【お金がありません】
【お金がありません】
うちには【幹部】と呼ばれる三人組がいた。実際の役職はともかく、【幹部】と呼ばれていた人たちだ。
元々販売員だったところを、社長の指示で本社勤務になった。主な業務はぜんぶ。ぜんぶだ。本当に色んなことをさせられていたと思う。総務業務から始まり、行商のフォローや商品開発、社長の付き添いなどエトセトラエトセトラ……。幹部と言いつつ、何でも屋だ。常にどこかで仕事をしている、多忙極まりない人たちだった。土日もよく走り回っていた。わたしたちより忙しかったかもしれない。
社長の右腕として面倒なことを押し付けられる彼らだが、連絡係も幹部の仕事だった。何かが起こると、彼らが連絡係として営業所まで車を走らせる。この日もそんな日だった。1月末のとある日だ。
いつものように行商を終え、営業所で片付けをしているときである。突然、幹部のひとりが営業所にやってきたのだ。20時くらいだったろうか。
営業所の人間を集合させてから、幹部はこう言う。
「売上が足りません」
知らんがな。
というか、「そんなこと言われましても」って感じである。1月に売上が下がるのはわかっていたことだろう。何を今更。
しかし、幹部は言う。例年より売上が足りていないのだと。
じゃあどうしろと言うのか。もっと頑張れよ、と発破をかけにきたのだろうか。
そう思ったが違った。幹部は言い辛そうにしながら、口を開く。
「なので、出られる人は土曜日も出勤して欲しいんです」
とんでもないことを言い始めた。アホかな。
いくらある程度暇になったからといっても、それでも朝7時出社の夜21時退社だ。よその会社なら十分多忙だ。残業だって毎月110時間。それだけサービス残業しているにも関わらず、そのうえ、土曜日まで出ろと抜かすか。完全に殺しにかかっている。我々をおもちゃの兵隊か何かと勘違いしているのではないか。
ちなみに、土曜日出勤をした場合の手当ては5000円。日給5000円である。正社員の休日出勤の日給が5000円。何言ってんだコイツ。時給850円のバイトを6時間した方がマシって、本当どうかしている。会社としては、「日給は少ないけど、出たらその分、歩合に加算されるんだからいいでしょ?」ということらしい。ナメすぎである。
絶対に嫌だ。なぜ5000円ぽっちで大事な土曜日を浪費されなくてはならないのか。
これはさすがに頂けない。いくら何でもダメだ。
土日が休み。これはこの仕事の数少ない長所だ。月に一度は土曜日に会議があるものの、よっぽどのことがない限り土日は休める。土日休みの接客業。わたしはそこに魅力を感じて、この会社に入ったのだ。続けられる理由もそこだ。それが崩されるなら、こんな仕事やってられない。本当にやってられない。何が悲しくて、毎月100時間以上のサビ残に加えて土曜日まで出なきゃいけないのか。アホか。殺すぞ。ええ加減にせえよほんま。
さすがにこのときばかりは離職が頭によぎった。
信じられないかもしれないが、これが初めてだった。辞める、という選択肢を頭に浮かべたのは。
基本的にこのときのわたしはアホの子である。月199時間サビ残しようが、1月3日にただ働きしようが、「おしごとってやっぱりたいへんだなぁ!」と思いはするものの、辞めるまでは考えたことがなかった。ホンマにアホやな。
この時期に、所長から「年末、よく頑張ったな。正直、よく辞めなかったと思ってるよ」と言われ、「あ! やめたい、とおもってもよかったんだ!」と思ったくらいである。
そんなアホの子でもこれは許容できない。それだけは嫌だった。休日はダメだ。わたしにとって、これだけは踏み越えてはいけない一線だった。
しかし、わたしの猛烈な危機感は空振りだった。結局、土曜日に出勤したのはほんの数日だったからだ。
幹部の「出られる人は土曜日も出勤して欲しい」という言葉は本当に言葉通り、任意だったのである。たまに社長から強制出勤命令が出ることもあったが、行くのはそのときだけで済んだ。それ以外は普通に休めた。入社3年以内の新人は、ほとんど出ていなかったと思う。
休日出勤を了承した社員たちも、毎週出ていたわけではない。隔週や1回きりの人もいた。もちろん毎週の人もいたが。
社長は「毎週、強制出勤にさせてもええんやけどな」と言ったらしいが、幹部が必死に止めたらしい。それは正解だっただろう。少なくともわたしは、それが強制になったら身の振りを考えていたに違いない。ほかにそう思う人もいただろう。
しかし、社長がなぜ「売上足らんなぁ。せや! 土曜日も出勤させたろ!」と安易に考えたかには理由がある。
既に土曜日出勤している営業所があったからだ。
その営業所は毎週欠かさず土曜日出勤していた。任意ではない。人手不足のために休日出勤を余儀なくされていた。
前に、鬱病で辞めた社員の話をしたが、覚えているだろうか。その人がこの営業所で働いていたのだ。
この仕事は、ひとりひとりに担当コースがある。なので辞めるときは、ほかの人にコースを引き継いでもらわなければならない。
こういうとき、普通はフリーの人を用意するらしい。わたしのように新人を入れるか、もしくはほかの営業所から異動してもらうか。コースがない人を用意する。その人にそのままコースを渡せば、簡単に引継ぎができる。
しかし、その人はそれもできずに辞めてしまった。鬱病ならば仕方がない。まぁここまで多忙を極めれば、そりゃ精神も患うってものだろう。むしろ、そうやって表面に出るのが正常で、わたしたちの方がおかしい可能性すらある。
理由は何にせよ、突然辞めて引継ぎができなかった。そうなればコースが浮いてしまう。丸々5日分のコース、回る人がいなくなる。
仕方なく、その営業所の社員5人が土曜日を使って走ることになった。月曜日から金曜日までのコースをひとり一つもらい、土曜日に走った。そうするしかなかった。
代わりの人を用意しようにも、今はほかの営業所に空いている人はいない。「新人が入るまで待っててくれ。入ったら土曜日出勤は終わるから」と言われ、彼らはそれに従った。
これをきっかけに、月一の定例会議がズレこんでしまう。
彼らが土曜日に仕事をするのであれば、土曜日の定例会議に参加できない。まぁ会議といっても、社長が気持ちよく話しているのを聞くだけの会なので、参加できないならできないでいいと思う。支障はない。しかし、それは社長が許さなかった。
彼らも会議に参加できるように、定例会議を土曜日から日曜日に変更したのだ。
これで確かに会議には出られる。しかし、彼らにとっては悪夢だ。月に一度、〝土曜日出勤〟+〝日曜日の定例会議〟の週ができたのだから。
通常勤務5日+土曜日出勤+日曜日会議+通常勤務5日+土曜日出勤。怒涛の13連勤である。月の休みは3日だけ。手当は休出一回5000円。何とも恐ろしい話だ。これが日常化していたというのだから、一番苦しい営業所は彼らかもしれない。
通称13連勤組。嫌な名前すぎる。
新入社員が入るまでの辛抱だと言うが、いつまで経っても入ってこなかった。終わりの見えない地獄はさぞかし苦しかっただろう。
しかし、会社も対策を取らなかったわけではない。
鬱で辞めた人を含め、わたしが入社してから数ヶ月で何人も辞めた。なので、求人活動は積極的に行っていたそうだ。総務のお姉さんが言ってた。
なんと30万以上の広告費を使い、複数の求人広告を出したのだという。そのおかげで、数十人もの人が面接に来てくれた。ありがたい話だ。きっとわたしのように騙されたアホの子がたくさんいたのだろう。
だが、何でもいい。とにかく人を入れるべきだ。それだけ人手が足りない。過労死の準備が進む13連勤組がぶっ倒れる前に、新人を確保しなければならない。
そう考えていた社員は多かったはずだ。総務もそう思っていたし、人事だってそう思っていた。
しかし、社長は、社長だけは違う考えだった。
求人広告を見て来た応募者を、社長は片っ端から落としていった。片っ端から全員だ。人事の一次面接は突破できるものの、社長の面接ですべて弾かれてしまう。
なぜ。
なぜ。死にかけている人がいるのに、頑なに落とすのか。
社長をよく知る人が言うには、「ここ最近、数人も辞めちゃったから、疑心暗鬼になってるのよ」とのことだが、それにしたって冗談ではない。13連勤組が聞いたら憤死しそうだ。なにナイーブになっとんねん。というか、そもそもの離職率が半端じゃないのだから、今更社員が辞めていくことにダメージを受けないでほしいのだが……。
とにかく、社長はこれ以上人が辞めていくのが嫌なようだ。次の社員は絶対に辞めない人にしたい。そんな奴いねーよ。
結局社長は妥協することなく、面接に来た人を片っ端から落とし続けた。
そして、それ以外に13連勤組に対策は取られなかった。「新人入ったら回すから、それまで土曜日出勤してて」と言うが、新人は入らない。ほかには何もしてくれない。ただ、「待ってて」と言うだけ。社長が新人を入れてくれるまで、彼らはずっとずっと月の休み3日で働き続けるのだ。
結論からいうと、何ヶ月経っても新人が配属されることはなかった。それ以外に対策も取られなかった。
すべてを諦めた13連勤組は、自分たちでどうにかする選択を取った。出勤時間を早める、退社時間を遅くする、その他もろもろの工夫でどうにか時間を作り、土曜日のお客さんを無理やり平日に押し込んだ。それでなんとか休日出勤を終了させたらしい。
そのせいで一部の人は6時出社が固定になったらしいが……、掛ける言葉もない。
求人広告の話をしたので、ついでに。
この会社はハローワークにも求人を出していた。が、この時点で求人はストップされている。なぜか。ハローワーク側が取り下げたからだ。
社員を鬱病にさせたことが原因で、ハロワの求人がすべて取り下げられてしまったらしい。
そのあと、幹部が何とか交渉を重ね、一度は求人を復活させてもらった。が、それもまたすぐに取り下げられる。今度は労働環境が問題視されたのだ。辞めた社員がチクった。
資金を投じて求人広告を出したのは、ハロワに愛想をつかされたせいでもあるのだろう。
転職するときに「ハローワークはブラック企業でも平気で載っているから利用しない方がいい」と何度か言われたが、そのハロワにさえそっぽを向かれるというのはなかなか面白い。
さて。
話を戻そう。
売上。そう、売上が足りない。その対策として土曜日出勤をすることになったが、それで売上がどかんと上がるわけがない。これはあくまで、数ある手のうちのひとつだ。ほかにも策がある。むしろ、これは「言ってみただけ」というレベルのほとんど思いつきだと思う。
社長が考えた案は、全部で三つ。ひとつはこの土曜日出勤。
あとのふたつがメインである。
社長の圧倒的なこの奇策、わたしは一生忘れないだろう。
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