職場と自宅の往復
もう何年も僕は職場と自宅の往復のみの生活をしてきた。
僕の住む西長堀は南に道頓堀川、西に木津川が流れている。
京都出身の僕はそれ程大阪の地理には詳しくない。
大阪に流れる空気と京都に流れる空気はまるで違う。
夜の街の灯火も僕が住んでいた先斗町のガス灯のような柔らかい灯りとはまるで違う。
大阪の街の中に居心地の良さを全く感じることが出来なかった僕は、ずっと職場と自宅の往復のみの生活をしていた。
5年間の予定で心斎橋にある父の弟子にあたる藤堂さんの元で修行をしてきた。
大阪に来て2年目の春、父が突然亡くなった。
神戸でパテシィエをしていた姉、洋子が、
「正人が無事に修行を終えて帰って来るまで、私とお母さんで店は守るから」
と言って実家に戻り、母以上にテキパキとお店を切り盛りするようになった。
その翌年、姉はお店で働く職人の秀人さんと結婚をし、実質姉と秀人さんがお店を切り盛りするようになった。
僕の修行が終わる前の年に、アスパラのベーコン巻きやら、握り寿司やらの本物と見分けがつかない秀人さんが作る「創作和菓子」が海外のメディアで取り上げられ、大勢の外国人客でごった返すようになった僕の実家の和菓子店は、たった一年で新たに2店舗の支店を出した。
姉と秀人さんは、
「本店は正人が継ぐべきお店だから、正人が帰って来たら本店はあんたに任せて、私たちは支店のみを切り盛りするわ」
と言っていた。
でも本店に訪れる客も今は全て秀人さんが作る創作和菓子を目当てに訪れる客だ。
僕はどうすれば良いのか分からずそのまま更に2年を藤堂さんの元で過ごしたが、
「ちょっと正人! どう言うつもりなの? 修行はもう終わったでしょ?さっさと家に帰って来なさい! 」
と毎日のように姉から電話が入るようになっていた。
藤堂さんも父に顔向けが出来ないから家に帰って早く後を継げと言うようになった。
でももう今の実家のお店は僕の記憶にある父のお店ではなくなっていた。
藤堂さんは、
「和菓子でアスパラのベーコン巻きやら握り寿司やらを作るのは邪道だ。早く実家に帰ってお父さんの和菓子を復活させて来い。老舗の伝統を廃れさせてはいけない。」
と僕をけしかけた。
僕の修行中にお店を守ってくれたのは姉と秀人さんだ。お店は大きくなり、秀人さんが作る「創作和菓子」が目当ての客は皆笑顔でショーケースを覗いている。
僕はいったいどうすれば良いのだろう。
何が正解なのだろう。
僕は僕が思う和菓子を作りたい。
だけど今の実家のお店には僕の居場所はもうないような気がして仕方がなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます