第四話『桃毛の野良犬』
……四日目のシノギを終わらせた夜。
「……ふぅ」
漸く今日も長い長い、体は常に動きっぱなしのコンビニのシノギが終わった。
しかし、流石に一日に長い時間で働き続けてきた甲斐もあって、沢山ある業務内容も徐々に身についてきた。
ヤクザらしい物ではないがシノギを始めてから、今は一月であるが世間で言う五月病というものにはならなそうだ。
……だが何度も思っているように、コンビニの稼ぎ程度で借金を返し続けていては何年もかかるのは事実。
常に高い地位に出世して、高い給料を稼いで、皇組の中でどんどんと上にのし上がっていかなくては……。
……それら二つのクライミングに足をかけて、借金返済という壁を乗り越えていくのには、まだまだ時間がかかりそうだ。
とりあえず今日は、門限に事務所に帰るまでは自由だ。
……偶にはゴールデン街の方にでも行ってみるか?
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……その場所へと歩けば歩く程、俺の周囲を歩いていた人間達の数が少なくなっていき、それと同時に周囲の建物の景色も変わっていく。
新宿ゴールデン街……。
人が沢山いた歌舞伎町一番街やセントラルロードから離れて、一人か二人の少人数で酒を飲みに来る客で賑わう、その街の入口に俺はやって来ていた。
ゴールデン街は歌舞伎町一番街周辺のような、夜になると人々を誘い込むネオンで昼間のようにギラギラと明るくなる場所では無い。
レトロな雰囲気で店の看板も眩し過ぎず、あちらと比べると落ち着いた街並みである。
「……」
どこかの店で一人のんびりと寛ぎたかった俺は、未成年で居酒屋とかは入れない癖に、安堵出来る場所を求めて街の中へと吸い込まれていった……。
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スナック『ベルサイユ』
スナック『アマゾネス』
道を歩いている途中にそんな看板が次々と俺の目に映ってくる。
ゴールデン街は店名で店の中がどういう雰囲気なのかを容易に想像出来る店と、逆に店名からして中はどういう雰囲気なのかが全く想像もつかない店で別れている。
周囲を歩いている者達は、仕事終わりのサラリーマンの他にも、大体六十は越えていそうなジジイ達も、目当ての店に着いてはその中に入って行く。
ジジイ達は俺が生まれるずっと前から、このゴールデン街に来ていたのだろうか。
平成がもうすぐ終わる今では無く、あの爺達が生まれた戦後間もない頃に俺も生まれていれば一体どういう人生になっていたのだろうか。
「お兄さん!」
「……はい?」
その思考は俺の右から聞こえてくる、俺を呼んだ一人の若い女の声によってかき消された。
「お兄さん! お兄さん!」
……風俗のキャッチだろうか。
俺は日々斬江に金を返す事しか考えておらず、日常生活で性的興奮をする余裕すら与えられていないので、それを発散する必要が無かった。
……むしろ溜まっていても溜まっていなくても、不定期で斬江に夜の相手をされている程だ。
俺はその女と目を合わさないように正反対の方向を見ながら、無視をして立ち去ろうとした。
「待ってなのぜよ〜!」
「……は?」
キャッチの仕方にも段階があるのだろう。
しつこく声をかけても反応をせずに立ち去ろうとした場合は、後をつけて並走を続けながら客引きをしろという感じに。
だがその女は俺がその場を立ち去る暇すら与えず、俺の裾を引っ張り逃げれないようにしていた。
一応は極道である俺に対して、その行動はいい度胸である。
……しかし対女の場合は、こちらから一切の物理的な手出しが出来ない。
俺は自慢の目つきの悪さで、女の方へと振り返り、今から殺してやると言わんばかりの目で睨みつけた。
……だがそこに立っていたのは風俗嬢では無かった。
「わっ、わっ! 悪い事したなら謝るのぜーっ!」
俺に睨みつけられた女は裾から手を離して、謝りながら二歩後ろに下がった。
その女は全体的に薄汚いボロボロの格好をしていた。
寒さ対策の為か、パーカーの上からパーカーを着ていて、その上からは黒いロングコートを羽織っており、下は汚れで黒ずんだフリルのついたミニスカートを履いている。
髪型は桃髪のツインテールで、頭につけた薄ピンク色のニット帽が特徴的だった。
……そして何よりも、見た目が若すぎる。
その女は今まで俺が出会って来た、真緒や凪奈子や千夜よりも若く見えた。
もしかしたら高校生ぐらいの年齢ではないのだろうか。
だがその女、その若い見た目に反してどう見てもホームレスである。
何日も風呂に入っていない状態で何日も洗濯をしていない服を着ていたのであろう。とても同年代の女が発してはいけない臭いがする。
とにかくホームレスであるならば客引きでは無いとしても、どうして俺のような者に声をかけたのだろうか。
「……物乞いなら、貴方に差し上げられるような物は何も持っていませんよ」
「ちっ、違うのぜ!」
「……なら何の用ですか」
女は俺の予想を裏切ると、シャッターが閉められており、テナント募集の広告が貼られてある店の方を指差した。
その場所の地面にはブルーシートが敷かれており、その上からは大きく『くつみがき』と書かれたダンボール製の看板が立て掛けられていた。
「靴磨き、して行かないのぜ!?」
女はにっこりと八重歯を見せて笑うと、そう言って再び俺の裾を掴んだ。
「……」
ここで彼女みたいな者と会ったのも、何かの縁というやつか?
話し相手としてなら、充分に時間を潰させてくれそうだ。
「……分かりました」
「ほんと!? やったのぜー!」
女は万歳をして分かりやすいリアクションを取るとブルーシートに行き、俺が座る為の椅子なのかビールケースを用意した。
女はシャッターに寄りかかって正座すると、こっちを見て俺が来るのを楽しそうに待っていた。
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「いやぁ嬉しいのぜ〜、お兄さん初めてのお客さんなのぜなっ!」
この女はなのぜが口癖なのだろうか。
女はどこから手に入れて来たのかも分からないブラシで俺の靴の土や埃を落としている。
「……貴方、やはりホームレスの方ですか?」
「うんっ!前までは歌舞伎町の方の漫喫の方に住んでたんだけど……今はお金が溜まるまでここに住んでるのぜ!」
女はホームレスだという事を恥じておらず、むしろ自身満々な口調で返事をしてきた。
「……ホームレスの方も、お仕事をなさるのですね」
「そりゃあお金が無いと生きていけないのぜよ〜」
俺はその女の経営する初めての靴磨き屋の客らしいが、今までどれくらいの時間を掛けて色々な人に声を掛けてきたのだろうか。
「……どうして俺に声を掛けたのですか?」
「んー?」
「俺の他にも、周りにサラリーマンの方々が歩いていました……なのにどうして、ピンポイントで俺みたいな奴に声を掛けてきたのですか?」
「たまたまなのぜっ! お兄さんがあたいの近くを通ったから声を掛けたのぜよ!」
「……というかお金を稼ぐのに、一々人なんか選んでられないのぜよ」
「……そうですね」
最もな事を言われて俺は納得した。
女は俺の靴の埃と土を落とし終えると、今度は濡れた雑巾で靴に付着している目立つ汚れを落とし始めた。
「俺以外の方にも、声は掛けたのですか?」
「そりゃそうなのぜ、三時間前からずーっと声を掛けてきたのぜ」
「でも誰も寄ってってくれなかったのぜ……」
答えは明白である。
「……失礼ですが、貴方の服って汚いですし、変な臭いがするからだと思います」
「そんな事あたいだって分かってるのぜ!」
「……でも、もう洗濯するお金もお風呂に入るお金も無いのぜ」
「そうですか……」
「とにかく、あたいの話は終わりなのぜ!」
どうしてお前みたいな若い女がホームレスになったのか。
その経緯を聞きたかった所だが、今度は女が俺の方に質問をするターンになった。
「お兄さん、ここら辺りでは見かけない顔なのぜな? ゴールデン街に来るのは初めてなのぜ?」
「いえ、偶に何回か来ていますが……普段は一番街の方でお仕事をしているんです」
「そうだったのぜな〜」
「お兄さんいくつなのぜ?」
「十八です」
「その若さでヤクザっていうのも……なんだか大変そうなのぜなぁ」
「……因みに貴方の方は?」
「あたい? 十七なのぜよ」
「貴方こそ、その若さでホームレスは大変でしょう……」
「あはは……あたいら普通じゃないのぜな」
「まぁ互いに事情ってものがあるのでしょう」
お互い事情があって今のような生活をしている。
このような会話をこの間誰かとした覚えがある。
俺はそのホームレスの女を、昨日一昨日と出会った、キャバ嬢の飯田さんと対面させてみたくなった。
「あたい、瀬名ひとみって言うのぜ!」
俺の方から自己紹介をしようと思ったが、最後の仕上げにワックスのような液体を塗りながら、瀬名さんは自分の名を名乗ってきた。
「……仁藤大和と言います」
「大和って言うのぜな! やまちゃんって呼んでもいいのぜ!?」
初対面からまだ一時間も経っていないのに急激に距離を詰めてくる瀬名さん。
「……却下です」
「えぇーっ! あたいの事はトミーって呼んでもいいからさ!」
「別に呼びません。 てかなんでトミーなんですか?」
「この街に住んでるあたいと同じホームレスのおじさん達から、そう呼ばれてるのぜ」
トミーは靴磨きの道具を片付けながら立ち上がった。
俺の革靴は汚れも何も付いていない新品同様の物へと生まれ変わっていた。
「しゃあっ!終わったのぜ!」
「ありがとうございます……おいくらですか?」
「二千円なのぜ!」
俺は二千円を財布から取り出し、瀬名さんの汚れた手の上に手渡す。
……その時である。
「どうぞ」
「わーい!ありがとな、のぜ…」
突如俺から二千円を受け取った瀬名さんは、力が抜けるようにその場に倒れた。
「……えっ」
周囲を歩いていた人間達は立ち止まり、皆ひとみが倒れているのは俺のせいでは無いのかという目でこちらを見つめてくる。
……しかし周囲の奴らは、目を逸らしてから再び歩き出した。
勿論瀬名さんが倒れたからと、病院に電話で通報する者は誰もいない。
「……が、………のぜ…」
「……えっ?」
彼女は目を瞑って倒れながらも、何かをこちらに訴えたいのか。精一杯の力を振り絞りぼそぼそと呟いていた。
俺はしゃがみ込み、瀬名さんの顔に耳を近付けると、彼女が何と言っているのかを聞き取ろうとした。
「………のぜ」
「何ですか?」
「………かが、……た……のぜ……」
徐々に聞き取れるようになってきた。
……そして全文を聞いた時、俺は何故瀬名さんがいきなりその場で倒れたのか。
その理由を知る事になる。
「お腹が……空いたのぜ……」
「……え?」
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……ひとまず瀬名さんを、地面に這いつくばらせておく訳にもいかず、彼女をおぶってゴールデン街から離れた俺。
「うう……」
「お気を確かに、今歌舞伎町に向かっていますから……」
「ごめんなさいのぜ……」
身体を密着させる事で、瀬名さんの身体から放たれる激臭が、威力を増して鼻に刺さる。
しかし現状は、満足に食事も取っていなさそうな彼女の命に関わっている事態だ。
両手は塞がれる為に、鼻を摘む事も出来ないが気にせずに歌舞伎町へと走る。
「……着きました。 これより食事が出来る場所に向かいます」
「ごめんなさいのぜ……」
今取っている行動を瀬名さんに報告しても、彼女は先程から謝罪の言葉でしか返事をしない。
……とにかく、どこで食事をさせようか。
適当な居酒屋に入っても、店員や客に嫌な顔をされるかもしれない。
ならば人が少ないバーに行くのが望ましい……それかつ信頼出来る店といえば……
「……いらっしゃ〜……いっ!?」
黒百合の使徒。
昨日も働いていたそのバーに入ると、当然にマスターであるブルヘッドさんは驚いている反応を見せた。
「仁藤くん……どうしたの、その子……?」
店には、アルバイトとして働いている長内さんだけではなく……
「……あんた、遂にやったのね」
……昨晩、ロイヤルメイデンで話していた時に、長内さんと友達になりたいと言っていた飯田さんも黒百合に来店していた。
彼女は長内さんと、上手く友達になれたのか……今はその事について気にしている場合では無い。
幸いにも、飯田さん以外の客は誰も来ていない。
「違いますよ」
飯田さんの質問に否定を入れつつも、ぐだっとしてる瀬名さんをカウンターの椅子に座らせる。
「……とりあえずハンバーグでいいかしらねぇ」
するとまだ何も説明していないのに、ブルヘッドは食事を作ってくれようとしていた。
「えっ……あっ、お願いします!」
「すぐに作ってくるから待っててねぇ」
すぐさま調理場へと消えたブルヘッドさん。
「……すみません長内さん、ここにしか連れてくる所が無くて」
「一体、どうしたの……?」
当然に聞かれる長内さんからの質問に、息を切らしながらも答える。
瀬名さんの正体……どうして瀬名さんをここに連れてきたのかまでの経緯。
「へぇー、この子が?」
俺の隣にて話を聞いていた飯田さんも、瀬名さんの正体を知ると彼女頭を優しく撫でていた。
「……あれ?」
「あっ、起きた」
飯田さんに頭を触られて気がついたのか、カウンターから顔を上げた瀬名さん。
彼女は飯田さんと長内さんに対して、不思議そうな顔をしながら交互に見ていた。
「……あれ? あれっ!?」
やがて、その視線は店内の周りへと向けられて……最終的には俺に向けられた所で落ち着いた。
「ここどこなのぜ!?」
そして今度は瀬名さん本人から、俺に対してその質問を投げかけられた。
「……ここは黒百合の使徒という、歌舞伎町の中にあるバーです」
「……そっか、あたいお仕事中に倒れちゃって」
説明をして思い出したのか、瀬名さんはカウンターへと俯いて何かを察したかのような顔を浮かべていた。
「ホームレスねぇ……私、そんな人と初めてお話したかも」
「えっと……お姉さんは誰なのぜ?」
「飯田凪奈子っていうの、この街ではキャバ嬢のお仕事をしているのよ」
「おおー! 宜しくなのぜ!」
飯田さんの名前を知ったひとみは、続いて長内さんの方を見た。
「っ……」
瀬名さんと目が合い、彼女は頬を染めながら目を逸らす。
「この方は加賀美千夜さん……ここのお店でアルバイトをしている方です」
「あっ、そうだったのぜな。 お邪魔してますのぜ……」
「……」
長内さんの代わりに俺が彼女の名前を瀬名さんに伝えて、瀬名さんが長内さんに会釈をすると、長内さんもまた瀬名さんにぺこりとお辞儀をし返した。
「はいお待たせ〜」
……暫くするとブルヘッドさんの宣言通り、彼が作ったハンバーグがカウンターへと運ばれてきた。
「えっ、えっと……」
俺や飯田さんの前ではなく、瀬名さんの前に運ばれて、本人は戸惑いながらも涎を垂らしていた。
「さぁ、食べていいわ。 お代はタダでいいから」
「えっ、いいのぜ?」
「うん! 冷める前に召し上がれ」
「じゃあ……頂きます」
そらからもぐもぐ、むしゃむしゃと……ハンバーグが無くなっていき……瀬名さんが完食するまでの間約三分、それはあっという間に皿の上から姿を消していた。
「……はやっ」
そのあまりのスピードに瀬名さんの食べる様を、肘をつきながらボーッと見ていた飯田さんは、瀬名さんが完食をさせると同時に我に返っていた。
「えへへ……凄いお腹空いてたから……ご馳走様でした」
「……ふふっ、お粗末さまでした」
「それで、やまちゃん……この子誰?」
「ホームレスの子らしいわ……それでお腹空きすぎて倒れちゃって、それで仁藤くんがここまで連れてきたみたい……」
「ふーん、なるほど……まだ若いのに大変ねぇ」
皆に伝えた事と同じ内容をブルヘッドにも説明したその時……俺の代わりに長内さんがブルヘッドさんに答えてくれた。
「すみません……突然お邪魔してしまって、ご迷惑をおかけしました」
「いいのよぉ、いつもお店に来てくれるサービスって奴よ!」
「……ご迷惑をおかけしたのぜ」
「気にしないでぇ、毎回タダにする訳にもいかないけど、またいつでもお店に来ていいからぁ」
色々と迷惑をかけてしまったからと、ブルヘッドにそう励まされても、瀬名さんはちょこんと座りながら申し訳なさそうな顔をしていた。
「……やまちゃんもごめんなさいのぜ」
「俺も大丈夫です……ですが今度から気分が優れない時とかは、お仕事するのは控えて下さい」
「……分かったのぜ」
「靴磨きねぇ〜……それって儲かるの?」
「昨日は一万円稼げたのぜ!」
「へぇ……私もやろうかしら」
意外な収入料を聞いて、魂消ている飯田さん。
お仕事と言っても、アルバイトとかではないバリバリ自営業の靴磨きであり、そこから得られる収入はピンキリであろう。
そもそも金が無いから食べ物も買えずに、空腹のまま仕事をするしか無かったという事も考えられる。
「……ところであなた、お名前は?」
「ひとみ! 瀬名ひとみっていうのぜ!」
「まぁ、ひとみちゃんねぇ。 あたしこのお店のオーナーやってるブルヘッドっていうのぉ、宜しくねぇ」
「ブルヘッド……なんだか強そうなお名前なのぜ……」
「ふふーんっ、よく言われるわぁ」
「ひとみちゃんは、この後はどうするの……?」
「この後は……うーん……」
長内さんから質問をされて、瀬名さんは腕を組んで今後の予定を考え始めた。
「……もしお暇であるならば、貴方をこれからお連れしたい場所があります」
「……え?」
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「……着きました、ここです」
「ここは……」
……そうして瀬名さんを連れてやってきたのは、近場のスーパー銭湯。
グーグルマップで検索した結果、その場所が出た。
料金は五百円と、健康ランド程大規模な物ではないが、それでも格安の値段で風呂に入れる場所らしい。
「……しかし」
「へぇ〜、こんな所に銭湯なんてあったのねぇ」
「銭湯……初めて入るかも……」
「あらそうなの?」
「うん……今まで、お家のお風呂にしか入った事無いから……」
「なるほどねぇ」
本来なら瀬名さんのみを連れてくる筈が、何故だか飯田さんも長内さんも俺達に着いてきていた。
「……何故貴方がたも一緒に来ているのですか」
「あら別にいいじゃない。 仕事終わりの銭湯って良さそうだなぁって思っただけよ」
「私は、皆と一緒に銭湯に行っておいでって……ブルちゃんに言われたから……」
「それに皆で入った方が楽しいと思うわ、さぁ行きましょう二人とも」
「う、うん……」
「はいなのぜ!」
長内さんと瀬名さんの肩にそれぞれ手を置いた飯田さんに続いて、彼女達は店内へと入って行った。
皆と入った方が楽しいと言っても、俺は唯一男なので単独で風呂に入る事になってしまうのだが……
そう思いながら俺も店内へと入る。
「いらっしゃい」
番台にて受付をして……一時間後に番台で待ち合わせする事を約束し、それぞれの脱衣所の入口の暖簾をくぐった。
「じゃあまた後でね〜」
「はい」
脱衣所でスーツを脱いで、タオルを股間に巻き、浴場へと入る。
浴場内は誰もいない……流石平日。
ひとまず洗い場に行き、今日の仕事で体に溜まった垢や脂を洗い流した。
そして体を洗った後、俺は富士山が描いてある絵の下の風呂に浸かった。
「……ふぅ」
いつも事務所の風呂に入る時は、他の兄貴達に早く出るよう急かされないようにシャワーで済ませて終わりだったので、こうしてゆっくりと浴槽に浸かる事が出来るのは久し振りだ。
「誰もいないわね……貸し切りかしら」
「おお! あんなに広いお風呂初めて見るのぜ!」
「ひとみちゃん、走ったら危ないわ……」
浴槽内で寛いでいると、天井が少し空いた壁の向こうから、漸く服を脱ぎ終わって浴場内へとやって来た女達の声が聞こえた。
「ひとまず身体から洗いましょっか」
「うん……」
「そうなのぜな!」
彼女達も、俺と同じく体を洗ってから風呂に入るコースで利用するらしい。
目をつぶって寝そうになりながらも……彼女達が体を洗い終わって、浴槽に浸かるまでを待つ。
「あぁ〜、気持ちいいのぜ〜」
「ふふっ、久しぶりのお風呂はどう?」
「ぽかぽかするのぜな〜」
……暫くして身体も洗い終わったようで、もう浴槽に漬かっているのか先程よりも彼女達の会話がはっきりと聞こえるようになった。
「今までは、どうやって体を綺麗にしていたの……?」
「そうよね、あんた服はあれだったけど……お肌は意外と綺麗だったわよね」
「お風呂には毎日入れないけど、汗ふきシートで毎日お肌のお手入れはしているからなのぜ!」
「あら、そこだけはしっかりしているのね」
現在飯田さんと長内さんに囲まれて入浴している瀬名さんは、彼女達と打ち解けられてゆったりと寛いでいるようだった。
「長内さんの方はどう……初めての銭湯は?」
「うん……気持ちいい……お家のお風呂と、全然違う……」
「ふふふっ……冬に入るからこそ、温泉って気持ちがいいわよね」
「うん……でもちょっと熱い……」
「そう? のぼせる前に上がっててもいいのよ」
「んっ……まだ大丈夫……」
黒百合で聞きそびれたが、飯田さんと長内さんは仲良くなれた感じで安心した。
しかし……
「……てかあんた」
「え……?」
「おっぱい大きいわよね」
「え……」
「……ちょっと触らせなさいよ」
「えっ……!」
きゃっ、という悲鳴と共に、向こうからバシャバシャという水音が聞こえてきた。
「なーなやめるのぜ〜、ちーちー嫌がってるのぜよ〜」
「分かったわよ……長内さんごめんね?」
「平気よ……」
「……てかなーなって何?」
思わぬ渾名で呼ばれて、困惑している様子の飯田さん。
「……?」
長内さんの方は、普段からブルヘッドさんにそう呼ばれている影響からか、特に違和感は感じていないようだ。
「えっと……あたい、実はお友達が欲しくて……」
「お友達になるからには、ニックネームで呼び合いたくて……」
「……ごめんね? まだお友達にもなってないのに」
「……」
「……嫌、なのぜ?」
焦っている様子で、瀬名さんはそのように二人に対して謝っていた。
「……いいわよ、お友達になりましょ」
「えっ……」
「……というかね? 私も今日初めてこの長内さんと会って、お友達になったの」
「そうなのぜ?」
「うん……だから、まさか一日で二人もお友達が出来るなんて思っていなかったから、それで驚いてただけ」
……と、飯田さんは恐らく長内さんも含めて、瀬名さんにそう説明をして、彼女を安心させてやっていた。
「私も……お友達が増えるのは嬉しい……」
「ちーちー……?」
「私、こんな性格だから……今までお友達が出来なかった、けれど……」
「でも凪奈子ちゃんが現れて、今もひとみちゃんにお友達になって欲しいって……二人とも自分からお誘いしてくれて……嬉しいわ……」
「長内さん……」
飯田さんに便乗するように、長内さんも本当の気持ちを飯田さんと瀬名さんに示した。
「……とにかく、あんたからのお願いはおーけーって事よ」
「凪奈子でも、なーなでも、好きに呼ぶといいわ」
「私も同じ……」
「なーなとちーちー……そう呼ばせて貰うのぜ!」
「分かったわ、これから宜しくねひとみ」
「うん!」
……こうして飯田さんと長内さんと瀬名さんは、互いに友人同士となった……のか?
何だか決定的瞬間に立ち会ってしまったような、そんな気分だ。
「てかちーちー……」
「……?」
「……本当におっぱい大きいのぜな」
「えっ……!?」
……しかし、隙があればすぐにそういう話になってしまう。
先程までの感動的っぽい雰囲気が台無しだ。
「でしょう? あんたもそう思うわよね」
「別に……そんな事無いわ……」
「….…それに対して、あんたの胸は控え目よね」
「……がーん!!」
互いが裸であるからなのか、自然とそういう流れになってしまうのだろうが……男も聞いている場で、そのような話はしないで欲しいものだ。
「うう……でも皆の方が全然大きいなって思った事はヒミツなのぜ」
「安心なさい、私が揉んで大きくしてあげるから」
「あんっ、擽ったいのぜ〜っ!」
「うーん、手に収まる揉み心地って感じ」
「ならなーなのも触るのぜ! えいっ!」
「ひやっ、何すんのよ! てか何で長内さんも触ってんのよ!」
「さっきの仕返し……」
「……こほん」
「……あっ」
如何にもわざとらしい咳払いをした瞬間……
浴場内は静かになり、浴槽に注がれる湯の音だけがその場で響き渡っている。
「えへへ……やまちゃんもいるって、すっかり忘れてたのぜ」
「あんた……どこまで聞いてたのよ!」
「……皆さんでお風呂の感想を言い合っていた辺りからでしょうか」
「仁藤くん……エッチ……」
「……すみません」
理不尽にも、全ての会話を聞いていた俺が十割いけないという事になってしまったが……
それでも瀬名さん達は、互いに友人同士になれたようで安心だ。
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……夜も更け、歌舞伎町はネオンの光によって日中の頃よりも明るく眩しく輝いていた。
「あー、寒いのぜ……」
「これじゃあ、お家に戻る頃には余裕で湯冷めしてるでしょうね」
「早く……お布団に入りたいわ……」
歌舞伎町に来た者達がそれぞれの目当ての店に向かっている中……俺達はそれぞれの帰るべき場所へと戻ろうとしていた。
「今度はもっと大きなスーパー銭湯に行きましょ」
飯田さんはこれから神奈川の方の自宅へと帰る。
「うん……皆とお風呂に入るの、楽しいかも……」
長内さんはこれから黒百合に帰る。
「ううー……あまり遠くには行けないけど、近場だったら全然行くのぜ!」
……しかし、瀬名さんの帰る場所は暖房が効いている屋内では無い。
あのような汚い格好になってしまうのであれば、どう考えても外で過ごしているからだろう。
「大丈夫……? 今日、お家に泊まっていかない……?」
「うん! 平気なのぜ! それにお家にお邪魔するのも申し訳ないのぜな〜」
長内さんからの誘いに、瀬名さんは両手を前に振って断った。
衣食住の全てがデメリットしかないホームレス。
だがホームレスになる唯一のメリットとしては自由になる事であろう。
誰からの指図を受ける事無く、他人に迷惑をかける事さえしなければ、何をしたって誰からも文句を言われる事も無い。
そんな自由の世界で生きている瀬名さんが、俺は少しだけ羨ましく思っていた。
「……じゃああたいは、あっちのゴールデン街の方に行くから」
瀬名さんはそう言って十字路の真ん中で立ち止まり、俺達が行こうとしている反対方向に向かって目を向けていた。
「うん……じゃあね……」
「風邪引くんじゃないわよ」
「……お気をつけて」
俺達に向かって満面の笑みを浮かべて手を振った後、瀬名さんは歌舞伎町とは対象的に暗い道路奥の闇へと消えていった。
「あの子……当然学校とか行ってないんだろうけど、今まで何があったのかしら」
「仁藤くんは、何か知らない……?」
「ええ……俺も、今日初めてあの方とお会いしましたから」
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……飯田さんと長内さんお別れて事務所に着くと、中は電気がついていた。
中に人がいる気配がする。
もう皆帰ってきているのだろうか。
俺はノックして中へと入る。
「……失礼します。仁藤大和、只今戻りました」
「ええ、お帰り〜」
部屋の中に入ると、昨日と同じように事務所の中央にあるソファに座って、高そうな酒を飲んでいた斬江の姿があった。
兄貴達は今日も未だにシノギをしていて、帰ってきていないのであろうか。
……昨日と違う事はただ一つ、斬江の酒の酔い具合が昨日よりも回っている事ぐらいだ。
「えへへ〜、お疲れ様〜大和〜」
斬江は真っ赤な顔をして、上からシャツのボタンを三個ぐらい外してそこから胸の谷間を露出させていた。
下のズボンもベルトも緩めており、もう少しでパンツのバンドが見えそうだ。
今の斬江は、とても皇組の組員達に見せる事が出来ないぐらいのだらしない姿をしていた。
「……」
俺は誰かさんの酔っ払った姿は大嫌いだったが、不思議と斬江の酔っ払った姿を見ても怒りが込み上げて来なかった。
それぐらい俺は斬江を恐れているという事なのであろうか。
俺を待っている間に、斬江はテーブルに転がっている五本のワインを飲んでいたようだ。
「おやすみ〜」
もう酔いが完全に回って眠くなってしまったのか、斬江はその場で座っていたソファに寝転がり、そのまま寝落ちしようとしている。
こうなれば、もう今夜は斬江の部屋があるマンションに帰る事は無いだろう。
「組長、そうやって寝ていては風邪を引いてしまいます。布団をこれから敷くので、せめてそれで寝てください」
「嫌だぁ、もう動けないぃ……」
斬江は駄々を捏ねるようにソファの背もたれ側に寝返りをして、俺の忠告を聞き流した。
斬江はもう夢の世界に旅立ち、ぐーすかと鼾をかきながら寝てしまった。
これが本当に歌舞伎町を統べる極道の組長なのであろうか。
「はぁ……」
仕方ないと溜息をついた俺は、財布から今日のノルマ分の金を出してテーブルに置くと、押し入れから毛布を取り、シャツの隙間からブラジャーが見えているのを隠すように斬江の体に上から毛布を掛けてやった。
「おやすみなさい……」
俺は斬江にそう告げると、俺は自分の布団を床に敷く為に押し入れへと向かった。
布団と毛布を敷いて洗面台に行き、簡単にシャワーを浴びて、歯を磨いてから毛布の中に入った。
その時、もう寝落ちしたはずの斬江が、ソファから離れて俺の毛布の中に猫のように入って来た。
「……なんですか、組長」
「一緒に寝ましょ〜、大和〜」
「……」
組長の命令は絶対だ。
本当は嫌だったが組員である俺が、組長である斬江の誘いを断われる訳にもいかなかった。
「分かりました……」
「うふふっ」
斬江は背中から俺をぬいぐるみのように抱き締め、再度寝落ちをした。
本当に眠りについたと思っていてもすぐに起きてくる為に、酔っ払っている状態とはいえ油断が出来ない女だ。
斬江の胸の感触が俺の背中を通じて伝わってくる。寝息が俺の首に触れて擽ったいのと同時に酒臭い。
「大和〜、いつの間にこんなに大きくなったのねぇ」
「……あれから身体は成長していますから」
……しかし不思議と俺は安心していた。
あの時に借金を返せと脅されて、初めて斬江に恐怖を感じたあの日からずっと俺は斬江に対して怯えていたが、それでも俺の母親代わりになってくれた女だ。
例え歌舞伎町を統べる極道の組長だったとしても、この人は五年間で俺に色々な事を教えてくれた母親だ。
俺は五年前に初めて感じた母親の温もりを思い出しつつ、斬江と同じように眠りにつくのであった。
……この後、兄貴達が帰ってきて今の様を見られた時には、どういう言い訳をしようか考えるのも忘れて。
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……そして俺は夢を見た。
……ここはどこだろうか……公園?
俺が立っていた野原の広場の周りでは、あちらこちらで沢山の親達がそれぞれの子供達と共にキャッチボールやら鬼ごっこをして遊んでいた。
……ふと一人の黒髪の少女が俺の所に走ってきた。
少女は俺の前で立ち止まり抱き着いてくると、顔を上げて俺の事をこう呼んだ。
「パパ!」
……パパ? この少女は俺の娘なのか?
少女の先には、少女の母親のような女性が俺に向かって手を振っている。
顔は太陽の逆光と女性が被っていた大きな麦わら帽子の影によって、よく確認が出来なかった。
その女の声は何故だか全く聞こえなかったが、どうやら俺とその少女の名前を呼んでいたらしい。
「お昼ご飯にしようだって! パパ行こう!」
少女は俺の手を取ると、母親である女性が用意したレジャーシートまで案内をした。
レジャーシートにはその女性が作った弁当が三人分置いてあった。
「……」
女性は俺達に背中を向けて、割り箸やら紙皿を出して飯の用意をしていた。
「パパも座りなよ〜」
少女は靴を脱ぎレジャーシートの上に座ると、少女の物であるのか小さくてピンク色の弁当箱を手に取った。
「あの、あなたは……」
その名前も知るはずもない女の顔が見たかった俺は、女の事を呼んでこちらに振り向いて貰おうとした。
「……何━━━━━━」
……そこで俺は目が覚めた。
「……」
……薄暗い青い光が、窓の隙間から差し込んでいる。
もう朝なのか外からホッホーというキジバトの鳴き声が聞こえてきた。
昨晩隣で俺の事を抱いて寝ていた筈の斬江の姿は無く、各ソファでは兄貴達が毛布を被って寝ていた。
……あの娘と女は誰だったのだろうか。
俺は起き上がるとトイレに向かいながら、夢で自分が見ていた光景を思い出していた。
「はぁ……」
……俺に嫁と子供なんていてはいけない。
自分の母親を捨てたような奴に、一般人の地位を捨てて極道にまで堕ちてしまった奴に、家庭を持っていいような資格なんて無い。
自分の面倒もろくに見れていないのに、誰かの面倒を見ることなんて出来るはずも無い。
……では何故家庭を持つ事を望んでいない俺が、あんな家族円満な事をしている夢を見たのか。
俺は便器に座り、ドアの鍵を閉めるとその夢を見た理由について考えた。
実は俺の中のどこかで、家族を持ちたいという願望を持っていたのであろうか。
……それとも、俺の未来はああいう風になるという予知夢だったのか?
「……バカバカしい」
自分のせいで借金をしているのに、幸せな家庭を持つ夢を見ている暇があったら働いて金を稼げ。
俺はそう自分に言い聞かせてから布団へと戻り、目覚ましがまだ鳴らない間に再度眠りにつくのであった……。
……しかし、人生というのは様々な分岐点があり、選択肢によって|生き方(ルート)も大きく異なるので、将来自分はどうなるのかというのは結局誰にも分からない。
帝真緒さん、飯田凪奈子さん、長内千夜さん、瀬名ひとみさん……
……あの人達と一緒にいると、何か自分の人生が大きく変わるような気がする。
そんな女子達と過ごす事で、一般の中高生達が体験するような青春を送る事が出来る気がする。
青い春と書いて青春……だが今の俺の人生は、自らが招いた結果にも関わらず先が真っ暗で何も見えない黒一色だ。
この物語は、それまでに歌舞伎町で出会った四人の少女達と繰り広げられる……仁藤大和の四通りの春を描いた物語である。
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