【土曜日の発注】【辞めるまでの長い道のり】

【土曜日の発注】


 社長が、社員の休日を何とも思っていないのはもう伝わっていると思う。


 より痛感したのが、この出来事だった。


 ある土曜日、夕方に友人と映画を観に行ったのだ。映画なので電源を切る。自分の携帯、会社携帯いっしょにだ。


 で、映画を観終わったあと、すぐに電源を入れたところ――会社携帯に所長からめちゃくちゃ着信が入っていた。それを知らせるメッセージと、所長からのメールが届いている。鬼電。鬼電である。これほどまで電話をかけて来たことなんて、今までにない。


 会社からめちゃくちゃ電話がかかってきていた、ってこれすげー怖いんですよ。何やらかした? 何をやった? それとも、何かをやっていないからこうなったのか? とぐるぐる色々と駆け巡る。


 しかし、とんと心当たりがない。せいぜい労基絡みだ。


 混乱しながらとにかくメールを確認しようとすると、別の先輩から電話が掛かって来た。反射的にそれを取る。


「ん!? なんや、お前電話出るやないか! 所長からお前に連絡がつかんからって、俺に電話掛かって来たんやぞ!」


 こわ。え、なに、マジで。そんな急用なん? 俺の行商車が爆発した、くらいのノリやろこれ。


 電話出られるならすぐに所長に折り返せ、と言われ、わたしは恐る恐る所長に電話を掛けた。すぐに「何で電話出やんかったんや!?」と怒られる。


 いや、お休みなんで……、知らんし……。


 それこそ営業時代は、「休みでも常に電話を取れるようにしとけ」と言われ、実際にその通りにしていたが、この会社はそれほどシビアではない。言うて豆腐屋さんだ。緊急性のある電話なんて、そうはないはず。映画ぐらい観せろやボケって感じだ。


 そして、気になる内容はこうだった。


「社長が、『なんか全体的に発注の数が少ないように感じるな……、ひとりプラス3000円で発注掛け直せ』って言い始めたんや。だから、お前も早く3000円プラスで発注掛け直せ」


 そう言われたのだ。


 く、くだらな……、え、そんなことで鬼電喰らったの……? 映画観てるだけでこんな怒られてんの……? こんなしょうもない思いつきで……? 


「お前が発注掛けやんと、総務の人が帰れへんのや。お前のせいで帰れへんのやぞ」


 いや知らんがな。知らんがな選手権全国大会。俺のせいちゃうわ、アホな社長のせいやろ。こちとら休みやぞ。そういうことするなら、あらかじめ言うとけボケ! って感じである。


 しかも3000円っていうのが地味に重い。


 別にわたしたちも手加減して発注しているわけではない。ベストだと思った数字を発注している。そこにプラスで3000円余計に乗っけるとなると、ちょっと考えたい。時間が欲しい。「総務の人が帰れない」と言われても、困る。


 そう考えていると、所長がこう続ける。


「商品リストに大豆があるけど、発注したことあるか? ないやろ。それ発注しとけ。大豆やから日持ちするし、邪魔にならん。小袋に入ってるんだが、ディスプレイに置いておけばお客さんによっては買ってくれるし、見栄えもいい。それ10個発注しておけば2000円超えるから、あとは適当に帳尻合わせとけ」


 すごい。商品の在庫を増やさず、廃棄も増やさず、そのうえで発注金額を上げた。さすが所長。というか、社長が完全に対策打たれてますやん。この戦法、メタられてますやん。バレたらめっちゃキレそう。


 ただ、大豆を10袋発注するのは決めたが、それでもいくつか発注商品は増やさないといけない状態になった。


 ファミレスに入り、友人からペンを借り、店のナプキンに商品と値段を書いて、携帯の電卓を叩く羽目になった。


 本当、社員の休みを何だと思っているんだか。




【辞めるまでの長い道のり】



「辞めたいなら社長に直談判して」と言われ、仕方なく社長に直談判した結果、「辞めさせるつもりはない」とわけわからんことを言われ、仕方なく退職届を内容証明郵便で叩きつけた川崎さん。


 新人が入るまで待ってくれ! と言われたので従ったら、結局新人は入らず、それどころか「このタイミングで辞めるってことは、会社に損害を出すつもりなんやな」と煽られた滝野さん。


 この通り、この会社は辞めるのも一苦労だ。わたしの場合も同じだった。


 退職の件は所長に伝えた。が、社長に話を通す前に、幹部から先に話をつけなくてはならないらしい。まぁ単にあっちが引き止めたいだけだ。話し合いに付き合わされるだけ。


 定例会議のあと、幹部と話し合うことになったのだが……、これがまぁ長引く。


 所長と幹部に囲まれ、「なぜ辞めるのか」、「辞める理由があるならそれを解決できないのか」、「今ちょっと嫌になっているだけではないのか」、とつつかれた。



 答えはこうだ。長時間労働が酷すぎること、サービス残業が毎月100時間を超えるのは正気ではないこと、あの社長マジクソすぎるやろええ加減にせぇや。


「長時間労働は最初からわかっていたことだし、今ちょっと嫌になっているだけとちゃうか?」


 サビ残100時間が嫌にならない時期ってあるんですかね。


「帰りたかったら帰ればええと思うで。俺なんて月曜日やったら21時には帰っとるよ」


 早く帰るな、って言うたのお宅の社長さんでしょ。というか、21時退社でもそこそこ働いてますからね。


「サービス残業が嫌っていうけどさ、それは甘えでしょ。歩合制なんやから、その分は売上上げて稼いでやろう、って考えないと」


 歩合があるから残業代は払わんでええやろ、っていう考えの方がよっぽど甘えてると思います。


「これくらいのサビ残、ほかの会社でも当たり前にあるで。うちでダメならほかの会社でもやってけへんで」


 辞める人に言うテンプレ台詞やめて。


「社長が横暴なのはなぁ……。まー、一昨年に頭の血管ぷっつんして倒れてたし、そのうち死ぬと思うからそれまで待てば?」


 それはちょっと面白いですけど。



 あっちからすれば、今でも人手が足りないんだから、辞めるなんて勘弁してくれ! という感じなんだろう。わたしが逆の立場だったら、どうにか考え直してもらえないだろうか、と頭を抱えていたと思う。


 しかし、残念ながらわたしの意思は変わらない。今すぐ辞めたい。絶対に残りたくない。それがわかると、あちらも話の方向性を変えてくる。


 辞めるのはいいが、新しく社員が入るまで待てないのか、と言われた。無責任ではないか、とも言われた。(めちゃくちゃ腹立つ)しかし、滝野さんはこれで騙されている。同じ轍を踏むわけにはいかない。


「今は求人を色んなところで出しているし、ハローワークの求人も頼んで復活してもらった。だから、もうすぐ人も入ってくると思う」


 と幹部は言う。が、求人広告自体は4月から出している。何十人と落として補充要員がひとりだけという有様なのも知っている。


 ハローワークの求人も復活した、と言うが、直後に川崎さんの告発により再び姿を消した。わたしはそれを知っている。だが、わたしが知っていることを幹部は知らない。


 何とも言えない気分で話を聞くわたしに、さらに幹部はぞっとする話を突きつけた。



「俺の部下でひとり、辞めたい奴がおるけど、そいつは新入社員が入るまで待ってくれてんぞ。川崎や滝野が先に辞めることに文句言いながら、それでも残ってくれてるんや。やのに、お前が先に抜けるのはどうかと思わんか」


 これには本当にぞっとした。それを聞いて、今絶対に抜け出さなくてはならない、と強く感じた。その待っている人はいつ辞めさせてもらえるんだ。ここでわたしが下手に隙を見せれば、その人のように生殺しにされるのは目に見えている。


 退職願を取り下げるつもりはない。その意志だけは明確にして、1時間近くかかった話し合いは終わった。


 そのあと、「辞めたくても残っている人」から電話が掛かってきたことがある。滝野さんと同期の3年目で、わたしは一度も話したことがない人だった。突然の電話にかなり驚いた。恐る恐る電話に出ると、挨拶もそこそこに、その人はこんなことを言ったのだ。


「聞いたんですけど、辞めるって本当ですか!? 僕も辞めたいって去年からずっと言っているんですけど!?」


 という、わたしの抜け駆けへのちょっとした文句だった。


 既に一年近く言い続けているらしいが、まだ辞められないという。恐ろしい。恐ろしすぎる。辞めたい、と口にしているのに辞められないまま一年。少し間違えば、わたしもこうなっていたと思うと、本当に怖くて仕方なかった。

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