第33話 (空くん、星川ちゃんは、すごくいい子だと思うんだ)

 冷めた目で笑われたわけではない。

 だが、そのあたたかな笑顔がどこからきたものなのか、俺にはわからなかった。


「あーごめん。ちょっと懐かしくなったのよ。雪菜のことが」


 小さな声で「雪菜」と言う星川さんの表情には、懐かしむような、遠くを見る目だった。笑っているけれど、その奥には目に見えない寂しさのような何かがあるように見えて……。


「嫌いじゃなかったのか……?」

「そうよ。大嫌いだった。でもあるじゃない。失ってから初めて気づくものって」

「そう。かもな」


 星川さんの言うことはよくわからない。それでも、ユズを失った後の俺には、共感できる部分がある。


「あの頃は大嫌いだった。けど、雪菜と本当の友達になれていたら、きっと私は友達と言える友達を持つことができたかもしれない。あの子はずっと、私と友達になろうとしてくれたのかもしれない。気がついてたのよ。私が本当の友達を持っていなくて、一人だってことに」


 誰にでも平等に接する。だったか。

 嫌がらせをされても、傷ついても、最後まで雪菜さんは星川さんの友達になろうとしていたのか。

 全然、俺なんかと比べられていい人物じゃない。

 ユズに別れを告げられて、何も言えなかった俺は、雪菜さんのようにはなれない。


「日向君も、イマジナリーフレンドと話してるときはすごく楽しそう」

「別に、楽しそうに話してるつもりは……」


 今の会話、俺が発した言葉は二言だけだし、楽しそうに話していたのはハナのほうだ。まあ、ハナと話をしていてつまらないと思ったことはないが。


「顔に出るの。会話してるときって。つまらないときなんかは特に」


 まるで何度もその顔を見たことがあるように言った。


「まあ、私は完璧に演じきれていたんだけど」


 自慢なのか? それ。


「きっと雪菜は、私のつまらない話を本気で楽しんでくれる。本気で笑ってくれる。そういうよくわからない想像をするうちに、嫌いだったはずのあの子の笑顔が、好きになってた。だからあの頃雪菜に嫌がらせをしていた私のことは……本当に嫌い。大っ嫌い」


 今はいない雪菜さんのことを、星川さんは想像で作り出して、友達になって。それでも、実際に話すことはできないし、触れ合うこともできない。全部自分の幻想で完結してしまう。


 まるで、イマジナリーフレンドのようだ。


「羨ましいの。気を遣う必要のない友達が」


 確かに、俺たちは気を使う必要なんてない。お互い何を考えているかなんとなくわかって、嘘もつけない。だからディスったり褒めちぎったり、やりたい放題。そういう関係だ。

 でも、星川さんが生きてきた世界は、俺とは真逆。常に相手の心の裏を読んで、関係が壊れないように慎重に行動する。そんな生き方、とても俺には真似ができない。きっと星川さんも、どこかでストレスを感じていたのだろう。


「ただの自己満足で、最低なのはわかってる。それでも私は、あの頃の償いがしたい。誰かを傷つけたまま、終わりにしたくない」


 星川さんは、まっすぐと俺の目を見た。

 確かに、ユズが傷ついた理由のひとつは星川さんだ。けれど、星川さんは何もしていないし、原因は俺にあるのはわかりきってることだ。

 俺は、まっすぐと見つめられたまま、はっきりと言う。


「俺が傍にいると自分が孤独だと気づくって、言ってたんだ。それを聞いて、無理やりあいつを引き留めることなんてできねえよ」


 いつの間にか空になっていたタピオカの容器を潰していた。


「星川さん。これは俺たちの問題だ。だから、もうこれ以上関わらないでほしい。きっとあいつには、この世界は辛すぎる。……でも、色々話してくれてありがとう」


 「じゃあな」と一言言ってから、席を立つ。

 容器をゴミ箱に捨てて、俺は店を出た。


 今更、星川さんが四人席に座っていた理由がわかった。


 ――俺の友達が座れるように、席を空けておいてくれたのだ。


 バカかもしれないな。あの人は。自分には見えない人物を、本当の人間のように扱ってくれている。そんな人、今までに出会ったことがない。ユズを除いて。

 だからこそ、これ以上関わりたくはない。

 名前が一緒で、孤独で、馬鹿正直で、他人のことばかり考えて……。

 星川さんは、性格は全然違えど、ユズとの共通点が多すぎる。あの人といると俺が作り出して消してしまったもう一人のユズを思い出してしまう。

 だから、もう――。


「待って」


 気が付くと、目の前に星川さんがいた。手には抹茶ラテを持ったままだ。と言っても、容器の中には氷とタピオカしか残っていない。それでも捨てていないってことは、急いで俺を追いかけてきてくれたのだろうか。


「これ、LINEのID」

「え?」


 星川さんに渡されたのは、小さな紙にたくさんの番号が書かれた紙。


「何かあったら連絡して」


 それだけ言うと、星川さんは帰っていった。

 待ち合わせでもなんでもなかったとしたら、ただ抹茶ラテを飲みに来ただけなのか……? いやでも、タピオカも残っていたし、わざわざ来るほどだろうか。

(きっと、空くんのことを見つけて一緒に入ってくれたんだよ)

 は? ただの通りすがりだって言うのかよ?

(それほど空くんと話がしたかったんじゃないかな。好きでもないタピオカを食べてでも、空くんやユズちゃんの力になろうとしてたんだと思うな)

 でも、俺は雪菜さんじゃない。俺と雪菜さんを重ねているのなら、それは違うだろ?

(きっと偽善だってわかってるよ。あの子は、それでも空くんに関わろうとしてるんだよ)

 偽善……か。


「そらくん、ユズちゃんのことはもう、あきらめたの?」


 ハナはここに来る前の元気が嘘だったかのように、うつむいていた。

 俺は星川さんとの会話で、自分がどうするべきなのか分かった気がする。

 俺は、自分のせいで傷つくユズを見たくないんだ。ユズを自ら連れ出してしまえば、またユズを傷つけることになる。ユズとあって、ユズに何もしてあげることができない。だから、怖いんだ。

 ユズと会いたくない。

 俺自身がそう思っているってことは、何をしてもユズを呼び出すことはできない。

 だから、星川さんと話すことはもうないだろうし、ユズと話すことも……ない。


「もう、ユズとは会えない」


 俺は、伝えるべきか迷ったが、ハナは俺の気持ちをわかってるかもしれないし、嘘はつけない。


「そらくんは、それでいいの?」

「いいんだよ。これは、ユズのためだから」


 ユズは、自分で言っていたんだ。


 私を忘れてください、と。

 私の存在を、なかったことにしてください、と。


 ――私のことを、助けてください、と。

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