ポニーテール恐怖症

とおさー

ポニーテール

「ゆきや! ビックニュースだ!」

「どうしたんだよいきなり」

 ――ある日の休み時間。

 次の授業の準備をしていたところ、親友のたけしが勢いよく俺の机にやってきた。こいつはいつも元気だな、と思いながら授業準備を続けていると、ニヤニヤしながらたけしは言った。

「これは生徒会の奴らから聞いた話なんだけどよ、今学期から校則が一部変更されるらしい」

「そうか」

「その内容がさ、驚きなんだよ」

 たけしはワンテンポ間を置くと、とても愉快な表情で言った。

「今学期からポニーテール禁止の校則が無くなるんだって」

「は?」

 それはとても信じ難いことだった。


※ ※ ※


  ――ポニーテール。


 髪を後頭部で一つにまとめて垂らした髪型。ロングヘアでありながら顔の輪郭やうなじが露出するため、前方から見るとショートヘアに近い。

 俺はそんなポニーテールという髪型のことが大嫌いだった。いや、どちらかというと苦手と表現するべきか。

 ポニーテールを見るだけで震えが止まらなくなるし、ポニーテールの人間とはろくに会話ができない。挙げ句の果てにはポニーテールの人間と肩がぶつかって白目を剥いたことさえある。俺はこの症状のことをポニーテール恐怖症と呼んでいた。勝手に名付けただけだけど。

 とにかく俺はポニーテールのことが恐ろしくてたまらないのだ。


 ではどうしてそうなってしまったのか?


 一つ目は幼稚園の頃にポニーテールの女子にいじめられたこと。

 二つ目は小学校三年生の頃に、近所に住んでいたポニーテールの女子に好かれたのか、毎日のように追いかけ回されていたこと。

 

 ――そして決定打となったのはこの出来事が原因だ。

 中学の頃。

 放課後、ポニーテールの女の子を公園に呼び出して、

「みさき!」

「どうしたのよ、ゆきや?」

「君のことが好きだ。付き合ってくれ」

「そ、そそそそそうなの。ふーん。あんたにしては勇気を出したわね。一瞬だけ、ほんとに一瞬だけドキッとしちゃったわ」

「よっしゃー! てことは付き合ってくれるってことでいいのか?」

「勘違いしないでよね!」

「えっ……?」

「べ、別にあんなのことなんてこれっぽっちも好きじゃないわよ。で、でも……そうね。私は優しいから仕方なく付き合ってあげてもい――」

「ああああああああああ。フラれたぁぁ」

「ちょっと待ちなさいよ。私は別にフッたわけでは――」

 その日は泣きながら帰った。今でもあのショックは忘れていない。初恋の苦い記憶。

 

 そう、俺は今までの人生で何度もポニーテールにトラウマを植えつけられているのだ。

 そんな数々の経験を経て、俺はポニーテール恐怖症になった。


※ ※ ※


「ポニーテール解禁か」

 放課後。帰宅しながら俺は考える。

 うちの高校は元々校則が厳しく、特に身だしなみに関するものが多い。ピアス禁止、髪染め禁止はもちろんのこと、坊主禁止というものまでもある。

 その中でもずば抜けて独特なのが、この『ポニーテールは男子の欲情をあおる可能性があるため原則禁止』というものだ。

 ポニーテールに欲情……?

 はっきり言って意味が分からない。

 そもそもポニーテールなどという恐ろしい髪型に欲情すること自体があり得ないが、百歩譲って欲情するのはいい。人それぞれ好みがあるから。でもわざわざ校則で禁止するほどのものではない。

 だから無くなるのは当然だ。元々意味のない校則だったのだから。

 しかし同時にそれは死活問題でもあった。

 校則が解除されて、もしクラスメイトがポニーテールにしたとしたら……?

 考えるだけで恐ろしかった。まともに授業など受けられるはずがない。

 俺は今後のことに考えながらも道端でポニーテールを見つけないように下を向きながら帰った。


 ――翌日。

 全校集会が開かれ、正式にポニーテール禁止の校則が消えた。あちこちで「明日はポニーテールにしよう」と囁く女子たち。

 それを聞いた俺は、明日だけは学校を休もうと心に誓った。

 流行など一瞬だ。一日経てばみんな飽きる。そうなることを願いつつ、次の日は仮病をして学校を休むのだった。



 そして校則が変わって二日目の朝。

 俺は覚悟を決めて登校していた。

 今までは校内でポニーテールを見ることはなかった。そのため安心して過ごしていたが、今は違う。いつどこで遭遇するか分からない。平和ボケしないように気を引き締めないと。

「………………」

 無駄のない動きで、下を向きながら教室に入る。すると親友のたけしが話しかけてきた。

「ゆきや! 昨日はどうしたんだよ? まさかポニーテールが怖くて休んだのか?」

「当たり前だろ」

「ゆきや……お前は相変わらずだな。でも実際それは正解だったよ。昨日は校内のあちこちでポニーテールの女子も見たからな。個人的には眼福だったぜ」

 とイカれたことをほざくたけし。

 ポニーテールのどこがいいのだろうか。

「たけし、一つ聞いていいか?」 

 俺は目を伏せながら重要なことを聞く。この返答によって俺の学校生活は大きく変わる。

「今クラスにポニーテールの女子はいるか?」

「ちょっと待ってろ。えーと、そうだな……今のところいないな。昨日ポニーテールだった女子も元に戻ってる」

「そうか。ありがとう」

 心から感謝する。

「ホームルームをやるから座れー」

 クラスにポニーテールがいないことに安堵していると、担任の先生が教室に入ってきた。

 体育教師の田中先生は堂々とした歩き方で教卓へ。

 生徒たちがイスに座るのを見計らい口を開いた。

「早速だがお前らに伝えたいことがある。このクラスに転校生がやってくる」

 その瞬間、クラスでざわめきが起こった。

 様々な疑問が飛び交う。

 しかし俺からしたらそんなことはどうでもよかった。

 転校生はポニーテールなのか? 

 その一点だけが重要なのだ。

「………………」

 祈るような形で転校生が教室に入ってくるのを待つ。

 確率的に考えると、転校生がポニーテールである可能性は低い。世の中には様々な髪型があるのだ。

 しかし世間はそんなに甘くないようで――、

「初めまして! 水木ちなみです!」

 教室に入ってきて早々、元気よく自己紹介をした女子。非常に端正な顔立ちで、遠目から見ても美人であることが分かった。確かに正面からだと見惚れてしまうかもしれない。

 でもお辞儀をした時に見えてしまったのだ。

 後頭部にとんでもない不純物がついているところを。

 それはポニーテール。

 転校生の彼女はポニーテールだったのだ。

 彼女と目が合う。

「うっ…………」

 その衝撃に耐えきれず、俺は白目を剥いてぶっ倒れてしまった。


※ ※ ※


 目が覚めるとそこは保健室だった。

 保健室のベッドで寝る経験など初めてだったので新鮮な感覚だ。

「はぁ……」

 それにしてもまさか倒れてしまうとは……。

 普段はそこまで酷くない。せいぜい震えが止まらなくなるくらいだ。

 にもかかわらず倒れてしまったのは精神的なショックが大きかったからだろう。

 よりにもよってポニーテールの転校生がうちのクラスに入ってくるとは……。不運にも程がある。

「………………」

 しばらくすると状況が整理できた。今ならたとえあの転校生を見ても倒れることはないだろう。そう確信できたので保健室を出た。

 階段を駆け上がり自分の教室に戻る。

「………………」

 ドアの前まで来た。窓から教室の様子を覗くと、クラスメイトたちがいつも通り授業を受けていた。

 大丈夫だ。大丈夫。

 そう自分に言い聞かせて覚悟を決めると、教室のドアをガラッと開けた。

「池田、大丈夫か?」

「はい」

 数学の先生に心配されながらも着席する。座るまで下を向いていたので、転校生がどこに座っているかは分からないが、前の席ということもあって視界には入らなかった。

 これならなんとか大丈夫そうだ。と安堵しながらも授業を受ける。

「………………」

 正直内容はほとんど分からなかった。来年は受験なので本来なら理解しなければならないが。

 今はそんなことよりも、転校生のことで頭がいっぱいだったのだ。

 そんなこんなでぼうっとしているとチャイムがなった。午前の授業はこれで終了。これから昼休みだ。

 いつもは教室で弁当を食べているが、今日は安全を期して便所メシでもしようかな。

 そう思い立ち上がると、透き通った声で呼び止められた。

「池田ゆきや君だよね?」

 振り返らなくても誰か分かった。例の転校生だ。

「初めまして! 今日からこのクラスの一員になりました。水木ちなみです! よろしくお願いします!」

「……よろしく」

「先程は意識を失っていたようでしたけど体調は大丈夫ですか?」

「はい。ご心配なく」

「あの……」

 近づいてくるのが気配で分かった。

 それから至近距離で聞いてくる。

「どうしてこちらを見てくれないんですか?」

 ふわりと甘い香りが舞った。

 俺はあくまでも振り向かずに言う。

「色々とあってな。別に水木さんが悪いわけじゃないんだ。あくまでも俺の問題だから」 

 それだけ言うと教室を出た。

「あっ、待って!」

 気は進まないが便所メシにしよう。

 便所であれば彼女も追いかけては来れまい。

 そう考えて駆け足で移動していると、後ろから追いかけてくる足音がした。

「どういうことですか?」

「………………」

 俺は無視して走り出す。角を曲がるとようやく男子トイレだ。

 すぐさま駆け込むと、息を整えながら安堵する。

「ふぅ……」

 なんとか振り切れた。

 まさか追いかけられるとは思わなかったがな。やはりポニーテールは恐ろしい。

 改めてポニーテールの危険性を実感していると、

「ゆきやさん、こっちに来てください」

 突き刺さるような声が聞こえたので振り返る。

「げっ……」

 転校生はトイレの前で仁王立ちをしていた。不満げに口を尖らせ、大きな瞳で捉えてくる。

 なんなんだよ一体……。

「私のことを避ける理由を教えてください!」

「…………」

 ポニーテール恐怖症だから。

 そんなことを言っても信じてもらえないだろう。それに彼女はポニーテールだ。罵倒していると思われるかもしれない。

「教えてくれないんですね……」

 彼女は悲しげに呟いた。

 その表情を見ると罪悪感を感じずにはいられない。でも仕方がないのだ。

「…………」

 彼女の表情から、先ほどのような覇気は感じられなかった。ここまで拒絶したんだ。ようやく諦めてくれたのだろう。

 そう思い個室に向かうため一歩踏み出す。

 と、その時だった。

「分かりました。であれば私も覚悟を決めます」

「えっ?」

 衝撃だった。

 なんと彼女は堂々と男子トイレに足を踏み入れてきたのだ。

「ここは男子トイレだぞ」

「はい。分かってますけど」

「嘘だろ……」

 呆然とする俺をよそにどんどん近づいてくる彼女。もう逃げ場などなかった。

 一歩ずつ後ずさるが、その度に距離は近くなる。ちょうど壁にぶつかったところで、ガシッと手首を掴まれてしまった。

 終わった……。

 絶望する俺とは裏腹に彼女はとても満足そうだった。それから彼女はしっかりと俺の瞳を捉えると言った。

「捕まえました!」

 それは悪魔のような笑みで、

「ッ――」

 俺は己の死を覚悟した。

 やはりポニーテールは恐ろしい。


※ ※ ※


 捕まった後は呆気ないものだった。

 震えて力が入らなかった俺はぐいぐいと引っ張られて廊下に出される。

「もう逃しませんからね」

 悪魔のような言葉を囁かれ、背筋が凍った。

 今度は転校生恐怖症になりそうだなと思いながらも壁に寄っかかると、恐怖に耐えきれず座り込んでしまう。

 彼女は俺が逃げられないようにしゃがみ込むと、壁に手をついた。壁ドンのような形だ。

 普通ならときめいてしまう状況だろうが、俺は別の意味で心臓がバクバクだった。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

「一応言っておきますけど逃げたらもう一度追いかけますからね。どこまでも……」

 ニコニコしながら釘を刺され、俺はこくこくと頷いた。全身から汗が吹き出てくる。

「今からいくつか質問するので今度こそは答えてくださいね」

「……はい」

 全てを諦めた俺は素直に質問に答えることにする。

「どうして私を避けるんですか?」

「ポニーテール恐怖症だから」

「ポニーテール恐怖症?」

 彼女は首を傾げた。俺は体育座りをしながら目線を下にして説明する。

「今までポニーテールの女子に散々な目に遭わされてきたんだよ。例えば幼稚園の頃はポニーテールの女子にいじめられていた。そんな出来事が重なって、俺はポニーテールを見るのが恐ろしくなったんだ」

「そんなことが……」

「だから君のことを避けてたのはそれが理由だ。別に君のことが恐ろしいわけじゃなくて、ポニーテールが恐ろしいんだ」

 言ってみて気づいたが、冷静に振り返ってみると彼女の行動もそれはそれで恐ろしかった。男子トイレまで追いかけてきて捕まえてくる。ポニーテールを抜きにしても十分恐ろしい人間なのではないか?

 一瞬そんなことを思ってしまった。

 とその時だった。

「ごめんなさい。私何も知らなくて……」

 申し訳なさそうにそう言うと、彼女は俺の手を取ってきた。

「ゆきやさんはたくさん辛い思いをしてきたんですね……」

「…………」

「でも私は大丈夫です。私はゆきやさんが悲しむようなことはしません。だから…………私と友達になってくれませんか?」

「えっ……」

 驚いた。

 まさかそんなことを言われるとは思わなかったから。

 だって俺は彼女のこと避けたり、無視したりしてきたのに。

「でも俺は……」

「私がポニーテールなのがいけないんですよね。だったらこの髪型はやめますよ」

 言いながらシュシュを取る彼女。

 束ねられた髪が一斉に解け、ふわりと甘い香りが漂ってきた。

「これで大丈夫……ですよね?」

 ロングになった彼女は優しい表情で微笑んだ。

「ッ……」

 その瞬間、まるで魔法が解けたかのように彼女に対する恐れが消えていく。そのかわり温かい感情が俺を包み込んだ。

 改めて彼女の姿を見る。

「どうしたんですか?」

「いや、なんでもない」

 彼女があまりにも美しくて見惚れてしまった。ポニーテールというフィルターを排除した今、彼女はあまりにも魅力的すぎたのだ。

「水木さん」

 俺は彼女の名を呼ぶと、しっかりと瞳を見る。そして先ほどの返答をした。

「こちらこそ友達になってください」


※ ※ ※


「ゆきや君、一緒に帰りましょう」

「ああ」

 あれから一ヶ月が経過した。

 転校生――水木ちなみと友達になって以来、不思議とポニーテールに対する恐怖は薄れていった。今ではたとえ相手がポニーテールでも普通に話せるくらいだ。

「急ぎますよ。このままだと電車の時間に遅れてしまいます」

「分かった。走っていこう」

 高校の最寄駅の電車は20分に一本。乗り過ごしたらその分待たなければならない。だからこそ駆け足で駅に向かった。

 到着すると電車に乗り込む。

 しばらく電車に揺られていると彼女が上機嫌なのが伝わってきた。俺の顔を見ながらニコニコしている。

「どうしたの?」

「今とても嬉しい気分なんですよ」

「嬉しい? 何が?」

「ゆきや君が初めて私の家に来てくれることがですよ。長年の夢が叶いました」

「長年ってたったの一ヶ月だr――うわっ」

 言い終わる前にちなみが腕に抱きついてきた。甘い香りが鼻腔をくすぐる。

「ちなみ?」

「もしものことがあったら嫌なので念のため捕まえておくことにしました」

「別に逃げないって」

「言っておきますけど、初対面で逃げられたことはまだ根に持ってますからね」

「うっ……」

 鋭いジト目を向けられ、俺は思わずたじろいでしまう。あの時は仕方がなかったのだ。ポニーテールだったちなみのことが恐ろしかったから。

 でも今は違う。

 こうして二人で帰るほど心を許している。だがら逃げるはずもないのだが……どうやら彼女は心配性らしい。しばらくしても拘束が解けることはなかった。むしろ密着度が高まっている気さえする。

 心臓の高まりを抑えていると、彼女は言った。

「次の駅で降りますよ」

「えっ次?」

「はい。次が最寄駅なので」

「…………」

 俺はそんな偶然もあるのかとビックリした。なぜなら俺の最寄駅も同じだからだ。登校時は別のため今まで全く気づかなかったが、どうやら俺たちは近所のようだ。

 電車を降りると、今度は住宅街を歩く。腕に抱きつかれたままだったので歩きづらくて仕方がなかった。

「ちなみ、そろそろ離してくれないか?」

「ダメです。絶対に離しません」

 即答だった。

 参ったな、という顔をしつつも内心では少し嬉しくも感じる。

「………………」

 しばらく歩いていると俺の家が見えてきた。近所だとは思っていたが、まさかここを通ることになるとは。

「なあ、ちなみ」

「どうしました?」

「実はここが俺の家なんだ」

 少し驚かせようと思って、通り過ぎる瞬間に言った。俺は彼女に家の住所を伝えていない。だから驚いたような顔をするだろう。そう期待して言ったのだが、彼女のリアクションは意外なものだった。

「はい。知ってますよ」

 なんと知っていたらしい。

「どうして知ってるの?」

「実は以前たけしさんが教えてくれました」

「あいつか」

 最近なぜかポニーテールにイメチェンした親友の姿を思い出す。今度絶対にしばいているからな。

 そう心に誓いながらも俺の家を越えると、今度はゆるやかな坂を駆け上がっていく。

「…………」

 坂を登り切ると彼女は横のアパートを指さした。

「ここが私の家です。一人暮らしなので狭いですけど」

「全然構わないよ。お邪魔します」

 靴を脱いで彼女の家に上がる。

 ガチャっと鍵が閉まる音がした。

「玄関に立ち尽くさないでください。もしかして緊張しているんですか?」

「少しな。女子の部屋に上がるのは慣れていないんだ」

 やはり女子の部屋というのは特別で、どうしても緊張してしまうのだ。

 俺は覚悟を決めるとリビングに向かう。

「……ん?」

 そこは10畳ほどの比較的広い部屋だった。

 でも少し違和感を感じた。

 部屋にはテレビやソファーなどの家具はなく、中心に大きなダブルベッドが一つあるだけ。窓はシャッターで覆われていて、日差しが入ってこないため薄暗い。

 少なくとも俺の想像していた女子の部屋とはかけ離れていて、まるで生活感を感じさせなかった。

「どうしたんですか?」

「……いや、なんでもない」

 後ろから声をかけられ、一瞬びくりとした。

 彼女は台所に向かうと冷蔵庫を覗きながら聞いてきた。

「何か飲みますか? といってもサイダーしかないですけどね」

「じゃあサイダーを頼む」

「少し待っててください。あっ、ベッドに腰掛けてもらって大丈夫ですよ」

 彼女に言われるままにベッドに座る。とてもふかふかだった。俺のベッドとは大違いだ。

「どうですか? この部屋?」

 彼女は青色のサイダーを持ってきながら聞いてきた。

「正直意外だと思った」

「もっと女の子らしい部屋を想像していたんですよね? 分かりますよ。でもこれが最適なんです」

「最適?」

「どうぞ」

 サイダーを渡される。

 俺は喉が渇いていたので豪快に一気飲みした。

「いい飲みっぷりですね」

「おいしかったよ」

「それはよかったです」

 にこりと笑うちなみ。

 彼女は俺の隣に腰掛けると、再び腕に抱きついてきた。

「少しでいいので、このままじっとしていてもらえますか?」

「分かった」

 彼女は俺の肩に頭を乗せた。

「…………」

 しばらく無言の時間が続く。

 でも気まずいという思いは微塵もなかった。むしろ先ほど抱いたこの部屋への違和感も、不安も、包み込まれるように消えていく。

「…………」

 気持ちが落ち着いたから少しぼうっとしてきた。

「…………」

 それは次第に強くなって強烈な眠気が俺を襲う。

「ゆきや君? 眠いんですか?」

「ああ」

「ならこのベッドを使ってください」

 気になっている女子のベッドで眠る。普段であればドキドキだが、今はもうどうでもよかった。とにかく身体がだるいのだ。

 俺は彼女に促されるまま、仰向けに寝転がると、

「ごめん。少し寝る」

「全然構いませんよ。おやすみなさい……ゆきや君」

 微笑む彼女の姿を見ながら俺の意識は遠のいていった。




「7年ぶりですね。ゆきや君」



※ ※ ※


「はっ――」

 目が覚めた。

 俺は凄まじい気怠さを感じながらも目を開く。するとそこには笑顔でこちらを見るちなみの顔があった。

「おはようございます」

 明るく挨拶をしてくる彼女。

 俺は少し違和感を感じた。髪型が先ほどとは違うように見える。

 見間違えかと思って目をこする。でもやはり違う髪型だった。

 それは以前の俺が恐れていたものだ。数々のトラウマがあるもはや因縁ともいえる髪型。

「っ――」

 彼女はなんとポニーテールだったのだ。

「どうして? って顔してますね。そんなに驚かないでくださいよ」

「……ちなみ?」

 明るい声音だが表情が全く違った。真っ黒な瞳でじっと俺を捉えてくる。そこに光はなく、まるで深淵をのぞいているようだった。

 俺は吸い込まれそうになりながらも聞く。

「どうしてポニーテールに戻したんだ?」

「これが本来の私だからです」

「どういう意味だよ?」

「そうですねえ……計画は全て終わったので一から話すとしましょうか」

「計画……?」

 何を言っているのか理解できなかった。

 彼女は淡々と話し始める。

「むかしむかしある所にポニーテールの女の子がいました。その女の子はある病気を患っていて、髪の毛がありませんでした。なのでカツラをかぶって生活していました」

「…………」

「でも小学校ではそれが原因でいじめられていました。悲しみに暮れていたある日、女の子が公園で泣いていると一人の男の子が声をかけてきました。その男の子は泣いている女の子を慰めてくれました。そしてこう言ったのです。『その髪型とても似合ってるよ』と。その瞬間、女の子は恋に落ちました。それから女の子は男の子にたくさんちょっかいを出すのです」

「…………」

「しかし女の子の病気は悪化しました。そのため最先端の病院がある都心に引っ越して通院する毎日。挫けそうになりながらも女の子はある夢を持ちました。それはもう一度あの男の子に会うこと。そして今度は離れ離れにならずにずっと一緒に過ごしたい。その願いを叶えるために女の子は頑張りました」

「…………」

「そして17歳になった頃。ようやく病気が完治したのです。それが私――水木ちなみです。お久しぶりですね、ゆきやさん」

 彼女は美しい笑顔で微笑んだ。それはまるで天使のようで、俺は一瞬で引き込まれる。

「ッ――」

「思い出してくれましたか?」

「ああ」

 公園で泣いている女の子に出会ったことは覚えている。とにかく追いかけ回された印象しかないが、確かに彼女はポニーテールだった。

 それにしてもまさかちなみがその女の子だったとは……驚きだ。

 でも同時に納得できる部分もあった。

 転校初日からぐいぐいと近づいてきたこと。

 あれは明らかにおかしかった。いくらなんでも距離感が近すぎる。

 初めから俺のことを知っていて、俺に近づくための行動だったのであれば男子トイレにまで入ってきたのも納得だ。

「思い出してもらえたようでよかったです。ふふっ」

 彼女はニコニコしながら俺の頬を触る。そして満足そうにつぶやいた。

「これからはずっと一緒にいられます。寝るときもお風呂に入るときもトイレに行くときも一緒です」

「どういうことだよそれ……は?」

 起き上がろうとしてようやく気づいた。

 今自分が置かれている状況を。

 手首と足首に手錠がかけられていて全く身動きが取れなかった。

「どうして拘束するんだよ」

「もう離れ離れになりたくないからに決まっているじゃないですか。これからは永遠に一緒ですよ」

 恍惚とした表情で呟く彼女。

 全くもって理解できなかった。離れたくないのは分かるが、だからってわざわざ監禁する必要はないのに。

 でも彼女は聞く耳を持たないだろう。瞳を見ていると自然とそう納得できた。

 それに俺自身、この状況に対してそれほど悲観してはいなかった。

 目の前に彼女がいる。

 なぜかそれだけで安心感を抱いていたからだ。

 俺は頭がおかしくなってしまったのだろうか。分からない。でもこれでいいんだ。これで。

「ゆきや君」

 ちなみは俺の名を呼ぶ。

 ポニーテールを揺らしながら微笑むその姿はこの世界の何よりも美しかった。


 ――俺はポニーテールの彼女に恋をした。




THE END

 

 




 

 


 

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