第13話 春雨と温風
「すげえところに住んでるな、久遠」
ガラス張りの大きな窓が立ち並ぶ、高級マンション。入り口がどこにあるかなんて、見つけるまでもないぐらい広々としている。なのに、入りにくい。
入ったら、追い出されたりしないだろうか。ビクビクしながら、敷地に踏み入る。
エントランスの床は、滑らかで上品に光る石で出来ていた。足音がよく響く。
どの部屋に行けばいいかは、知っていた。
久遠が携帯で住所を探してくれたときに、部屋番号まで入力してくれていたおかげだ。
頭の回り方がすごいと思う。同時に、俺が見つけるのを期待してくれてたようで、うれしくもあった。
エントランスにあるテンキーで、久遠の部屋番号を入力する。
音声の繋がる音がした。
『羽純くん?』
インターフォン越しに、久遠の声がする。
「スマホ、見つけた。届けに行っていいか?」
『ほんとう? ……ありがとう。うん、あがって』
自動ドアが、開いていく。
奥へと進んだ。
黒を基調とした空間は、上品で落ち着いた時間が流れている。どこかでドアが開く音がした。道なりに進むと、出迎えるようにエレベーターが開いていて、慌てて飛び乗る。
ドアがひとりでに閉まり、勝手に動いていった。
勝手に動いているけど、これは正しいのかな。
エレベーターが開くと、胸をなでおろした。
困ったように笑っている、久遠がいた。
久遠が私服で立っていた。
大人っぽさに、どきっとする。
はじめて見る、久遠の私服。
――すごく、いいな
グレンチェックのショートパンツに、両肩が見えている上品な白いブラウス。足元は、ヒールのついた黒いサンダルだった。学校では絶対に見られない姿に、思わず足が止まった。ぼうっとするぐらい、大人っぽい恰好だ。
顔を横にふりながら、ちがうちがうと思いなおす。
右手に持った白いスマホを、持ち主に渡さなきゃいけないんだ。
俺の手にあるスマホを見つけると、安心したように、久遠の肩から力が抜けていた。
スマホを差し出すと、受け取るために久遠の両手が伸びてくる。
掴んだのは携帯電話じゃない。俺の手が、久遠の両手に握られていた。
「うえっ」
自分の口から、変な声が出た。
暖かい久遠の手が、俺の手を握りしめる。
「やっぱり、冷たいわ。羽純くんなら、雨のなかでも絶対探し続けてると思った。携帯については、もうあきらめてたのよ。見つからなかったら、代わりがきくって、割りきったの。でも、あなたは、あきらめてくれないだろうなって。……こんなに、濡れてまで」
「いやっ、それは、見つけるって言っちゃったし。これは、ちょっと走ったせいで」
たどたどしく、そう答えた。
久遠に手を握られながら、見つめられる。こんな状況で、平静なんて保てなかった。
「いいから、入って」
スマホは、俺が持っている。
久遠は俺の手を握ったまま、玄関の扉をあけて、部屋に迎え入れてくれた。
「待ってくれ。部屋にあがるなんて、心の準備ができてない。久遠はいいのか。大丈夫なのか?」
「あなたがそう言ってるから、大丈夫」
おかしそうにいう久遠も、すこし緊張しているようだった。
玄関を抜けると通路があって、扉を三つ通り過ぎると、リビングがある。広いシステムキッチンの前には、テーブルと椅子がふたつ置いてある。ソファーの前には大きなテレビ。壁際には、背の高い本棚が3つ。整頓された本棚の中身は、久遠の頭のなかのようだ。
「うっわ、広い。すっご」
リビングだけで、めっちゃ広い。
家具類が、白で統一されているせいか、上品で高級感がある。
同級生の女の子の部屋にあがるシチュエーション。広さに興奮するのは、なんだか違う気もする。
好きな女の子の家にお邪魔してしまった。
わかりやすいもので、気づくと一気に緊張した。
「わたしも、さっき帰って来たところなの。散らかしててごめんなさい。誰かをあげることなんて、無いと思っていたから」
「これで散らかってる? そんなことないぞ」
久遠は「あっ」と声をだし目を閉じる。
申し訳なさそうに眉をひそめながら言った。
「ごめんなさい。わたし、すぐにそういう言葉を口にするの。思ってもない社交辞令のような、耳障りだけ良い言葉。親に教えられた処世術なのよ」
恥じるように、久遠はそう言った。
「うん?」
俺は頭をひねった。
ドライヤーを持った久遠は、楽しそうに笑顔をつくる。
「いいから。羽純くんは、じっとしてる」
猫のゆるキャラ『もふネコ』のブランケットが飛んできて、ひざにかかる。頭に、ふかふかしたバスタオルがのせられ、ゴオーッと音を立て、あたたかい風が吹いてきた。
「いやっ、自分で」
「じっとしてる。いいから。わたしが、したいの」
そう言われると、動けなくなる。
握っていた久遠の携帯電話を、手が届くところにあるテーブルにのせた。
優しく撫でられた。くすぐったく、バスタオルが頭を通る。
自然に、体が横に揺れた。うれしくて、じっとしていられなかった。
短い髪の毛を乾かすのに、そんなに時間はかからない。
ドライヤーが、ゆっくりと音を小さくする。
頭から、全身が温まった気がした。
「ありがとう」
ぱしんと、頭に手が当たる。
「こっちのセリフよ」
困ったように久遠が笑った。
学校で見る久遠より、よっぽど自然な姿に見える。どこか肩ひじ張っているせいで、話しかけにくい姿はない。
参ったな。
女の子ってすごい。場所や時によって、いろんな顔を見せてくれる。
「これ、どこにあったの?」
久遠は、スマホを手にしてロックを解除した。
画面も割れてないようで、よかった。
「にゃんこ。猫が持ってた」
ここあが、猫のことをにゃんこって言うから、ついそう言ってしまう。
「もしかして、首輪のしてある黒猫かしら」
「そう。ふてぶてしい顔の黒猫。あれ、ヤマトを知ってるの?」
思い出しながら、久遠が言う。
「帰り道でばったり出会って、撫でてたの。そのときに、落としてたのね」
「そいつ、ここあの猫なんだよ。ヤマトとジジ。二匹いるんだ。スマホを、家に持ち帰ろうとしてるの見つけて、追いかけたんだ」
ソファの上で、久遠は背もたれに体を預けた。おでこを押さえて、真上を向いている。浮かび上がった体の曲線から、どうにも目が離せない。腰回りはすごく細いのに、胸が案外あるというか。
……これ以上はだめだ。意識してしまう。
「ふふっ、ふふふ」
悩むように、頭を押さえていた久遠が、笑いはじめた。
「そんなことがあるのね。羽純くんじゃないと、見つけられなかったわ」
ソファに座りながら、長い足を抱き寄せる久遠。膝の上に頭を乗せながら言う。
「携帯を探してたらね、たまに声を掛けられるの。『スマホ探してるんですか?』『手伝いましょうか?』って。わたしが探し物しているのを、知らないひとが、なんで手伝いたがるんだろうってふしぎだったわ。羽純くんが聞いて回ってくれてたのよね。みんな『俺も手伝いますよ』って言ってくるの」
「必死だったから。やめてくれよ、はずい」
背中のあたりが、ムズムズする。
「ありがとう。校門の前で見つけて、声をかけてくれて」
「おう」って、返事をした。
パカーンと、口が開いて笑ってしまった。
久遠は、つられるように笑ってくれた。
――それにしても
きょろきょろ。
同級生の女の子の部屋にお邪魔している。
それだけで特別なのに。
好きな子が、部屋にあげてくれている。
体の冷たさなんて、内側からふっとんだ。
がんばって、よかった。
「なんだか、へんな事、考えてない?」
なんて鋭い勘だろう。
久遠は、目を細めながら見つめてくる。
ふと自然に、力を抜いて。
口のはしを緩やかにあげて、猫のような形にした久遠がつぶやいた。
「べつに、いいけれど」
部屋にあげてもらえているのを許されたようで、すっかり緊張が解けていた
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