技に溺れるなかれ
チウシンの勝利の後、第一回戦の試合は次々と消化されていった。
リンフーは己の試合である第八試合、つまり第一回戦最後の試合の到来を緊張しながら待っていた。
大観衆の見守る中で戦うことに慣れていないというのもあるが、もう一つ理由があった。
チウシンの第一試合を客席から見て、「
まるで同じ姿をした別人の試合を見ているようだった。最初に自分とやりあった時とは段違いに強く、なにより容赦が無かった。……あの時は手加減してくれていたのだ。それを分かってはいたのだが、いざ真の実力を見せられると、リンフーは焦りと不安を禁じ得なかった。
さらに他の試合も見た。全員、かなりの腕前を持っていて、自分で太刀打ちできるかどうか怪しい感じだった。ここが映えある【
「落ち着け……呑まれるな。自分らしく、自分らしく戦うんだ……」
リンフーは壁にもたれながら、一人、暗示するように呟いた。
信じろ。【
ただただ自己肯定を繰り返しながら、「その時」を待つ。
リンフーが今いる場所は控え室だった。闘技場を円く囲う壁の真南と真北には入退場用通路があり、そこの壁沿いの脇道から入れる一室である。やや狭いが頑丈そうな石造りの一室は、壁面のいたるところが小さく欠けており、建てられてからの年季の長さを示唆していた。
闘技場の方から、大歓声と、あの見目麗しい巡遊楽人による熱弁が聞こえてくる。第七試合の最中であった。
やがて、試合の終了と、勝者の名前が聞こえてきた。——「その時」が来たのだ。
(……いいさ。やるだけやってやる。負けたら負けでいい。ボクには負けて傷つく誇りもメンツもないからなっ。なにせ無名流派だし。でも、負ける気では戦わないぞ)
本番になれば、人は否応なしにやる気になるものだ。
リンフーは強い歩調で控え室を出て、闘技場へ続く一本道を進んだ。
今まで光源が少なく薄暗かった周囲の情景が、遮るものの無い正午の陽光によって一気に明度を増した。
『それでは第一回戦、最後の試合!! ——【
術力によって強められた
リンフーは【奇踪拳】という流派名を聞いて、目を瞬かせた。
【奇踪拳】……少し前に揉め事を起こした流派。
闘技場の短い石段を登る。
リンフーの向かい側、つまり真北側には、長身の若い女が佇んでいた。
焦げ茶色の短い髪に、皮肉げに整った鋭い美貌。上青下白の配色である【奇踪拳】の稽古着は、胸から大きく突き出た二つの山と、砂時計のような肢体の曲線をほのかに描き出していた。
シンフォに似た
その美人……
「この間はあたしの弟弟子たちが世話になったわねぇ。あの戦い、【
開口一番そんな言葉である。リンフーは軽く眉をひそめて、
「まあ、何人かぶっ飛ばしたのは事実だ」
「そう。……ああ、あたしは
ランイェはそう言って再び笑う。だが、友好的な感じは一切しない。
師範代……つまり、人に教えられるくらいには強いということか。
初っ端からいろんな意味で面倒な相手に当たったな、とリンフーは心の中でため息をついた。
そんなリンフーに対し、ランイェは切れ長の瞳をさらに鋭く薄め、刃先で肌を撫でるような口調で語った。
「実はねぇ、フイミン様の決定に、あたし達門人一同は多少の不満を抱いているのよねぇ。だってそうでしょう? 最初に手を出してきたのは【吉剣鏢局】の馬鹿息子なのよ? あたし達には報復する権利があるわ。それを元師範の鶴の一声で抑え込まれたのだもの。不完全燃焼だわ。不満が募るのは当然よね?」
「要領を得ないな。何が言いたいんだ?」
「つまりねぇ、お嬢ちゃん、あなたにはあたし達の不満の吐け口になってもらいたいの。あたしが兄弟弟子達の不満を引き受け、あなたを公衆の面前で打ち負かす。そうすれば、多少は溜飲が下がるんじゃないかしら?」
「そうかよ。まあ動機が何であれ、大会の規則をちゃんと守るなら何やってもいいんじゃないか。だけどな……ボクには一つだけ、ものすごく不愉快な事がある」
「何かしら、お嬢ちゃん?」
リンフーはキッと表情を引き締め、
「——
疾駆。
一気にランイェへと肉薄し、渾身の正拳突き【
ランイェは横へ小さく動いてその正拳を回避し、そのまま術力を込めた回し蹴りで反撃に出た。
リンフーは身をかがませた。両者との間には身長差がそれなりにあったので、紙一重で蹴りの真下をくぐることができた。そのままランイェの懐まで重心を滑らせ、【
が、直撃寸前にランイェは回転しながら後退。激しい踏み込みに合わせたリンフーの肘が届かず、ランイェの長い脚が届く位置関係になった瞬間、すかさずランイェは振り向きざまの回し蹴りを繰り出した。
急速に弧を描く踵が側頭部を横殴りする直前に、リンフーは後方へ跳びつつ頭を引っ込めた。目標を失った蹴りが鼻先を鋭く横断する。……リーフォンやチウシンとの対人練習で間合いの変化を使った戦法を学んでいなかったら、殴打されて痛い目を見ていただろう。
ランイェがすっと近づいてくる。突風じみた体捌きで間を詰め、正拳で突いてくる——かと思いきやその姿が目の前から消えた。
どこへ? そう考えた瞬間に後頭部に風圧を感じ、リンフーは考える前に伏せた。頭を下げた次の瞬間、圧力の塊が後頭部をかすめた。真上には、空中で縦に
ランイェの足が地に降り立った瞬間、距離を狭めていたリンフーが【頂陽針】で真っ直ぐ打ちかかった。
豪然な術力をまとった拳がぶち当たる寸前、驚くべきことが起きた。
ランイェの姿が「
皮肉げな美貌を持った長身の女の姿形が、まるで火花がちらちら明滅するかのように「消滅」と「出現」を瞬時に見せたのだ。
さらに、ほぼ必中といえる距離まで達していたはずのリンフーの正拳が、空を切っていた。よく見ると、ランイェの立ち位置が少しだけズレていた。
リンフーは驚きと警戒心を強く抱いた。一度退がって距離を広げる。
姿が「点滅」し、立ち位置が瞬時に移動する——リンフーの記憶の中に、その特徴に合致する「神業」が一つ存在した。
「【
「あら、フイミン様から聞いていたのね。正解よ、可愛いお坊ちゃん。今のは【奇踪拳】の歩法【閃爍歩】。これの習得が師範代になる最低条件だから、当然私も使えるってわけ」
「……まさか、あんたも五秒間、誰も動けない意識の【
「とんでもないわ!」
ランイェは恐れ多いとでも言わんばかりにかぶりを振った。
「私や他の師範代が【空隙】にいられる体感時間は、どれだけ長くても一瞬だけ。五秒なんて、フイミン様みたいな化物しか到達できない境地なの。……でもね、実戦で使う場合、その「一瞬」だけで十分なのよ。武法は拳法や武器による接近戦が主体だから、「一瞬」でも【空隙】に入れれば、ほとんどの攻撃は躱すか安全地帯に逃れることができるわ。……ふふ、あなたの攻撃もすべて避けて、じわじわと弱らせてから場外にでも落としてあげる」
お喋りを止め、再び体勢を整えて攻撃の意思を匂わせてくるランイェ。さあどう御してやろうか。切れ長の瞳にはそんな嗜虐の感情が静かに光っていた。
それに対し、リンフーはただただ落ち着き払っていた。
確かに、あれだけ自分を苦しめた【閃爍歩】を、この女が使えるという事実には驚きを隠せない。
けれど、驚いただけだ。リンフーにはさほど問題ではなかった。
ランイェの【閃爍歩】はフイミンより性能が低いから、というのもある。もしもフイミンと同じくらいであれば勝つのは至難であっただろうが、あんな反則じみた技がそうそう存在するはずはなかったのだ。
それにリンフーには、四年間におよぶ懸命な鍛錬の積み重ねと、この【槍海大擂台】にむけて培った技と感覚があった。
自流を信じ、自流こそが最強なりと疑わず、雑念を捨て去り心血を注いで技を磨く。不動の冷静さは、それによってのみ生まれるのだ。
そんなリンフーの泰然自若さを見て、ランイェは「強者」を連想した。……同時に、そんな妄想を抱いた自分と、抱かせた
そんな静かな激情が、ランイェの足を進ませた。
ほぼ瞬時にリンフーの間合いへ接触する。身を捻り、弧を描いての右回し蹴り——と見せかけて蹴り足を引っ込めて回転を続行し、振り向きざまに左踵で突き刺すような蹴撃へと転じた。
矢の速度で放たれた杭のごとき蹴りが、見事にリンフーの心窩を穿つ。しかし触れた感触が皆無。……それはリンフー本体ではなく、霞のごとき残像であった。【
「しゃらくさい!」
ランイェはその速度に驚きつつも、動きは止めなかった。前へ突き出した蹴り足に重心を移して距離を作り、それからすかさず鞭のように蹴りかかる。顎を狙った爪先が当たるよりも早くリンフーは頭を引っ込める。そのわずかな隙に、ランイェは【閃爍歩】を用い、リンフーの懐へと瞬時に立ち位置を移転させた。
零距離から術力を込めた膝を突き出し、それが鳩尾に刺さる薄皮一枚の前の刹那、またもリンフーの残像が生まれ、後方に存在感が生まれる。
それからも幾度となく攻撃を仕掛けるが、当たらない。
「そんなっ!?」
どれだけ拳脚が間近に肉薄していようと、どれだけ【閃爍歩】を含む各種歩法を用いた
ランイェは兄弟弟子から聞いた情報により、リンフーの武法がどういう性質を持っているのかは知っていた。しかし、その技の正体や原理については未解明だったのだ。
【游雲踪】は、打撃がどれだけ自身の体に接近していようと、目で見て「知覚」できているのならば回避が間に合うようにできている。体の内外から余計な動作を省いた「最速の一歩」は、一歩踏み出し終えるまでの時間がものすごく短い。
されとて、ランイェも決して遅れを取ってばかりではなかった。たとえ攻撃をはずして死角に回られたとしても、すぐさま動きを切り替えて可及的速やかに次の反撃に出ている。どれも当たってはいないが、その反応の速さのせいでリンフーはなかなか攻撃に踏み込めずにいた。
——技だけで解決しようとするな。もし技だけで隙を作れないのなら、もう少し工夫を加えろ。
策士が策に溺れて失敗するように、武法士もまた武技に溺れて痛い目を見ることがある。優れた技を持っていても、それを上手に使えなければ宝の持ち腐れ。結局、技とは手段なのだ。それを生かすか殺すかは、技を使う人間の工夫や駆け引きにかかっている。……すべてシンフォの受け売りだが。
リンフーは即興で作戦を考えついた。
もう何度目かになる【游雲踪】を用いた回避。ランイェの蹴りに残像を蹴らせてから、素早くその隣まで移動した。耳元に狙いを定めて、
「わ——————っ!!」
「ひうぅっ!?」
ありったけの声量を耳穴へ叩きつけてやった。いきなりの大声、しかもそれを耳元でぶちまけた。当然ながらランイェは、びく——っ!! と飛び跳ねた。
ランイェに一瞬ながら大きな隙が出来た。
そこを逃すリンフーではない。
大声を出した狙いに気づいてすぐさま身構えようとするランイェだが、もう遅い。リンフーはランイェの懐深くまでもぐり込んでいた。
「かはっ——」
城郭が高速で滑り寄ってきたかのような重厚な衝撃が、ランイェの胴体を突き抜けた。予想以上の術力の重々しさに、意識が飛んだ。
【天鼓拳】の体当たり技【
術力の余波によって、ものすごい勢いで吹っ飛んだランイェ。
場外から飛び出し、それでもしばらく転がり続けて、やがて仰向けになって止まる。
——決着。
本来ならここで勝者の名を高らかに叫ぶところだが、ランイェが今なお仰向けのまま動かないため、
観客も息を詰めたように沈黙し、緊張の面持ちでそれを見守っていた。死んだのではないか、と。
やがて、
『
それにつられるように、観客もようやく喝采を膨らませた。
割れんばかりの讃えの声を受けたリンフーは、
(良かった……通じた、勝った……)
勝ってもなお、緊張しっぱなしだった。
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