3-17 アンメルシア加虐実験


 その光景を、王女アンメルシアは何一つ抵抗することなく眺めるしか出来なかった。



 ――殺したい。

 ――殺したい。

 ”完璧”なる私を陥れ、ゴミのように扱うこの女の首をいますぐ裂き、血と肉片となって大地の藻屑にしてやりたい。

 その憎悪と憤怒をぶつける相手が、にやにやと自分を見下ろしているとなれば尚更だ。


「いつ見ても哀れな姿ですね、アンメルシア。今日の気分はどうですか?」

「いつだって最悪ですわ。あなたの顔を見る時は、またよからぬことを思いついた時でしょう……?」


 くく、と愉悦の含み笑いを浮かべる聖女を見る度に、アンメルシアは陰鬱な気持ちになる。


 先日はワイン漬け、その前は温泉で窒息。目玉をほじくられ、時に額に穴を開けられる。

 今日の拷問は何だろうか。

 耳をねじ切るような暴力か、舌や目玉に針を刺すような拷問か。或いは言葉による鞭打ちか。


「……今さらわたくしを慰み者にして、まだ楽しいのですか、聖女」

「ええ。あなただって私を百年にも及び、拷問したではありませんか。その度に楽しく笑っていたでしょう?」

「わたくしは完璧な存在だから、当然の仕打ちです」

「完璧、ねぇ。ふーん?」


 聖女が馬鹿にするように、アンメルシアの乾いた髪を撫でていく。

 手入れなど一切施されない自慢の赤髪は、聖女の蘇生に関わらず酷くくすみ、ワインの跡や泥がべたりと辛みついていた。艶やかだったはずの目も落ちくぼみ、しなびた耳や乾燥した唇は、路地裏の娼婦よりも惨めなことだろう。


 とはいえ、王女とて、何度も拷問されれば流石に心が順応する。

 数々の屈辱や痛みに慣れたことが、よくも悪くも彼女への痛みを鈍くさせ、鞭打たれ殺された後ですら聖女とまともに会話できる程度に、悪い意味で成長していた。


 ……いや。

 それだけなら、良かったのだ。


(殺したい。この女を殺したい。けれど……私は、本当にこの女を殺せるの?)


 記憶に蘇るのは、フロンティアにおける奈落迷宮での記憶。


 デーモンの身体を乗っ取り、聖女を殺そうと拳を振るったあの時、アンメルシアは本気で勝てると思っていた。

 完璧なる私が全力を賭して、負ける相手などいないと。


 そのプライドを完膚なきまでに叩きつぶされ、聖女に耳打ちされた言葉が蘇る。




『――あなたはずっと怯えることになるでしょう。私に与えられた希望が、本物か、偽物か――そしてあなたが本気になるたびに、私はあなたの心を抉り、その全てをすり潰してあげましょう――』




(くそ、くそっ、くそおっ……!)


 あの日以来、アンメルシアは聖女に変わらず罵倒を続けている。

 この女への殺意と恨み、奈落よりも深い復讐心は私でなくとも認めるものだろう。


 けれど。

 ……その心の片隅で、私はこの女に、確かな恐れを抱き始めている事実を、私は、


(認めない。私が、この女を恐れているなど! 屈するなど……っ!)


 唇を噛み、アンメルシアはぐっと喉を堪えながら聖女を睨む。

 私は恐れてなどいない。

 私は恐怖に屈しない!


 何より……この事実を知られてしまえば、アンメルシアは耐えきれない程の屈辱を味わうだろう。

 王女の心の一端を折ったのだと、聖女は大喜びするだろう。


 だから吠える。

 己の心をねじ伏せ、王女として強気に振る舞い、へばりつく影を払うのだ。


 心を奮起させ、ちっ、とアンメルシアは唾を吐き捨てる。


「お好きになさい、聖女。今のわたくしには抵抗の術などありません。性悪な性癖を、幾らでもお披露目なさい? ……けれど必ず、わたくしの首を残し続けたことを後悔させてあげますわ。あなたが復讐という快楽のためだけに、わたくしを生かし続けていることを。いつか、必ず!」

「そうですねぇ。確かに私があなたを生かしているのは、本来デメリットでしかない、という話は先日もしましたけど……今日はそれなりに、役に立ちそうですよ?」


 訝しむ王女の前で、聖女レティアはくふふと笑みを浮かべながら、大型の器を取り出した。


「今日も飽きずに溺死? 確かに苦しいけれど、違うというほど……」


 口にしたアンメルシアの頬が、びくりと引きつる。


 その器に満たされていたのは、おぞましい粘性を持った紫色の液体だった。

 汚物を溶かしてペンキで着色したような、どろりとした汚物の塊。近づくだけで腐臭と吐き気を催す、嫌悪の塊。


「……な。何ですの。その液体は」

「あ、分かりますか? 分かりますよね? ああ、良かったです。エミリーナが一生懸命に作った甲斐がありました! ふふ、これはエルフを殺すためだけに作った猛毒です。あなたの妹、リーゼロッテを苦しめ、悶えさせるための、ね」

「リーゼを、殺す……?」

「ええ。ただ、効果がどれほど出るのか検証したいんです。適当なエルフを数十匹ほど浸けてみましたが、すぐ発狂したり、のたうち回って自殺したりと、効果の程がわからなくて……という訳で」


 ね? と聖女は喜々として瞳を輝かせ、アンメルシアの首を持ち上げる。


「妹殺しの実験材料になってください。家族思いのお姉ちゃんなら、頑張れるでしょう?」

「こ、この屑女……!」

「大丈夫、この程度の苦しみなんて、私の前でエミリーナを焼かれたのに比べれば大したことありませんよ。それに……あなた最近、私に対する反逆の意思を、ちょっと失っていますよね?」

「っ!」


 びく、と震えたアンメルシアの反応を、聖女は見逃さない。


「私が気付かないと思いましたか? 口では生意気な言葉を告げていても、歯切れが悪くなってるんですよ。……いけません。それはいけませんね、アンメルシア。私が吊されていた時のことを、思いだしてくださいよ」


 聖女がアンメルシアの首を自らに寄せ、逃げようのない耳元でくすりと囁く。

 その瞳にはいまも狂気を携え、尽きることのない悪意が浮かぶ。


「私はずっと苦しかった。数多くのエルフの前で辱められ、人々を殺され、仲間を殺され、旗印として人類殲滅の片棒を担がされた。<聖女>の精神耐性により最後まで諦められない私は、あなたの蛮行を前に、ずっと涙し続けたんです。なのに、なのに――あなただけ先に心折れて諦めるなんて。私が許すと思いますか?」


 もっと泣け。もっと叫べ。

 お前の感情を、もっと沢山絞り出せ。

 そのすべてを私に捧げて慰み者になれ、と聖女は歌う。


「私は雑巾のようにあなたを絞り、その身体から感情という水がなくなるまで奪い尽くす。水がなくなったなら、新たな水に浸し、それでもダメなら雑巾がボロボロになるまで捻りましょう」

「この悪魔っ……」

「そして今日は、あなたを消滅する寸前、ギリギリまで追い詰めます。人間に例えるなら、水攻めで窒息死する寸前で引き上げる、その様を何千回と繰り返すといったところでしょうか」


 そして聖女は、ふふ、と笑い、アンメルシアの首を持ち上げ――

 躊躇無く、手を離した。


「ま、待っ……」

「これは実験です。実験ですが、せいぜい私を楽しませてくださいね、アンメルシア?」


 視界から聖女の姿が消え、アンメルシアの顔が毒液に浸される。


 そして襲ってきたのは強酸に浸されたような、皮膚や瞼を直に焼かれる強烈な痛みだった。


「が、あ、あああっ」


 口や鼻を侵食し、感覚がないはずの喉や口裏を含め、体表の表と裏から直に焼かれるような激痛。

 そして液体の必然たる、呼吸困難による悶絶。


 今のアンメルシアには肺がない。本来、呼吸せずとも生きれるよう改造されている。

 けれど聖女の魔術により、身体の感覚はそのままパスとして繋がっている感覚が残されている。


 がぼっ、と空気を求めて呼吸すればするほど液体が入り込み、アンメルシアの内側からも焼き尽くし、侵食していく。

 苦しい。

 痛い。

 涙なんて涸れるほどに苦しい。けれど――この程度の痛みなら、もう何度も、


「溺死や毒死、激痛だけなら何度も経験してきたでしょう? けど、この毒の本番はここからです」

「が、っ」

「エルフの身体は魔力で養われている。そしてこの毒には、その魔力を撹拌し、狂わせる成分が調合されています。本来ならそれは、エルフに更なる激痛を与えるだけですけど……エミリーナは天才なので……」


 直後、聖女の顔がぐにゃりと滲み、アンメルシアの瞼にべつの映像が浮かんだ。



 ――かつて王女が五体満足だったころ。

 完璧なる王女として振る舞い、人類殲滅軍を率いていた記憶。

 聖女を吊るし、自分こそがこの世で最強のエルフだと、何一つ疑わなかった、完璧なる記憶。


 その思い出の映像に、ざりざり、とノイズが走る。


「!?」

「エルフは生命はもちろん、その頭に刻まれた記憶保持にも魔力を使うそうです。人間が血液の循環を失えば、脳にダメージがいくのと同じ理屈ですね。そしてこの毒素は、そんなエルフの記憶すら混濁させる。……この効果がきちんと決まれば、仮に敵が再生能力を持っていても、再生しようとする意識や思考プロセスにダメージを与えます」


 それは、リーゼロッテに致命傷を与えることでしょう。

 くすりと微笑む聖女に、しかしアンメルシアはあるはずもない手を伸ばして、助けを求める。


「わ、わだ、私の、記憶、がっ」

「さて、あなたにはどれ位の効果があるでしょうかね、アンメルシア?」


 王女が王女でなくなっていく。

 私が私でなくなっていく。


 第三王女アンメルシア、という自らの土台が崩れ落ちていく中――

 彼女が思い返したのは、これまでの自身の記憶。そして聖女との忌まわしき因縁の数々だった。

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