第5話 理由
「ええ、イエローかよ。ないないない」
「ファールじゃねぇよ。ちゃんと見ろよ!」
ところどころから罵声と低い音の声、いわゆるブーイングという奴が始まる。
「ひっ……」
これは私にはかなり仰天の事態だった。何せ体格の良い男の人達が、激しい声で文句をつけているのだ。恐ろしくてしょうが無かった。
ただ隣の彼女は平然な顔をして、それどころか彼女自体も大きな声をあげていた。
「マチ!! 私達はわかってるからね」
彼女がマチと呼んだ選手は何事も無かったように立ち上がると、一礼してからまた自陣に戻っていく。
彼女の声が届いたのだろうか。あるいはそれが当然の事なのかもしれない。
ただこの時は男の人達に混じって声をあげられるなんてすごいなぁとしか思えなかった。きっと私とは違う世界に生きている人なんだろうなと考えていた。
でも考えてみれば、このスタジアムの中だけ世界が違うなんて事は無かった。みんな同じ人間で、同じ世界の人達だった。
ただただ彼らは好きなだけなのだ。そしていま私が感じているように、アベイユの事をまるで自分自身の事のように感じている。選手やスタッフだけでなく、応援している人達も、スポンサーの方々も、みんながアベイユだ。
まるで自分の事のように負けたら苦しみ、勝てば喜ぶ。
こんな風にみんなで世界を共有できる場所がスタジアムなのだ。
だからこそ歌詞は「俺たちが」なのだろう。作詞をした人に聞いた訳ではないけけど、私はそう思っている。
しかしこの時の私はただただ恐ろしかった。少しでも早くここから離れたいとすら思っていた。もし隣の彼女がいなかったとしたら、私はすぐにそうしていただろう。
ただただ時間が過ぎて終わらないかなって、そう感じていた。
けれど少しずつその気持ちが変わっていた。
選手達が走っていた。がんばって走り続けていた。ゴールは奪えなかったけれど、沢山沢山走って、がんばり続けていた。
少しそれに胸を打たれた。
そしてもう一つは雨が降り始めた事だ。
雨が降り始めて当然私はみなどこかに雨宿りするものとばかり思っていた。だけどただ一人もそこから動かなかった。傘を差す事もなかった。もっとも後で知ったのだけど、スタジアムの座席では傘を差したらいけないらしい。
何人かは荷物をビニール袋などにつめるために移動していたが、それからすぐに戻ってきて歌を歌い続けた。隣の彼女は最初から動かなかった。ただ歌い続けていた。
私は別にその場から離れてもよかったのだろう。だけど誰も動かないのに、私だけ動けなかった。少しだけそうしたくない気持ちが芽生えていた。
雨で滑りアベイユの選手が転んでボールを失う。
その時、私はただ自然と言葉がでていた。
「が、がんばって! 負けないで!」
ほんの小さな声だった。
この強い雨の中、その言葉が届いたとは思えない。
でもその選手は立ち上がってすぐにまた走り出す。そして奪われたボールを再び奪い取った。
私の小さな声が届いただろうか。届くはずはなかった。
だけど少しだけ小さな小さな達成感が芽生えていた。もしかしたら私の声が選手の後押しになったのかもしれない。それは勘違いだったかもしれないけれど、私にとっては満足のいくものだった。
もちろん私が声を出さなかったとしても、その選手は立ち上がってボールを奪っただろう。でももしかしたらほんの少し、数十分の一秒でも立ち上がらせるのを早めたかもしれない。
自己満足といえばそれまでだろう。だけどこんなに必死で闘っている人達を見た事があっただろうか。そんな人達を応援したいと言う気持ちは勘違いでないはずだ。
雨に打たれながら、私は声を出していた。小さな声だ。他の人達のような大きな声は出せなかった。それでも私はいつしか歌っていた。俺たちが福岡と。
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