第二十九話『熱宴』
「……ふむ、では月曜日までは暇なのだな?」
「そうよ、正確には日曜の二十時までだけどね」
「でもそれだけあれば、絶対に海で遊べるのぜ!」
……その後、女将さんに仕事終了を言い渡されて、土曜日にも突入していないのに夕方前から休日を過ごそうとしていた俺達。
旅館の受付前の広場で真緒さんとも集合して、俺達は今後の予定を立てている最中であった。
「やっぱり最初は海に行きたいのぜ! ここだけは譲れないのぜ!」
「そうね、街とかお店とかの方は後で回れるだろうし、暗くなる前には海で泳ぎたいわ」
「やっとお前達と入る事が出来るのか……ふぅ、一人で五回ぐらいは泳いでみたがそろそろ飽きてきた所だったぞ」
「どんだけ周回してんのよあんた」
「あはは……真緒ちゃん相当暇だったんだね」
「千夜はどうしたい?」
「私も……最初は海で大丈夫……」
そうしてそれぞれで水着の入った鞄を持参して、真緒さんとはまた後で受付前で集合しようという事になった。
漸く始まる海水浴という夏らしいイベント……久しぶりに入る海の中で、上手く泳げるかどうかが唯一の不安である。
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……雲一つ無い青い空、青い海。
昼を過ぎても尚、西に傾く事が無い夏の太陽に肌を照らされて、既に海に入っている観光客達を眺めながら、早く海に入りたいという欲をかき立たせる。
「っ……」
「暑いね〜」
「……はい」
現在水着に着替え終わった俺と武蔵さんは、沖の方で視界を横切っていくジェットスキーを目で置いながら、現在着替え中の女子達を待っていた。
「にしても大和……筋肉凄いね、細マッチョってやつだ」
「仕事で鍛えられてますから……武蔵さんも凄いですね」
「うんうん、この夏の為に筋トレしてきたんだよね。 これでこの海にいる女の子達のハートもゲットさ」
「は、はぁ……」
ポニーテールで中性的な顔とは対象的に、男らしい逞しい身体を晒してギャップを感じさせている武蔵さん。
更に彼はあちらこちらにいる水着の女性達を、どこか不埒な目で眺めている……これでもし真緒さん達が同行していなかったら、今からナンパでもしようかと言い出しそうな所だ。
「━━待たせたわね」
……その後。
「……おお!」
「……!」
歌舞伎町で初めて会った以来、初めて
「ふむ……良い日差しだ」
警察という職業に就いている事から絞られた身体に、何色にも汚されない純白な水着を身にまとっている真緒さん……。
「あぁ〜あっつ……こんなのあっという間に肌焼けるわよ」
真緒さんと共に日に手をかざしながら、清涼感溢れる海と同じ色の青い水着で、颯爽と登場した飯田さん……。
「ねぇねぇ、早く入ろうなのぜ!」
そして真緒さん達とは違うビキニタイプでは無く、無邪気さを感じさせるフリルで胸が覆われているタイプのピンク色の水着をつけて、浮き輪を携えている瀬名さん……。
皆それぞれが個性のある水着を装着しており、正直海に入りたいものとは別で違う欲がかき立たされる。
「んぅ〜、皆よく似合ってるよ!」
「ちょっとどこ見てんのよあんた!」
「むーちゃんの目、なんかえっちなのぜ!」
……そしてまだ、この場所に現れていない女子が一人。
「……長内さんは?」
「千夜なら、あそこにいるぞ」
真緒さんに視線を流され、彼女達の後ろの方を見てみる。
「……」
そこには半袖のパーカーを着て、上半身を隠している長内さんがトボトボとこちらに近付いてきていた。
「ちーちーこっちなのぜー!」
「皆、お待たせ……」
「あんたそれ脱いじゃえば? 暑そうだし、これから海の中に入るのよ?」
「……それとも、海に入りたくないとかですか?」
「そうでは無いんだけど……恥ずかしい、から……」
前で手を合わせてファスナーの部分を引っ張って抑えている事から、彼女の羞恥心が伺える。
「でも脱がないと、海には入れないよ?」
「あんたがそれを言うとセクハラにしか聞こえないんだけど」
「逮捕だな」
「うそうそ冗談だよ!」
「分かったわ……」
すると、武蔵さんが真緒さんと飯田さんに囲まれている内に、決意が固まったのか長内さんはパーカーをキャストオフさせた。
「おお……」
……普通の人よりも肉付きがあり、女性らしい丸みのある身体。
それを包む、ワンピースのようなデザインの緑色の水着は、まだ未成年ながら既に子供では無いという、長内さんの大人の魅力を最大限に引き出していた。
「ちーちー……何だかぐらまらすなのぜな……」
「あんまり、見ないで……」
「ふむ、良い身体をしているな」
「あはは……直球だね真緒ちゃん」
「逮捕だとか言ってたくせに、人の事言えてないわね……心配せずともよく似合ってるわよ千夜」
「ありがとう……」
「……さーて時間も無い事だし、とっとと海入っちゃいましょう」
「いよいよなのぜ!」
俺達に背中を向けながら、いざ海へと向かう女子達……
「てか千夜……本当に肌白いわね」
「触ったら冷たそうなのぜ〜」
「日焼け止めはいいのか?」
「うん……もう塗ってきた……」
「なんだ……折角なら私が塗ってやろうと思ったのだがな」
「もうあんたが逮捕されなさいよ」
「……僕達のこれからの任務は決まったね大和」
「……なんですか武蔵さん?」
彼女達の後をついていく途中、武蔵さんは唐突に声をかけてきた。
「真緒ちゃん達を、周りにいる男の人達から守る事さ」
「これだけ人がいるんだ……真緒ちゃん達をナンパしようとする人達がいてもおかしくは無いだろう?」
「はぁ……」
「という訳で頑張ってボディーガードしようね大和」
武蔵さんの言う通り、確かに周りには褐色で金髪の……所謂経験豊富そうな方々が大勢といる。
そういう下心しか無さそうな者達に囲まれて、どこかに連れ去られた暁には、後はアダルトビデオ的展開が待っている事以外に予想がつかない。
「……了解です」
「ああ……僕達で真緒ちゃん達の楽しい海水浴をお守りするんだ!」
「あんた達何やってんのよー」
「置いていくぞ〜」
「あー待ってよー」
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……それから運命の入水の時。
「あー気持ちいいね〜」
「こうして足を浸かってるだけでも良い物だな」
皆は既に海に足を入れており、海水の中に微かに見える自分の足を見ながら、ぱしゃぱしゃと音を立てて、その場で足踏みをしていた。
「ちょっと、足だけ浸かるなら足湯でも出来るわよ」
「そうなのぜ! 折角浮き輪持ってきたんだから沖に行こうなのぜ〜!」
「そう急ぐな、すぐに日が暮れる訳でも無いしまだまだ時間はあるだろう……それよりもお前達、どうして海に入らない」
「大和も千夜ちゃんもおいで〜、気持ちがいいよ〜」
「はい……行きましょう長内さん」
真緒さんと武蔵さんの歳上組に導かれ、俺も長内さんと共に海水に足を踏み入れる。
「……」
「っ……」
海の冷たさを感じた刹那……浜辺に流れてくる波が大海原へと戻っていく共に、海が俺の足を巻き込んで、そのまま沖へと連れていこうとしているというふうに感じた。
そして何よりも透き通った海。
一昨日に比べて、浅瀬の波で舞い上がる足元の砂が鮮明に見える程に綺麗だ。
「気持ち、いい……」
「気持ちいいですね……」
「うん……」
夜の何も見えないこの前の海に入った時とは違い、長内さんも怯えずに海からの歓迎を楽しんでいる。
「では沖へ向かうとしよう、ひとまずあそこの浮島を目指してみるか」
「競走などでは無いから、皆足が届かなくなったら無理せずゆっくり泳ぐようにな」
「おお真緒ちゃん、何だか頼り甲斐があるね」
「一応警察だからな、何事も安全が第一優先だ」
「そう言って本当は私達と遊べなくて寂しかったんでしょ」
「ふんっ、私はあくまで休暇中であろうが仕事を全うしているだけだ」
「まおまお分かりやすいのぜ〜」
飯田さんと瀬名さんに揶揄われて、そっぽを向く真緒さんを筆頭に、それから水面は腰、腹、胸……とドンドン迫ってくる。
やがて沖へと進むに連れて遂に水深は肩を突破し、皆はぷかぷかと浮きながら、それぞれのスタイルで泳ぎ始めていた。
「もう足が届かないわ……」
「良かった……どうやらここにいる者達で泳げないのはひとみだけと断定して良さそうだな」
「意外ですね瀬名さん……結構アウトドア派の印象があったのですが」
「えへへ……因みに虫もニガテなのぜ」
「海だけじゃなくてプールも全然行ってなかったけど……結構体は泳ぎ方を覚えてるもんね」
「うぅ〜、皆泳ぐの早いのぜ〜」
「ひとみちゃん、押してあげるわ……」
「おっ、ちーちーありがとなのぜ!」
「ここら辺りなら人の邪魔にならないし、真緒ちゃん少し休憩していかないかい?」
「うむ、良いだろう。では各自休憩とする。 帰還出来るだけの体力をここで温存しておけよ」
「大袈裟ねぇ」
皆は足を水面へと出して、海というベッドに横になるように大の字で仰向けになり、俺もぷかぷかと浮き始める。
「……」
体の表面が日光で焼かれている中、夏を感じさせる入道雲と青空を眺めながら波に身を委ねて揺らされていると、徐々に瞼が重くなってくる。
このまま目を閉じて眠れば、起きた時にはどこか知らない大陸まで流されてしまっているのだろうか。
無人島にでも流れ着けば、今の借金返済生活から抜け出せるなという無駄な妄想を描いてみる。
「……平和ねぇ」
「……平和なのぜな〜」
「それにしても海が綺麗だ……春の時に皆で行った、お台場の物とは格が違うな」
「そうだね〜、都会で綺麗な物は夜景だけだから……」
「……潮干狩りとかは、出来そうなんですけどね」
皆も三六十度囲まれた自然に、都会で汚れた心を浄化するように、海の浮力を味方につけて委ねられていたみたいだった。
「お台場でも、伊豆でも……日本の海は、安心する……」
……雲に隠れていた太陽が身を出して、皆が眩しそうな顔をしている中、ふと長内さんは口を開いた。
「そりゃあんた、母国の海だからじゃない?」
「アメリカにいたちーちーにとっては、どんな場所でも日本の海なら貴重だったのぜな」
「結局一番安心するのは、自分が元いた場所です」
「うん、そう思う……」
「それに日本の海は安全だからね〜、外国の海にはこーんなでっかいサメがうようよいるんじゃないかな」
「ひぃぃむーちゃん怖いのぜーっ!!」
「こんな沖にいる時にサメの話をするのはどうかと思うぞ貴様」
「もしサメに足でも食べられたりしたら、あんたの足貰うから」
「あはは冗談だよ皆……凪奈子ちゃんも冗談だよね?」
「……」
「千夜ちゃん……?」
「じゃあ私は腕で……」
「!?」
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その後、俺達は目的地である五平方メートルぐらの広さである浮島へとやってきた。
浮島では既に数人の人達がおり、その場所で寝転がって休んでいたり、海に向かって飛び込んだりしている。
「ふぅ、何とか辿り着けたわね」
プラスチックで出来た浮島の固さを感じつつも、泳いだ時よりも体力を消費されながら浮島へと身を乗り上げる。
「よいしょっと」
「うーん、うーん……乗れないのぜよ〜!」
「手を貸そうひとみ」
「まおまおありがとなのぜ!」
「千夜ちゃんは上がれそうかい?」
「大丈夫……」
女子達は浮島に登ると、まず深さが全く予測できず、地面も全く見えない真っ青な海を見つめている……。
「深そうね」
「浮き輪無しで落ちたら、一巻の終わりなのぜ……」
「これだけ深ければ、下では魚が泳いでいそうだな」
「ゴーグルとか持ってくれば良かったかもしれませんね」
「ダイビングも、出来そう……」
「そうだね、折角だから飛び込んでいこうか!」
武蔵さんはそう言うと軽やかにその場から立ち上がり、後ずさって滑走路を確保した。
「途中で足とか滑って怪我すんじゃないわよ」
「むーちゃん怖くないのぜ?」
「大丈夫さ、試しに僕がまずお手本を見せてあげよう」
そして勢い良く前へと足を踏み出して、大海原に向かってロケットのように身を投げ出す武蔵さん。
「はぁっ!!」
「おお〜」
それから彼は海に着弾し、水しぶきを上げた後に水面に浮かんできた。
「ふむ、では私も続くとするか」
「ったいわね」
続いて真緒さんも、両隣にいた飯田さんと瀬名さんの肩を借りながら、その場から立ち上がり助走出来るだけのスペースを確保した。
「むんっ!!」
しかし彼女は浮島を蹴り上げて天高く飛び上がっただけではなく……その状態で前転までして海に飛び込むという演技を俺達に見せつけてきた。
「おお〜!」
長内さんと瀬名さんは手をぱちぱちとさせながら、真緒さんの演技を見て感心をしていた。
「全く目立ちたがり屋なんだからあんたは」
「真緒さん、凄いですね……」
「大和……」
「何ですか?」
「大和も行っておいで!」
「ちょっ……!?」
そして俺も、浮島に上がってきた武蔵さんに、腕を引っ張られて背中を押された事で、強制的に大海原に放り出された。
「あはは……!」
その様を見て、大笑いをしている女子達。
「武蔵さん、何をするんですか!?」
「いやぁごめんごめん! つい手が滑っちゃったよ」
「ふふっ……」
飯田さんや瀬名さんの前で情けない姿を見せてしまった事は恥ずかしかったが、長内さんの貴重な笑顔を見ていると、不思議とその羞恥心は和らいだ。
誰かが楽しんで笑顔を見せてさえいてくれれば、こうして馬鹿にされているのも悪くない。
そのような謎の芸人魂が体内に宿っている中。
今の俺も極道に入っている事や借金返済生活を送っている最中だという状況を忘れるぐらいに、長内さん達と共に海水浴を楽しんでいた。
「皆も早くおいで〜!」
その後、もう一度海に飛び込んだ武蔵と真緒さんは、俺と共に海中にてまだ飛び込んでいない三人がこちらに来るのを待機していた。
「えぇ……でもやっぱり怖いのぜな……」
「一度慣れてしまえば、後は楽しいぞ」
しかし瀬名さんは、武蔵さんや真緒さんの演技と俺の茶番を見ても尚、海に身を投げる事に対して拒絶反応を示していた。
「じゃあ皆で、手を繋ぎながら入りましょう……」
すると長内さんは、海をじっと見つめて怯えている瀬名さんにそのような提案を持ちかけた。
「それなら、多分怖くないのぜ!」
「浮き輪さえ付けてれば安心だと思うんだけど……仕方ないわね〜」
瀬名さんと手を繋いだ長内さんの提案に乗り、飯田さんも瀬名さんのもう片方の手を取る。
「じゃあ二人とも、準備はいい?」
「うん!」
「うん……」
「せーので飛び込むわよ」
それから飯田さんの合図で、彼女達は俺達のように派手には飛び込まず、飛び込むというよりは海に向かって落ちるようにして身を投げた。
「うわっ……」
「!?」
三人分ともなると、それに合わせて水しぶきも相当に激しくなる。
三人の着弾場所のすぐ近くにいた俺達は、その水しぶきをほぼゼロ距離で顔面に喰らってしまった。
「どうだい皆、気持ちだろ〜」
自転車の補助輪を外す時も、海に向かって飛び込む時も、真緒さんが言っていた通り最初の恐怖さえ乗り越えてしまえば、事中に感じた楽しさによって恐怖は消え去っていく。
「もう一回やるのぜ!」
瀬名さんはその最初の壁を乗り越える事に成功したのか、再び飛び込む為に浮島に足を乗せて、必死な様子で体を乗せようとしていた。
「ふふっ、すっかりと飛び込みの味を知ったようだねひとみちゃんは」
「うん! 楽しいのぜ!」
「飛び込むのはいいんだけどさ、水圧で水着がズレそうになんのよね」
「ならお前も仁藤と相楽のように、裸になって飛び込めば良かろう」
「もう私から通報しようかしら」
「あはは……」
「……」
それから真緒さんと飯田さんの会話を、男の俺達は便乗が出来ないまま受け流しつつも、暫く浮島に滞在して飛び込みを楽しんだのであった……。
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「なのぜ〜!」
「ふふっ、風が強いと波乗りも楽しいね」
「あんたも飽きないわねぇ」
「……ちょっと喉が渇いたので、水分補給をしに行ってきます」
「ああ、熱中症には気をつけろよ」
「海の中に入ってれば関係ないでしょうが」
「まぁ念の為というやつだ」
……そろそろ空がオレンジ色に染まってきた。
しかし少女達はまだまだ遊ぶ気らしく、浜辺で海水浴をする皆に引き続き参戦していく為に、一旦レジャーシートが敷いてある俺達の拠点へと戻る。
日がもうすぐ沈むとは言えど、決して冷えない砂の上を歩いていく……
拠点に戻る頃には、身に付着している海水が全て汗へと変わってしまいそうだ。
「……?」
海の方を向き、腰を降ろすと……長内さんも海水をポタポタと滴らせながらこちらに向かってきている。
「長内さんも水分補給をしに来たのですか?」
「ううん……私は休憩……」
「大丈夫ですか?」
「うん……少し寒いだけ……私のタオル、どこ……」
「ああ、これではないですか?」
「ありがとう……お隣、座ってもいい……?」
「どうぞ」
「ありがとう……」
そうして長内さんはタオルを羽織ると、俺の隣で体育座りをして、浜辺にいる真緒さん達を眺めた。
特に瀬名さんは波乗りに失敗して浮き輪から転覆しつつも、皆に笑われながら、恥ずかしさを誤魔化すようにこちらに大きく手を振っていた。
……長内さんも口元を緩ませながら、瀬名さんにそっと手を振り返す。
「皆……楽しそう……」
「そうですね……新宿ではこんな事出来ませんから……」
「仁藤くんは、楽しい……?」
「勿論……新宿に帰る日が、来て欲しくないぐらいです」
「今を……楽しむのよ……」
「はい……長内さんの方は楽しんでいますか?」
「うん……だからこそ、このまま海水浴が終わっちゃうのは寂しい……」
濡れている髪をしゅんとさせながら、下を俯く長内さん。
働いていた頃の過労を忘れてしまう程に、楽しんでいるのは事実だという事だろう。
「それはあちらにいる皆さんも、同じ事を思っていますよ……それこそ長内さんが仰った通り、今を楽しみましょう」
「……それに休日は、明日もあります」
「うん……」
本当は働きたくない……だが毎日が日曜日の状態だと体が鈍り、社会から離れる事で人はダメになってしまう。
仕事があるからこそ、休日が楽しめる。
休日を楽しむ為に、人々は平日に働いて刺激を受けてくる。
……しかし長内さんの場合は、勤めている店の主人から止められる程の働きすぎで、仕事はしなくてもいいからとにかく休めと言われている特殊なケースだ。
「このお休みが終わったら、またお仕事頑張らなきゃ……」
「……」
しかし本人はこの通り休む気は無く、もう明後日からの仕事の事を考え始めている。
働くのを止める……というのはやりすぎでも、倒れそうになったら支えるぐらいの資格が、俺にはあるのだろうか。
俺は長内さんの友達だ……あの話を俺に打ち明けて来たからこそ、お節介にならない程度には彼女を助けてあげたい。
「……無理だけは、なさらないでくださいね」
「無理は、してないわ……」
「……しかし」
「……?」
「……昨日の夜、俺に休まずに働きたいというお話をしてきたのは、本当は辛いと思っているからではないですか?」
「……」
「その事を誰かに話して……楽になりたかったからでは無いですか?」
「それは……分からないわ……」
こちらを見て俺の話を聞くも、再度目を伏せて困った表情をする長内さん。
何を強い口調で言っているのか……長内さんの本当の気持ちが分からない、確証も無い癖に何を決めつけているのか。
「すみません……偉そうな事を言ってしまって……」
「ううん、仁藤くん……心配してくれてたの……?」
「……そうです」
「ありがとう……」
口角を少しだけ上げて、ふふっと笑った長内さん。
その笑顔を壊したくない為にも、彼女を支えたいという気持ちが更に強くなるのであった……。
「あー楽しかったのぜ〜」
「二人とも、何の話してたの?」
「あっいえ、別に……」
「皆、どうしたの……?」
「そろそろ帰るのだ。 お前達、今日はもう海に入らなくて大丈夫か?」
「はい」
「大丈夫……」
「そうか、なら二人とも帰る支度をしてくれ」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「ひぃ〜、まおまお強いのぜ〜」
「ふははっ、どうした? お前達三人で纏めてかかってきても良いのだぞ?」
「あいつ完全に調子乗ってるわね」
「でも、強い……」
「ははは……じゃあ次は僕がお相手するね」
「頼むのぜむーちゃん! あたいらの仇を取ってくれなのぜなーっ!」
……その後、俺達は旅館に帰って温泉に入った後、卓球を楽しんだ。
今日は一日中体を動かしていた事もあるからだろう……
「すー……すー……」
「えへへ……もう食べられないのぜ……」
その日、皆は昨日よりも安らかな顔をして、眠りについていた気がした。
「……」
しかし、俺だけは今日の疲労に負ける事無く、まだ布団の中で起きていた。
……恐らく今しか実行する事の出来ない事を試してみる為に。
皆を起こさないようにそっと布団から抜け出して、外へと出る……
「……ふぅ」
そうしてやってきたのは大浴場。
そう……俺が実行したいのは誰も温泉を使っていない状態の中、一人だけで入浴をしてしまおうという事だ。
脱衣場、入浴場に誰もいない事を確認して、服を脱いで入浴場へと向かう。
「……」
正真正銘、誰も入浴していない入浴場。
今聞こえている音は、蛇口から出る湯が湯船に並々と注がれている音だけである。
「あぁ……」
そのような空間の中、これ程まで広いのに全て一人で利用をしてもいいという贅沢感。
湯船に浸かる過程で、気が抜けた声が漏れても、誰の耳にも入らないという事だ。
「……」
皆で仕事をしていくのは楽しい、皆で同じ部屋に泊まるのも楽しいが……それでも独りになりたい時間はある。
それが許されるのはトイレに入っている時か、こうして誰もいない時間に風呂に入っている時ぐらいであろう。
……そう思いながら足を組んで、楽な姿勢で考え事をしようとしたその時。
「……!」
脱衣場の扉が開いた。
……武蔵さんだろうか。
やはり独りになりたくても、彼の監視の目からは逃れられないという事か。
彼と目が合った瞬間に、咄嗟にこういう事をしようと思った言い訳を考える。
「……えっ」
……しかし、そこにいたのは武蔵さんでは無かった。
タオルを胸の上まで巻いてある、柔らかそうな身体。
肩まで伸びた、ふわふわとした濃い緑色の髪。
「……長内さん」
「仁藤、くん……?」
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