閑話:渇望

 ——力が欲しかった。


 誰にも奪われない力が欲しかった。

 誰にも侮られない力が欲しかった。

 誰にも害されない力が欲しかった。

 誰にも犯されない力が欲しかった。 

 誰にも殺されない力が欲しかった。

 

 「彼女」は、ただひたすらに力を欲していた。





 口減らしのために親に売られ、奴隷同然の身の上となってしまった「彼女」は、世界という地獄の上で踊らされる道化だった。


 家で役に立たなくて、見た目が良い。それだけの理由で親子関係を否定されたのだ。


 最初で最後の買い手は、南方に住む貴族だった。幼女ばかりを好んで食う変態性欲者で、よく貧乏な家の女児を買っては壊れるまで楽しむ下衆野郎だった。


 そいつの餌食になりそうになった「彼女」は、恐怖のあまり近くにあった花瓶でそいつの頭を殴り、意識を失った隙に屋敷から逃げ出した。


 逃げて、逃げて、逃げて……山奥まで来た。


 下には川が見える。


 そこには一匹の熊がいた。

 

 熊はその鋭い爪と豪腕で魚を取り、それを豪快に食していた。


 熊の前では魚に抵抗の術はない。逃げ切るか、食われるかの二通りしか運命がない。


 ……あの魚は、自分だと思った。


 逃げ切った果てに死ぬか、食われて死ぬか。その二つしか運命を与えられていない「弱者」。


 それを悟った瞬間、燃えるような怒りの熱が心に宿った。


 ——冗談じゃない。


 ——私は、魚なんかじゃない。


 ——幸せを阻むのなら、熊だって殺してやる。


 「彼女」の生き方の方向性が定まった瞬間だった。


 生きる道標。それは「力」。


 「力」があれば、何もかも解決する。


 自分を傷つけようとする奴も、自分を騙そうとする奴も、自分を犯そうとする奴も、自分を殺そうとする奴も……「力」さえあれば、黙らせることができる。


 「力」さえあれば、自分は絶対に幸せになれる!


 世界に踊らされるだけだった「彼女」に、初めて生きる指針ができた。


 「力」を手に入れるために目をつけたのは【武法】だった。


 習う金がない? だからどうした。なら流派の練習をこっそり覗いて武法を覚えればいい。「彼女」はいろんな流派から【盗武】で技を盗んだ。


 あらゆる罪に手を染めた。人の財布をかすめ取り、その金でその日その日の糊口をしのぎながら、「彼女」は武法を熱心に練習した。


 たまに危険な組織と揉め事を起こした事もあったが、鍛え抜いた武法で返り討ちにしつつ逃げた。


 そうして野良犬同然の暮らしを十四歳までしていた「彼女」に、さらなる力を手に入れる転機が訪れた。


 それは、本当に偶然みたいなものだった。


 たまたま歩いていた川に、一冊の本が流れ着いていた。


 表紙は水による墨汁の脱色で文字が読めない状態だったが、それが武法に関する書物である事は数頁読んだだけで分かった。


 そこに書かれた「名もなき武法」を覚えようとしだしたのは、本当に単なる気まぐれだった。


 その気まぐれが、「彼女」に強大な力をもたらした。


 身につけた「名もなき武法」の技で人を打つと、どんな達人だろうと、どれだけ【鋼】に長けていようと、簡単に砕けて死ぬようになった。


 「彼女」は、これまでにないほどの強大な「力」を手に入れた。


 だが、自分がどれだけ強いのかを証明するには、主観だけでは足りない。客観的な裏付けが必要だった。


 そこで「彼女」は、名高い武法士に決闘を申し込み、それを殺す事で己の「力」を確かめたいと思った。


 「彼女」の目標は、すでに「力の獲得」から、「最強の追求」へと変わっていた。


 「最強」になれば、何もかもがうまくいく。


 奪われることも、侮られることも、害されることも、犯されることも、殺されることもない。確固たる幸せが約束されている。


 すでに手足が伸び切った歳になっていた「彼女」は、「最強への道」を歩み始めた。




 ——それが、地獄への道であるとも気づかぬまま。

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