第30話 それでも少女は夢物語を愛している。

 俺はただ、目の前の光景を見ていることしかできなかった。


 逢魔時の橋の上。錯乱の悲鳴を上げた彼女はぶきを取り落とす。そのまま橋の上に落ちて、砕けて消えた。元が玩具のそれは、一発切りの代物まほうだ。


「……いや、やだ。いやよ。やだ、死にたくない。こないで死んでおまえが死んでよ呪ってやる滅ぼしてやる死んで死んで死んで、死んでよ……!!」


 いつかの海で咲耶は言った。──どうして魔女になったのか

『ごめんね。あなたには言いたくない』

 当たり前だ。こんなもの……言えるわけがない。


 歯を砕けるほどに噛み締める。硬直はまだ解けない。虚な目で頭を押さえる咲耶に駆け寄ることもできず、間近、魔王に剣を突き付けたまま睨み合う。

 奴は、自らの造り出した魔女を前に哀れむように目を細め、揶揄するように嘯く。


「なあ勇者。君はあの子を人と扱っているがね、そんなものではないんだよ。──魔女あれは文月咲耶の怨霊だ。その精神は過去の亡霊に過ぎず、脳細胞の一片までもはや元の人間だった頃のものはない。それでもキミは──、


「うるせぇ! その問答は・・・・・もうやった・・・・・!!」 


 俺は俺が何であるかを彼女に信じさせた。ならばこちらとて、同じこと。


「あいつがなんだろうと信じる、それだけだ!!」


 奴は、拍子抜けしたように赤い両眼を見開いて。


「なんだ、つまらない。つまらないが……昔はろくに返事もしなかった木偶人形が、よくも感情を露わに激昂するようになったじゃないか」


 その手の中に光り輝く魔法陣を展開、


「──少し、面白くなってきたよ」


 立ち尽くす咲耶に、言う。


「魔女。『彼を殺せ』と言いたいところだが、それで我に返られても困る。生かさず殺さず慈悲深く、せめて前回の本願だけは果たすといい。『──右腕を破壊しろ』」


 聖剣本体が砕けずとも、引きちぎればそれで接続は切れる。聖剣を使えなくなる。

 舐め腐った話だ。命は見逃す、生身の俺など脅威ではない、と言われているのだ。腹立つな。死ね。


 魔女は手を翳す。魔法の予備動作。俺一人ならばどうとでも避けられる、が。

 背後には、人がいる。トランクを背負ったままへたり込んでいる寧々坂芽々が。

 洗脳解除の反動。魔眼の硬直。おそらく恐怖もあるだろう。あれは一般人だ。動けないのも当然だ。


 ──彼女の詠唱が聞こえる。唱えられるのはシンプルな〝破壊〟の文言。


 判断は一瞬、今は魔王も魔女も諦める。

 芽々はこちらが巻き込んだ人間だ。何をおいても守らなければならない。だが、ここでは狭すぎる。


 ──魔法が放たれる。何かが横をすり抜け、橋の欄干を壊す。


 次弾が放たれる、その前に。

 俺は小柄な芽々を担ぎ、


「舌噛むなよ!!」


 橋から川へと飛び降りた。


「……へ? う、わわわわわぁ!?」


 バシャァァン!! と盛大に水音がする。水面に対し受け身を取った、衝撃は問題ない。ずぶ濡れになって「ひぃん」と鳴いている芽々も問題ない。





 雨が、降り始めていた。

 空は現世そのままの色彩、だが水面の色がいつの間にか変わっていた。あの異世界の海のような、真っ赤に。

 ──いつの間にか、この空間が擬似異世界に塗り変わっている。おそらく魔王の仕業だ。魔女の張った結界は既に乗っ取られていた。


 俺たちは陸に上がる。壊れた橋の欄干から見下ろす敵が二人。そして魔女は、いつかのように七つの蛇の使い魔を繰り出す。ただし、前回とは段違いの出力で、だ。彼女の頭から生えた角が、魔法の出力の限界を押し上げていた。


「うげ、本気かよ」


 ヤバい。咲耶が敵に回るとかなり困る。あいつが本気だと俺が加減できない。加減できないとまずい。なにせ聖剣で付けた傷は不死身といえど再生しないのだ。

 魔王は動かない。依然、指先には光り輝く魔法陣が展開している。あれが咲耶の頭の中に入った術式と連動し、正気を削り続けているのだろう。

 ──あまり長引かせたくはない。長くなるほど、彼女は地獄を夢に見ることになる。

 飛んでくる使い魔の蛇を斬り落とす。


「クソッ危ねえな! 俺はいいけどさ、芽々ごと巻き添えはやめろよ咲耶、嫌われるぞ!?」

「論点そこです??」


 ようやく芽々が動けるようになったらしい。横目に見る。


「大丈夫か」


 こくりと頷く芽々。レインコートの裾からしとどに水が滴っていた。両手には相変わらずのトランクケース。


「ちょっと待ってろ。今逃す」


 アレをなんとかするのはそれからだ。

 だが芽々は首を横に振り、口を開く。


「──飛鳥さん」

「なんだ」


「芽々は、ずっと・・・正気でした・・・・・


「……は?」



 ガタン。と、芽々は頑なに手放さなかったトランクを、砂利の上に降ろす。


「──知ってたんですよ。なんでも願いを叶えてくれる魔法使いなんて、〝詐欺師〟と相場が決まってるってコト」


 トランクを開ける。その中にあったのはいつか芽々の部屋で見た、バラバラに分解された、作り物の・・・・マスケット銃・・・・・・だった。


『飛行ユニットには狙撃武器じゃないですか?』


 まさか。


「……冗談だろ?」


 瞳の中に、輝きの弱くなった星が灯る。

 芽々は、ちっとも笑っていなかった。



「本気ですよ」



◆◆




 寧々坂芽々はファンタジーを愛している。


 遠いご先祖様は魔女だと寝物語に聞かされて育った。幼い頃の将来の夢は魔法少女だった。普通の高校生として育った今もオカルト好きで、異世界に行けるなら本気で行きたい。

 寧々坂芽々はそんな、浪漫主義者ロマンチストで。そして同時に、そんなロマンに幻滅し続けてきたのだ。


 だって、現代じゃ魔女は滅んでるし。自分の目は変な幻覚ばかり見るし。オカ研に部員は増えないし。当然、魔法少女にもなれやしない。

 現実も現実のファンタジーも、しょっぱい上に結構しょぼい。


 だからこそ、虚構のファンタジーが好きで。ありもしない異世界の物語が好きだった。

 ──虚構ウソは絶対に裏切らず、夢を見せてくれるから。



 だからあの二人が空から落ちてきた時も、本当はさして興味を持たなかったのだ。


(え、何? どっかで魔術師が抗争でもしてるんです? げきこわ……)


 寧々坂芽々はカタギなので、「ひえー」と思って見なかったフリをした。


(関わらんどこ……)


 そのまま、普通に寝た。目になんか刺さったから明日眼科に行こうと思った。そして「異常ナシ」というか、いつも通りの「異常アリ」とお墨付きをもらい、芽々はすっかりあの夜のことを忘れたのだ。

 なべて世はこともなし。気にしたら負け。人一倍好奇心はあるけれど、好奇心に殺される猫にはなりたくない。そういうもの・・・・・・に好かれるとろくなことにはならないのがお約束セオリーだ。

 仮にも末裔であるが故に、そう教わって育った。


(首を突っ込むのは他人ひとの色恋くらいで十分です)


 ──だから、徹底して近付かないでいたのに。


 五月。突然、目の中に星が現れて。突然、窓に現れた魔法使いに魅入られた。


『契約をしようじゃないか』


 それが危うい甘言だと知って、飲み込む以外の選択肢がなかった。提案ではなく脅迫──断れば、何をされるかわからないと、本能的に理解した。

 そうして寧々坂芽々の、そこそこ平凡で穏やかな日常はズレたのだ。


(……さいっあくです)



 ──現実の異世界ファンタジーには、夢も希望もへったくれもないじゃないですか。




 ◆◇




「だって先輩は頭おかしくなってるし。魔女サマには人間じゃねー角ぶっ刺さってるし。芽々は詐欺のカモにされてるし。どー考えても激ヤバですよ。てか腕ないし。げきこわ。ガン萎え。もう最悪!」


 トランクの中身を組み立てながら捲し立てる芽々に「あっうん、そうだな」と飛鳥は頷く。魔女が撃ってくる魔法を斬りながら、だ。


 ──魔法使いの誤算は、寧々坂芽々が誘導されながらもそれを〝自覚〟していたことだった。

 幻覚を見やすいという生まれつきの体質。そのせいで異世界と繋がる羽目にもなったのだが、そのおかげで寧々坂芽々には狂気や洗脳、暗示に対する〝耐性〟があった。

 眼鏡無しに道を歩けばその辺に巨大な毒キノコを見たし、空を見上げればサイケデリックなマーブル模様、今日は同級生が宇宙人に見えるなと思ったら、同級生が宇宙人のコスプレをして授業を受けているだけだった。(これは体質と何も関係ない)


 ──要するに。

 異世界と現世という光年よりも離れた場所から、魔術を行使するのだけでも不可能に近いというのに。普段から頭のおかしいものを見慣れている人間の頭をおかしくするのは、流石の魔王でも一筋縄ではいかなかった。

 そんなわけで、芽々は現状を認識できていたのだが。


「なんですかっ脳味噌だの身体だのいじくり回すって! おかしいでしょ!?」


 すっげえまともなことを言うなこいつ、と飛鳥はちょっと感動した。


「あー! これずっと言いたかったんですよ!!!」


 やけくそ気味に叫んだ。なにせ魔法で口止めされてるから『たすけて〜』も言えない。口止めの魔法の範囲は厳密で、色々試してみたが暗号すら送れない始末である。なんのための正気ですか、と頭を抱えた。腹立ったからもずのはやにえの写真送った。


 ならば大人しく助けを待つ? 無理だ。先輩たちはなんかイチャつくのに忙しい。意味がわからない。なんで? こうなったらもう、全力で茶々を入れるしかない。自分の命運がこの人たちにかかっていることを考えると苛立ちでラブホ行けとしか言えない。


 そうして、寧々坂芽々は悟った。

 ──あっこれ、自分でなんとかしなきゃいけないやつだ、と。




 だから、準備していたのだ。この手で一矢を報いる方法を。


「これでも魔女の末裔ですからね。魔術とか、使えないだけで勉強だけはしてきたんです」


 ずぶ濡れのレインコートを脱ぎ捨てる。その下はついこの間自作した、たっぷりのフリルとレースの衣装だった。〝魔法少女〟の衣装。


 ──魔法の行使において、装いは重要である。

 装いは、己が何者であるかを定義するものだ。自他の精神へ影響を及ぼし、魔法の出来すら左右する。では何故、寧々坂芽々は魔法少女を纏うのか。


 ──契約の対価に『なんでも願いを叶えてやろう』と魔法使いは言った。

 その言葉自体が願いを強要する暗示だったため、否とも言えない芽々は咄嗟に答えたのだ。

『魔法少女にしてください』と。

 幼い頃からの、ささやかな夢を。


『ふむ。不可解な願いだが……要は魔法の才が欲しいってことだろう? 少しだけ引き上げてやるとしよう』


 そして芽々は、ほんの少しの力を手に入れた。相手もまさか自分が与えた力に手を噛まれるとは、思ってもないだろう。



「だいたいさー、最強とか世界一とか自称するヤツは舐めプなんですよ」

「俺の悪口かそれ?」

「舐めプじゃなかったら芽々ほっぽってデートとか行かんでしょ!」

「じゃあ何のために生きてんだよ!!!」

「急に哲学!!?」


 喚きながら。作り物の銃の最後のパーツをガチャンを押し込んだ。


「まったく、ひーくん先輩は仕方のない人ですねっ」


 弾もなければ中の仕組みは何もない、完全にハリボテの代物だ。けれどそれこそが彼女にとっての魔法の杖だ。

 ──濡れた衣装を翻し、銃の形に仕立てた杖を掲げて。


「しょーがないので、ちょっぴし手伝ってあげます」


 寧々坂芽々は悪戯っぽく瞳を輝かせて笑うのだ。



「──超絶カワイイ魔法少女な後輩が!!」




 つえを構える。使う魔術は最もシンプルな魔弾だ。

 異世界の話は彼と彼女から聞いていた。てきの情報も、向こうの魔法の流儀ルールも。そして五月の夜の彼らの痴話喧嘩の内容も、見た。


「『定義します』」


 やるのは真似事。契約に基づいて、瞳の星を代償に、人生で一発きり。

 今、この瞬間。寧々坂芽々には魔法が使える。


「魔法少女は空想の存在です。夢で、虚構ウソで、砂糖菓子。竜もまた空想の存在、この世界には存在してはならないものです。同じ・・空想・・ならば・・・空想を・・・撃ち抜ける・・・・・


 ファンタジーが好きだ。メルヘンが好きだ。描かれるのは全部嘘で、なんの役にも立たない、砂糖菓子みたいな話がいい。

 教訓なんてくそくらえ。楽しいコトだけが正義だ。そう思っている。

 なのに。ある日クソッタレな教訓が、空から降ってきた。 


 本物の異世界は──現実は、そんなに甘くない?

 ならば、そんな現実ものはいらない。

 

 ──だって憧れた本物が、そんな虚しいものであっていいはずがない。

 ──そんな虚しいものに、つまらなくも楽しい日常を、脅かされていいはずがない。


「よくも芽々の夢をぶち壊しにしてくれましたね、魔法使い」


 それが寧々坂芽々の行動原理。空想を愛する魔女の末裔、現代に生きる普通の少女の願いであり、


「芽々を舐めたこと、後悔させてあげます!」



 ささやかに張る、意地だった。

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