朔の夜、二人の知人と

 元旦から二日が過ぎた日の夜のこと。三が日も終わろうかという時分。月はもうすぐ姿を消し世界は太陽にも月にも見放されてしまうそんな頃。ボクとピコは遠くから漂う宴の騒がしさを薄く身に感じる静寂満ちた、神楽殿へ通じる廊下に居た。

 宴を追い出されたわけではない。ただ神楽殿への用事があった。元旦は終わり参拝者へ向ける神楽も終わった。けれどまだあと一度だけ神楽を踊らなければいけない。それは神社としてでなく、佐倉家としての行事。地域は関係なく佐倉の血を見守ってくれる氏神様へ奉ずる神楽。

 そしてそれは参内した人に向ける神楽よりも気合を入れなければいけない。だからこそおじいちゃんはボクを宴の最中ではあったが神楽殿へと向かわせた。その時が来る寸前まで、神楽の練習をしておきなさいと。氏神は優しいから朔夜がなにかを間違えても許して下さるが、間違えないに越したことはない。といって殆ど無理やりここに来させられた。

 今日は風もない。山奥にあるお陰で車さえ通ることがない。見える景色には街灯の明かりさえなくあるのは宴の音だけ。一歩外に行ってしまえば真っ暗闇の世界に遭難してしまいそうなほどで、恐怖を抱いてしまう。孤独は好きだ、それに溶けていくあの感覚もたまらなく好きである。けれど目の前にある闇は、一度は行ってしまえば自我さえも失って本当に消えていきそうで怖い。


 そんな中ボクは神楽の練習などせずに板張りの冷たい廊下で寝転がる。正直今更神楽を練習しなければならないほど、ボクの神楽はお粗末なものじゃない。だからスマホにかじりつく。巫女装束は崩れてしまうし、お腹あたりがすごく冷たいけれどコレが楽だから我慢する。そうしてピコと一緒にスマホを眺める。

 その間、ボクの脳裏には元旦の日に出会ったチョコと桔梗のことが占めていた。


 今まであの二人はたしかに毎年、元旦の日、わざわざ朝早くにやってきてリハーサルをしているボクの神楽を見ていた。参内の道から外れ本殿からも外れ、神楽殿以外はなにもない場所なのに、毎年毎年来てくれる不思議な子たちだった。しかもその二人と出会ったのはボクがまだ小学校にも通っていなかった頃。もうそこまで詳しく覚えていないけれど、彼女らと出会ったのはボクが赤井クンと出会うよりも前。

 それくらいすごく長い間に顔を合わせる仲だった。けれどその癖一年に一度しか会うことはせず相手の名前すら知らなかった。そして彼女らもボクの名前を知らないだろう。そんな不思議な関係性だった。どこか創作の世界のような関係だと思った。神秘的で幻想的で、どことなく恥ずかしいけれど素敵な関係性だと思っていた。

 しかしそれは二日前、瞬く間に粉砕せられた。


「うそだろう……あれが家族以外で、一番付き合いが、長い人?」

 現実はあまりに非常でつまらない物。そしてなんら神秘も欠片もないものだった。いや確かに出会い方は酷く運命的だ。一年に一度名前も知らない関係性。その二人はいつの間にかここではないところで知人となっていた。十分物語的である。

 しかししかしだ。その運命的な相手なるものがあまりに残念過ぎるのだ。

 片や悪辣で陰険な女子中学生。片や純真で無垢すぎる女子中学生。


「うそでしょ……」

 今までは家族以外で一番関係が長いのは赤井クンだった。本来はチョコと桔梗であることには変わりないのだけど、それまでは関係といえるほどの親密さではなかった。だからその二人をカウントしていなかった。

 もちろん一番付き合いがある人間が赤井クンだというのも嫌な話である。なにかボクがあの筋肉を羨望していると思われそうで嫌だ。だけど、だけどチョコと桔梗が一番付き合いが長いのはなんとなくだけどもっといやだ。


「いや、でもそんな関係性じゃなかったし」

 関係値で言えば赤井クンの方が圧倒的に高い。小学校の頃から学校では毎日顔を合わせ休みの日だって結構な頻度で顔を合わせる。あの暑苦しい顔を下手をすれば両親の顔以上に眺めているかもしれない程度の関係性。いまや筋肉質なその体を見かけるだけで軽くノイローゼになるくらい。


「……でもなんで連れてくるかなぁ」

 お母さんとおじいちゃんにそのことを口走ったのが悪かったのだろう。第一おじいちゃんはここいらの人と結構交流をしている為に、年齢と容姿、そして普段は関東にいることだけでどこの誰であるのかを特定してしまった。一日二日、しかもよりにもよって今日になってその二人を突き止め、二人の家族諸共宴に連れてきてしまった。


「あんなに趣もなさそうな連中を」

 しかも、しかもなんで連れてくるんだよ今日に限って。

 もだえ苦しんでいた、その時ボクの肩に背を傾けていたピコは激しく翅を動かす。バチバチとその翅が顔にぶつかって鬱陶しい。煌めく鱗粉で目が痛い。 


「うるさいわね」

 ピコはボクの失望感をまるで理解できない。それはそうだろう、このいかにも性悪で友人などおらず果ては夢も希望もなさそうな妖精に十年以上の関係性を、その物語的にも思えていた儚く特別な関係が崩れてしまった失望など理解できるはずがない。根本的にボクとコレは違うのだ。共感を得ようとしたことが間違っていた。


「まぁ、キミにゃあ分からんだろうね。心の機微なんて分かるわけもないか」

「変なこと言ってないで早く画面動かしなさいよ」

 嫌味を言っても、現代人よりもスマホにつきっきりの妖精は碌な反応を示すことなくボクの指をぺんぺん叩く。痛くはないけどうざい。


「ちょっとは励ましてくれたっていいじゃないか」

「うっさいわね、どうせなれるわよ」

 随分滅茶苦茶なことを言ってくれるピコに抵抗してスマホの画面をスワイプせず、ずぅっと放置している。ばしばしっとまた背中の二対の翅を動かし顔をはたく。それから自ら立ち上がって自分の三分の二くらいの大きさのスマホを身体を使って動かし始める。そういえばコレはボクが寝た後に一人でスマホを弄っているのだった。


「いった、キミ妖精のくせに乱暴すぎでしょ」

「アンタが邪魔するからじゃない」

 スイーツばかりに脳内の記憶領域を占拠されているらしきピコにむかつき、画面の端っこを指で触る。思うように動かなくなったスマホの画面、途端ボクの指をピコが思い切り蹴り上げた。

 ボクの心は現実のあまりのつまらなさに失望して悲嘆にしていて薄暗く、ボクの身体は心無いピコによって傷つけられる。あぁ、ボクはこんなにも不運なのに。

 そ知らぬ顔をしてスマホを弄るピコが恨めしくなってくる。


「はいはい、ボクは大人しく神楽でも踊っておきますよぅだ」

「……」

 拗ねて立ち上がって神楽殿の方へと歩いてくのに、なんの声も出してくれない。

 ちょっと振り返ってみても無言でスマホを弄ってるだけ。それはボクのスマホなんだぞと言いたいけれど、言っても無視されるだろうから仕方なく神楽の練習をする。あいつめ。壊したら絶対に許さないからな。ただでさえバッテリーの寿命を使ってくれているのに。


「あら、珍しい、朔夜が練習しているなんて」

 拗ねて神楽を舞っていた。そんなときひょっこり瑞希が顔を出す。


「でもスマホ落ちてるから今までサボってたんでしょ、全く」

 やれやれとやたらアメリカンな振る舞いをする。若干お姉さんぶってうざい。


「ほら、今年もおにぎり」

 けれどおにぎりを持ってくるのはありがたい。毎年この日はあんまりご飯食べられないし。おじいちゃんがあまりに気を入れ過ぎているせいで。瑞希のおにぎり、異常なくらいに圧縮されてすごく固いけど。


「じゃあ頑張って」

「は~い」

 なんだか考えていた薄暗い気持ちも晴れてしまった。


「まあ、いいや。別にかまいやしない」

 力が抜けてだらりとする。それでもぐちゃぐちゃになっていた意識は一気に理路整然とすっきりとして覚醒する。


「ピコ、そういえばキミってボクの髪の毛のことを信じて無かったよね」

「いきなりなによ……まあ、そうね、体質なんて言われても信じられない」

 しばらく時間が経って、もう瑞希がいないことを確信してとりあえず今日のことで驚かせない様にピコに話をしてあげることにする。


「だからちょっとボクの家の伝承を話してあげるよ」

 時間も余っていることだし、ボクが正確の悪い秘密主義者だとでも思っているピコを説得してやろうと思う。うっすらとまだ月の端がギリギリ見えている宵の中、まだほんのりと温かさのあるおにぎりを片手に。

 屋敷の騒がしさから遠く、幾ら神楽をやるとは言っても静けさの満ちる寂しい場所。世界から疎外されたかのような場所にボクとピコの声が通り抜ける。


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