第3話 正月の日の丸


滅鬼の刃 エッセーノベル    


3・正月の日の丸   





 昔の正月と言うとしめ縄と日の丸が当たり前でした。


 昭和の言葉では、正月三が日は旗日であります。


 会社や大きな商店ではしめ縄・日の丸どころか門松が玄関や門前に据えられていました。門松は値の張るもので、本格的なものは、職人さんが出張って、門前で作っていたりして、ある意味、ステータスシンボルでもありました。


 昔と言っても戦前の話ではありません。わたしが子どもの頃の正月ですから、昭和四十年くらいまでのことです。


 元日の朝、年賀状を郵便受けから出そうと表に出て見ると、通りに人気(ひとけ)のないことと、大晦日とは打って変わったしめ縄と軒ごとの日の丸。その新鮮さに、子どもながら『年が改まった』と感じたものでした。


 いまは、門松はおろか、しめ縄も日の丸もほとんど見かけません。


 いまは、昔、門松があったくらいの割合でしか日の丸を見かけません。


 そして、学校や官公庁には年がら年中日の丸が揚がっています。



 学校に勤めていたころ、入学式や卒業式を控えた職員会議では必ず『日の丸の掲揚』が問題になりました。


 校長が、日の丸の掲揚をお願いすると、組合の分会長あたりが手を挙げて「日の丸は侵略戦争の象徴であって、学校の行事に掲揚することはそぐわない」と反対します。議長が「他にご意見はありませんか?」とふると、数名の先生から手が上がります。


「国旗にアイデンティティを求めるのはアナクロです」


「日の丸は国民的な同意を得ていない」


「侵略戦争の意味を考察することなく掲揚することは許されない」


「外国籍の生徒だっているんです」


「日の丸問題を教育現場に持ち込むな」


「日の丸の強制は戦時政策で、戦時中そのものだ」


 と、まあ、こんな意見が述べられます。


 で、「それでも日の丸は掲揚します」と校長が宣言しておしまい。



 当初は、式の時間に校長室に優勝旗のように飾られるだけでした。


 次に、グラウンドのポール、その次には式場の隅に、その次には壇上の隅、その次に演壇の横、その次には舞台の正面に校旗と並んで掲げられるという、今では一般的なスタイルになりました。そして、式の最初に唱和する『君が代』とセットになって令和の今に至っています。


 子どもの頃の記憶が鮮明なわたしは、手を挙げて、こう言いました。


「戦後も平気で揚げていましたね。日の丸の忌避は野党やマスコミの日本批判の『ためにする』シンボルにすぎないと思います」


 そして「侵略戦争の残滓であるという事実に目をつぶっている!」的な反対意見に袋叩きの目に遭ってきました。


 特に戦時政策を研究しているわけではありませんでしたが、記憶をもとに意見を述べました。


「戦時政策の残滓なら、他にいっぱいあります」


 みんな「はて?」という顔になります。


「電鉄会社や電力会社、ガス会社などは大手企業の寡占状態ですが、これは戦時中に戦争遂行のために統合されたものです。東京が都政を布いて東京市を廃止にしたのは戦時中です。日本語を横書きにする場合、左から書きますね。あれは委任統治領であった南洋の人たちが「右書き左書きが混在しているので混乱する」と南洋庁からの申し出があって、戦時中に左書きを標準とすることに政府と軍部が決めました。

 ことほどさように、戦時政策は改正されることなく続いているのです。そこを言わないで日の丸だけを目の敵にするのは、間違っておりませんか。戦時政策の残滓を解消するならば、横書きを右書きにし、東京市を復活し、寡占企業を解体する事こそ大事で、分かりやすくはないですか」


 こういうことを発言してきました。


 みなさん黙っているか、それ、ほんまか? という顔をなさっていました。


 組合や政党の支持や闘争方針にはないことなので、どう理解していいかお分かりにはならなかった様子でした。


 まあ、上から下りてきたドグマを無批判に信じてきたことからくる一種のゲシュタルト崩壊であります。日本人というのは自分の判断ではなく「みなさん、そうおっしゃってますから」式のものにひっぱられます。そういう理屈ではない思い込みをドグマと申します。


 このドグマは先生たちにとっては学校と言う狭い世界でアイデンティティを維持するための滅鬼の刃でありました。


 あまりに狭い世界でしか通用しない滅鬼の刃だったので、とっくに擦り減って、今までは、どこの学校でも目立つ屋上のポールに翩翻と日の丸が翻っております。


 かつて日の丸に反対した先生の幾人かは、校長になって、昔からそう言っていたかのように「日の丸は国旗であります、学校に国旗を掲揚するのは当たり前です」のフレーズで絶滅危惧種になった先生たちを瞬殺しておられます。こういうのも、やっぱり滅鬼の刃なのでしょうね。


 ここまで書いて、お茶でも飲もうかと立ち上がると、体のあちこちからカチャカチャ、あるいはガチャガチャと落ちてくるものがあります。


 見下ろすと、何本あるのか分からないくらいの滅鬼の刃です。


 手に取ると、みんな錆びついております。


 まあ、死ぬまでに一度くらいは磨いてもいいでしょうか、しばらく続けます。

 

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