第二章 槍海大擂台

リンフー、弟ができる

 【槍海商都そうかいしょうと】という巨大な商業都市を統括管理しているのは、【シア一族】という貴族である。


 シア一族は、【槍海商都】がある地方を治めている諸侯と近縁であり、繋がりが強い。シアは諸侯と情報や知恵を交換し合いながら、【槍海商都】を厳重に管理している。


 武法を身につけると、その腕を確かめたくなるものだ。けれど街のあちこちで喧嘩などされては治安の悪化に繋がりかねない。だからこそ都のあちこちに闘技場という試合の場を作り、街への被害を最小限に治めると同時に、武法士達の闘争心のはけ口を作った。……それでも、時折街中で争う武法士は出るわけだが。


 【槍海大擂台そうかいだいらいたい】も、その「闘争心のはけ口」の一つであった。


 年に一度、都の中央広場にある巨大闘技場【尚武環しょうぶかん】で行われる武闘大会。十六名の武法士達が武を競い、勝ち抜いて頂点を目指す。【槍海商都】の武法士達の憧れの舞台であり、また都の興行でもあった。


 そこで優勝した者は、次の年の【槍海大擂台】までの間【槍海覇王そうかいはおう】の称号を得る。それを得ると、その流派は武法の世界において一目置かれるようになり、また一部店舗での支払いの何割かが免除されるという特典がつく。


 ——では、その【槍海大擂台】の参加者の選別方法は?


 それはその年によって違う。だが、武法の実力で掴み取るという点と、容易ではないという点では毎年共通している。


 今年の選手選別方法は——【白幻頑童はくげんがんどう范慧明ファン・フイミンに傷をつけること。


 肌でもいいし、服でもいい。とにかくどんな傷でもいいからフイミンにつけること。時間は問わない。寝込みや湯浴みや花摘みのところを襲っても構わない。とにかく定められた一定期間内にフイミンに傷を一つでもいいからつけること。それが今年の【槍海大擂台】の参加資格を得る方法であった。


 「なんだそれだけか」と思うのは、武法の世界に明るくない一般人だけである。武法士の割合が大多数を占めるこの都に住み、尚且つ【白幻頑童】の武名と実力を知る人々は、その条件を大変厳しいものだと受け止めていた。


 それでも、その厳しい条件をくぐり抜けた十六名の武法士は、ちゃんと現れた。


「その最後の一人が、まさかボクになるなんてなぁ……全くもって予想外だった」


 【尚武環】と【霹靂塔へきれきとう】を中心に置いて広がる中央広場。その端にしつらえられた石の腰掛けに座り、雲がまばらに散った空で輝く朝日をぼんやり眺めながら、汪璘虎ワン・リンフーは呟いた。


 現在のこよみは「陽の六月六月」の上旬。初夏の季節だ。大陸南方はすでに猛暑だろうが、大陸中心からやや北寄りの位置にある【槍海商都】ではまだ暑気よりも涼風が勝っていた。されど陽光に宿る熱は、日を経るほどに着実に増してきている。


 隣に座る宋璆星ソン・チウシンが、空に光る朝日と同じような眩しい笑みを浮かべて言った。


「リンフーってば凄いよね! まさか【槍海大擂台】参加者選別期間の最終日に、参加資格をもぎ取っちゃうだなんてっ」


「狙ってやったわけじゃないだけに、まだ実感沸かないや」


 リンフーはそう返し、再び空を見上げた。


 本当に——昨日のフイミンとの戦いの勝利条件が、そのまま【槍海大擂台】参加条件であると昨日知った時、不意打ちを食らった気分だった。


 棚から牡丹餅、と言うには、あまりにその牡丹餅にあたる物が予想の斜め上すぎる。お陰で今なおありがたみやら達成感やらの実感がなかった。


 けれどあの後、【奇踪拳きそうけん】の門人一同は、リーフォンの蛮行を今回限りは不問にすると言った。今は教練職を辞しているものの、流派内では今なお強い権限を持つフイミンの言いつけに、全員は複雑な気持ちを見せつつも取り敢えず従ったのだ。


 リーフォンを家に連れ帰って手当てしてやろうかと一瞬思ったが、普通に立って動けるほどの体力はあったみたいだし、何よりこれ以上自分に助けられると屈辱だろう。リンフーはそう思い、あえてリーフォンを放置して帰った。男としての気遣いだ。


 チウシンが嬉々として尋ねてきた。


「シンフォさんは何て言ってたの? 嬉しがってたんじゃないかなっ?」


「いや、シンフォさんにはまだ言ってない。家に帰ってきたら、あの人もう酔っ払ってかーかー爆睡してたんだよ。お陰で寝床に運んだり、散らばった酒瓶片付けたりとかしてさ。……ったく、日に日に飲む量が増してきてるんだよ。ふんっ、体壊しても知らないんだからなっ。おまけに部屋の空気がだんだん酒臭くなってきてるし……」


 ぐちぐちと愚痴をこぼすリンフーに、チウシンは苦笑してから、自分を指差しながら言った。


「あ、ちなみにわたしも参加するから!」


「えっ、マジか?」


「まじまじ。もし戦うことになったら、手加減しないから、そのつもりでね?」


 微笑むチウシン。その笑みにはいつも通りの友好の感情の他に、強い戦意も浮かんでいた。


 リンフーもそれにつられて、口端を吊り上げた。


 だがそんな戦意に満ちた空気もすぐに和らいだ。


「ところで、ボクをここに来させたのはどうしてだ?」


 この中央広場にリンフーを連れてきたのはチウシンだった。朝早い時間に家を尋ねてきて、なるべく早くここへ来るように言ったのだ。リンフーは深く眠っているシンフォに朝食を作り置いてからこの中央広場へとやってきた。


 対し、チウシンは不自然なほどニコニコしながら、


「もうすぐ分かるよっ」


「はぁ……」 


 一体何がしたいのやら。


 しばらく待つと、リンフー達の所へ真っ直ぐ近づいてくる人影が見えた。


 それは見間違えようもなく、高励峰ガオ・リーフォンだった。


「うげっ……」


 リンフーはあからさまに嫌そうな顔をした。


 なるほど、チウシンの用事はこれだったのか。ここで二人に和解させようという腹だろう。


 けれど、リーフォンの苛烈で自尊心の強い性格からして、望み薄に思えた。


「用事を思い出した。シンフォさんが飲み過ぎないように見張らないと」


 腰掛けを立って去ろうとしたリンフーだが、服の裾をチウシンの足指にしっかりと捕まれ、その場から動けなくなる。


「ちょ、おい! 離せっての!?」


「だーめ♪」


 チウシンがにっこり顔のまま答える。なんだか地味にムカつく笑顔だと思った。


 そうしているうちにリーフォンはさらに近づき、やがてリンフーの目の前までやってきて、立ち止まる。


 うつむいて垂らされている赤黒い前髪の下にある表情は、窺い知ることができない。けれどその頬には、殴られた痣がまだうっすら残っていた。


 朝ののどかな空気が、一気に緊張したものに変わる。


「…………なんだよ?」


 リンフーは悪態をつくように用件を問う。


 なんか負け惜しみみたいな事を言うのかもしれない。こいつはそういう奴だ。ふん、やっぱり放置した方が良かったかも。ていうか、なんで助けたんだよボクは。


 これからの未来を妄想し、気分が悪くなってくるリンフー。


 リーフォンの口が、ゆっくりと開き、




「——その節は申し訳ありませんでした、兄者・・っっ!!」




 額を地に叩きつける勢いで平伏し、えらくかしこまった口調でそう謝罪してきた。


「…………………………は?」


 ちょっと何言ってるか分からない。


 ていうか、何だ? 謝罪? 


 いや、それはいい。予想外だが、それは人として正しい行いだろう。そういうことなら今までの事は水に流す気であった。


 それよりも、今、こいつはボクを何て呼んだ?


「それと同時に、助けていただいてありがとうございました、兄者・・っ!!」


 そうだ、兄者だ。兄者って何だ。ボクはいつからお前の兄貴になったんだ。


「兄者の御助力のお陰で、【吉剣鏢局きっけんひょうきょく】は危機を脱することができました! こんな短気で愚かな俺を、兄者は助けて下さった! 自業自得と吐き捨てられるはずだった俺に、救いの手を差し伸べ、身を挺して守ってくださった! 兄者がいてくださらなかったら、俺は父や仲間達に多大な迷惑をかけていたでしょう! 兄者は紛れもなく、俺の、我々の英雄ですっ!」


「お、おい、ちょっと待った。その……「兄者」ってのは誰だ?」


「あなたです兄者!」


「いや、お前……何歳なんだ?」


「十六です兄者!」


「ボクは十四なんだけど……それで兄者って、変じゃないか?」


「何をおっしゃる兄者! 歳の差など些事です! 兄者はそんな些事など乗り越えて、俺が尊敬すべき素晴らしいおとこです! ああ兄者、これからはどうか、兄者と呼ばせてください!」


 再び、ドスン! と石畳が揺れるほど額を地に付けるリーフォン。


 あまりの態度の変わりように混乱しまくっていると、チウシンはこみ上げてくる笑いを堪えるような声をクスクスとこぼし、


「リンフー、どうやら気に入られちゃったみたいだよ」


「気に入られたぁ?」


「うん。昨日、結局わたしも心配でこっそりリーフォンの様子を見に行ったの。街の人から闘技場の場所を聞いて駆けつけたんだけど、そこにはもうボロボロのリーフォン以外誰もいなくて。尋ねてみたら、リーフォン、すっごく嬉しそうに笑ってたんだ。「英雄だ、あれこそ本物の英雄だ。あの人はいつか大物になる。俺はあの人に一生ついて行きたい」って、そればっかり言ってたんだよ? うふふふ」


 微笑ましそうにするチウシンだが、リンフーの混乱は説明を受けた今なお治らなかった。


 そりゃ当然だろう。昨日までいがみ合い殴り合ってた奴が、次の日には打って変わって兄者兄者ときたもんだ。見ろ、あいつのキラキラした笑顔を。まるで懐きまくったわんこだ。


「兄者、どうかお願いいたします! 俺を、こんな俺で良ければ、兄者の弟分にしてください! 何卒、何卒っ!」


 だが、憎まれているわけではない。むしろ、これ以上ないくらい好意的だ。だからこそ邪険にできず、扱いがたい。


 リンフーはぎこちない笑みを浮かべ、


「……その、兄貴とかは勘弁して欲しいけど、友達ダチになら、なってもいいぞ」


「ありがとうございます兄者!!」


「人の話聞いてた?」


 呆れたような顔をするリンフー。嬉しそうに笑みを輝かせるリーフォン。


 チウシンが少し熱っぽい溜息を漏らしながら、うっとりした笑みを浮かべて呟いた。


「なんだろう……男の子同士の友情って、素敵だよねぇ。見てて気持ちが潤うっていうか」


 ちょっと何言ってるか分からない。

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