エピローグa いつかわたしにキスをして。

 決着の、その後のことだ。



「ねえ飛鳥。わたしには病室に窓から入ってこないだけの良識があるのよ」


 扉から入ってきた咲耶はベッドの前で腕を組む。


「それなのに。どうしてあなたは、窓から身を乗り出しているのかしら」



「……咲耶から逃げるためだが?」





 ──あの後。

 起きて病院まで行ったことまでは覚えているのだが。

 そのまま呪いの反動でぶっ倒れてしまったらしい。 

 気絶すると問答無用で入院させられるからやめた方がいい。

 

 つまるところの現状、俺は入院患者で、咲耶は見舞客というわけだった。




「いや、なんで逃げる必要があるのよ」


「……合わせる顔がないだろうが」


 咲耶は「ああ」と合点がいったように頷いて。

 ひらりと手を振る。


「別に、気にしなくていいのに」


 怪我とは無縁のはずの、咲耶の両手には包帯が巻かれていた。



 ──呪いの影響で思考が溶けていたあの時の、記憶は曖昧だが。

 それでも、彼女が俺の剥き出しの右腕を掴んだことは覚えている。

 そうして掴んだ咲耶の手が焼けたことも、はっきりと。


 再生は発動しない。

 俺がつけた傷に限って、治りは常人並みになるようにできていた。


 何故そんなことをしたのかを問うほど馬鹿ではない。

 あの時あの瞬間、そうでもされなければ、多分。

 俺は本当の本当に終わりが来るまで止まらなかっただろう。


 ……暴走しかけて怪我をさせるなど、切腹ものだ。

 負傷について謝るのはルール違反としたせいで土下座もできない。

 逃げたくもなる。


 しかし往生際が悪いのはもっとダサいので、逃亡は断念し大人しくベッドに戻った。



「それからその、だな……」


 あと、申し訳なさと関係のないのが、アレである。


「あんなことがあった後で、素面で会えるわけがないっていうか……」

「あんなことって、どれ?」


 咲耶は、ずいとベッドに身を乗り出す。

 不可解そうに潜めた形のいい眉。

「声小さくてよく聞こえないの」と大きな目がこちらを見つめ──いや、だから。




「なんでおまえ、人の口吸っといて平然としてるんだよ!!」




 おかしいだろ!! それが一番!!

 ……いや、本当にそうだろうか。問題の優先順位はそれでいいのだろうか?


 駄目だ、理性が鈍い。キスの後遺症で頭がボケてるかもしれない。

 いや、なんだよキスに後遺症って……おかしいだろいい加減にしろよ……。



 間近の咲耶は、ぱちくりと目を瞬いて。

 自らの指を唇に当て、呟く。


「……ああ、そっか。あなたは恥ずかしかったのね」

「は?」

「わたし、口にキスってあまり、恥ずかしくないのよ」

「は??」

「あ、勘違いしないでね。正真正銘あなたが初めてよ?」

「は???」


 こちらが困惑している間、咲耶は「それは良くない、対等じゃないわ……うん、さいわい個室だし……」などとぶつぶつと呟いて。


「ねえ」


 じっと目を、覗き込む。

 包帯の巻かれた指が、絆創膏の上から頬を撫でる。

 既視感で身が竦んだ。


「これは文脈として親愛を意味するし接触も最低限つまり呪術的効力はまったくこれっぽっちもないイコール平気という意味なのだけど」


 呪文のように捲し立てられる言葉の意味を理解するよりも、早く。

 

 咲耶の顔が、近付いて。

 

 空いている左頬に僅かな触れる感触と。

「ちぅ」と躊躇いがちな、

 音が、




「………………は?」




 左腕は盛大に縫ったばかりだということも忘れて、反射的に頬を押さえた。

 ぱっと距離を取った咲耶は、背けた顔を真っ赤に染めて。


「その……わたしには、唇よりもこっちの方が恥ずかしい、わけだから……」


 唇を隠したまま、潤んだ目でこちらを見上げ。




「……これで、おあいこね?」





「は、はぁ〜〜〜!?」



 なんでそうなる、論理がおかしい、こればかりは対等とか公正とか関係ない話だろう!

 正座させられたいのか??

 だが床に正座させるのは如何なものか……と考えて。




 ──そこで、ようやく大変なこと・・・・・を思い出した。





「…………ごめん、芽々。おまえのこと忘れてた」


「え?」


 ニョキ、っと。

 芽々がベッドの下から・・・・・・・生えた。


「な、な……!?」


 咲耶は目を瞬いて。

 ぼっと肌を炎上させた。


「えぇ〜気まず〜……。芽々、色恋沙汰は好きですけど、人の情事を覗き見る趣味はないんですよ……」


 上半身だけを隙間から出して、芽々は床に転がったまま、げんなりとぼやく。

 いや、情事って言うな。


「…………なんで芽々がいるのよ!!」

「先にお見舞い来てたんですけど、『ヤベェ、咲耶の気配がする! 隠れろ! 俺は逃げる!』って、ひーくんが言うから」

「なんで言ったのよ」

「流れだ」

「なんで従ったのよ」

「ノリです」

「揃ってばかなの?」

「かもしれん」

「かもじゃなくてばかよ」


「いや、ごめんな。ほんと」

「芽々も逆土下座で謝ります」

「それ寝っ転がってるだけだろ」

「ばれましたー?」

「…………反省してない!!」


 芽々はようやくベッドの下から這い出す。

「それじゃあ芽々はご退散しますね」と膝を払い、部屋を出て行こうとする。


 だが、その前に。

「あ、言い忘れてましたけど」とくるりと振り向く寧々坂芽々。




「──助けてくれて、ありがとうございます」




 眼鏡の奥のその瞳に星はもうない。




「このご恩は必ずや、です」




 芽々は一切のおふざけがない調子で、礼を言った。

 拍子抜けして曖昧な返事を返す。

 ……あいつも意外と真面目な奴だな。






「あと、サァヤは紐でした。さっき見た」


 ……ヒモ?

 咲耶がばっとスカートを押さえた。

 ああ、なるほど…………。



「帰れ!!!」






 ◇






 ぴゅうっと嵐、もとい寧々坂は去った。

 きっと寧々坂芽々の辞書に反省という文字はない。

 あいつ……。


 まあ、それを差し引いても、芽々には礼を言わなくちゃいけないのだが。

 

 ──あの後、逃した芽々は戻ってきたのだ。祖父マスターに車を出してもらって。(そのまま病院送りとなったわけだが)

 マスターには『今時河原で決闘ですか』と言われた。

 芽々が説明したのだろう。間違ってはいないあたり、微妙な心境である。 




 二人きりになった途端に、お互い無言になる。


 ──実はあれから、丸一日が経っていた。

 怪我の方は体感的に大したことはないのだが。

 原因不明の高熱で意識が戻らなかったらしい。

 いや、不明というか原因はアレなのだが。



「目が覚めなかったら、どうしようって……思ってた」


〝最大の精神攻撃になる呪いを無理矢理に強化魔法に組み替える〟なんてことがリスクなしで済むはずがない。

『どうなっても責任は取る』なんて不穏なことを言うわけだ。


 すとん、と椅子にかけて。

 咲耶は声を絞り出す。




「……無事で、よかった」




 苦笑する。


「無事というにはお互いボロボロだけどな」

「そうね、本当に」

「無事の基準がバグってんだよ。無傷以外無事じゃないだろ常識で考えて」

「あなたがそれを言うの?」

「反省だよ」


 分かってはいるのだ。

 咲耶のことを鈍臭いなどと笑えない。

 奇襲と一撃必殺が専門なので、正面からかち合うと防御がどうにも甘かった。 


 ……もしかして俺、実は勇者じゃないんじゃないか?

 異世界語の翻訳ニュアンスと日本語の語義が噛み合っていない気がする。


 多分忍者とかの方が向いている。

 俺は影が薄いしな。きっと天職だ。次は忍者になりたい。



 などと反省文を脳内でしたためていると。

 咲耶が、ふっと静かに笑った。


「……わたしも、ようやくわかったわ。あなたが無傷で勝たないと意味がないって言ったこと。完璧に勝たないといけない意味が」


 そうだ、何故ならば──





「──入院費コストが、嵩む」

 


「それなのよ」

 



 顔を見合わせて、頷いた。


「期末試験も追試が確定なんだよこれで……」

「だめね。勝負に勝って社会に負けてるわ……」 


 ずぅん、と空気が重くなる。


 果てしなく大問題だった。

 学生の本分こそは学業であり、異世界なんざ所詮『その他』に分類される雑事であるべきだ。

 だから余裕綽綽でクリアしないとならないというのに、本業に影響が出るようでは片腹痛いし物理的にも痛い。


「……二度と怪我しない。二度と」


 鍛え直すか、山で。


「わたしも、二度とあなたに呪いなんてかけないわ」



「…………」

「…………」



 決着はついたのに何故か祝いのムードにならない。

 最強100点を取る気で望んだら辛勝60点が返ってきた試験返却日のような有様だから、そうもなる。


 何よりも──お互い『これであっさり終わるわけがない』という予感があった。



「……ま、でも。六十点あれば合格だろ」


 異世界むこうじゃ手を組んだ後も散々な仲だったので、連携なんてこれっぽっちも取れなかったことを思えば。


「次はきっと、もっとうまくやれるさ。俺は伸び代しかないからな。身長だってまだ伸びる」

「まだ欲しいの?」

「でかいと強い」


「?? わたし、ヒール履くのやめようかな……キスしやすくてよかったのだけど」


 …………鍛え直すか、滝で。








「あ」


 咲耶が何か思いついたように声を上げた。


「思ったのだけど、キス、二回ともわたしからじゃない?」

「……だから?」


 ものすごく嫌な予感がした。

 咲耶はものすごく真剣な顔で言う。



「…………不公平じゃない?」

「何言ってんの?」


 何言ってんの?


「わたしたちの関係は対等であるべきよね」

「そうだな」





「つまり──飛鳥もわたしにキスするべきじゃない?」



「頭お湯か?」





 きりりと目を輝かせる咲耶アホ


「今なら何を言っても『呪いの後遺症だから仕方ない』で片付くことに気付いたわ!」

「言ってんだよ腹の内全部」


「ほっぺたでいいのに?」

「おまえそれさっき一番恥ずかしいって言っただろうが!」


「細かいことはどうでもいいと思わない!?」

「よくねえよ!! 恥を知れ、時と場合を弁えろ!!」


「わたしにキスしてよ!!!」

「い・や・だ!!!」



 咲耶はしゅん、と縮んだ。

 やばい、強く言い過ぎたか。


 傾げた首が、不安げな瞳が、こちらを見る。



「……イヤ?」



 顔を背けた。


「今は、格好悪いから、嫌だ」


 時と場合を弁えてほしい。

 病院は嫌いだ。

 ここじゃ何をやっても格好が付かない。




「…………いつか、そのうち。な」




 横目に見る。

 あきれたように咲耶はくすくすと笑った。


「意地っ張り。格好つけ」

「うるせ」





「でも好き」




 そう言った彼女は、とびきりの、笑顔で。




 返事に詰まったのは多分。

 世界のせいなんかじゃなかった。







 ◆







 わたしは思う。



 ──ほらね、思った通り。簡単じゃあなかったわ。


 現実は中々思うようにはいかなくて。

 時々軽口ひとつ叩くのにも不自由して。

 触れ合うことすらままならない。

 普通に恋をすること、ただそれだけがどうにも難しい。


 それがわたしたちの現実で。

 もう少し、それが続くのだろう。



 でも、きっと大丈夫だ。

 あなたが「なんとかするさ」と言って、わたしが「そうね」と答える限り。


 今のわたしには、あなたの無茶を止めることすらできないけれど。

 あなたと一緒に無茶をすることくらいは、できるのだから。


 二人ならば。

 こわいものなんてひとつもない。


 ──そうでしょう?




 そうして走り続けて、変わり続けて、助けられた分を助けて。

 あなたの隣にいられればいい。


 あなたが、わたしの絶対であるように。

 いつか。

 わたしが、あなたの〝絶対〟になれたらいい。




 


 ──そう願って。


 わたしはあなたに恋を、し続ける。

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