【総務のお姉さん】
【総務のお姉さん】
企業説明会を手伝ってくれ、と言われ、二度ほど赴いたことがある。
その説明会を取り仕切っていたのが総務のお姉さんだった。そのときに色んなことを教えてもらった。
4月に話を聞いたときは「今は色々とヤバい。本当に潰れるかもしれない」と言っていた。様々な金策イベントが起きていた時期だ。本当に潰れるかもしれない。総務が言うと真実味があり、これほどワクワクする言葉はなかった。
なので、5月の説明会では嬉々として話を聞きに行ったのだが、残念ながらガッカリすることになる。
「4月までは本当にヤバかったけど、5月はみんなが頑張ってくれたおかげでなんとかなったよ。300万は黒字になったかな。
行商メンバーが行商時間延長してくれたのもそうだけど、工場の人たちの残業をなくして、経費削減して、無駄をなくしたら何とかここまで戻ってきたよ。給料の遅延ももうなくなるんじゃない?」
しょうもねえ。なんだよつまんねーなー、と言いたくなる。あそこから持ち堪えたのは心底ガッカリだ。潔く沈めよ。やたらとしぶとくて嫌になる。
ちなみに「給料の遅延もなくなるんじゃない?」と言っていたが、5月も給料は何事もなく遅延した。社員の給料を止めることに一切のためらいなし。
ただ、お姉さんの話にはひとつ間違いがあった。社長の無茶な策は功を奏し、確かに会社は危機を脱した。ヤバい赤字を黒字に変えた。それは間違いではない。だが、後に他の人から話を聞くと、お姉さんの発言には誤りというか、一文字だけ足りないものがあるのだ。
『工場の人たちの残業をなくした』、という一文。これだ。
会社の経営が傾くと、残業が減る。残業を減らし、さっさと社員を帰らせて人件費の削減をする。そういう話は聞いたことがある。なので、わたしもてっきり上手いこと調整したのだと思っていた。無駄を省き、人件費を削減した、と。行商と違い、工場は残業代がフルで出るため(なんでや)、ここを削減できたら大きい。
しかし、実際の話はちと違う。
残業をなくしたのではない。
〝残業代〟をなくしたのだ。
働く時間は変わっていない。残業代だけがカットされた。今まで残業代をもらって働いていたところが、タダ働きになった。残業がサービス残業に切り替わったのだ。ようこそ、わたしたちの世界へ!
なるほどなるほど、確かにそうすれば生産数を落とさずにコスト削減できる。さすが。さすがだ。やはり無から有を生み出す錬金術師は人智を凌駕している。
言うまでもないが、社員の不満は大爆発した。ただでさえ人が足りないのに、この件でごっそり人が辞めた。部長でさえも辞めた。
それもそうだ。元々残業代をないものと扱っている我々と違い、工場の人間は残業代をもらっていたのだ。それが急になくなり、仕事量は変わらないのに給料だけが数万円下がる。そうなればやってられない。だれも辞める人を責められない。「明日から残業代はなくなりますが、それでもがんばっていきましょう!」と言う方がおかしい。
人が減れば、それだけ負担はほかの人にのしかかる。残った人のサビ残が増える。それでまた人が減る……、という見事なまでの悪循環。残った人は地獄だ。部長が豆腐の水槽に顔を付けたまま動かなくなった、というエピソードは、この環境から生まれた。
この残業代カットが原因なのか、この直後、商品の品質が著しく低下する。
油揚げがバッリバリのバッリバリとなり、「これはお客さんに出せへんやろ……、いなり寿司用やのにバリバリやんけ……」と先輩が肩を落としていた。翌日、新しい油揚げをわざわざお客さんに届けていたのを見たことがある。
豆腐は、パッケージのミスで水漏れする商品がいくつも現れる。作業中にだれかが「うわあ!」と声を上げたら、大体水漏れだ。パッケージがちょっと開いてる豆腐って相当やだ。
それに、「腐っていた」というクレームがいくつも入る。これは恐ろしい。クレームを入れてくれるお客さんはまだいい方で、黙って買わなくなったお客さんもたくさんいたと思う。買った食べ物が腐ってるって。そんなことある?
何より印象的だったのが、油揚げにゴキ○リが乗せられていたことだ。油揚げに寝そべるゴキ○リを見て、所長が悲鳴を上げていた。油揚げといっしょに揚げられていた、ではない。上に乗って死んでいた。あれは結構おぞましかった。
そして疑問だったのが、「こんなにも上手く、油揚げの上で死ねるか?」というもの。油揚げのトレイを見ていると、とても自然にそうなったとは思えなかった。人為的なものではないか。工場の社員が乗せたのではないか。正直、そうとしか見えなかった。工場からの怒りのメッセージかもしれない……、いや、よくわからんが。
のちに世間を騒がせる、カップ焼きそばゴキ〇リ混入事件は、これより少しあとの話なので、それのオマージュではないのだが。当時はバイトが冷蔵庫に入る事件の方が記憶に新しい。この会社にも冷蔵庫があるので、どうにか個人を特定させずに会社を炎上させられないか、とちょっと考えてしまった。
と、様々な問題を引き起こした、残業代カット事件。
忘年会で工場の人に、「残業代出なくなったって、本当ですか?」と訊いてみると、「あ、でも、今はもう出るようになりましたよ!」と言っていた。残業代は温泉か何かか。ヨカッタネ!
しかし、社員たちの悲鳴を集めて作った300万円。「そんなこと、ただの平社員に言っていいの?」ということまで教えてくれる総務のお姉さんが、「5月以前は本当に洒落にならない赤字だった。さすがに金額が言えないほどの赤字」と真顔になって言うくらいなのだから、プラスに持って行ったのはすごいことなのかもしれない。
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