幼くなった剣姫様 ~俺を雑用と虐げていた幼馴染が呪われてしまい幼児退行、更にはメスガキ化してウザいので今までの鬱憤を晴らす。やめてと泣いても無駄だから~

梅谷涼夜

邪龍退治と呪われた幼馴染

「ハルト。お前など必要ない、とっとと国に帰れ」


 俺がクビだと告げられたのは、憎き邪龍のもとまであと一歩と迫ったところだった。


「は? マーヤ、お前今なんて――」


「聞こえなかったのか? 私にとってお前はもう必要ないと言っている」


 おどろおどろしい雰囲気を放つ洞窟の目の前で、全身を鎧で包んだ女騎士のマーヤは何の前触れもなく俺にそう淡々と告げた。


「そんなことは聞こえてんだよ。どういう意味かってことだ」


 これから敵の本陣に向かおうと準備を整えている真っ最中に、どうしてそんなことを言われなければならないのか。俺は皆目見当もつかず、作業の手も止まる。


「ここより先、一歩でもあの洞窟に入ればそこはもう邪龍カースの住処だ。今までの雑魚モンスターどもにさえ圧倒できない雑魚のお前が付いてこられては、私の足手まといにしかならないし、万が一死なれでもしたら『剣姫』の称号に傷が付く」


 剣姫マーヤ。

 よわい十八にしてダイトモ王国最強と認められた剣士の名であり、俺にクビを突き付けた目の前の女の名であり、そして俺の幼馴染の名だ。


 気品に溢れ、心優しく、その剣の腕は世界に並ぶものなし。その上、艶やかな長い黒髪とキリリと整った顔だち、そして豊満な身体つきは国内随一の美貌とさえ称される。

 まさに非の打ちどころのない剣姫と国では言われているが、俺は知っている。そんなことは決してないということを。


 常に俺を見下し、口を開くと出てくるのは『雑魚』、『ゴミ』、『能無し』、といった罵詈雑言の類ばかりで、おまけに自分のことしか考えないその思考。駆け出しの剣士のころは剣の稽古と称し、ストレス発散のために数えきれないほど俺をボコボコに痛めつけた。

 剣の腕こそ確かであるが、世間で言われるような剣姫様とは全然違う。


 だから嫌だったんだ。国王様の勅命とはいえ、この女と一緒に邪龍討伐に赴くのは。


 王国に災禍をもたらした忌々しき龍の討伐。それは龍によって多くを失った王国の人々の悲願であった。その名誉ある任務の適任者としてマーヤが選ばれたわけだが、彼女に次ぐ腕の剣士として俺も討伐に赴くこととなった。


 憎き邪龍を倒せるのは嬉しいことであったが、同伴者の本性を知っているために何をされるのかと不安な気持ちもあり、内心とても複雑だった。

 その不安は的中し、コイツは旅の間の、荷物運び、炊事、洗濯、その他一切の面倒ごとを全て俺に押しつけ、それに対する礼の一つも未だにありゃしない。


 一体いつから彼女はこうなってしまったんだろう。コイツも昔は弱虫だったけど、素直で可愛げがあって、「マーヤはねぇ」なんて自分の名前を一人称にするような子だったんだけどなぁ。

 それがいつしか傲慢な剣姫様へと華麗な変貌を遂げてしまったのだ。


 とはいえ、今回のこれはいくらなんでも横暴が過ぎる。


「だいだい、何の権利があってお前は俺を追い出そうとする。俺は国王陛下の命でここに居る。そんなことをすれば王国に対する重大な反逆行為だ」


「残念ながらその陛下自身がお許しになったことだ」


「なに?」


「陛下より私は此度の討伐に係る一切の権利を賜ったからな。丁度良いから、雑務のできる荷物運びを旅のお供に着けたというわけ」


 俺は目の前が暗くなってゆくのを感じた。

 今回は国王陛下から直々に活躍の機会を頂けたとばかり思っていた。だからこそ俺はコイツの手助けになることが王国のために、ひいては邪龍を討伐することに繋がると信じて旅を共にしてきた。


 しかしそんなのはただの思い過ごし。蓋を開けてみれば最初から奴隷のように働かされるためだけに討伐に駆り出されたのだった。

 じゃあ俺は今まで何のためにコイツに従ってきたってんだ。


「言いたいことがあるという目だな」


「ああ、あるさ。お前は俺に何かいうべきことがあるだろう!」


「言うべきこと……? そうか餞の言葉をまだ言っていなかったな。お前は自分のできる仕事を全うし、私の荷物持ちとして大変によい働きをした、心から感謝する! 

 どうだ、これで満足か?」


 マーヤは見下すような目つきで俺を見つめ、嘲笑いながらそう言った。

 クッソ……むかつく……! 心にもないこと言いやがって、何が心から感謝するだよ。


 もう我慢できない。分かったよ、仕事を終えた役立たずは国に帰ればいいのだろう? でも、その前に一撃殴りでもしないと気がすまねぇ。


「それとも、」


 そう思って拳をグッと握りしめた瞬間。


 首筋に冷たいものが走る。

 俺は直感的に、死を感じた。


「ここで死ぬか?」


 はっと前を見れば、俺の首に聖剣があてがわれていた。

 彼女は俺が感情に飲まれた一瞬の隙をついて剣を振るい、俺の首を刎ねる寸前で刀身を寸止めさせたのだ。


「……くっ」


 これが剣姫の力……。


「その程度の殺気すら消せないから、お前は雑魚だと言ったのだ。

 いいか? お前が私に対して何を思おうが構わないが、もしお前が拳を向けたのならならそれは王国に弓引く行為に他ならない。つまりは私に切り殺されたとて文句は言えぬということだ。

 その拳を上げたが最後、お前の首を刎ねる。問答無用でな」


 マーヤは鋭い瞳で俺を睨む。その氷のような視線に心をぐさりと刺され、俺は全く身動きができなかった。


「分かったなら私の視界から消え失せろ、この役立たず」


 マーヤはそう吐き捨て、威圧されその場から動けない俺を一切顧みることなく洞窟の中へと入っていった。

 ただ一人、ぽつんと残された俺は身体の硬直が解けるまで、その背中が洞窟の中に消えていくのを見つめるしかなかった。




 ◇




「あの野郎……!」


 マーヤが去ってしばらくして、ようやく身体の自由が利くようになり、俺は怒りに任せて握り拳を地面に叩きつけた。


「くそっ!」


 声を張り上げ震える拳を二度、三度と打ち付けるも、心の中に沸々と湧き上がる怒りの感情は微塵も晴れない。

 ふざけんじゃねぇ……!


 どうせアイツのことだ、邪龍単独討伐の称号が欲しかったんだろう。そのためには都合よく自分のために動いてくれてかつ、力でねじ伏せられる人間の方がいいもんな。

 ともすれば確かに俺が適任……ってやかましいわ、クソが。


 俺はこれからどうしたものか。

 このままアイツの言うがままに国に帰ったすれば、俺は邪龍を倒せなかった上に仲間を差し置いてのこのこ帰ってきた無能の烙印を押されることになる。


 このまま食い下がって無理やりにでも戦闘に参加するのも選択肢として無いわけではないが、向かったが最後「邪魔だ」と言われ問答無用で斬り殺されるだろう。その上マーヤが俺を殺そうとも、どうせ俺の死は尊い犠牲か反逆者の始末ということで、本人は何のお咎めもなくのうのうと生きていく未来が見える。


 アイツが龍を倒して戻ってくるのを待つのが最善のように思えるものの、それはそれでムカつく。それに単独討伐の称号が欲しいのなら、俺はどのみち消されるだろうし。


 八方塞がり、完全に詰みというやつだ。

 もはや怒りを通り越して呆れてきた。こんな状況ではあるが、逆に前向きな気持ちにすらなってくる。


 まあいいさ。そっちが俺を利用するだけ利用して捨ててくってんなら、俺も最後にお前を利用させてもらおうじゃないか。ここまで来てタダ働きなんじゃ割に合わなすぎる。


 モンスターから取れる素材は意外と金になるものも多い。この国にはモンスター退治で生計を立てる者もいるくらいだ。

 それこそドラゴンのものともなれば一生遊んで暮らせるほどの大金を得ることも夢ではない。

 どうせ俺は追い出されて国にも戻れない職無しだ。その金で隠遁生活を送るのが一番理想的かもしれない。


 だからお前が通った後に転がる屍を存分に漁らせてもらうことにする。


 そう決心し、マーヤから遅れることしばらくして俺は邪龍の住処である洞窟へ潜入した。


 マーヤを追って入った洞窟の中は、それはもう惨憺たる状況だった。

 死体、死体、死体。生物の気配は全くなく、不気味なほどに静まり返った洞窟内はどこを見てもモンスターの死体だらけ。


 素材を漁ろうと手頃なアーマードゴブリンの死骸に近づいてみると、そいつの胸部は鎧ごとばっくりと斬り開かれており、それにはもう素材としての価値はなさそうである。

 他に何かないかと辺りを松明で照らしてみれば、様々な種類のモンスターたちが折り重なり、そいつらの傷口から噴き出したと思わしき血が壁面や天井にべったりと。


 歩を進めると、足がコツンと何かを蹴飛ばす。それはボールのようにゴロゴロと転って、目の前の照らされた範囲に転がり出てくると、


「うわっ……!」


 身体から綺麗に切断された、何かの頭部と思わしきものが目に入る。


 さすが剣姫様だこと、やることに容赦がない。もっともこの辺の雑魚狩りなんて、彼女にとっては準備運動にも満たないことだろう。

 もはやどっちが怪物かわかったものではない。


 こんな屍の山に構っていると気がおかしくなりそうで、素材漁りがどうでもよくなってくる。しかし、少なくとも邪龍だけでも漁らねばと思い、さらに奥へと進んでゆく。


 すると突然、


『貴様は確かに強かった。しかし、一人の人間ごときがこの私に勝てるなどと思うてくれるな!!!』


 重く腹の底にくる禍々しい声が洞窟中に反響した。


「な……なんだ、これ」


 狭い空間で幾重にも増幅する声。それは頭の中に直接語り掛けてくるような気持ち悪さがあり、あまりにも喧しく、俺は膝をつき耳をふさがずにはいられなかった。


 それでも俺は吐き気に耐えながら、壁を手すりがわりにして洞窟の深部まで進んでゆく。


『敗北の証をその身体に刻み込んでくれようぞ!!!!』


 しばらく進んだ頃に再び聞こえてくる禍々しい声。音の響き方を見るにその主は近い。

 そのまま声を追って広い空間に出ると、そこには――


 羽を開く黒い龍の姿があった。


「邪龍カース……」


 天井にぽっかりと空いた穴から差し込む日差しに煌々と照らされるどす黒い龍。その全身には怒りで逆立っているかのような大きな棘がある。

 こいつこそが王国を滅茶苦茶にした犯人、倒すべき敵。


 そして、その足元に誰かがうつ伏せになっている。

 乱れた黒髪、それに手に握られているのは聖剣だ。


 マーヤ。


 俺がそう気づいた瞬間、邪龍の身体から黒い煙のようなものが立ち上り、その煙はマーヤの倒れている方へと引き寄せられて彼女の身体の中へと吸い込まれてゆく。


 その黒い煙が綺麗さっぱりと消え去ると、龍は唐突に羽ばたきだした。


『さらばだ、人間。失ったものの大きさを知りて、我に歯向かったことを悔いるがいい!!』


 そう言い残し、瞬きする間に空へと飛び去る邪龍。


「待て……」


 その姿を追うように起き上がるマーヤであったが、立っているのもやっとという感じだった。

 そして、彼女はこちらに気づくと、


「ハ、ルト……」


 助けを求めるような瞳で俺を見つめ、力なくその場へ倒れ込んだのだった。




 ◇




 邪龍に逃げられた後、再び洞窟の前まで戻ってきたわけだが、俺はどういうわけか倒れていたマーヤを拾ってきてしまった。


「どうしたもんかなぁ……」


 正直こんな女、あの場に置いてくるという選択肢もあった。その方が気持ちも晴れたろう。事実、俺はそうしかけた。


 でも邪龍討伐に失敗した今、コイツにあのまま死なれようものならマジに国に示しが付かなくなる。

 現状、体勢を立て直すべく国に戻るしか選択肢が無いなかでそんなことになれば、討伐失敗の責任に加え剣姫を失ったことについても責任を問われかねない。それは絶対に御免だ。


 とはいえ、俺はコイツに追放させられたんだよなぁ。そんな奴が俺と一緒に国に帰ってくれるなんて思えない。とはいえ、命の恩人ということで恩を売りつければ、俺の言うことにも従うようになるんじゃないか?

 コイツの怒りに触れて殺されなければの話ではあるが。


 まったく、人がどうしたものかと悩んでいる脇で寝やがって。誰のせいでこんなに悩んでると思ってるんだ。


 スヤスヤと俺の隣で寝息を立てる張本人。一時は呼吸が激しく乱れ、ときおり苦しそうにビクンと身体を痙攣させていたのだが、それも今はだいぶ落ち着いている。


 起きているときはあんなんだけど、こうして寝てればいたいけなただの少女なんだけどな。年月が経って成長したとはいえ、寝顔には幼かった頃の面影がちゃんと残ってる。


 風で鎧の下に着ている服がはだけお腹が見えてしまっている。

 細身な身体に薄っすらと、しかし力強く浮き出る腹筋が日頃の鍛錬の激しさを、肌に残る傷痕の数が潜りぬけた修羅場の数を物語っていた。


「ん?」


 服を戻そうと身体の方に寄ると、コイツのへそ下あたりに奇妙なものがあることに気づく。

 見ると、それは全体的に刺々しい印象の真っ黒なハート型の文様。悪趣味を煮詰めたようなその文様は描かれたものというより肌に直接刻み込まれているようにも思える。


 少なくとも、この旅の道中で着替えてる姿が目に入ってしまった時にはこんなものなかったような。というかそもそもこれは一体何だ?


 しかし、そんなことを考えていても仕方がないので、捲れ上がった布を元に戻そうとコイツの服に手をかけると、


「ふぇ……。ここ、どこ……?」


「あっ……」


 最悪のタイミングで目を覚ましたマーヤと目が合う。

 そして次の瞬間にはもう、


「ハルトのへんたい! さわるな!」


 俺は変態呼ばわりされ、何度も足でガシガシと蹴られていた。


「痛い! 誤解だっつーの! 大体誰がお前のこと助けてやったと思ってるんだ!!」


「マーヤ、そんなのしらないもん! あっちいけ!」


 この恩知らず……!

 再び湧き上がってきた情動を抑えるべく拳を握りしめているが、爪が手のひらに食い込むほどに強く握りしめてもまだ収まりそうにない。


「あのな……!」


「ばーか! ばーか!」


 俺に向られる終わらない罵倒の嵐。さっきとは違って俺の精神を削るようなものではないが、純粋に悪口を連打されると子どもの喧嘩に付き合わされているようでそれはそれで疲弊してくる。


 しかし、今のコイツは何か変だ。

 普段この女は俺を罵倒するときか面倒ごとを押し付けてくるときしか話しかけてこない。そもそも口数はそんなに多い方ではなかったし、言うことも必要最小限を極めるような奴だった。それがこうも無駄なことをギャアギャア騒がれると、別人のような気がしてなんだか気持ちが悪い。


「倒れたときに頭でも打ったか……? どっか痛むとか、熱とかないか?」


 俺は熱でもあるんじゃないかと思って確かめようとマーヤの額へと手を伸ばすも、その手はすぐに振り払われた。


「けがらわしーてでさわるな! この、のーなしハルト!」


「なんだと!」


 苛立ちを覚えるという意味ではコイツの行動は何も変わっていない。

 が、やはり感じる。違和感を。


 言っていることにやっていること自体は普段とほとんど変わらない。でも、語尾は普段よりもどこか伸び気味で、発言や行動の程度は普段よりも明らかに落ちている。

 それにまとっている雰囲気こそ高飛車で傲慢だが、その表情はどこか角が取れたというか、鋭くツンとした感じが抜けているため受ける印象はどことなく緩い。


 なんというか、全体的に幼いんだ。


「まるで子どもだな」


「こどもじゃないもん!!」


 俺がボソッと呟くとマーヤは食って掛かる様に猛反論。

 そうやってムキになるとこが益々もってガキっぽい。


「じゃあなんだってんだよ」


 俺の質問に返されたのは予想を超える答えだった。


「マーヤはね! もう四さいだから、おねえちゃんなんだぞ!!」


 勝ち誇ったかのようなドヤ顔でそう言いながら踏ん反り返る、十八歳の女騎士。

 既に立派な大人と呼ぶべき発育のよさを誇る幼馴染の無邪気な姿に、俺は血の気の引く感覚すら覚え、戸惑いを隠せなかった。


 我が国最強の剣姫様は失ってしまったのだ。



 ――精神年齢を。



 さっきは俺を追い出すと言い、今度は自分のこと四歳と言い始めたマーヤ。

 その口ぶりから彼女は冗談ではなく本気で言っているみたいだったが、俺は冗談であってほしかった。


「人を馬鹿にするのも大概にしろよ」


「ばかになんかしてないもん! マーヤはほんとにおねえちゃんだもん!!」


 そういうことを聞きたいんじゃねえよ……!


 質問と答えはかみ合わず非常にもどかしい。

 しかし、俺の意思を汲み取らないこの返答こそが、今の状況は質の悪い冗談じゃないという現実を如実に現していた。受け入れがたい現実を。


 しかも気づいてしまった。これは相当めんどくさい状況だということに。

 普通に幼児退行してくれた方が面倒ごとが少なくて済んだだろう。何がめんどくさいって、コイツの言動をみるに記憶はそのままで精神年齢だけ退行しているようなのだ。


 記憶を含めて四歳当時にまで戻ってくれていたら、まだ純粋無垢な幼馴染ということで話は済んだ。その頃のコイツは少し弱虫なところはあるが、誰にも優しく悪口も言わない良い子だったからだ。

 でも今のコイツには普通にさっきまでの記憶が残っているらしく、俺を見下す態度は何一つ変わっていない。そのくせ精神年齢は五歳児になったもんだから、さっきの何倍もめんどくさい。


「ハルトのばーか!」 


 本当に口を開けば年齢や立場に不相応の悪口しか出てこない。

 それを聞くたびに俺の中で何かがすり減っていくのを感じる。


 マジでどうすりゃいい。王国に帰るにしても、邪龍は倒せず、剣姫は幼くなりましたなんて言えるわけがない。


 そもそも原因はなんだ? 思うに、邪龍が放ったあの黒い煙は精神を蝕む呪いのようなもので、あのとき行われていたのはその呪いを身体に刻み込むための儀式、腹の文様は呪印という可能性が高いが……。


 ああもう! 考えるだけで頭が痛い。

 一旦王国へ帰ろう、話はそこからだ。でもこれ、帰れるのか……?


 俺は突っ立ったまま途方に暮れていた。

 一方のマーヤはといえば蝶を追いかけて辺りをチョロチョロと走り回っていたが、何を思ったのか急に俺の背中に飛びついてきた。


「おんぶー」


「はぁ!?」


「おんぶして!」


 マーヤは俺の首に掴まりながら駄々をこねる。やってることは微笑ましく見えるが、やっているのは十八歳の剣士だ。そのあまりの筋力に俺の首はぎゅうぎゅうと絞められてゆく。


「ぐ、苦しい……。何をいきなり……」


「じゃりゅうたおしにいく!」


 はいはい、邪龍ね。……って、コイツ今邪龍って言わなかったか? 


「は、はい?」


「じゃりゅう、まだたおしてないもん! マーヤがたおすの!」


 いや、確かに倒してないのは確かだけど、この状況じゃ討伐の継続はいくらなんでも無理だ。


「というか、それとおんぶにどういう関係が……」


「ハルトがマーヤをつれてくの!」


 おんぶでか!?


「どうして俺が連れてくことになってんだ! というかお前、さっき俺のこと要らないって言ってたろ!」


「しらない! マーヤいってないもん!」


 おいおい、嘘だろ!? 


「いーや、確かにお前は俺を要らないって言った。お前を連れてく義理はない! それに物資も残り少ない中で邪龍を追うなんて無理だ!」


「やだやだ! ハルトがつれてくんだもん!!」


 大の大人が人の背中に掴まったまま、「つれてけ、つれてけ」と全力で駄々をこね始める。

 呆れかえった俺はそんなん無視して、引っ張ってでも王国へ連れ帰ろうかと思った。

 しかし、何の前触れなく、


「黙って私の言うことを聞け」


 いきなり耳元でそう囁かれ、俺は戦慄する。

 その声は俺に剣を突き付けた剣姫としての声と違わぬものだったから。明瞭ではっきりしていて、おまけに「従わなければ殺す」という意思がハッキリと伝わってきた。


 もしかして元に戻ったかと一瞬思ったが、


「しゅっぱーつ!」


 一瞬で元通り。


 どういうことか全く状況は飲み込めなかったが、精神年齢が下がったとてこいつは剣姫。本当に俺を殺せるだけの実力は持ち合わせている。しかも、おんぶの体勢ならすぐに首を取れる。

 コイツ、意外と考えて……!?


 ここは素直に従うべきと判断し、俺は仕方なく幼くなった剣姫様を背負いながら邪龍を追い始めた。

 背中に感じる感触は大きかったが、コイツの存在は思っていたよりもひどく小さなもののような気がした。




 ◇




 剣姫様おこさまを連れての旅はそれはもう散々なものだった。

 やることは子どもの癖に、身体だけは大人と変わらないもんだから振り回されるのなんの。


 まずとにかく食う。旅の物資も残り少ないってのに、平気で腹がいっぱいになるまで食べる。

 しかも腹の減り方と胃袋の容量はさすが剣姫という具合に、(実年齢で)同年代の兵士が食べる量を遥かにしのぐ。特に悪びれる様子もなく、にっこり笑顔でお代わりを要求してくるのだ。

 出発時に遠征費を国王陛下からたんまり頂いたはずなのに、今では日を追うごとに身銭を切らねばいけなくなってしまった。


 それから夜中のトイレだ。マーヤは暗が怖くて必ずと言っていいほど俺を叩き起こしトイレに連れてく。

 めんどくさくなってトイレの途中で帰ると尋常じゃないほど怒る――鞘に納刀したままの聖剣でボコボコにしてくるくらいに。

 そのくせトイレを済ませて戻ってくると、変態呼ばわりされてぶっ叩かれる。大の大人、しかも国で一番の剣士の平手打ちだ。それはもう意識が飛びそうになるほど痛い。なぜ邪龍と関係ないところで死にかけなきゃいけないのか。


 先に戻ってもボコボコにされ、待ってても殴られ、じゃあどうしろと!


 さらに、面倒ごとは運動方面にも及ぶ。マーヤは自分のことを四歳児の小さな子どもだと思っているが、身体はきっちり大人だ。でも、どうやらその事実に彼女の頭はついていかないらしく、運動がからっきしできなくなってしまった。

 何かを見つけて急に走り出したはいいものの途中で転んでしまうことが多く、その度に服も鎧も泥だらけだ。どちらも白を基調としてるから汚れは目立つし、手洗いじゃまあ落ちないんだこれが。


 そしてとにかくことあるごとに俺を馬鹿にする、見下す、悪口は止まらない。これはもう言わずもがなだろう。


 でも悪いことばかりではない。

 コイツがいたせいで何もできなかった戦闘中も今までと違って、本来の実力を発揮し存分に暴れまわれるから、多少なりとも気分はいい。ストレスをぶちまければ今まで以上の力もでるし。


 とはいえちょっと目を離すとすぐチョロチョロ動き回って敵の前に出たりするからそれが気が気ではない。剣の腕は身体が覚えているようで、たまにそのまま敵を倒すこともあるものの、先に言ったようにコイツは運動のできない身体だ。

 だから、俺が気にかけていないと戦闘ですぐ死にそうになる。


 ただ不思議なことに時々、大人な理性を取り戻して俺を脅してくることはある。とはいえ元に戻るのは一言、二言という感じでまたすぐに幼児化してしまう。

 元に戻る条件も定かではない。しいて言えば、何か強くしたいことがあると元に戻ることが多いが、それがどうして幼児化の解除に繋がるのか、そもそもそれで正しいのかすらも分からない。


 こんなふうに大変で何の見通しも立たないこの状況下でも、俺たちは逃げた邪龍を追いかけて今日も今日とて山の中で野宿。太陽もだいぶ落ちてきて、モンスターの出没する夜間にこれ以上進むのは危険だと判断した俺は、夕闇が辺りを包むなかで夕食の準備に取り掛かかっていた。


 そんなときだ。マーヤが俺を呼びつける声がする。

 何かと思って声のする方に向かってみると、


「えいっ!」


 どういうわけか俺は全力ですねを蹴られた。


「痛ってぇええええ!!!!!」


 鎧こそ身に着けていないものの、当代きっての剣士様が放つ全力の蹴り。俺はそのあまりの痛みに呻きながら地面にうずくまる。

 それを見て、マーヤは子どものようにゲラゲラ笑う。中身は正真正銘子どもなのだが。


「ざぁこ! ざぁこ! キャハハッ!」


「やめろ!」


「やめない!」


「この野郎……なんでお前はそういうことをするんだ?」


 今すぐにでも怒りたかったが、これは呪われてしまったから仕方のないことだと思い、俺は怒りをグッと腹の中に押し込んで諭すように聞いた。

 しかしあまりにも無邪気に返された、


「だって、ハルトはマーヤよりよわいもん。よわいやつにはなにしたっていいから、マーヤはなんにもわるくないもん!」


 その一言で、俺の中の大事なものがブチンと音を立てて切れた。


 限界だ。今まではこんなになってしまったコイツがかわいそうだ思って多めに見ていたし、子ども特有の無自覚な残酷さの表れだと思って黙ってきた。

 でもそうだった。こいつは性格や頭脳はそのままで幼くなっていたということを忘れていた。今コイツが言ったように、腐りきった根っこは何一つ変わっちゃいない。


 精神年齢が幼児レベルだろうと関係ない。身体は立派な大人だし、精神自体はほぼ大人なまま変わってないのだから。分かったうえで開き直り、反省する気も一切ないんじゃ、一発キツイのをお見舞いされても止む無しだよなぁ? 


 その腐った根性叩き直してやる。


「いい加減にしろ!!!」


 決心した俺はマーヤの背後に回り込み、両手の拳でその頭をグリグリと締め上げた。


「やだやだ! いたい! やめて!!」


「少しは反省しろこんちくしょう!」


 グリグリから逃げ出そうとマーヤを抵抗するも、負けじと込める力を強めていく。


「マーヤわるくない!!」


「いいや、悪い!」


 今までのうっ憤を晴らしているようで少し楽しくなってきて、締める力はどんどん強まる。


「わるく、ない! わるくないー!」


 喚きながら俺を殴ろうと腕を振って抵抗するマーヤであったが、その声は次第に感情的なものへと変わり鼻を啜る音も混じっていた。


「ううっ……。いたい、いたい、いたい! やめ……グスッ。やめてよー!!」 


 気が付けば、既にマーヤは泣いていた。年甲斐もなく、しかし精神年齢相応に声を張り上げ泣いていた。

 その姿に少し満足した俺は、もういいだろうと思って頭から手を放す。


「分かったか? 人の嫌がることはしちゃいけないんだからな!」


「わかん、ない! だって! だって!」


 キーキーと甲高い声で叫ぶように言い張るマーヤの変わらない主張は俺をイラつかせるだけだった。


「だってじゃねえよ。いい加減にしろ、マーヤ! その考えが間違ってるって言ってんだ!」


「うえーん! ハルトのばかぁ!」


 そう泣きじゃくると、マーヤはすぐそこにあった剣を手に取りどこかへ行こうとする。


「何してんだ?」


「じゃりゅう、たおしにいくもん!」


 脈絡のない発言に、俺の中で引っ込みかけてたものがまた上がってくる。


「お前一人でできるわけないだろうが!」


 そう言うと、真っ赤になった瞳で俺をキッと睨むマーヤ。


「ひとりれ、ひっぐ……、できる、もん!!」


 マーヤは泣きながら俺に向けて剣をブンブン振り回した。

 来るなとでも言わんばかりに。


「ハルトなんてしーらない! どっかいっちゃえ!」


 今まで誰が面倒見てやったと思ってる。誰がモンスターからお前を守ってやってると思てる。今のお前は一人でなんて生きられる状態じゃないくせに、俺を延々見下し続けて挙句の果てにどっかいけだ?

 俺はもう抑えきれなかった。口から出そうになる感情を止めようなんて気は持ち合わせていなかった。


「ああそうかい! なら邪龍でもなんでも、勝手に一人で戦えよ! どうなったって俺はもう知らん。あとで泣きつかれてももう遅いんだからな!!」


「ばーか!!!!!!!!」


 マーヤは大声で吐き捨てると、そのまま山の奥へと入っていった。

 夜の帳が下りてきた山中に、その声が置き土産のようにこだまするのだった。




 ◇




 闇の中でフクロウが鳴き、焚き火がパチンと叫び出す。今までは全然聞こえなかった様々な音が今となっては良く聞こえる。


 マーヤが去って訪れた久方振りの静寂。俺に嫌がらせをしてくる喧しいやつがいなくなり、なんだか気分もせいせいしている。


 アイツめ、泣いたって許されないからな。邪龍の呪いでそうなってしまったとはいえ、本当にただのガキだ。


 遠くからダースウルフの遠吠えが聞えてきた。どっぷりと日も沈んで、これから先はもうモンスターたちの時間だ。

 まだこの辺はそんなに山も深くないから平気だが、もう少し進めばどんな目に合うか分からない。それに邪龍に近づいているせいか、モンスター一体一体の強さも道中より増している。こんな状況で山中を進もうものなら命の保証なんてないだろう。


 でも、アイツは自分からそうした。本人曰く、「俺なんか要らない、一人でできる」らしいからな。どうぞご自由にという感じだ。だからアイツのことを気にかけてやる必要なんかない。

 どっかでくたばるなら勝手にくたばっちまえ。そうなればあとは俺が邪龍を討伐して、剣姫は戦いの最中に志半ばで龍にやられたというシナリオを作れば全てが丸く収まる。


 そんなとき、背後でパタンと何かが倒れる。音に気づいて振り返るとそれはマーヤの聖剣だった。


 あの野郎、取り乱してたから間違えて俺の剣を持っていきやがったな。とりあえず龍を討伐するまではこれを使わせてもらうとして、そのあとは金にでも換えるか。


 剣を手に取ると鞘に何か巻きついている。ひも状の何かが。

 それをを見て、俺は思わず驚いた。古いものだけに残っていたということに驚いたし、なにより俺を虐げるあのマーヤが今になってもこれを捨てずに持っていたという事実に俺は驚いたのだ。


「こんなになるまで持ってたのか」


 ――それは色褪せてボロボロな花の形の小さい飾り紐。


 十年前、俺が剣を始めるときに彼女に贈った手製のお守りだ。


 昔のアイツは一人が怖いからどこにも行けなくて、いつでもどこでも俺の後を付いて回るばかり。そんな性格が災いし、イジメられずっと泣いていた。そして、泣き虫マーヤなんてあだ名が付く始末。

 マーヤは自分じゃ何もできないからその都度俺が助けてやっていた。そういう関係が自然とできあがっていた。

 でもそんな関係、長くは続かなかった。


 親父の剣を継ぐため俺が彼女のもとを離れなきゃいけなくなったからだ。

 そんときもマーヤは嫌だ嫌だと泣いていた。目を真っ赤に腫らし、涙で顔がぐちゃぐちゃになってしまうほどに。

 そこで俺は離れていても大丈夫なように、一人でも平気な強い子になれるようにと、別れ際にこのお守りをあげたんだ。


 事実、その後剣を始めたマーヤはメキメキと強くなり、再会したときには向かうところ敵なしの剣士と言われるまでになっていた。


 それからだ、泣き虫マーヤが全てを見下す『剣姫様』になったのは。


 これを見ていると、懐かしくていろんなことを思い出す。

 別れ際に見た燃えるような夕焼けも、そのとき泣き虫が唯一涙をこらえて作った笑顔も、俺が込めた想いも。


 誓ったんだ。


『絶対に、この泣き虫を安心させられるだけの強い男になる』


 そう、このお守りに。


 いつの間にか、理不尽な剣姫への苛立ちに埋もれてしまって、「か弱い幼馴染を守る」というそんな大事なことさえも俺は忘れていた。


 唐突にウルフが近くで騒ぎ出す。その鳴き声は複数頭のもので、群れで連携して獲物を追い詰めているようなそんな気配がした。

 続けて女の悲鳴も聞こえてくる。


 間違いない、マーヤだ。いくら剣姫とはいえ、何もできない今のアイツはいい獲物でしかない。


 聖剣を持つ手にグッと力がこもる。


 俺は剣姫マーヤが大嫌いだ。いっそどっかでくたばれとさえ思っている。でも、今のマーヤは紛れもなく四歳児。あの日、俺が守ると誓ったただ泣いてばかりな幼馴染だ。

 俺はそいつを守るために剣を振ってきたんだ! だから俺は助けに行く、行かなきゃいけない! 「泣き虫マーヤ」を!!


 俺はすぐさま走り出していた。アイツの聖剣を手に持って。


 幸い月は出ている。その明かりを頼りに、木々を避け、鳴き声を手掛かりに狼の群れを追いかける。草木が生い茂るまさに藪というべき山中は、かなりの傾斜で足場も悪い。しかし、それでも俺は一心不乱に駆ける。


 段々とウルフの声が大きくなってきた。近づいている証拠だ。

 枝に引っかけ、服が破けようとも気にしない。もっと早く、一秒でも早く!


 やがて、ウルフたちは止まったようで、ガウガウと吠え始める。

 どうやら、もうすぐそこらしい。


 しかし倒木が道を阻む。その幹の直径は俺の背丈以上。

 なんてデカさだ。回り込めそうにも、上を越えられそうにもない。


 でも、その裏から獣の声が聞こえてくる。アイツがそこにいる。なら、やるきゃない。頼むぞ! 聖剣!!


 俺は鞘から剣を引き抜く。

 月の光を受けた刃は闇を払うかのように、真白に輝く。


 足を止めずそのまま。

 絶好の間合い。


 倒木に構え、斬る。


「セイヤァアアアー!!!!」


 聖剣の切れ味は凄まじく、刃が触れただけで倒木に刀身が入ってゆき、瞬時に一刀両断。この身を阻むものは消え失せた。


 道と視界が開け、そこには三匹ダースウルフ。そして、剣を抱きながらへたり込んでしまっているマーヤの姿があった。

 怯えるマーヤは小刻みに身体を震わし、威嚇され堪らず剣に縋るようにギュと抱き寄せていた。


 彼女の前に対峙する一匹が歯を剥き出し、体勢を低く身構える。


 マズい……!


「たす……けて……!」


 助走をつけ、俺は狼と同時に飛び出す。


「マーヤぁあああああ!!!!!!」


 彼女のすぐ前。ダースウルフの牙がマーヤに届こうとする瞬間に、俺はウルフの脇腹へ体当たりを決め、ソイツを脇へ弾き飛ばした。


「はる、と……?」


 間髪入れず、残りのウルフも襲い来る。

 一匹が俺に噛みつこうと大口開けて飛びかかってくる。剣を噛ませてその口を封じ、がら空きの胴体を蹴飛ばす。バキリという感覚が足から伝わり、ソイツの身体からぐったりと力が抜けた。

 その後ろから最後の一体が勢いよく迫ってくるも、その胸を剣で貫き一思いに串刺し。

 この間に最初の個体はキャウンと情けない声を上げ、どこかへ逃げ去った。


 一段落し、俺は剣を振り、刺さったままのウルフを遠くへうち捨てる。


「ハルト……。どう、して……?」


 振り向けば、足を震わせながらも剣を杖代わりにしてなんとかマーヤは立っていた。


「助けに来たんだよ、泣き虫さん」


 俺の言葉を受けてマーヤは俺の胸をポカポカ叩きだした。


「マーヤ、なきむしなんかじゃないもん! ハルトなんてこなくても、マーヤひとりで、グスッ……、ひと、り、で……!」


 鼻を啜りながら、しゃくり上げるように言葉を紡ぐマーヤ。

 俺を上目遣いで眺めるコイツの瞳はうるうると輝き、今にも溢れてしまうそうだ。

 俺は、


「もう、大丈夫」


 そんな彼女をギュっと抱きしめた。

 襟元にじわじわと、冷たいものが広がってゆく。


「うえーん!! ううっ……こわっ、かったよ……! さみし、かったぁあ!!! えーん、うわーん!!!」


 俺の目の前にいるのは剣姫様でも、十八歳の乙女でもなく、あのときの泣き虫な幼馴染だった。


「ハルト……どっかいっちゃうの、やぁよ……? もう、はなれ、うの……やだぁあ!」


 自分から出て行ったくせに、とは言わなかった。ただゴメンと謝って、わんわんと泣くマーヤの頭を撫でていた。


「わかってる。もう一人にはしない」


「ぜったい、ぜったいだよ……!!!」


「ずっと、ずぅっと、傍にいてやるから」


 本当に、本当に、昔と同じだ。一人を恐れていたあの頃のコイツと。


「ほんと? ウウッ……。うそ、ついちゃ……やだだからね?」


「絶対守る。だからもう泣くな」


「ほんと……?」


「ああ」


 俺はマーヤを安心させるべく、さらにギュっと抱きしめる。

 胸に伝わってくる心音が段々速度を落としてゆく。


 腕の中で泣きじゃくる幼馴染のあられもない姿に、俺の胸は締め付けられるようでもあり、はち切れてしまいそうでもあった。


 苦しい。これ以上こんなマーヤを見ているのは。

 コイツがこのままなら力や立場は上回ることができる。でも、今のマーヤを見ていると泣きそうになる。


 マーヤは邪龍に呪われて、コイツはこんないたたまれない姿へと変わってしまった。こんな姿もう見ていられない。

 解呪して、マーヤを元に戻すにはあの邪龍カースを倒すしかない。それで元に戻り、また俺を見下すようになっても俺は後悔しない。


 王国のためとか、名誉のためとか思っていたけど、もはやそんなのどうでもいい。

 俺はたった一人の幼馴染のために全てを投げうって、邪龍と戦う。その覚悟は既に決まった。


 あの龍は言っていた。


『失ったものの大きさを知りて、我に歯向かったことを後悔するといい』と。


 言った通り、彼女が失ったものは大きすぎた。

 だから、もう返してもらう。大切な人を。




 ◇




 マーヤを元に戻すと誓ったあの日からしばらく。俺たちは僅かな手がかりを元に邪龍カースを追い続け、ついにヤツの住まう禁域にたどり着いた。

 ほとんどの樹木は立ち枯れ、至る所で白い岩肌が剥き出しな険しい山の更に奥地。常に暗雲立ち込め、闇の気配が漂うこの先に憎き邪龍がいる。


 ここまで俺と随伴していたマーヤだったが、流石に幼い心と熟した身体という、ちぐはぐな状態の彼女にはこの過酷な道のりは堪えたらしい。大き目の岩に腰かけ、足をぶらつかせて休憩している。


 そんな彼女に俺は意を決して話しかける。


「なあ、マーヤ」


「なぁに?」


「あのな? 俺さ、これから一人でやらなきゃいけない大事なことがあるんだ。だからマーヤはおとなしくここでまっててもらえないかな?」


「なんで……? やくそくしたもん、ずうっといっしょにいてくれるって」


 一人にしないでと、不安そうな瞳が訴えかける。

 しかし、俺はコイツのことを案じて説得を続ける。


「はなれちゃうの、やだ……」


「ごめんな、でも俺がこれからするのはとっても危ないことなんだ。マーヤはさ、もうおねえちゃんだから、いい子に待ってられるよな?」


「おねえちゃんだけど……。こわいよ……!」


「それなら大丈夫。それがマーヤを守ってくれるから」


 俺はマーヤが持つ聖剣の飾り紐を指さす。


「ハルトのお守り?」


「そう。俺がいない間はそのお守りがマーヤを守ってくれるから、大丈夫。それにいなくなるのはほんのチョットだけだ」


「ほんと……?」


「うん」


「ぜったい、ぜったいだよ?」


 マーヤの瞳を見つめながら首を大きく縦に振る。すると、マーヤから不安そうな表情は消え、無邪気な笑顔を見せてくれる。


「わかった! マーヤはおねえちゃんだもん!」


 コイツは昔から手を繋ぐのが好きだったからな。

 彼女の手を両手で包むように握ると、スベスベで温かい感触が手のひらに残る。

 ご満悦なマーヤの顔を目に焼き付け、俺はマーヤと別れた。


 先へ進むにつれて空は暗く、空気は重苦しいものへと変化してゆく。間違いなくヤツがいると確信し、禁域の頂に向けて悪い足場をひたすら進む。


 頂上にたどり着くとそこにはヤツがいた。後ろ足で直立し、俺を見下す一匹の龍が。


『また人間か。揃いも揃って目障りな奴らだ』


 頭の中に直接重々しい声が響いてくる。


「邪龍カース……!」


 全身を覆う黒き鱗は夜の闇よりも暗くその身体を染め上げ、関節から無数に生える巨大な棘は天を貫くかのごとくそそり立つ。大地に突き立てられた爪は大鎌のようで、開いた翼が空を覆う。


 俺は邪龍を目の前にし、その身が放つ雰囲気に威圧されそうになる。


『我が名を気安く呼んでくれるな』


「そいつはお断りだ」


 言葉と共に剣を構えると、邪龍は目玉をひん剥いてこちらを眺める。


『貴様も我に仇なそうというのか?』


「いや違う、お前を殺しにだ!」


『懲りぬやつら。ならば貴様もあの弱き人間と同じ目に合わせてくれるわ!!!』


 吠える邪龍。その声は地を揺るがし空気をも震わせる。


 轟音に思わず身が竦む。

 この隙を敵は見逃さない。


『死ねぇえい!!』


「くっ!」


 俺を叩き潰さんと龍の腕が振り下ろされ、衝撃で地面が砕ける。

 跳ね上がった岩の破片が頬を打つものの、すんでのところでなんとか飛び退く。

 俺はすぐさま躱した勢いを攻めへと繋いで邪龍の腕へと剣を振るうも、地面から起こし上げられた爪が斬撃を阻む。


 ガチリとかみ合う爪と剣。


 向こうの力はすさまじく、少しでも力を緩めようものなら一瞬で押し負けてしまいそうなほど強い。

 が、これなら剣姫アイツの力の方が凄まじい! なんのこれしき!!


「せやぁああああ!!!!!」


 気合いと根性の一点突破で腕ごと押し負かし、がら空きの手のひらを斬る。

 しかし、刃の当たり所が悪かった。剣を伝ってきた感触は思わしくなく、岩でも斬りつけているかのようだった。それは見た目にもはっきりと表れていて、渾身の力で切りつけたにも関わらずその手のひらには僅かな傷痕が残るだけ。


「くそっ!」


『所詮は貴様もその程度だ』


 そのとき、唐突に周囲の温度が上がりだすのを肌で感じた。何かと気づいて視線を上げると、邪龍が大口を開け大量に空気を吸い込んでいる。


 熱、空気……!? マズい!


 咄嗟に横っ飛び。


「グラァアアア!!!!!!」


 瞬間、居たところが炎に呑まれた。

 触れてもないのに地肌が焼けそうなほど熱い。流石、王国を焼き尽くした炎の吐息ブレスなだけのことはある。


 こうなってしまうと距離を取って戦うのはマズい。懐へ入りこんで一気に畳みかける必要がある。今度こそ、その身体を斬り刻んでやる。


 すぐさま飛び起き、邪龍に向かって走った。

 向こうも俺を近づけまいと爪を振るってくるが、それを剣で受け止め足を止めずに攻撃をいなす。

 龍の攻撃は激しく、進んでは下がりを繰り返すまさに一進一退の攻防。しかし攻撃が切れる一瞬の隙をつき俺はその懐へと潜り込んだ。


『小癪な!』


 狙うべきは皮膚が柔らかいであろう腹部であり胸部。

 俺は渾身の力で邪龍の身体へと剣を振り下ろす。


 ――ガンッ!!!


 鈍い音とともに剣が止まる。

 その手ごたえを感じ、寒気が全身を駆ける。


「そんな……っ!?」


 皮膚に弾かれ、俺の攻撃は通らなかった。

 邪龍は背中の翼を大きく羽ばたかせ、立ちすくんだままの俺は風に足をすくわれる。体勢を崩した俺は強い風に煽られ、そのままなさけなくかなりの距離を転がされた。


 攻撃が通らなかった。さっきと違い、全力で斬り込んだにも関わらず弾かれた。

 一番肉質が柔らかいであろう部位に攻撃が通用しないということは、全身に攻撃が通用しないということ。

 つまりはあの龍に対して、俺に勝ち筋がないということを意味していた。


 突き付けられたその純然たる事実に、俺は奥歯を噛みしめるしかなかった。


『所詮はその程度か。前の女の方がまだ手応えがあったというものの』


「何だと……」


『こんな下らん遊びはもう終わりにしよう』


 邪龍が一歩一歩近づいてくる。そんな絶望的な状況に対しても、俺はただ剣を構えることしかできなかった。


 迫りくる脅威に対し何か手立てはないかと邪龍の全身をくまなく観察する最中、俺はヤツの胸に変なものがあることに気づく。

 黒一色の身体に明らかに似つかわしくない、ピンク色の宝石らしきもの。その形は刺々しいハート型で――マーヤの下腹部に浮かんでいた文様と瓜二つ。

 そしてなにより胸の宝石は一定のリズムで瞬き、その様は心臓を想起させるものだった。


 あれが龍の弱点なのかもしれない。

 俺はそう思い、再び呼吸を整えた。


 そして、全力で飛び出す。


『貴様も失うといい。あの人間のようにな!!』


 突然、邪龍の胸に埋め込まれているハート型の宝石が黒い煙を吐き出し始め、同時に今までよりも強く輝きだした。


『終わりだ!』


 宝石の輝きが収束し光の線になる。


「ふんっ!!」


 その光線を剣で防いで攻撃をやり過ごす。

 右足、左足、一心不乱に動かしながらも見据える先はただ一点。胸に輝く宝石のみ。


「たあっ!!!」


 俺は勢いのままに邪龍の胸に向かって飛び、


「うぉりゃあああああ!!!!!!!」


 剣を振る。

 見える全てがゆっくりと流れてゆく最中、


 ――剣は勇ましく空を斬った。


 勢いが足りなかった。

 俺の剣はわずかに届かず、剣先が宝石の表面を削って僅かにヒビを入れただけ。


 失意に染まる俺の目の前に見えたのは龍の尾。

 俺はその長い尻尾に空中で叩き落された。


「ぐぁあああ!!!」


 地面に叩きつけられ全身が悲鳴を上げる。肺の空気が無理やり吐き出され呼吸もままならならず、仰向けに寝転がったまま起き上がることすらできない。


『こざかしい。今度こそ終わりにしてやろう!』


 邪龍は再び口を大きく開き、音を立てて空気を吸い込み始める。

 息を吸うにつれて龍の胸殻きょうかくが膨らみ始め、周囲の温度も上がりだした。その熱量はすさまじく、額から垂れる冷や汗も瞬時に乾いてしまうほど。

 喉奥から漏れ出た真紅の火炎が俺の恐怖心を煽る。


 なんて炎だ。鎧こそ着ているが、あんなのをくらったらひとたまりもないだろう。

 今すぐにでも逃げてアレを躱さないといけないってのに、邪龍を倒さなきゃいけないのに、身体が震えていうことを聞かない。


 なんとしてもアイツを助けなきゃいけないってのに。


 そんな俺の気持ちは汲んでくれるはずもなく、邪龍は無情にも火を噴いた。

 視界が炎に呑まれ、世界が赤く染まる。


 ゴメン……。


 自身の最期に果たせぬ想いを感じながら、俺は目を閉じた。




「お前は約束一つ果たせんというのか」




 死の淵で聞こえた一つの声。

 その声に慌てて目を開くと、俺の前には剣を携えた一人の女が立っていた。

 迫る炎をものともせず立ちすくむ女。


 そいつは、


「はぁっ!!!」


 自らの剣で邪龍の火を切り払い、攻撃を退けた。


『なんだと!?』


 その異常とも呼べる事態に龍は狼狽えるが、そんなことを気にも留めずに目の前の女は俺に話しかけてくる。


「なんてザマだ。お前はずっと傍にいる、そう約束したんじゃなかったのか? お前が死んだらそれも果たせないだろうが! お前が死んだら、誰が私の傍にいてくれるというんだ!!」


 寝そべる俺を見下す女。その声を、その顔を、その姿を、俺はとてもよく知っていた。

 遥か昔からずっと。


「マーヤ……!?」


「他に誰がいる」


 共に旅した、幼くなってしまった幼馴染。


「お前、どうして……。待ってろって言ったじゃないか!」


「この状況でよく言えたものだな。馬鹿かお前は? いいか、私を子ども扱いするな!」


 しかし、今の彼女の口調と立ち振る舞いからは幼さは全くといっていいほど見えなかった。

 つまりは……。


「お前、元に……!?」


「さぁな」


 マーヤはそうは言うものの、ニヤリと口角を上げてみせた。


『なんだと!? 貴様には我が魔石の呪いがかかっていたはず……なのにどうして!?』


「そんなの私の知ったことではない。でも、私の目には龍の胸元を斬りつける一人の男の姿がハッキリ見えた、とだけ言っておく」


 邪龍は「くそっ」っと吐き捨てて火球を連発するも、マーヤその全てを切り払った。

 俺を目がけて飛んでくるものも含めて。


「いつまで寝そべっている。早く立て」


「お前、どうして俺を守ってくれるんだ?」


「助けられておいて不満か?」


「別にそんなことはないが……。少し不思議で」


 マーヤは溜息をつきながら俺に手を差し伸べる。

 その手を取っていいかためらっていると、いいから早くしろとマーヤが俺の手を強引の掴み取り、立ち上がる手助けをしてくれた。


「以前のお前ならこんな死にぞこないを助けたり、こうして手を取ったりなんかしなかっただろ? それがどうにも不思議でさ」


「確かに以前の私ならお前なんざ見捨てていただろう。でもな、今回改めて分かった。人間ってのは誰かに支えてもらわないと生きていけない、弱い生き物だったってことが。

 私は強くなるにつれて忘れてしまっていたが、お前に助けてもらったあの夜に身をもって思い知らされたさ。もしあのときお前が来なかったら、恐怖と不安で押しつぶされ、ウルフどもに喰い殺されていただろう。

 だから今度は、私がお前を支える番だ」


 マーヤは剣を向け邪龍と対峙する。


「ハルト! 共にコイツを倒すぞ!」


『目障りなやつだ……!』


 龍は自らの爪をマーヤに振るうも、彼女は聖剣を振るい軽々と弾き返す。

 そんな最中、マーヤは俺に話しかけた。


「おい、お前の剣をよこせ」


「待て、共に戦うってのはどこにいった。俺の武器はどうなるんだよ!」


「お前はこれを使え」


 彼女が俺に差し出したのは自らの聖剣だった。


「どうして……?」


「正直言えば、私はまだ少し頭が靄がかってるようで本調子というわけではない。それに、いつまた正気を失うかも分からない。満足に使えず腐らすくらいならお前に託した方がマシだ」


「でもいいのか? それはお前の大切な――」


「言っておくが、この力は道具の良し悪しで変わったりはしない、お前と違ってな」


「んだと?」


「それに今の私は強い。だからそのお守りに守ってもらう必要なんぞない。込められた気持ちと効果を無駄しないために、助けを必要とする人間に渡すだけだ」


 マーヤは澄ました顔で言うがその言葉には照れのようなものが見え隠れしているような気がした。


 お守りがどうとかいうつもりはなかったが、そんな風に思ってくれていたなんて。いろいろ言いたいことはあるが、今は言うだけ野暮だろう。

 ありがたく使わせてもらう!


 邪龍の放つ火球を避けながら、俺は隙を見計らいマーヤと互いの剣を交換。

 俺たちは剣を構える。


『これは引くしか……』


 邪龍は翼を広げ羽ばたきだすも、


「逃がさん!!」


 マーヤは龍の許へと走りこみ、大きく跳躍。

 その翼へ、剣を振るった。


「落ちろ!」


「ギュオオォォオオオオ!!!!!!」


 羽を斬られ、悶えながら暴れる邪龍。

 龍はマーヤに対して一矢報いようと尻尾を振るうも、彼女はその尻尾すら切り伏せてみせた。


 俺も負けじと邪龍に向かい突撃。

 頭上から迫りくる手のひらを聖剣で斬りつける。

 スッと龍の肌を滑る剣。さっきは傷をつけるのが精一杯だったというのに、今度は驚くほど易々と刃が皮膚を裂いた。


 傷口から吹き出した血が飛沫となって辺りに飛び散る。それは美しくもあり、龍の命を削っているという実感だった。


 飛沫の向こうにマーヤが見える。

 彼女は終始邪龍を圧倒している様子であったが、突然片膝をついてしまう。


「マーヤ!」


「気に……するな。私の仕事は既に済んでる。あとは、おまえの領分だ。じゃりゅう、を……たおせ」 


 そこで、きりりとした剣姫の表情が柔らかくなる。


「がんばれ! ハルト!!!」


 彼女の言った通り、呪いはまだ完全には解けていなかった。

 剣を振って俺を応援するマーヤの姿を見て、決心する。


 やっぱり呪いを解くには邪龍を完全に殺すしかねぇな。

 待ってろ、マーヤ。必ず俺が助けてやるから!


 満身創痍の邪龍。しかしヤツはまだ炎を吐いて抵抗を見せる。

 俺はその炎をマーヤがしたように切り払う。


 この剣のおかげで、彼女と同じくヤツの炎を斬ることはできた。でも、飛び散った火の粉が身体に降りかかって服や肌を焦がす。

 まだまだアイツのようにはいかないなと思いながらも、邪龍の前に躍り出た。


『人間如きが……!』


 減らず口を叩く龍の腹を斬り、足を斬る。

 痛みに叫び体勢を崩した邪龍の胸が目の前に下りてくる。


 邪龍の胸の宝石を見据えて剣を引き、構える。

 これで終わりだ……!!


「喰らいやがれええええ!!!!!!」


 邪龍の胸に聖剣を突き立て、宝石もろとも突き刺す。


 龍はピタリとその動きを止め、俺も宝石を壊すべく剣をそのまま刺し続ける。


 長きに渡る沈黙の後、邪龍の胸の宝石が割れ、壊れたガラス細工のようにバラバラと崩れ落ちた。それを確認して聖剣を引き抜くと、邪龍は断末魔の叫びを上げ倒れる。


 邪龍が倒れる風圧で視界が閉ざされたが、やがてそれも収まり黒々とした雲の切れ間から陽の光が差し始めた。


 邪龍を倒した。その実感は薄かったが、


「よくやったな、ハルト!」


 マーヤに抱きしめられたことで、「本当に全てが終わった」そう悟った。


 俺たちの間を風が吹き抜けてゆく。その風に吹かれる彼女は昔となんら変わらない―しかし今までで一番輝く笑顔を見せてくれていた。




 ◇




 洗濯物を干し終わると、俺は空の青さに気づく。

 とこまでも突き抜けるような青に洗い立ての真っ白な服がよく映える。


 邪龍討伐から一段落済み、俺は王国の外れの長閑な平原に住処を移して暮らしていた。


 あれから国に戻り、国王陛下に全てが終わったことを報告した俺らは温かく迎え入れられ、それはもう豪勢な凱旋祝賀の宴が催されることとなった。

 国を挙げてのドンチャン騒ぎはそれはもう筆舌に尽くしがたい楽しさだったが、どこへ行こうとも祝われることに俺は少し疲れてしまった。宴の後半は皆のもっと豪勢にもてなさなければという気苦労が見えてしまっていて、素直に喜ぶのも悪い気がしてしまったし。


 そういうわけで、俺は陛下に邪龍を倒した報酬として国の外れに別荘を貰うことにした。その上報奨金もたっぷりと頂けたおかげで、静かな場所で何不自由のない生活を送ることができる――はずだった。


「おい、お前! 何を休んでいる。洗濯は終わったのか?」


 しかし、その静寂をかき消すようにうるさいのがやってきた。


「見りゃわかるだろ。終わったから休んでるんだ」


「うんうん、私の服もキチンと綺麗になっているな。それでこそ剣姫の右腕としてのお前の存在価値があるというものだ」


 俺はこの地で何不自由ない余生過ごすはずだったがどういうわけか俺の家にコイツが上がり込み、今は以前と同じくマーヤに雑用としてこき使われていた。


「お前こそなんだ、今は陛下の兵隊に剣術の指南をしているはずでは?」


「ああ、今はそのことで来た」


 そう言って彼女は手に持っていた巻物を広げる。そこには恐ろしい怪物が描かれていた。


「これは?」


「こいつは最近王国を脅かすキマイラというモンスターでな。陛下は私にその追討令をくだされたのだ」


「おう、頑張ってくれ」


「何を言っている。お前も来るのだぞ」


「はぁ?」


 思わず間抜けな声が出てしまう。


「荷物持ちが足りなくてな、丁度いいと思ってお前を推薦してやった」


「おい! また荷物持ちか!? ふざけんな! 今だってこうして何もできないお前の面倒見てやってるじゃねーか!」


「私はお前意外に適任を知らんのだ! それに……」


 そこまで口にして急にマーヤはしおらしくなる。


「それに、なんだよ?」


「……く」


 彼女は何かを言うが、声が小さすぎて全く聞こえなかった。


「なんだ!」


「約束、しただろう……! ずっと一緒にいてくれるって。お前が一緒にいて支えてくれるなら、私も……心強いんだよ!!!」


 そう言って、頬を赤らめてそっぽを向く幼馴染がなんだかとっても可愛らしかった。


「……はぁ。分かった、行くさ。約束だもんな」


「本当か!?」


「その代わり、おんぶは無しだからな」


「当たり前だろうが!!!! いいからとっとと行くぞ!」


 マーヤは顔を真っ赤にして俺の背中を叩いた。バチンと容赦のない音がして、背中がひりひりする。

 からかった俺の自業自得ではあるが、相変わらずコイツは加減というものを知らないようで。まったく、自分の力を自覚してほしい。


「ほら、行くぞ。ハルト!」


「……ああ!」


 俺の名を呼ぶ幼馴染と共に、俺たちは昔のように二人並んで、


「……!? おい! なぜ手を取る!?」


「お前、こうするの好きだったなって思って」


「いつのことだと思ってるんだ、お前は!」


「嫌だったか?」


「……そんなことは、ない」


 子どものように手まで繋いで歩いてゆくのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幼くなった剣姫様 ~俺を雑用と虐げていた幼馴染が呪われてしまい幼児退行、更にはメスガキ化してウザいので今までの鬱憤を晴らす。やめてと泣いても無駄だから~ 梅谷涼夜 @suzuyo_umetani

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ