幕間2 七月中、焼肉を焼くだけ。

「えっ、わたし……死にすぎ!?」


 七月、ある休日の朝のこと。

 居間でノートに今まで使った魔法と払った代償の記録を付けていた咲耶がハッとして叫んだ。


「…………」


 対面の椅子で課題を片付けていた飛鳥は、白い目で彼女を見る(まだ彼女ではない)

 内心は「なんだよ出し抜けに」が半分、「そうだよ自重してくれ」がもう半分だ。


「何よ。わたしだって反省してるのよ? だからライフを節約しようと思って今、死に家計簿つけてるんじゃない」

「死に家計簿」

「……あっ。別に洒落じゃないからね!?」


 そんなつもりで言ったわけじゃないのに駄洒落っぽくなったときって恥ずかしいよね。

 でも〝死にかけ〟っていうかおまえは死んでんだよな。十割死なんだよな。

 死にかけの定義は八割死までだ。九割までいったらもう死んでる。三途の川に足ズブズブ。致命傷に定評がある自分でさえ二割の生存確率は死守しているというのに。

 ドン引きだった。

 咲耶は不意の洒落にめちゃくちゃ顔を赤くして恥じらっていたが、全っ然かわいいと思わなかった。

 死生観の違いは恋愛感情すら容易に冷ますのである。


「こほん。というわけで、呪いの代償節約のため、わたしの死の呪術的価値を再定義しようとしたんだけどね?」

「うん……?」

「わかりやすくいうと、わたし自身に値札シールをペタって貼り直すの」

「倫理大丈夫か?」


「でもひとつ問題があって」

「ひとつどころじゃないけどな?」


 咲耶は深く息を吸って、悩ましげに首を傾げた。


「そもそも人体って……いくらなのかしら?」

「死んだな倫理」


 だが話を聞きたくない、とは言えないのだ。

 何せ異世界事である。相談ができるのはお互いしかいない。だから、そう。眉間がヒビ割れそうなほどにシワを寄せても、咲耶の話は聞くのだが。


「わたし、今までどんぶり勘定で呪ってしんでたのよね〜。とりあえず内臓二杯分、みたいな? それを焼肉屋さんみたいに部位ごとに料金表作って、グラムごとで代償支払いをしたら……大幅に死のコストカットができるわ! 画期的!」

「倫理の死体の跡形もないな」


「美味しくなって新登場ね、わたし!」

「灰すら残らなかったな倫理」


 生贄にされてたの自分でネタにしないでほしい。胃がキリキリする。

 なるほど自虐は悪だ、理解した。自分も少し自重しよう。

 だから……

 

(たすけてくれ芽々……)


『芽々に頼らないでください!!』


 発作的に胸のうちで芽々に助けを求めると、幻聴で返事が聞こえた。

 最近脳にフッと芽々が生えるようになった。何故だろう。入院中にベッドの下から芽々が生えた光景が頭に残りすぎているのだろうか……。


 咲耶が再びハッと顔を上げた。


「あっ焼肉食べたい」

「やめろこの流れで言うの」




 ◇◆




 というわけで来た。焼肉屋に。


「おかしいだろ」


 文句を言いながらもなんだかんだで付き合ってくれるので優しいな、と咲耶は思う。

 男は優しさが大事だって男に捨てられまくってた実母が言ってた。咲耶は教訓を大事にするタイプだ。

 結婚するなら動物と戯れるような全身が優しさで成分構成された人がいいと思ってた。捨て犬とか拾いそうな。

 好きになった人は沢蟹を躊躇なく生きたまま油に突っ込む男だということを、咲耶はまだ知らない。

 だが捨て咲耶は確実に拾ってくれるだろうから、まあ五臓六腑くらいは優しさでできているだろう。




 チェーンの安い焼肉店で網付きのテーブルを挟み、メニューをニッコニコで広げる。


「ここのお店、食べ放題が安くて美味しいって聞いて。飛鳥と行ってみたかったの」


 微妙にまだ倫理が悪酔いしている飛鳥は、対面のふわふわした笑顔に深々と溜息を吐いた。


「ったく。デートならもっとちゃんと誘えよな」

「何言ってるの?」


 不可解そうに、咲耶は笑みを消す。


「焼肉屋さんに行くのがデートなわけないじゃない」

「えっ」

「え?」


 認識の相違の正体を探る。


「飛鳥……もしかしてわたしと出かけること全部デートだと思ってる?」


 返答は長い長い沈黙だった。

 適当なことばっか喋るが嘘は苦手なので図星をつかれると駄目なのがこの男だった。


「まさか……涼しい顔してあれもこれもそれも裏で『実質デートだな』って考えてたの?」


 あからさまに目が泳いだ。

 かろうじて無表情を貫いていたが、耳の先が赤くなっているのを咲耶は見逃さなかった。


(ふーーん??)


 こちらばっかりが好きで毎日こちらばかり浮かれているのかと思っていたけど──どうやら、そうでもないらしい。


 墓穴を掘った、と硬直している飛鳥を前に。

 ふふ、と笑みが溢れる。



「デートですこれは」


「殺せ〜……」




 ◇◆




 焼き肉焼き始めた。


「それにしても真昼からお肉をしこたま焼いちゃうなんて、すっごく悪いことしてる気分。カロリーもお値段も気にせずだなんて……うふふっ堕落よね」


 お箸片手に、今にも垂涎しそうに怪しい笑みを溢す咲耶。

 堕落ってなんだろうね。


「つか自分のお嬢様設定、忘れてなかったのか」

「当然。長年大事に守ってきたロールですもの」


 魔女に堕ちようが素が飛鳥に全バレしようが、自分が『文月咲耶』である限りロールを守るのが矜持であるし、どこへ出しても恥ずかしくない文月の娘でありたいとも思う。


「でも最近、自分でその設定壊すの、気持ちよくなってきちゃったのよね……」

「ウソだろ」

「ゾクゾクする。お嬢様なのに安いお肉焼くの」


 背徳感に妙に弱いのは魔女の性として、しょうがないのだが。


「おまえの背徳欲、しょぼいくない? 焼肉焼く程度とか」

「逆にしょぼくなかったら今頃犯罪犯してるわよ」

 

 焼肉程度で宥めすかせられる人外性でよかった、と思いながら網の上でいい感じに焼けている肉をひっくり返す。


「どうでもいいけど頭痛が痛いな、焼肉焼くも犯罪犯すも」


 だが背徳というなら、昼間から肉を焼くくらいでは足りないような気がする。せめて真昼から酒を飲むくらいはやらないと、背徳として格が足りないだろう。

 まあ、未成年だから背徳どころじゃ済まずに完全な悪徳と化してしまうのだが。


 酒飲みてえな、吐くほど弱いけど。

 と、自然に考えて、はたと気付く。


(なんで吐くほど弱いって知ってるんだ?)


 意識を集中させると異世界でガッツリ飲酒した記憶が発掘されて、冷や汗がダラダラ出た。


(ヤッッッッベ犯罪者じゃん俺)


 めちゃくちゃショックだった。

 清く正しく生きる予定がご破算。


 残念ながら過去の罪は消えないのだ。







 一部ショッキングな記憶を思い出したりしたが、そこはそれ。

 今はせっせと肉を焼く方が大事である。

 お互い庶民の金銭感覚が染み付いているので、食い放題なら遠慮はしない。

 きっかり半分ずつの分量で、焼けた肉を取り分ける。

 焼肉の悪いところは、焼くのに忙しくて好きな女の子の食べてる姿を十分に見れないことだと思う。

 にしてもしかし。


「咲耶ってよく食べるよな」


 咲耶はぺろりとお皿を空にして、「?」という顔をした。


「わたし、別に大食いじゃないけど? 飛鳥と同じ量しか・・食べてないもの」

「だからだよ」


「あれ? あなた少食じゃなかった? ご飯を食べ忘れるくらいだし……」

「ちゃんと飯食えって言ったのおまえだろ。だから今は人並みに食ってるよ」


 咲耶は無言で箸を置いた。


「わたし、人間のご飯食べる量の感覚、覚えてなくて」

「そうだな、俺も忘れてたよ」

「飛鳥に合わせとけばいいかって、思ってたんだけど……」


 騙された。

 少食だと思ってたのは食欲と金がなかっただけだ。

 人並みの量とは、「十代のめちゃくちゃ運動量多い男の人並み」という意味だった。


(あ、ダメだ。絶対だめ。おんなじペースで食べちゃだめ)


 自分の摂取してきたカロリーが想定より桁違いに高いことに気付いて、ガタガタと震えだした。


「いや、いいんじゃないか?健啖なのはいいことだろ」

「違うの、わたし、人間だったころは太りやすい体質でっ……! 食べた分はすぐ身体に付くのよ……っ!」


 眉をひそめた。別に細く見えるのだが。

 いや、確かに。一部柔らかい、肉が、ふんだんについていた。


 いや、別に興味あるわけではないのだが。

 世の男のすべてが胸に惹かれるという道理はない。

 ただ、でかいと視線が誘導されるだけだ。

 でかいと強そうだから。


 それに美的感覚から言っても、女性の人体において綺麗なのは流麗な曲線であって、胸の大きさがどうとかいうのは本質でないだろう。

 たとえばミロのヴィーナスだと一番綺麗な部位は脇腹だと思う。


「うう、絞り方甘いまま(不死に)なっちゃったのよねー……」


 咲耶は悩ましげに自分の脇腹をぷにぷにとし始めた。

 ウーロン茶吹いた。


 露出度の高いへそまで出たブラウス。くびれや僅かな腹筋が、綺麗に出てはいるのだが。それとは矛盾せず、柔なお肉もまた乗っているのだ。人体の神秘である。


 ゲホ、と鼻に逆流したウーロン茶に咽せながら逆ギレする。


「なんでッ、へそ出てる服着てんだよ!」

「? 夏だからだけど」


 そうじゃない!


「大丈夫、ご飯食べてもわたしお腹出ないから」


 そういう問題でもないんだけどな!?

 だが確かに、しこたま飲み食いしてるにも関わらず、彼女の腹部は薄いままだった。


 ──まるで何も入ってないかのように。


 小声でからくりを言う。



「(だって食べたの全部、魔力変換してるもの)」


「…………おまえ、消化機能」


「動かしてないけど?」


 魔女の不死性とはそのようなものだった。

 身体は時を止めている。

 心臓は魔力で機能させているがあくまで〝生きている〟感じを出すためでしかない。


「…………」


 それは、満腹感も感じないしうっかり食べ過ぎるわけだ。

 どうやら彼女は思っていたより何倍も人間を辞めていたらしい。


「どうしよう、戻ったときに食べすぎて重くなったら……」


 沢山食べる癖付いてしまったからな。

 だが、ちゃんと体重が増えるようになる、というのはめでたいことじゃないだろうか?


「まあ、多少重くなっても……」

「愛もセットで重くなっても……!?」


 それはセットにしなくていい。既にクソ重いから。


 ぷくぷく、つやつやになった咲耶を想像する。

 まあ、丸くて柔らかいのも、それはそれでかわいいのではなかろうか? 酒饅頭みたいで。


 だが、ふと重大なことに気付いてしまった。


「いや、やっぱりほどほどに節制してくれ。重いといざという時に抱えて逃げられない」


「何を想定してるの? 戻ったときの話よね!?」


 人間に戻ってまで抱えて逃げなきゃいけないような人生を送るつもりなの!?



 咲耶はもやもやしながら、ひとまず太る心配のない今は食事を楽しもうと箸を再開し、ハッと気付いた。

 抱える、とは言っても片手でだろう。それは確かに重くなると問題があるわけだ。


 ──つまりそれって。


(わたし、一生お姫様抱っこしてもらえないんだ……)


 絶望したので食が進んだ。やけくそでもりもり食べた。

 不幸耐性がつき過ぎている咲耶の味覚は、一周回って後ろめたさや絶望が最高のスパイスになっていた。

 だから異世界ごはんも美味しかった。

 魔王城のバルコニーで栽培しためちゃくちゃ潮風にやられた葉っぱをサラダと言い張って師匠にお出しされたけど妙に美味しかった。

 さっきまで自分を食べてた竜をローストビーフにされて「いやこれって自家中毒じゃない?」と絶望しながら食べたこともあるけどやっぱり美味しかった。

 文月さんちの絶望ごはん、打ち切り完結。


 だが絶望はスパイスとしては少々癖が強すぎる。

 ほのかに香るお出汁のような幸福の方が好きだ。

 やっぱり飛鳥のお味噌汁が一番好き。毎朝作ってほしい。結婚しよ。


「いつか腹一杯食いに行こう」


 日南さんちのしあわせごはん、新連載開始!?


 はわわ、としてると飛鳥が慈しみの目で言った。


「その後の断食ならいつでも付き合うからな」

「死ぬわよ」


 なんでダイエットが断食一択なのか。

 即身仏でも目指してるの?

 

 流石にミイラを愛する自信は、


(…………)


 カピカピのシワシワの飛鳥を思い浮かべる。




(……頑張れば、イケる)




 いけたわ。



 愛です。






 ────────


 ベッドの下から生えた芽々のFAいただきました。ありがとうございます。

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