第二十七話『抜けない剣』
……翌日。
早朝……窓から差し込む朝日と郵便配達のバイクの音によって、俺は夢を見る事が出来ないくらいに深い眠りから現実の世界へと戻ってきていた。
長い睡眠の後による頭がスッキリとした感覚と共に、今日から旅館での仕事が始まるという絶望感と倦怠感がじわじわと俺の身体を蝕んでいく。
面倒臭い。
働きたくない。
もう少しだけ……寝ていたい。
「すー……すー……」
……隣を見ると、武蔵さんがこちらに寝返りをうっている状態で、寝顔をこちらに見せながらスヤスヤと寝ていた。
女子達の方からも気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる……皆未だに夢の世界にいるようであった。
「……」
まだ誰も起きていないし、俺ももう少し寝ていても大丈夫だろう。
旅館の仕事が始まるようであれば、どうせ俺よりも先に起きた誰かが、俺の事を起こしてくれる。
そう思いながら俺は目を閉じ、これからやって来る運命から逃れるように、再び無意識の世界へと旅立とうとした。
……が。
「ふふっ……おはよう大和、今二度寝しようとしたでしょ?」
「……いえ」
……いつの間にか目を覚ましていた武蔵さんに、一度目を開けて見られていた事に気が付かれていたのか、二度寝の追求をされつつもそれを阻止されてしまった。
バレてしまったのなら、これ以上毛布にくるまっていても仕方が無い。
元より事務所にて兄貴達の朝飯を作っていたので早起きには慣れている……面倒臭いという気持ちさえ取り払えば、軽やかに身体を起こす事が出来た。
……それに今回は飯田さん達とも一緒に働けるのだ、それだけ恵まれた環境の中で面倒臭いと思ってしまうのは、彼女達に迷惑がかかる事になる。
「んぅー……おはよう仁藤くん、絶好の仕事日和ね今日は」
「はい、おはようございます……」
身体を起こすと、既に俺よりも先に起きていた飯田さんが目を擦りながら、睡眠を妨げる外からの光を睨みつけていた。
「……あと相楽くんもおはよう」
「うん、おはよう凪奈子ちゃん」
「……にしてもこの二人はよく寝てるわね。 ほら起きなさい、仕事始まるわよ」
「んぅ……もう朝なのぜ〜?」
「ん……」
それから飯田さんに体を揺すられて、彼女の両隣で寝ていた瀬名さんと長内さんも目を覚ました。
「うぅ……実は昨日緊張して、全然寝付けなかったのぜな……」
「ちょっとよだれよだれ」
「あはは……」
いつもは元気な瀬名さんだが、眠気に翻弄されて俺達に弱々しい姿を晒している彼女とは一方……
「私は、よく眠れた……」
長内さんの方は相変わらず眠そうな顔をしていたが、その言葉を証明するかの如く、俺達の誰よりも早く一番に起立していた。
「朝に強い人はこの仕事で有利そうだよね。 僕は基本朝早くからは起きない人だから……朝は苦手だよ」
「あたいもむーちゃんと一緒なのぜ……」
「働いて体も動かしてれば目も覚めてくるわよ。 さぁとっとと入口に行きましょ」
朝嫌いの武蔵さんに瀬名さんが同情している中、飯田さんは彼女に寄りかかられながらも立ち上がる。
「服は確か……あった、これに着替えるんだったね」
「はい」
「えっと……さむいだったのぜ?」
「これで作務衣って読むのよ」
「え……?」
昨夜、俺達はブルヘッドさんと女将さんと別れる前に、それぞれにこの旅館での制服として作務衣を配布されていた。
「着物じゃなくて良かったね。 これだけならすぐに着られそうだ」
「それに動きやすそうですね」
作務衣は和装ながら着物とは違い、帯を使用する事も無く、長さを調節しながら紐を結ぶだけで装着が完了だ。
下の方は半ズボンなので、女子達の前でパンツを晒す事無く、そのまま上から履いてしまえば
構わないだろう。
……しかし女子達の場合はどのように着替えるのか。
彼女達は俺達がぱっぱと着替えていく様子を、どこか羨ましそうに見ていた。
「着替え終わってんなら、二人共先に行ってていいわよ」
「え? 大丈夫だよ待ってるから」
「あんた達とは違って女の方は着替えるのに時間がかかるの! 布団畳んだらとっとと出て行って頂戴!」
「えっちなのぜーっ!!」
「あぁはいはい!!」
そうして俺達は、飯田さん達により一時的に女子更衣室として乗っ取られて、部屋から追い出されてしまった。
「……毛布だけ、しまい忘れてしまいました」
「あはは……僕達の方が着替え終わるのが早いし、どうしてもこうなっちゃうよね……女の子達を安心させる為にも、早く部屋から離れよっか」
「そうですね」
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「……おはようございます」
「はい、おはよう。 あれ、女の子達はどうしたんだい?」
「もう暫くしたら来ると思いますよ」
それから俺達は、集合場所の玄関へと移動。
そこには既に俺達よりも、もっと早く起きていそうな女将さんがいた。
「いやぁ〜お待たせしました」
「まだ四時になってないのぜな!?」
「ひとみちゃん、紐結び忘れてる……」
「あっ、ごめんなのぜ」
そして女将さんと会話をする間も無く、すぐに女子達も玄関へとやってきた。
「うん皆よく似合ってるね、これであんた達も今日から立派なうしざわの従業員だよ」
「この服動きやすくて好きなのぜ!」
「色が男女で別れてるのがいいよね」
「それで……最初のお仕事は……」
「まずは朝飯だよ、飯を食わなきゃ力も出なくて仕事も出来ないからねぇ」
そうして女将さんに連れられて向かった先は、従業員専用らしき食堂……
着席して待機していると、五人分の秋刀魚や味噌汁や漬物といった和食の朝ご飯が運ばれてきた。
「あの、お金は……」
「ん? 剛から聞いてなかったかい? ここで働いてる最中の飯は三食無料だよ」
「おお……頂きます」
「ひとみここで働けば?」
「えへへ、ご飯は嬉しいけど皆に会えなくなっちゃうのは嫌だからやめとくのぜ……」
皆で起床して、皆で朝ご飯を食べるという、皆で朝のイベントを過ごす新鮮な時間……
この時だけは旅行に来たような気分になれるのだが、俺達の本来の目的はあくまで仕事をしに来た事だ。
「「「ご馳走様でした〜」」」
「ふぅ……久しぶりにちゃんとした朝ご飯を食べた気がするのぜな」
「いつもは、何を食べているの……?」
「無料で食べれる食パンとフライドポテト大盛りなのぜ!」
「あんたねぇ、そんな超食生活続けてると栄養失調でその内倒れるわよ」
「えっ、そうなのぜ……?」
そうして朝食が食べ終わり、女子達の会話を聞きつつも、それぞれが旅行気分から仕事モードへと切り替えていく。
「それじゃあ早速、仕事に入るよ」
「ああ〜、いやいよ始まっちゃうのぜな〜」
「それで、最初は何をするんですか?」
「そんなに構える事は無いさ、あんた達も初めて旅館で働くんだろうし、そんな専門的な仕事はさせないさ」
瀬名さんを始めとした緊張気味の俺達を笑顔で安心させながら、それから女将さんは俺達を連れて先程の廊下へと戻ってきた。
「……あんた達に主にやって貰うのは掃除の仕事だよ。まずは軽く廊下の掃除でもやってもらおうかね」
「……えっ」
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……その後。
「はぁ、はぁ……皆待ってなのぜな〜!」
部屋の数が多ければ、その部屋同士を繋ぐ為にあるとにかく長い廊下。
その場所にて、現在俺達は端から端までの雑巾がけをしている最中だ。
「ひとみ〜、早く来なさいよ〜」
「大丈夫ですか……?」
「ふふっ、こうして皆で雑巾がけをしていると、小学校での掃除の時間を思い出すね」
「ふぅ、ふぅ……」
瀬名さんは俺達のはるか後ろにて、両肘をつきながら肩で息をして休憩している。
日頃は仕事ばかりしている瀬名さんでも、慣れない体制で仕事をし続けるのが限界という事か。
これが新宿であれば、態々体力や腰を使う雑巾がけをしなくても、掃除の仕事はモップやダスタークロスといった道具を使用出来るのだが……そのような便利な物は配布されなかった。
すぐに道具に頼らず、自分の体だけで仕事をしていけという事か。
そんな日頃から何気無く使っている道具のありがたさを、思い知っていそうな者が瀬名さんの他にもう一人……
「……そういえば千夜は?」
「あれ、さっきまではいた筈なんだけどな」
「……もしかしてあの方がそうなのでは」
「……え?」
トロトロとこちらに近付いてきている、瀬名さんを抜かした更に後ろ……
「ふー……ふー……」
そこでは今まで瀬名さんに隠れてて気が付かなかったが……俺達よりも一番後ろにて、長内さんが辛そうに膝を引き摺りながら、ゆっくりとゆっくりと前に進んでいた。
「ああ……まだあんな所にいたんだね」
「ちよーっ!! 大丈夫ーっ!?」
「……」
……飯田さんからの呼びかけに頷く程には、元気があるようだ。
長内さんは俺達に向かって、気にしないでと言っているように手を振っていた。
「……本当に大丈夫でしょうか」
「まぁ別にレースしてる訳じゃないんだし、それぞれのペースでやればいいと思うわ。 私は何だか突っ走れそうだから、お先に失礼するわね」
「あっ、僕もお供するよ」
「……行ってらっしゃいませ」
そうして飯田さんと武蔵さんは先に廊下端へと走って行き、俺達を先導していく形で雑巾がけを再開させた。
「っ……うおおおっ! あたいも負けないのぜええええっ!!」
「瀬名さん!?」
……レースでないとはいえ、その二人に追いて行かれる光景を見て、悔しさから瀬名さんは戦意を取り戻したのだろうか。
彼女はアクセルを踏むと、そのまま俺を追い抜いて先頭組との距離を近付かせて行ったのだった。
……追い抜かれるのは確かに悔しい、しかしそれでも、疲れていれば身体の言う事は聞かない。
「ふぅ、ふぅ……やっと追いついた……」
そして俺と同じく、戦意が疲労に弄ばされていそうな長内さんが、漸く俺に追い付く事が出来た。
相変わらず燃費が悪いのか、長内さんは滝のように汗をかいており、顔からポタポタと床に零れてしまっている。
「……大分お疲れのようですね」
「うん……こんな大きな建物を、お掃除するのは初めてだから……結構、大変……」
「俺も大変ですが、無理せず行きましょう」
「お先っ!」
すると折り返して、既にスタート地点へと戻ろうとしていた飯田さんと武蔵さん達とすれ違う。
……そんな彼女達を、長内さんは儚げな表情をしながら見送っていた。
「仁藤くん、先に行って……私は遅いから、迷惑がかかってしまうわ……」
「大丈夫です……俺も実はゆっくり行きたくて、宜しければご一緒しませんか……?」
「仁藤くん……ありがとう……」
そうして飯田さん達がデッドヒートを繰り広げている中、俺は長内さんと共に安全運転で廊下を拭き進めるのであった。
……飯田さん達に便乗をして仕事に励むのはいいが、長内さんを置いてけぼりにする事だけは絶対にしたくない。
口よりも手を動かせとは良く言うが、最低限に手は動かして仕事もこなしている……それならば、疲れた時はペースを少しぐらい落としても
構わない筈だ。
「私……体力を使うお仕事は、向いていないかも……」
「日頃から運動をしていないと、確かにキツそうですよね」
「でも仁藤くん……あんまり疲れてなさそう……」
「俺は日頃から、体力を使うお仕事は慣れているというか……」
「?……」
「……とにかく、自分の得意な事で仕事が出来たら、それが一番ですよね」
「そうしたら私は、料理が出来る……」
「良いですね。 長内さんが作る和食、食べてみたいです」
「うん……」
こちらも相も変わらず真顔だが、汗はひいても頬は染まったままで、どこか自信に満ち溢れているような面構えになった長内さん。
どうやら彼女を元気づける、言葉をかける事に成功したようだ。
「ひーっ、ひーっ……」
……しかし目の前ではガソリンを使い切った様子の瀬名さんが、這いつくばりながら息を上げていた。
「瀬名さん……飯田さん達の後を追ったのでは無かったのですか?」
「はぁ、はぁ……あたい短期決戦タイプだから……体力はすぐ無くなっちゃうのぜ……」
「じゃあ、私達と一緒に行きましょ……」
「えへへ……そうするのぜ……」
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「ふぅ……終わりましたね」
「ふふっ、皆お疲れ様だね〜」
「こんなに運動みたいな仕事をしたのは初めてだわ」
「……うん、綺麗になったじゃないか」
……その後雑巾がけは終了し、現在俺達はガラスのように反射している磨き終わった全フロアの廊下を、女将さんに確認させていた。
「よしいいだろう。皆お疲れ様〜」
「わーい! 終わりなのぜーっ!」
「おっと勘違いするんじゃないよ。掃除の仕事はまだ終わってないさ」
「えっ?」
「うん、でしょうねぇ」
床掃除の終了許可が降りて喜ぶも、女将さんの言葉で真顔に戻る瀬名さんとは一方、休憩していた飯田さんは気を引き締めるようにその場から立ち上がった。
「廊下は確かに終わったが、まだお客様をお迎えする為の部屋の掃除も終わってないんだ、仕事はまだまだこれからだよ!」
「えっ……この部屋全部あたいらだけで掃除するのぜか……?」
「何言ってんだい、あんた達以外にもここで働いてる従業員達は沢山いるんだよ? 部屋はその子達が掃除してるから大丈夫だ」
「あっ、良かったのぜな……」
「この部屋を僕達だけで掃除するのは、流石に死んじゃうよねあはは……」
「どんだけブラックなのよ」
「そしたらあんた達に次にやってもらうのはお風呂掃除だよ」
そうして途中で仲居さん達とすれ違いながらも風呂場に連れてこられ、今度こそはモップなどの道具を貸して貰えて、俺達はその場での掃除を開始した。
「今見ても広いお風呂なのぜ……」
「ほんと、せかせかやんないと一生掃除終わんないわよ」
「んふ〜、服は着ているけど女の子と一緒にお風呂の中にいるなんて、これって実質混浴だと思わないかい大和〜?」
「ああ、はい……」
「ちょっとそこ! 真面目にやんなさいよ!」
先程とは違い、体力を極端に消費しなくても出来る風呂場での掃除……
体力的に余裕があるという事で武蔵さんは冗談を炸裂させて、皆で会話をしながらでも出来る程に楽だ。
「あーん、ここの汚れが落ちないのぜ〜」
「ここはこうすれば、落ちる……」
「あらあんた手馴れてるわね」
「ありがとう……」
長内さんも皆とコミュニケーションをしながら、上手く仕事をこなせているようだ。
「にしても仲居さん綺麗だったのぜな〜」
「あんな人達、旅館モノのドラマでしか見た事無かったから新鮮ね」
「ゴールデン街のママさんとか、結構似たような格好をしてる人達が多いよね」
「確かにスナックとかのママは、和服着てるイメージがあるわね……てかなんで相楽くんがそんな事知ってんのよ」
「いやぁ、何となくのイメージで言ってみただけだよ! あはは……」
……そんな会話をしながら男風呂の掃除が終わり、続いて俺達は女風呂の方に入ろうとしていた。
暖簾の赤色の意味が、女性としての色ではなく警告色とアピールしているかのように、男性を一切寄せ付けないオーラを放っているように感じる……
「……」
「あれーどうしたのぜ二人とも?」
「そんなとこで立ち止まってないで早く入ってきなさいよ」
「いやぁいくら誰も入っていないとは言え、簡単に女の子達のお風呂に入っていいのかなーって思って」
「……むっ、私も気にしないようにしてたのに何で言っちゃうのよ……仕事なら別に入ってもいいんじゃない? ほらとっとと行くわよ!」
「なーな待ってなのぜ〜!」
「私達女の子がいいと思うなら、入ってもいいと思う……」
「……行きましょう、武蔵さん」
「う、うん……そうだね!」
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……その後。
「よしお疲れ様。 皆よく頑張ったねぇ、これで掃除は終わりだよ」
「いやぁ〜お疲れ様でした」
風呂掃除も終わり、俺達は再び仕上がりを女将さんに見せて、掃除終了の許可を貰っていた。
「あの、それで次のお仕事は……」
「そしたら一旦休憩だよ、次のお仕事は夕方のお客様への食事の配膳さ」
「十七時になったら食堂に集合して頂戴、私は別の仕事があるから失礼するよ」
「「ありがとうございました!」」
それから女将さんは大浴場前で俺達を取り残し、廊下を抜けて別の場所へと向かった。
朝早く起きてから仕事をした影響で、長い間作業をしていた気がするのに、時刻はまだ昼過ぎと日没までのタイムリミットはまだまだ先だ。
「休憩か……今からだとすごい時間が余るね」
「八時間働いた時の一時間休憩とは、規模が違いますね」
「ご飯でも、食べる……?」
「いやぁそれが、朝ごはんが多かったからあんまりお腹空いてないのぜな……」
「あっ、いらっしゃいませ〜!」
皆で休憩時間の間何をしようか話していると……お客さんとすれ違った瞬間、疲れていそうな顔をしていた飯田さんは笑顔に表情を変えて、その人達に元気良く挨拶をしていた。
旅館の仕事とは接客業が第一、俺達も飯田さんに便乗してその客達に挨拶をした。
「凄いのぜなーな……別人みたいだったのぜ」
「少しキャバ嬢の時のナナコさんも入っていましたよね」
「でも少しオーバー過ぎやしなかったかい?」
「いやぁ職業病というか、ついいつもの癖でというか……」
不意に出たナナコの片鱗に、頭を撫でながら恥じている飯田さんの元に……続いて別の客も訪れようとしていた。
「いらっしゃいませ〜!」
「……ふむ、こんな所にいたのかお前達」
「おお、真緒ちゃん!」
「……なんだあんたか」
「なんだとはなんだ、それが客に対しての態度か貴様」
「まおまおの浴衣、可愛いのぜな〜」
「ああ、ありがとう……やはり場所に見合った装いでいた方がいいと思ってな」
そうして俺達の前に現れた真緒さん。
浴衣姿でいる事から、彼女は東京での仕事も忘れて休暇を満喫しているように見えたが……
「あんた今まで何やってたのよ」
「只管温泉に入ったり、伊豆の街を探訪したりしていたが……やはり独りでいてもつまらん、お前達の仕事はいつ終わるのだ」
「丁度今は休憩時間を貰った所よ、なら一緒にお昼ご飯でも食べる?」
「いいだろう」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「やっぱり海に因んだご飯とか食べたいわよね」
「お寿司とか美味しそうなのぜな!」
「いいな、お前達だけ飯は無料なのか……」
「と言っても千円以上の物までは食べれないんだけどね」
その後、今度は真緒さんを引き連れて再度食堂にやってきた俺達。
改めて見るメニューは和食ばかり、その大半の主食は魚……肉料理があまり無い事から、どれを食べてもタンパク質やカルシウムといった栄養が豊富に取れそうだ。
「お待たせしました〜、海鮮丼六つになりま〜す」
「ありがとうございます」
「それでどうだ、仕事の調子は」
「何とか順調だけど、まだ掃除の仕事しかないけど凄い体力使うのよね」
「でも仕事終わりの温泉は、気持ちよく入れそうなのぜ!」
「昨日は少ししか入れなかったしね〜、今日は二時間ぐらいかけて入ろうよ」
「そんなに入ってたら、ふやけちゃう……」
朝飯の量は多かったが、酢飯の匂いで食欲がそそられるので食べようと思えば食べれる。
並盛ぐらいの量があったそれぞれの海鮮丼も、会話が進んでいく中で一口一口と確実に減って行った。
「休憩が終わったら何をするんだ?」
「夕食の配膳をするって言ってたわ」
「配膳……という事は、飯自体を作ったりはしないのか」
「……」
真緒さんの推測を聞いて、がっかりするかのように長内さんの表情が曇る。
「ちーちーどうしたのぜ?」
「私、ご飯作りたかった……」
「あ〜、でも厨房には人が沢山いそうだし、私達が手伝える事は何も無さそうよね」
「うん……」
「千夜は料理が得意だろうしな、それを仕事に活かしたいというのも当然の事だろう」
「うん……」
人は誰しも、将来は宇宙飛行士やアイドルになりたいといった大きな夢を子供の頃に持つだろう。
しかし成長し、社会という現実に鍛えられる事によって、人は思った通りの自分には、そう簡単にはなれないという社会の不条理さを知る事となる。
……自分の得意な事を、仕事に繋げる事が出来ない。
「……」
今の長内さんは、正にその気持ちを噛み締めているようであった。
「でも一応、食堂で働けますかって聞いてみるだけでもいいんじゃないかな」
「うん……」
「でもこういう所のコックさんって、最早板前レベルになっちゃうんじゃないかしら」
「あたいは、掃除だけでの仕事で充分なのぜ……」
「……」
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