十九
詠三日 海座
読み切り
賭けをした。単純な賭けだった。きっとこんな無茶は、青い春と書いた年頃の自分にしかできない。青春、はて、果たして10代最後の歳が青春の只中のうちに入るのか、きっとそれはわたしが 「呆れた、これはそうだ、まるでやんちゃ、青春だ」と直感することに、意味や価値が、後から尾ひれのように着いてくるのだと思う。後先考えずに全てを置き去りにして、駆け抜けて行くのだ。もちろんそれが正解か不正解か、当たりかはずれかなども、さて置かれたものである。賭け事もそうだ。
わたしと彼女の2人きりで賭けをした。終電間際、まだ明かりの着いた店の前だった。冬の夜が引き連れる底冷え、寒々とした街灯の下で白い息を漏らしながら――話を持ち出したのはわたしだ。
「あそこで彼が働いていること、前に話したね。今日は忙しいらしい。わたしの終電の時間までに彼がお店から出て来たら、今夜は君の家で一晩中起きているよ、いいね」
彼女は目を輝かせてふんふん頷いた。可愛らしい子だった。
月曜日、今週は1日たりとも夜更かしなどしていけない、予定が過密に立て込んだ週のはずだった。無茶苦茶だった。何も間に合わない。きっと明日までの原稿も、明後日までのレポートも、遅れてしまうあげく、後の会議もアルバイトもへとへとになって突風に吹かれたように週末を迎えるのだろう。
それでも、今日は泊まって行って欲しいとねだるこの寂しがりの彼女と、目の前の店で働いているなんの罪もない彼を賭けに出してしまったわたしは本当に適当で無茶苦茶だ。雑であるし、単純だ。終電までに、一目でも彼にお目にかかれたならば、それはそれは気分が良くなるので君のわがままにも付き合ってやろうなどと、要約すればそういうことであって、自分の欲と掛け合わせて思わず口滑ったわたしは本当に馬鹿だと思う。
彼が店で今どのように忙しいかなど、全く興味がない。ただ、今日の勤務が済んで、店から出ればすぐ目につくほど近くに、それでいて少し離れた距離にわたしと彼女は立っていた。突っ立っていた。だらだらとつまらない雑談をしてお互いに快感を得ていた。冬の夜は指先の温もりに吸い付いてくるものだが、今か今かとどきどきしながら冬の寒さに耐え、なんだかほっこりとさえする感覚を残したまま、彼に「あ、」などと声をかけられたならば、これほど幸せなことはない。幸せの標準値などこれくらい低くてちょうどいい。
彼女は賭けに乗った。それから始終、彼が店から出てくるのをわたしより心待ちにするのである。
店の中を少し覗くと、白いユニフォーム姿が店内をあちらこちらとバタバタと駆け回っているのが見えた。片付けが長引いているようだった。
この賭けに負けたら――つまり彼より終電時間が先にわたしを出向いて来てしまえば、賭けには勝つが、しぶしぶ電車で1時間、こくりこくりと揺られて帰宅するのだろう。そんな孤独で空虚な帰路を、内心嫌がる自分もいた。もちろん大人しく帰って、やらなければいけないことが洒落にならないほど山積みになっていた。あまりに険しい剣山を前に、気圧された。憂鬱になった。いつか片付けなければならないことに目を逸らしている。今日はサボろうと山の麓でちょこちょこと寄り道をするのだ。
全く自分のためにならない、哀れな賭けだ。そこまでしても滲む我欲、彼を一瞥するだけでよかった。想いとは恐ろしい。盲目になる。いつか、大人になれば、この10代を終えれば、こんなことはめっきりなくなるだろうか。恥ずかしくなってぐりぐりと抑えようとするのだろうか。
不意に「あ」と、彼女が声をあげた。
「あ」と、直後に背後からも同じ調子で声がかかった。
振り向くと、すっかりユニフォームを着替えて、分厚い上着を羽織った彼が、店の扉を後ろ手に閉めて立っていた。
至福、なんてラッキーな夜だ、そう思った。
「滅茶苦茶だ。今夜は1晩徹夜で原稿、そして君の愚痴も聞くね」
はっと少し弾んだため息を漏らした。白いもやが街灯の白さに馴染んで消える。彼は一体なんのことかと首を傾げている。彼女はいつになく嬉しそうだった。
わたしはしぶしぶと顔をしかめつつも、口元は緩んだまま、かじかむ手で母にLINEを送る。明日帰ったらちょっとした小言を言われるだろう。こんなことが若さか、10代か、だとしたら青春という言葉は気の毒に、甚だ酷いレッテルを貼られているものだ。
『終電逃したから、朝イチ始発で帰る』
手がかじかんで、文字を打つのが一苦労だった。短い一文を打ち終えて、おもむろに彼女に画面を向ける。送信ボタンを押すのは、賭けに勝った彼女の特権だ。遠くで電車の出発のサイレンが聞こえる。さよなら、終電。頑張れ、明日からのわたし。LINEの既読はすぐについた。返信が来る前にさっとスマホの画面を閉じる。夜の寒気が、ずいぶん指の感覚を連れて行ってしまった。
十九 詠三日 海座 @Suirigu-u
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