第30話 目が覚めると隣には。


 ──夢を見ている。


 気付けば白い祭壇の前に立っていた。

 磨かれた石に反射する自分は十六の姿だ。

 振り向けば、地には黒々とした死者の亡霊たちが泥のように吹き溜り、嘆きを口にしている。


『何故おまえだけが生き残った』

『何故おまえが死ななかった』


 泥の中から伸ばされた黒い腕が、こちらを引く。

 自分は縋り付く亡霊を振り払うことも逃げることもせず。目を閉じ、しばらく黙ってその怨嗟を聞いていた。



「……ああ、わかってるよ」



 ──『日南飛鳥』はあの日あの場所で、彼らと共に死んだはずだった。

 人間としての自分を土に埋めて、『勇者』になったはずだった。


 目を開ける。

 いつのまにか自分の姿は『今』に変わっていた。

 正面、闇に覆われ見えない亡霊の目を見据える。

 喉の奥につかえた石を吐き出すように、口を開く。


 ──わかっている。死者は、何も言わないと。


 だからこれは懺悔ではなく懇願でもなく。

 どこまでも一方的で身勝手な、独白だ。



「償うなんて言わない。許してくれなんて言わない。俺のことを呪ってくれていい。何をのうのうと生きてやがるって、何度夢に出てきてもいい」


「ちゃんと果たす。俺が終わらせる。最期は、地獄に堕ちるから。

 おまえらと一緒に死んだ俺を生き返らせることを、見逃してくれ」

 



「俺に『人間』を、やらせてくれ」




 たとえ何を言ったとして、亡霊がその手を離すことは決してなく。

 けれど目の前の亡霊を置き去りにした、遠い向こうで。

 死んだ少女が『いいよ』と笑って、殺した少年は『駄目だ』と言った。

  

 不意に現れたその姿に驚いて、彼らが夢から消え去るのを見送って。

 延々と未だに耳元で怨嗟を吐く、黒く蠢く何かをもう一度見る。

 亡霊だと思っていたこの泥の中に、どうやら死んだ彼ら・・・・・はいない・・・・らしい。



「──は? じゃあ……これ、何?」



 亡霊のような形をした泥は特に何も答えず、朽ちていく。

 乾いてボロボロと崩れ落ちていった呪いそれを、唖然と眺めて。


 理解した・・・・



「……そんなことあるかよ、ははっ……!」



 笑う。きっと、苦笑を通り過ぎて露悪的な笑みになっただろう。

 ひとしきり笑って、顔を覆って、悪態を吐いた。 




「都合の良い夢だ」




 こんな夢を見るくらいなら。

 いっそ悪夢の方がましだと思った。



 ──呪いは解けきらず、泥は未だに足を掴んでいる。





 ◇






 明るい部屋で目を覚ます。


 上はいつもと違う天井、下は慣れないベッドの感触。横には動けば触れそうなほどに近く、彼女が穏やかに微笑んでいた。



「おはよう。遅かったわね」

「……らしいな」


 寝起きの悪い咲耶が先に起きているなど初めてだ。


 ……どうにも現実味がない現実だな、と昨晩(正確に言えば今朝)のことを思い出して思う。

 冷静に考えて、なんで一緒に寝てるんだ? わからない。何も。宇宙の真理くらいに深遠だ……。


 横目に彼女の様子を見る。寝転がっているにも関わらず髪は整えられており、服も休日のラフな格好だが着替えてある。随分と前に起きていたのだろう。


「……おまえ、どのくらいこうしていた?」

「一時間くらい?」


 まあ、一時間だけならまだまともか。まと……も……?

 一時間も俺の顔面眺めて何が楽しいんですか? わからない……深い……。




 起き上がる。

 意識の覚醒と共に見ていた夢の内容が雲を掴むように消えていく。


「なんか、変な夢見た気がする……」


 咲耶もまたベッドの端から足を下ろした。


「悪い夢?」

「いや。都合良すぎて腹を切りたくなる夢」

「それは悪夢よね??」


 切腹したくなるのはいつものことなので問題ない。

 夢の詳細を思い出せず、眉間にしわを寄せていると。

 咲耶は立ち上がり、目の前で両手を広げた。


「どうぞ」

「?」


 意図はわかるが理由がわからない。

 訝しげに見上げると、そのままふわりと抱きしめられる。

 細腕に引き寄せられた頭は、彼女の胸元に押し付けられ、驚きで息を止めた。


 ──急に、何を!?


「そろそろ泣けるんじゃないかと思って。貸したげる」


 ……ああ、なるほど。

 ずっと冗談だと思っていた例の話は本気だったらしい。


 納得と共に驚きは消え去る。

 息を吸うのも憚られるほのかに甘い芳香と、薄手の布地の向こうに生身に紛うほどの肌の感触、名状し難い柔らかさに押し潰されているというのに、不思議と冷静だった。


 別に脳味噌弄ってないんだけどな。

 この状況で劣情が湧かないあたり、まだ本調子じゃないのだろう。


 ……いや待て、本当に、微塵も湧かない。

 なんだこの、凪。

 絶望的なまでの、無風。


 異様だった。

 まさか彼女に触れて心臓が軋むことも頭に血が上ることもなく、酩酊の様な熱もないなど──この半年の自分を鑑みるとあり得ない事態だ。


 どうしよう。大丈夫かこれ。

 流石に不安になってきた。


 にわかに慌てる。あえてなすがままにされて、いつもの熱が戻るのを待った。

 だが特に、甲斐はなく。

 近すぎる距離に彼女の胸の鼓動を感じるだけだった。

 少し速い、音を聴く。


 ……ああなんだ、ちゃんと彼女も生きてるんだな。

 思い知って、少し目頭が熱くなったような気がした。

 気のせいだった。

 別に何も出ない。


 諦めて肩を離すと、咲耶は心配そうな顔をしていた。


「……まだ、無理そう?」


「いいんだ。泣くのは全部終わってからでいい」


「そっか」



 ……というか、泣けないより厄介な事態になってる気がするんだよなあコレ。

 まあ、いいか。そのうちどうにでもなるだろう。




 咲耶はそのまま、部屋の扉に向かう。

 

「コーヒー淹れてくる。いる?」

「貰うよ」

「お砂糖は?」

「四つ……いや、無しでいいや」


 どうせ味などわからないし。







 さて、こちらもいつまでも寝ぼけているわけにはいかない。

 右腕を繋げる。



 元の腕が治らなかった理由はもう聞いた。

 まったく馬鹿げた話だ。治そうと思えば治せたのに、深層意識が望まなかったせい、なんて真相は。


 ──きっとあの時の俺は、分かりやすい罰でも欲しかったんだろう。


 ならねえよ別に罰には。クソ不便なだけだよ。勿体ねえ。ついでに三本くらい生やしとけばよかった。腕が増えると多分強い。


 真面目な話、これで一番割を食ったのは俺じゃなくて咲耶だ。自分のせいだと誤解させたし。アホか本当。あとで土下座だ。


 ……などと、思えるのも今になったからだろう。今度聖女に生やす方法無いか聞いておくか……。

 ともあれ、この件については自業自得だ。これ以上文句は言うまい。




 繋げた右腕は相変わらず重く、その鈍色を目にすれば夢に見た彼らの顔がちらついた。

 別に呪いの剣でいい。呪いであった方が、いい。

 そう考えてしまうあたり、自分を救えない奴だと思う。

 肩にのしかかる重みを確かめ、拳を握り締めては開く。


「……もうしばらくの付き合いだな、おまえとも」






 身支度を終えて居間に出ると、いつものソファで咲耶が待っていた。

 少し離れて座り、コーヒーを受け取る。

 マグカップにはひび割れた跡が残っていた。


「これ、俺が割ったやつじゃ?」

「直した。魔法で」

「……」

「安心して。呪いじゃないの使ったから」

「疑って悪かった。ありがとう」



 

 お互い、言葉もなくコーヒーを啜り──




 ──死ぬほど咽せた。




「苦ッッッ!? なんだこれ……!!」



 咲耶は目を丸くして、吹き出した。


「ふ、あははっ、砂糖要らないって言ったのあんたじゃん!」

「だからってこんな苦いことあるかよ!」

「仕様よ。由緒正しくコーヒーは五百年前からずっとこう」

「……なんか変なの入れた?」

「何も入れてないからだってば!」


 黒い液体を凝視する。

 砂糖を足しに行くのは何か負けたような気がした。

 腹を括って全部飲もうとして。 

 途端、咲耶にマグカップを奪われる。


「意地っ張り」


 そして渡されたのはひび割れのない、咲耶のマグカップだった。

 恐る恐ると啜る。

 ブラック派のはずの彼女のコーヒーは、甘いような苦いような、砂糖二つ分の味がちゃんとした。


 彼女は悪戯っぽく微笑んで、言う。


「実は、こうなるかなと思ってたのよ」


 ……俺が彼女に勝てるのはもしかして、もう異世界事だけなのかもしれない。

  







 ソファの端と端で、言葉少なに今日の予定を確かめ合う。

 ここ数日、生活が崩壊していた。

 それを再建しなければならない。

 ごくごく当たり前の日常を建設する会話をコーヒーの一杯文、交わして。


 真っ黒なコーヒーの泥のような水面に映る、自分の目を見る。

 相変わらず酷い顔だなと思った。

 喉につかえる石のような何かは、もうなかった。


 ゆっくりと、息を吐く。






「咲耶。俺さ」


 



「人を、殺したんだ」




 彼女は静かに瞬きをして、ただ、頷いて。




「うん」




「知ってる」






 コーヒーは、苦いままだった。

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