【再び『お祭り』がやってくる】

【再び『お祭り』がやってくる】


 さて。


 12月に入った。



 12月末にはあの『お祭り』がやってくる。12月30日まで豆腐を死ぬほど売りまくる『年末』だ。特別編成コースを走るために朝の4時5時に出勤し、必死こいて走りまくる『お祭り』。幹部に「全員が寝不足と疲労でわけわかんくなると思います。それを楽しみましょう!」と言わしめた悪魔のイベントだ。



 この準備のために12月を費やす。お客さんに予約用紙を配り、しつこく「予約してもらった方がいいんですよ~」と言い続け、そのせいで遅れそうになるのを何とか踏ん張るこの時期。一年の中で最も忙しい。今年はカレンダー都合で7連勤である。



 わたしは1月末に退職する。なので、引継ぎの用意を進めた方がいいのだが、とてもやってられない。引継ぎは最後の1月に丸投げした。12月は生き延びることだけ考える。何せ、去年は残業199時間だ。さすがに今年はそこまでいかないにしても、残業は確実に増える。睡眠不足は加速する。疲労は溜まる。その状態でいつもより長い時間、車を運転するので物理的な死がとても近いのである。



 年末はもうみんなガンガン事故をする。師走とはよく言ったもので、ほかの人も忙しいので車もガンガン突っ込んでくる。去年はわたしを含め3人が事故り、今年も同じように3人事故った。


 とはいえ、だ。


『お祭り』に関しては、わたしは結構気楽に構えていた。


 去年と同じにしようと思っていたからだ。去年と同じく、いつものようにコースを回る。特別編成コースは作らない。



 もちろん予約は取る。売上は上げられるようにする。しかし、5日間のコースを3日間で回る、特別編成コースを組む必要はないと思っていた。


 何せ理由がない。


 なぜそうしてまで、必死になって回るか。稼ぎ時だからだ。歩合のことを考えるなら、ここで一気に売上を確保しておくべきである。


 しかし、わたしはもうすぐ辞める身。歩合は関係ない。つまり、必要以上に頑張る理由がない。ほかの人も、辞める社員に期待はしないだろう。



 わたしがここに残っているのは、「このタイミングで辞めたら周りがしんどいから」だ。金がもらえるわけでもない、会社からももうすぐ去る社員に、頑張りを期待される方が困るというもの。


 そう思って、わたしは所長に報告した。


 年末は、普段通りのコースを回るつもりです、と。


 そのとき、所長といっしょにほかの先輩もいたのだが――。


 死ぬほど怒られた。


 びっくりするほど怒られた。


「そんなんしてええわけないやろ! 年末は特別編成のコースを組んで、きっちりと売上を上げる! そうなっとるのは知っとるやろが!」


「普段通り回るって、お客さんはどうするわけ!? 普段通りやったら、お客さん困るやろ!?」


「お前それでええんか? 売上上がるんか? 上がらんやろ? ここで頑張らずにどこで頑張るんや!」


「普段通りに回るって、さすがにそれは甘すぎと思わへんの?」



 凄い熱量でぐいぐい来る。正直、呆気にとられた。なぜ、なぜここまで言われなければならない。別に出勤しないと言ったわけではない。7連勤はこなす。無料でこなす。予約だってちゃんと取る。売上だって上げてやる。ただ、4時5時出勤はしない、と言っているだけなのに。


 そもそも、何のために頑張るんだ。何のために仕事をするんだ。お金のためだろう。だが、そのお金は一切支払われない。どれだけ頑張って、たとえ1日100万の売上をあげようが、わたしにも一銭も入ってこない。


 じゃあほかに頑張る理由は? 会社員としての責任? そんなもの、もう辞める人間に求める方がどうかしている。今から辞めるのだ。立ち去る会社に身を捧げる社員がどこにいる。


 それじゃあ、お客さんのため? 別にわたしは回らないとは言っていない。普段通りにお客さんには会いに行く。どうしても豆腐が買いたい、という人には個別対応するが……。別に豆腐はスーパーでも何でも買える。この会社が独占しているわけじゃない。


 わたしが甘い? いや、甘いのは辞める社員に期待するそちらではないか……?


 というか。


 忘れてやしないか。


 わたしがここに残った理由。


 本来、3ヶ月で辞めたいところを、5ヶ月にしてくれ、と引き留めたのはだれだ?


 年末前に引継ぐのは負担が大きいから、1月までは残ってくれ、と言ったのはだれだ?


 わたしは言うことを聞いた。周りの人にできるだけ迷惑を掛けたくなかったから。


 負担の大きい年末を引き受けるとは言った。7連勤もやってやろう。そして、落ち着いてからゆっくり引継ぎをする。


 言われた通りにした。


 それだけじゃ、不十分だったのか?


 これ以上を求めるのか?


 100%ではなく、200%で働けと。


 無償で。


 休みは潰れて。


 朝も早く出て、夜も遅く帰ると言うのに。


 これ以上、さらに頑張れと。


 もう辞める人間に、そこまで求めるのか。


 さすがにそれは――傲慢すぎやしないか。


 やって当然だと、なぜそう思える?


 それを本気で求めるなら、最初から引き留めなければよかったのだ。


 売上はきっちり上げるべきだ。こんな責任感のない奴に年末を任せるわけにはいかない。そう言ってくれればいい。そう言って変わってくれればいい。わたしは残りたくて残ったわけじゃない。懇願されたから残ったのだ。……今からでも別にそれは間に合う。


 こんな奴にやらせられるか。俺が引き受ける。いや、わたしが。そう言ってくれればいい。


 自分は一切、引き受けるつもりはないけど、それでもお前は200%頑張れ。



 それはさすがに通らんだろ。



 そうやって、説教をしているうちに、ふたりはわたしの現状を思い出したようだ。


 頑張る理由がない。頑張らせる理由がない。無理に引き留めた人間であることを、思い出した。


 すると、彼らはこんなふうに話の方向性を変えた。


「今頑張って、売上をきっちりと上げてさ。みんなといっしょに『頑張ったー!』って言いながら、喜ぶのが大事なんちゃうんか? そうしてから辞めた方が、満足感があるんじゃないか?」


「売上をしっかり上げて、数字を出せば自信がつくと思う。これからの転職活動にも、これからの仕事にも役に立つと思う。自分のためにもやるべきだと思う」


 あぁ。

 うんざりだ。うんっっっざりだ。心の底から反吐が出る。やりがい搾取もいい加減にしろ。


 労働の対価が喜び? 満足感? 自信? バカも休み休み言え。悪徳業者の常套句だ。『報酬はお支払いできませんが、宣伝になります』という文言と何も変わらない。ボランティアは自主的にするものだ。強制させるな。


 所長に訊いてやりたい。所長には子供がいる。男の子の兄弟がいる。将来、同じことを、同じ仕事を子供に喜んでやらせるか? 子供が「お金はもらえないけど、喜びを感じられる仕事なんだ」と言って7連勤して、あなたは親として何も言わずにいられるのか? 同じように強制できるのか?


 バカにするのもいい加減にしろ!


 このときほど腹が立ったことはないかもしれない。社長には何度も煮え湯を飲まされ、怒りで気が狂いそうになったけれど、瞬間の沸騰はこれが一番かもしれない。



 今すぐに辞めてやりたい。「じゃあもう知らねえよ、バァーカ!」と言いながら、地図を投げつけてやりたい。


 しかし。


 そうすると、困るのは所長だけじゃない。営業所の人間全員だ。この中の5人を再び13連勤組に叩き落とすことになる。


 せっかくここまで平穏にやってきたのに、ここでぶちまけるなんて。最後の最後で台無しにするなんて。


 わたしにはできなかった。そんな度胸はなかった。情けない意気地なしだった。


 ふざけたことを言われたとき、真っ向に対立した川崎さんや滝野さんの方が、よっぽど上等な人間だ。


 わたしは結局、言われるがままに受け入れてしまう。特別編成コースを組むことになる。5日分のコースを3日で回る。めちゃくちゃな負担がのしかかる。


 結局、会社からの要求をすべて丸呑みしている辺り、本当に情けない。


 えぇ……、マジィ……? 何時に出勤すりゃいいの? 5時か? おえぇー……。そんなことを考えながら、わたしは特別編成コースの相談をしに行く。


 特別編成コースは、5日分を3日で回る。凝縮させてコースを作る。わたしは初めてだから、勝手がさっぱりわからない。だから、一番先輩に訊きに行ったのだ。売上トップの一番先輩。わたしのコースのうち、三本は一番先輩からもらったものだ。コースの組み替えのコツを一番先輩に訊くのは道理だった。



 ……少し話が逸れてしまうが。


 わたしが入社したのは11月。一年の中で最悪な時期に入社したと今ならわかる。わたしはもちろん、ほかの先輩にとってもだ。


 新人が入ったとき、先輩が自分のコースを渡すのは前に書いた通り。わたしは一番先輩から三本、所長から二本もらっている。研修を終えたのが12月の二週目。わたしはいいが、先輩たちは12月の三週目から渡したコースの穴埋めをするのだ。新規開拓をする。当然、『お祭り』は間に合わない。客がいない。コースができていないからだ。



 本来、年末に荒稼ぎしなきゃいけない。そこで売上を確保しなきゃいけない。数年育てたでっぷり太ったコースならそれは可能だが、人に渡せば自分は空手だ。売上は去年と比べてガクンと落ちたはずだ。わたしが入社したせいで、彼らは半年間、給料がガクッと下がることになる。


 そのことに関して何も言われなかったが、内心ではひどく恨まれていたと思う。


 まさか、そんな非道なことを会社がするとはほかの社員も思っていなかったようで、当時は「コースの引き渡しは年明けなんだろうな」と思っていたらしい。しかし、容赦なくコースは奪われた。


 かといって、わたしの給料が増えるわけでもない。一年目は歩合で給与が変動しないからだ。ただただ先輩たちが損をしただけ。無為に半年間、給料が下がっただけ。


 正直、この事実に気付いたとき、結構凹んだ。(まぁ実際のところ、同タイミングで異動した人のコースを引継いではいたので、完全な空手ではないのだが。それでもだ)


 話を戻す。


 その一番先輩に話を訊きに行った。「コースはどうやって編成するのがいいでしょうか?」と。


 すると、彼はいつものトーンでさらりと言う。



「そんなもん、いつも通りに回ったらええ。きちんと予約取って、一回の接客でちゃんと買ってもらえたらそれでええやろ。何回も行く必要なんてない。コースの編成なんてする必要なし」


 とあっさり言う。所長たちのさっきまでの言葉を全否定。


 どうやら、一番先輩はコースの編成なんてしてこなかったらしい。「ワシから言わせりゃ、あんなん意味ねえ」とバッサリだった。ほかの全社員全否定。



 だが、一番先輩の言葉が一番正しい。だれより正しい。なぜなら、この人が売上トップだから。売上を上げないと発言権はないが、売上さえ上げれば何をやっても許される。だから彼の言葉が正しい。


「あの、一番さんがそう言っているんですが……」


 同じ部屋にいて話が聞こえていた所長に、そうお伺いを立てる。所長は何か書き仕事をしていて、こちらに顔を向けることなく言った。


「あぁ……、一番さんがそう言うなら、そうすればええんちゃうかな」


 あぁ恐ろしき実力主義。あれほどまでに大説教祭り主催の所長を、こうも簡単に黙らせてしまった。数字が正義。売上こそが力。それを思い知った瞬間だった。やっぱ超かっけーよ、一番先輩。


 というわけで、大変ありがたいことに、大手を振っていつも通りのコースを回ることになった。


 しかしまぁ、ここで下手な売上になると一番先輩の顔を潰しかねない。自分なりに精いっぱい頑張った。「行くのは一回でええけど、代わりに予約はきっちり取るんやぞ」と一番先輩に言われていたので、頑張って予約を取った。「予定が合わへんお客さんがおるんやったら、その人には個別で対応するんやぞ」と言われていたので、その通りにした。


 そうして『お祭り』を走り抜けてみると、頑張った甲斐があったのか、「あれ、これ結構良い売上なんじゃない? 僕にしては頑張った方なんじゃない?」という売上を上げることができた。所長にも、「頑張ったやないか」と褒められたくらいだ。


 気持ちのいい結果で終わって、それは良かったと思う。本当に一番先輩には感謝だ。


 ……ただ、所長といっしょに説教をしていた先輩はその場にいなかったので、わたしが特別編成コースで走っていると思っていた。『お祭り』が終わったあと、「ほうら、やっぱり言われた通り頑張った甲斐があったやろ!」と満足そうに言われ、わたしは微妙な笑みしか作れなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る