掌編小説・『大仏』
夢美瑠瑠
掌編小説・『大仏』
掌編小説・『大仏』
黒土萌音(くろと もね)は、仏教美術の研究家で、画家でもあった。
東京芸大を卒業していて、二科展にも何度か入選していて、個展もよく開く。
まあ順風満帆な人生で、31歳で独身だったがかなり優雅な暮らしをしていた。
女一人旅で全国の有名な仏像や古刹を経めぐって、デッサンをするのが日常だった。絵画的なテクニックが飛びぬけているので、油絵も写実画も能くものにしていたが、最も評価されて自分でも得意だったのは、墨絵風のクロッキーぽい仏画だった。 そのタッチが独特で、仏像の外形よりもその本質の方に鋭く迫っている、仏の心、魂魄だけを繊細で純粋な魂が直観して、天才的な才能と技巧で描出している、そういうユニークな趣だったのだ。
たまには、その画に自作の漢詩を添えたりする。
萌音は、前衛的でもあり、古典的でもあるという不思議な作風のアーティストとして広く評価されていた・・・
・・・ ・・・
今日は萌音は、初めて奈良の大仏のデッサンに来ていた。
あまりにポピュラーで、偉大過ぎて、どうも敷居が高い感じがあったのだが、丁度、奈良に用事があって、奈良の主な仏像は描きつくしたので、一度この「大物」に正面から向き合ってみようと思ったのだ。大体デッサンを何枚か描いて、そのデッサンをもとにアトリエで仕上げをする、という工程で仕事を進めるのだが、とにかく巨大なので構図のアングルや距離をどうとるかに苦労した。
右斜め真下、というロケーションが採光やらその他で最も荘厳に見えたので、そこに座ってデッサンを始めた。15分ほど描いたくらいの頃合いに、萌音は、旅の疲れが出て、ついうとうとっとした。大仏殿はちょっと暗いし、静かなので、春眠暁を覚えず、という古来のコモン・センスに襲われたわけである・・・
そのうたた寝の夢には、やはりというか、「大仏」その人?が現れた。
「のちの世の絵師よ、よくぞ我を描いてくれることになったな、礼を言うぞ。」
大仏は丁度、銭湯の中で喋っているような、ワンワンと虚空に反響するような声音でのたまった。「われは天平の世の大権力者、聖武の帝が国家の安寧と、仏教の興隆を願って、十余年かけて、延べ260万人の力を借りて建立した盧舎那仏じゃ。当時の金で総工費は4600億円かかったと言われておる。
今日4月9日はその開眼法要が行われた日じゃ。
天平の世には戦乱や地震などが多くて、人心は乱れておった。それを憂えた帝が有難い仏教への帰依と信仰を国家をかけて示すことで鎮護国家を人々のために実現しようとした・・・大仏殿建立はそういう壮大なプロジェクトだったのじゃ。今ではちょっとなしえないような、偉業といえるかもしれぬ。
どうかそういう帝の心と人々の願いとがこもった我の尊い姿をおぬしの絵筆で活写してくれたまえよ。期待しておる・・・」
・・・ハッとして萌音は目覚めた。
「ああ、大仏さまの魂が・・・夢という形で私を励ましてくれた・・・
なんて尊い夢だったろうか。そうね、大仏殿建立とそれによる人々の幸福が聖武天皇の「夢」だったんだわ。そういう尚古の時代の、虹を追いかけるみたいな、壮麗なロマンチシズムみたいなものを私は表現してみたらいいんだと思う・・・」
萌音は熱心に絵筆を揮いだした。大仏はどこか微笑しているような、アルケイックな表情をしているように見える。きっとその意味するところは「慈悲」だ。衆生済度という大乗仏教の神髄をこれほどに端的に表現している存在はない・・・
萌音は殆ど聖武天皇や大仏の魂と一つになったように、一心に炭のペンを走らせていた・・・
そうして、2か月後に黒土萌音作の「大仏図」という題の画が完成した。
墨絵風の荒削りな迫力のあるタッチに、金粉やフェルメールばりに瑠璃などを使って、伝統的な蒔絵をコラージュしたような大作に仕上がっていた。
斬新に解釈された大仏の表情はおおらかに「慈悲」の微笑を湛え、光り輝いていた。人間の愚かさやそのための苦しみを、全て赦し、そうしてすべての人々を極楽浄土へ導こうという、そういう大乗の願いに満ちていた。
大きいのだ、途轍もなく仏の心というものは大きいのだ、その、圧倒的な大きさというものの尊い功徳というものを、極限まで表現しきった、すごい筆力と尽力で描かれた画が出来上がっていた・・・そうして、絵の端にはこういう漢詩が添えられていた・・・
「想大仏尊顔絶後
巨躯孕大慈悲永
信仰帰依遼遠伍
聖武一炊夢常世」
<了>
掌編小説・『大仏』 夢美瑠瑠 @joeyasushi
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