売り言葉に買い言葉

 現在の煌国こうこくは、大まかな情勢的には平和ではあるものの、犯罪が一つもないわけではない。


 金品を持ちながら道を歩いていれば、山賊などの餌食になることだってある。


 だからこそ、陸路を通って街から街へ荷を運ぶときは、必ず用心棒が必要となる。


 そこで生まれたのが【鏢局ひょうきょく】という業種だ。


 【鏢局】とは、運送業と護衛業が一体化した組織である。


 荷物を陸路で輸送する時は、必ずと言って良いほど【鏢局】の出番となる。


 鏢士ひょうし——【鏢局】に所属する護衛の武法士——に守られながら、荷車は街から街へと移動する。


 【鏢局】はもはや、この大陸になくてはならない存在だ。有名な【鏢局】だと、諸侯から皇帝への献上品を送るという大役を任されることもある。


「——【吉剣鏢局】って言ったら……有名所の一つじゃないか! 確か以前、諸侯から皇帝への献上品を帝都まで運んだって! しかも、その途中で襲ってきた盗賊を返り討ちにしたって話だよな!?」


 リンフーの興奮気味な声が、茶葉の香りの宿った空気を揺さぶった。


 リンフー、チウシン、リーフォンの三人は、【清香堂せいこうどう】という小さな茶館で一休みしていた。四角い机一つを、隣り合わせに座ったチウシンとリーフォン、その向かい側に座るリンフーが挟んでいた。


 チウシンは、ほぇー、と感心したような声を漏らしながら、


「凄いね、やっぱりリンフー知ってたんだ」


「そりゃ当然! 【鏢局】って言ったら、武法士が伝説を残す舞台の一つじゃないか! ——莫大な財宝の詰まった荷車! それを舌舐めずりしてつけ狙う悪逆非道の賊徒ども! されど宝には精強な番人がつきもの! 金銀財宝へ伸ばされる悪どい手の数々を拳で砕き、刃で断ち、槍で貫き荷を守る! しかしてその荷は都へ達し、帝の微笑み、人々への恵みをもたらさん! 【鏢局】、それは人々の笑顔の運び手、命の運び手、そして勇しき伝説の運び手! 今日も荷を持ち誇りを帯び、東へ西へ南へ北へ……」


 昔読んだ鏢士の物語の中の一文を、リンフーは芝居がかった口調でそらんずる。


 チウシンがクスクス笑うのとは正反対に、リーフォンは不快げに鼻を鳴らす。


「ふん、夢見がちなガキめ。【鏢局】の仕事を英雄ゴッコだと思っているのか?」


 あからさまな悪態にリンフーは眉をひそめ、チウシンは「こらっ」と幼馴染を注意する。


 リンフーとリーフォン。互いの第一印象は最悪と言ってよかった。


「しかし、こいつが【吉剣鏢局】の次男坊、ねぇ……」


 細めた目をリーフォンへ向け、意味深な口調でそうこぼした。


 リーフォンも眉間のシワを数本増やし、


「何か言いたそうだな。吐かしてみろ、小僧」


「言ってもいいけど、余計な争いが起こるから言わない。お前と違って、誰彼構わず噛みつく野良犬じゃないからな、ボクは」


「……喧嘩を売ってるのか、貴様」


「先に突っかかってきたのはお前だろ?」


 再び一触即発の空気を作り出した二人を、チウシンが「こーらっ!」と叱りつける。


「ほら、言い争いはやめてお茶でも飲もうよ! せっかく来たんだから!」


 そう言って、チウシンは茶杯を両足で挟むように持ち、口元まで持ってきてすする。……何回見ても珍奇な光景だ。他の客も奇異の目で彼女を見ていた。


 隣で白い素足がおおっ広げられている様子に、リーフォンは少し顔を赤くしながら、


「チウシン……何度も言うが、女がそういうはしたない格好をするものじゃないぞ」


「えー、いいじゃない。これも修行の一貫だよ?」


「しかし、人の目というものが……」


 口を挟まず、黙って茶をすするリンフー。リーフォンの意見には若干同意するが、困った顔をもっと見たいので傍観を決め込む。もっと困れ。


「もう、リーフォンったら。リンフーは別に何も言わなかったよ? ねーリンフー?」


 突然自分にお鉢が回ってきて、傍観者リンフーはビクッとなる。


「いや、まぁ……それも一種の修行なんじゃないか?」


 若干やりすぎかもだけど、という言葉をすっぱ抜き、リンフーは一応肯定を示す。


 それに、普通はしないような奇妙な訓練は、自分も経験があった。


「ボクだって、歩法の練習の一貫として、足を使ってひたすら字を書く練習をさせられてたんだ。いろいろな動きを足にさせることになるから、足の器用さを養う訓練になるって、シンフォさんが言ってたから。最初はこんなんで強くなれるのかなと多少は思ったけど、今となってはやっておいて良かったと思ってるよ。この修行をしばらく続けた後に型を練習したら、足さばきのぎこちなさがだいぶ無くなってたし」


「【天鼓拳てんこけん】だっけ? あれ本当に凄い武法だよね! 煙みたいに姿が消えたと思ったら、とんでもなく重たい技を打ってくるんだもん! 四年の修行であんなに強い威力の技を育てられるなんて、今まで見たことないよ!」


「ありがとう。……というより、ボクの【天鼓拳】には、型が一つしかないんだ。ほとんどの武法にはそれぞれの目的を持った多くの型があるらしいけど、【天鼓拳】はたった一つの型を通して、打撃や歩法、その他いろいろな技術を一度に覚えられるんだ。だから効率が良いんだ。……あ、これはシンフォさんの受け売り」


「そうなんだ! 確かに効率が良いね! 【六合刮脚りくごうかっきゃく】も型が七つくらいあるから、わたしはあらかじめ練習目標を一つ決めて、それに応じて練習内容を決めてるんだ! でも、全部蹴り技だから、足の器用さの訓練は全部の型の大きな基礎になるんだ! だからこうやって日常生活の中で足をたくさん使ってるの! 良い考えでしょ!」


「あははは……でも、チウシンの【六合刮脚】は凄かったなぁ。いろんな所にグルグル回って蹴られまくって、負けるかと思ったよ」


「わたしだって、最後リンフーの突きが当たるかもしれないと思ったもん。一度も実戦経験ないままあれだけ戦えたんだから、リンフー、これから絶対もっと伸びるよ」


 ニコニコと笑いかけてくるチウシンに、リンフーは少し赤くなって唇を尖らせた。


 リンフーは昔から褒められるのに弱かった。称賛に慣れていないというのもあるが、何となく恥ずかしくなってしまうのだ。


 和やかな気配を生み出す二人。


 ……リーフォンはそんな二人を、ひどくつまらなそうに見つめていた。


 最初はそれだけだったが、幼馴染の満面の笑みがリンフーという別の男に向けられていると感じた瞬間、そのつまらなさは苛立ちへと変じた。


「【天鼓拳】、だと? ふん、聞いたことがない流派だな。実力はいかほどのものか、語っただけでは分からん。それとも【天鼓拳】とは口で戦う武法なのか? 天鼓、天鼓と、口で雷が落ちる音でも再現して相手を驚かすのか? 怖がりな子供には効くかもしれんな」


 相手の流派を不用意に貶すことは、武法士にとって忌むべき行いだ。けれど苛立っていた今のリーフォンの頭からはそんな常識が吹き飛び、気が付くとそんな悪態をついていた。


 案の定、リンフーは机を叩いて勢いよく立ち上がる。中性的な美少年の顔を静かに怒らせながらリーフォンを睨み、凄んだ。


「おい、今なんて言った? もう一回言ってみろ」


 リーフォンは言ってから失言を自覚した。だが、一度吐いてしまった唾は飲めない。


 何より、自分が昔から憧れている幼馴染と、たった一日でこれだけ意気投合しているこの少年に対する嫉妬心が、前言撤回して謝罪するという選択肢を選ばせてくれなかった。


「【天鼓拳】などという田舎拳法のことなど存ぜぬ。実力が分からんうちはな」


「シンフォさんの【天鼓拳】を舐めるなよ。お前のウンタラっていう武法なんか、一撃で瞬殺だよ」


 売り言葉に買い言葉。リンフーもまた、まだ見ぬリーフォンの武法を侮る言葉を文脈に混ぜた。


 リーフォンも勢いよく立ち上がった。机越しにリンフーの胸ぐらを掴む。


「——試してみるか? 我が一族に伝わる【箭走炮捶せんそうほうすい】の力の程を。実戦でな」


「——上等だ。あと引っ張んな。服が破れる」


「ちょっと二人ともっ! 落ち着いてよ、喧嘩はダメだよ、ね?」


 本格的な対立へと向かっていく二人に、チウシンは静止を訴えかける。


 だが男二人に、その言葉は聞こえていなかった。

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