2-18 魔法使いエミリーナ2
蘇生術による魔力の奔流に迷宮がふるえ、身体がきしんだ。
条理に反する行いに、世界が私に罰を与えるかのように。
拷問で受けたものとは全く異なる、魔力の重石を乗せられたような苦痛。
「エミリーナ……エミリーナ……っ!」
エミリーナの姿が、見えない。
魂の声が聞こえない。
それどころか、私自身が再び死者の世界へと、足を掴まれ引きずり下ろされようとしている感覚すらあった。
「っ、くう……っ!」
胃が逆流するような感触。魔力が足りないのだろうか。
私の蘇生術が未熟なのか。
私は<聖女>の力で蘇生術を操っているけれど、エミリーナのように本格的な勉強を学んだ訳ではない。
奇跡、魔法の類い近い再現なんて、私には無理だったのか。
蘇生魔術が崩れていく。
嵐に飲まれた小舟のように目の前が揺らぎ、キィンと突くような耳鳴りが走り抜け、全身から熱を吹き出しぐらぐらと視界が揺れる。
思わず膝をつきそうになり、石畳に足を踏ん張ったそのとき、私の傍で笑い声がした。
「くくっ……はは! あははははっ! やっぱり無理じゃないの、このクズ聖女!」
失意に沈んでいたアンメルシアが、私を見つめて笑っていた。
愚かな人間を見下す、王女らしい下品な笑み。
「だから言ったのです。あなたの仲間はわたくしが完全に灰にし、この世から消滅させてやったのだと! 無駄なこと、無駄なこと! ああ、愚かで可哀想な聖女。あなたに仲間はもういない! 例えわたくし達エルフをこの世から根絶しても、あなたはたった一人きり!」
「……うるさいですよ、アンメルシア」
「無駄なんですよ、聖女レティア。そう、すべては無駄! あなたが涙を流し、どんなに必死になったところで、あなたの愛した者は戻らない!」
「黙れと言っているのです、アンメルシア!」
私は蘇生魔術から意識を逸らし、なおも高笑いするアンメルシアを睨む。
確かに不可能かもしれない。
けれど、これだけは諦めきれない。
復讐を少しばかり脇に寄せてでも、これだけはーーと思うのに、アンメルシアの笑い声が耳につく。
「いひひ、あははははっ!」
……ああ
殺したい。
殺したい。
あの女を今すぐ灰にして、その顔を焼き払いたい。
心の器が憎悪に満たされていく。
エミリーナよりも先に、あの女を殺したいという囁きが耳を打ち、術が崩れようとした、――その瞬間。
ぞくり、と魂が震えた気がした。
私の、ではない。
消えたはずの、エミリーナの魂が震えたのだ。
「っ、エミリーナ?」
それは刹那の出来事だったけれど、私はその瞬間にすべてを理解する。
そしてーー後悔した。
私はなんて馬鹿だったのだろう、と。
噴き出る汗を黒衣でぬぐいつつ、一度、蘇生魔術を完全に解除する。
「……聖女?」
「……ふふ。アンメルシア、感謝します。今この時だけは、あなたを連れてきたことを幸運に思いますね」
魔力の奔流が収まり、だらりと両腕を下ろして一息ついた私は、薄暗い迷宮の天上を見上げて唇を噛んだ。
ぐいと汗を袖で拭い、ゆっくりと深呼吸を挟む。
「ごめんなさい。エミリーナ。私は、何をしていたんでしょう。アンメルシアの言う通り、本当に愚かでした」
蘇生魔術に必要なのは、魔力についで彼女に対するイメージだ。
だから勇者様を始めとした仲間達との記憶を辿り、彼女の魂を呼び寄せようとした。
……私達の旅は、素敵な思い出に満ちていたと思う。
魔王を倒すための五年間。苦労も悲しみもあったけど、本当に……楽しい日々だった。
けれど。
その後に私達を迎えたものは、幸福な日々など容易く塗りつぶす地獄だ。
とくにエミリーナはエルフ相手に七十年、ずっと戦い続けてきた英雄。
そんな彼女にーー
美しい思い出や、楽しい記憶なんて。
一つでも、残っていただろうか?
「本当にごめんなさい、エミリーナ。ええ。私達は確かに仲良しでした。けれどいま必要なのは、そんな懐かしい思い出などではありません。もっともっと、大切なものがありましたね」
瞼を閉じ、私は正しく憎悪に身を委ねる。
王女が憎い。
奴等が憎い。
この世界のエルフが憎い。
だから一緒に、殺し合おう。
そう願えば、……聞こえる。エミリーナの声がよく聞こえる。
「あなたは本当に馬鹿ね」と舌打ちする声が。
この百年で私は狂った。
勇者様も狂っていた。
それなら彼女も、とうに狂っていて当然ではないか。
「ふふ。あはは! 本当に、本当にごめんなさい、エミリーナ!」
私は手を掲げ、今度こそ間違いません、と正しい詠唱をもって魂に呼び寄せる。
「さあ、彼方に漂う怨念よ。母なる大地に背を向け、憎悪と復讐をもって蘇れ! 私とあなたの楽しい記憶、懐かしき思い出、ともに過ごした優しい日々。そんな思い出を薪にくべ、靴底で踏みつぶして灰にしてやりましょう! そして恨みの炎を何処までも、何処までも空高く燃やしましょう!」
必要なのは黒い絆だ。
大地に蔓延るエルフという種に対する憎悪、その一つをもって私達は結びつく。
「すべてのエルフを殺しましょう。その身を刻み、引き裂き、潰し、目玉をえぐり四肢をねじり内臓を踏みつぶし、その首を世界のすべてに晒しましょう。男は殺し、女は犯し、子供は釜茹でにし老人は生きたまま埋めましょう! その全てを根絶やしに、殺して殺して殺して殺して――それでも足りないなら、生き返らせてなお殺せ!」
残されたすべての魔力を解き放ち、フロンティアの大地に染みこんだ、あの子の呪いにささやきかける。
そして、私は語りかける。
「さあ、エミリーナ。……そろそろ平和な天国は飽きたでしょう? ここには楽しいことが沢山ありますよ。あの虫どもを殺して殺して、私と楽しいパーティをはじめましょう?」
詠唱を完了し、空へと手を掲げた瞬間。
ぶわり、と魔力が渦を巻いた。
表現するなら、黒い魔力だ。
迷宮の底から蛆のように這い上がり、虻のようにたかる穢れ。
ぬるい風に巻かれて収束する力は、ぶぶぶ、と生理的な嫌悪感を感じる羽音を立てながら。
腐臭よりもなお漂う、汚物をひっくり返すような邪悪さをまき散らして渦を巻き――
ちっ、と舌打ちが聞こえた。
ちっ、ちっ、とあの子の舌打ちが聞こえてくる。
薄霧のように揺らぐ奥、ゆっくりと人の形が露わになる。
「遅い。遅すぎるのよ、この愚図。私をどれだけ待たせるの?」
耳障りなほど棘のある、優しい声。
「やっぱりあなた、百年経っても鈍くさいのね。私を蘇生させるのに何年かかったと思ってるの。ていうか何なの? さっきの綺麗な詠唱。虫酸が走りすぎてエルフ吐くかと思ったわ」
遅い。
遅い、遅すぎる。
彼女らしい毒舌に、つい僅かに涙が零れたことは許して欲しい。
「相変わらずのんびり屋で脳天気なんだから。そんな呆けた顔、ゴブリンでも食べないわよ」
意地悪そうに鼻を鳴らすその顔立ちが懐かしい。
ぷっくりと唇を尖らせる、その唇が懐かしい。
「器量も悪いし、魔力の扱い方もまだまだ。そもそも、私あなたのこと嫌いだし」
呆れたとばかりに両手を挙げ、馬鹿にする仕草すらも懐かしい。
彼女から漂う、魔力薬液のこびりついたにおいが懐かしい。
そんな彼女に、私はもう声を抑えきれず、口にする。
「エミリーナ」
「ふん。……呼ばれたから来てやったわ。感謝なさい?」
魔術師らしい黒服に身を包み、三角帽子を目深にかぶった小さな少女。
そこには私の大切なる仲間、<魔法使い>エミリーナが、当たり前のように佇んでいた。
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