させるという効果は使い方次第でいくらでも邪悪になれる。


 もし【麻手】を打たれたら、確かにリンフーの決勝での勝利は厳しいものになるだろう。

 

 ——正直に言おう。ユァンフイは一瞬、「聞かなかったことにしよう」と思った。


 もしこの計画を見逃せば、娘が優勝できる確率は高まるだろう。【麻手】は永続ではなく、たった数時間の効力のみ。後腐れは残らない。


 ……しかし次の一瞬では、その考えを卑俗な思考と切り捨てていた。


 もしチウシンが不戦勝で優勝できたとしても、自分の腕だけで掴んだものでなければ、娘はきっと納得はするまい。


 それどころか、リンフーとの間に、消えにくいしこりを残すことにすらなるかもしれない。


 彼らとはこれからも関わることになる。余計なわだかまりは極力生み出さないに限る。


 ならば、自分のすべきことは決まっていた。


 男達に近寄り、そのうちの一人の首根っこを背後から掴んだ。


「いぎっ!? な、なんだぁてめぇはぁ!?」


 そう抗議する男の言葉に耳を貸さず、ユァンフイは掴んだまま持ち上げる。


「……不本意だが名乗ってやる。俺は宋淵輝ソン・ユァンフイ。お前達が迷惑にも大金を賭けている宋璆星ソン・チウシンの父親だ」


「ちちっ……!? ま、まさか、【無影脚】っ!?」


 その言葉を皮切りに、全員の態度が一気に大人しくなる。


 優位を勝ち取ったと悟ったユァンフイは、その鋭い眼差しをさらに細め、要求を突きつけた。


「……教えろ、お前達の手先が向かった先を。俺の蹴りが刀より斬れるということを、その身で知りたくなければな」

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