心の在りか【短編】

牧多 -maki-

短編 完結

 最寄り駅から徒歩10分。

僕が通う西佐原高校からの帰り道。


 歩く僕を追うのは夕陽から作られた黒の影。

一歩、また一歩。帰路を進む僕をずっと追いかけてくる。

何も考えず、誰にも見られず人知れず過ごしたい。

そんな僕の儚い想いを他所に影は跡をなぞる。


 なにも変わらないいつもの帰路を進む。

楽しそうに口角を上げ甲高い声で談笑する主婦の群れ。

走りながら追いかけ合う小学生の男の子達。

生きる為に食べ物を探す鴉の群。

何も変わらない毎日と展望の見えない未来にうんざりする。


僕は、平凡だ。


世界的ギタリストにもなれない。

国を背負うサッカー選手にもなれない。

責務を果たす人導者にもなれない。


ただ、社会の歯車の1ピースとして世の中の養分になるのがせいぜい関の山。

そう思うと無性に虚しい気持ちに苛まれる。


僕の学校生活は、一応充実している。

部活こそ入らないが、勉学はクラスでは中間を常に維持し学生という社会では小さいコミュニティのレールから外れないように細心の注意を払い、いつ踏み外すかもわからないレールを必死に走っている。


今日も同じ一日。朝学校に着くと2限目の小テストの予習をし、笑われないようただ足掻くのみ。

授業が終わると馴れ合いの友達と世間話をし心の底から笑えず作り笑いでその場を過ごす。

本心で笑ったのはいつだったか?

そもそも僕は鬱なのではないのか。そんな気持ちに蓋をし今日も帰路を辿る。


今日は天気がいい。雲一つない快晴、空を太陽がオレンジ色に焼くような空。

ふと空を見上げる時、いつもは気にも留めない古びた本屋が視界に映り込んだ。

木造の築40年はありそうなオンボロの建物に

ひしゃげた文字で本屋。とだけ書かれている。

 普段、寄り道などしないのだかこの時は何故か無性に本が読みたくなった。

一時の気まぐれと、少し中を覗いたら帰ろう。そう思い僕はカラカラとなる引き戸を開け中に足を踏み入れた。


中は6畳ほどの小さな一室。

温かみのある電灯が一つチラチラと今にも消えそうな

光を放っていた。

しかしどうも埃っぽい。

紙の匂いだろうか? 祖母の家と同じ香りがした。

中には、本棚が4つあり最近の本はなさそうな色褪せた背表紙が所狭しと並んであった。

店員はいないのだろうか?奥にあるレジと思わしきカウンターに人の影はいない。

まぁこんなボロい本屋に万引きしに来る奴なんていないか

そう思った僕は目線を動かしながら何かおもしろそうな本はないか探した。


 するとどこから現れたのか

背の低い老人が横に立っていた。

いや、背が低いわけではない老化で腰が曲がっているだけだろう。

シワシワの唇に白い頭髪の店員らしき老人は口を開いた。

「何を、探しているんだい」


ありきたりな質問に対して僕は淡々と答えた。

「たまたま立ち寄っただけです。特に探してる物は…。」


そう答えると老人は首を傾げこう答えた。

「何か見つからない何かを探してるような顔をしていたのだがね。歳をとると人の気持ちを汲み取る事も目録してしまう。」


なにを言ってるのだこの老人は。

僕は探している物などない。ましてやこの店に来たのはただの気まぐれ、そう偶然なのだ。

「この店よく潰れないですね。」

少し嫌味を混ぜた言葉を発すると老人は笑って答えた

「はっはっは。ご名答だよ」

「いつこの店を畳むかずっと待っているんだよ」

訳がわからない一体何を待っていると言うのだ。

しかし何故かこの老人の待っているという言葉が気になってしまった。僕は聞き返していた

「なにを待っているんですか?」

そう口に出すと、老人は一息つき口を開いた。


「天命だよ。」

どういう事だか一瞬わからなかったが刹那の間に察した。

「天命?寿命ってことですか?」

老人は小さく頷き適当な本を手にしてページをめくりながら答える

「人の命は長く感じいつまでもあるかのような錯覚に落ちいるけれど、命ある物はいつか朽ちる時が来る。」

なにを当たり前のことを言う老人と思い相槌を打った。

「知ってますよ。」

老人は目を細め加えて話す。

「新垣幽斎という作家がいるのじゃが、彼の作品は泣かず飛ばすで全然売れることはなかったんだよ。けれどわしは彼の作品が大好きでな、けれど彼は自身の才能に失望し作家をやめてしまったのだよ。」

まるで自分と重ねて合わせたような気持ちになり複雑な心境だった。

「しかし彼は作家をやめた後、ある一つの大事なことに気がついたんじゃ。」


「大事なこと?それは何だったんですか?」

少し興味深い話につい聞き耳を持ってしまった。


「自分の心に従うことはどれほど大事なことだったか、それを彼は作家をやめ初めて気づくことになったんじゃよ。しかし、妻を養うために彼は作家に戻ることはなかった。」

それが現実なのだから仕方ないではないかと僕は思った。


「彼は、ずっと後悔していたんじゃ。自分の心に従うことができることがどれほど幸せなことなのか」


「自分の心に従う…こと」

思い返してみれば僕は自分が好きだと思うことは非現実的理想だと割り切り切り捨てて来た。

中学生の時、ロックバンドのギタリストに憧れたこと

高校生の時、部活に入ってサッカーをしたいと思ったこと

将来、日本を指揮し人を導くことに憧れたこと。

どれも全て諦めてきた僕は新垣幽斎と自分を重ねた。


「たしかに現実だけを見て生きるのも悪くはない、けれども人間夢がなければ夢を見れないじゃろ?」


現実しか見ない僕にその言葉が深く刺さった。

「また、来ます。」


逃げた。怖くなったのだ。

自分の心に従い、現実が離れてしまうことに。

だから、また来ます。とそう答えたのだ。


一歩足を踏み出し、カラカラとなる引き戸を開け本屋に出た僕は再び空を見上げると夕焼けは去り、夕暮れが空を包み込んでいた。


帰ろう。そう思い後ろを振り向くとそこには

何もないただの路地が存在していたのだった。


ーまた、来ます。


そう言い残し僕は帰路につく。

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心の在りか【短編】 牧多 -maki- @kasam

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