【1月3日のタダ働き】

【1月3日のタダ働き】


 1月。


 楽しい旅行を終え、1日に地元へ帰ってくる。2日は休みだが、わたしはもう3日から仕事だった。


 例の奉仕活動である。


 もう場所も決まっていた。この会社が経営している、豆腐料理店である。普通に飲食店だ。豆腐料理を出すお店。


 当時、わたしはお店経営をしている話は聞いていたが、実際に見たことはなかった。



 この豆腐料理店、内容はともかく立地が素晴らしい。うちの県には全国的にも有名な神宮があるのだが、その付近に連なるお店のひとつなのだ。参拝客は数百万人。年によっては一千万人を超える。とにかく人が集まる場所だ。


 正月は人手が足りない、と社長が言っていたのも納得だ。三が日は稼ぎ時である。



 上司のおかげで正月出勤は免れたわたしだが、上司はさらに慈悲の心を持っていた。わたしに働く日を選ばせてくれたのだ。選択肢はふたつ。1月3日か、1月4日である。


 こんなの4日一択だろう、と思う。三が日は死ぬほど混むだろうし、純粋に3日から働くのも嫌だ。しかし、この会社の仕事始めは5日である。その日に会議がある。それまでに、会議用の資料を作っておかないといけない。



 となれば、4日に丸一日働いて、5日から仕事……、というのもしんどい。その店もウチからは車で2時間かかる。


 悩んだ結果、わたしは1月3日を奉仕活動日にしてもらった。



 上司は「じゃあ伝えておくわ。詳しい時間は、あとからメールで送るから」と言って、その日の連絡は終わった。



 そして、1月2日。



 ……その詳しい時間とやらが来ない。まだ来ない。え、もう前日なんですが……? と狼狽えるのも無理からぬことだろう。てっきり、年を越す前には教えてもらえると思っていた。



 本社に連絡しようにも、どうせ彼らもお休みだ。電話には出ない。もしかして、4日と勘違いされているんだろうか……? と不安に思いながらも、その日を過ごしていた。



 ただ、連絡が来ないにしても、ある程度の目途は立つ。とりあえず、車で行くのはやめようと思っていた。渋滞するのは間違いない。少し面倒だが、電車で行くのが安全だろう……、とそんなふうに考えていたのだが。



 その計画は無駄に終わる。



 1月3日の奉仕活動の詳細が、前日、2日の午後にようやく、ようやくメールで送られてきたのだ。繰り返すが、午後を過ぎてから。前日の、午後、である。より正確に言うなら、1月2日の13時11分!!


 メールには、こう書かれていた。



『明日の奉仕活動ですが、朝6時からです』


 いやいや。


 いやいやいやいやいや。


 言うのが遅すぎるだろ。アホか。



 もう一度言う。このメールが届いたのは、前日の13時である。前日の13時に「明日の仕事は朝6時からだから、よろしくね」なんて伝える奴がどこにいる? ほうれんそうって聞いたことないかな?


 ……うちからは神宮まで車で2時間はかかる。初めて行く場所だし、混雑している可能性があるから、1時間は余裕を持っておきたい。朝、急いで準備するにしても30分は欲しい。逆算すると3時間30分。……2時半起床だ。



 いやいや、待て待て。それなら何時に寝ればいい? 22時? ……いや、それだと4時間くらいしか寝られない。長時間運転するんだから、6時間は寝ておきたい。……じゃあ、20時? 夜8時? ……寝られるか?



 2日は昼までグースカ眠っていた。なのに、20時にはまた寝なきゃいけない。最初からこの予定がわかっていれば、ちゃんと計算して寝ていたのに!


 ただただ非常識さに呆然とした。人の休みを何だと思っているのか。……いや、きっと何とも思ってないんだろうが。「事故したお前が悪いんやろうが」とでも思っているに違いない。



 電車で行く予定だったのに、まさか電車が動いていない時間に呼び出しされるなんて。



 しかし、恐ろしいことに、これはまだいい方らしい。わたしの場合、日にちが決まっているだけマシだったそうだ。



 金曜の夜に「明日来てください」と言われることはザラで、ひどいときは当日に「今から来て」と言われることもあるらしい。そのうえ、なぜか現場に連絡がいっておらず、行ったら行ったで現場の人に「え? なに? だれ? なんで来たの?」と言われることもあったそうな。ただでさえ無償の休日出勤にイライラしているのに、こんな追い打ちされたら怒りで気が狂いそうだ。ねぇ、ほうれんそうって知ってる?


 しんっじられない。


 そう思いながらも、結局は逆らうことができずに車を走らせた。朝2時半起床だ。朝どころか真夜中、丑三つ時である。3時の暗い夜道を無心で走った。



 幸いだったのは、奉仕活動先の人たちが優しかったこと。店長ひとりと従業員ふたりの計三人。「事故ったんだって? 大変だったねえ」と声を掛けてくれた。こちらを労り、優しく仕事を教えてくれた。



 店長が「年末、社長から急に『オールナイト営業やるぞ!』って言われてさあ。31日から1日にかけてずっと店開けてたんだけど、ぜんぜん客来なくて大変だったんだよね」というクソヤバい話をさらっとするのを聞きながら、お店に案内された。



 ……しかし、このお店、妙なのだ。



 この店は、豆腐料理を出すお店だ。飲食店だ。


 だというのに、まず、店に窓がない。そのせいで店内にやけに圧迫感があるうえに、外から中の様子が一切窺えないのだ。



 入り口はどうかというと、これがまた妙である。



 飲食店の場合、一度扉を開けて小さな部屋みたいな場所に入り、その奥の扉を開けて店内に入る場合が多いと思う。この小さい部屋は風除室と言うそうな。普通、この部分は小部屋というか、すごく小さなスペースだと思う。



 この店はそれがめちゃくちゃに広い。風除室がやたらと広い。というか正直、倉庫にしか見えないのだ。そもそも外見も倉庫っぽく見える。大きな四角い建物のテナントのひとつだからだ。



 外にはのぼりや看板があるので、お客さんは扉を開けてみる。まず目に入るのが、奥の方に何やら詰め込まれている備品の数々。店ののぼりや自転車が隠すように置いてあるのだが、ぜんぜん隠れていない。めちゃくちゃ目に入る。右を見ると、大きな石油ストーブが置いてある。



 その両脇には長椅子がふたつ。順番待ちのときはここで待つわけだ。そこを抜けると、ようやくお店の扉があるわけだが……、ここにはのれんが掛けられている。ここからお店の様子を見ることはできない。



 つまり、外からお店の中を見ることが一切できない。



 お店が気になって扉を開けてみても、中は何やら倉庫のようになっている。奥には店の扉があるが、それものれんが掛かっていて中が見えない。



 それに加えて、『豆腐料理店』という敷居の高さ。神宮近くのお店ということもあって、ハードルばかりが上がる。外にメニューが置いてあるわけでもない。




 どのお客様でも抵抗なく入れるかと言えば、そんなことはない。まるで一見様お断りだ。完全に人を遠ざけている。



 だれだよこの設計にしたやつ。



 この辺りに何も対策していない辺り、社長がいかに店舗経営に関して素人なのかが滲み出ている。



 ちなみに家賃は40万。



 開店前にメニューを見せてもらっていたが、まぁ普通に豆腐料理を取り扱っていた。一番人気メニューは朝粥らしい。豆腐料理どこいった?



 コース料理もいくつかあって、中には五千円のコースがあった。



「豆腐料理で五千円……。すごいですねえ。このコースを頼むお客さんもいるんですよね?」


「いない」


 は?


「この店が開店して以来、そのコースが注文されたことは一度もない。正直、注文されたら困る。一応、食材は常に冷蔵庫に入ってるけど、使われないから毎回廃棄だね」



 やめちまえよそんなメニュー。



 仕事内容を教えてもらって、お店が開店する。開店時間はなんと朝7時。朝粥が人気というのも、この周辺でほかに開いている店が少ないからだそうだ。



 ただ、それでも店としてはかなり暇だった。朝粥目当てで入るお客さんはちらほらいたけれど、それでも続かない。大丈夫か? と思う。働く身としてはこっちの方が助かるが……、まぁこのお店の設計じゃあなぁ……、と納得していると、暇な店長にこんなことを言われる。



「お昼になったら、おいしい豆腐料理をまかないで出すよ」


 豆腐料理のまかない……、絶妙にわくわくしない……。



 しかし、わたしがまかないを口にすることはなかった。それどころか休憩も取れなかった。ほかの社員も同じだ。


 答えは簡単で、死ぬほど忙しくなったからである。



 昼前からめちゃくちゃに忙しくなった。お店は満員で、順番待ちのお客さんまで出てくる。てんてこ舞いだった。



 こんな店に入ってくる人なんているのか? と思っていたが、この日は何せ人が多い。初詣の参拝客で人が溢れている。数十万人が集まり、お昼時にお店を探すわけだ。どこのお店も大混雑だろう。



 そうなってくると、ほかからあぶれたお客さんがこちらに流れてくる。「ここ空いているし、もうここでよくない?」と入ってくる。順番待ちするお客さんが出てきて、入りやすい空気も出てきた。というわけで大忙しだ。


 結局、閉店までノンストップで働くことになってしまった。無給で。



 ヘトヘトになりながら閉店作業をしていると、売上集計をしていた店長が歓声を上げた。


「開店して以来の最高売上額が出たよ!」



 それはすごい。そして、これは結構嬉しい。手伝った甲斐があるというものだ。実際、かなり忙しかった。朝以外はノンストップだったので、これは売り上げも期待できるのでは?


 全員が集まると、店長は売上額を高らかに報告してくれる。



「なんと……、売上額が7万円を超えました!」


 ……7万?


 最初、聞き間違いかと思った。しかし、ほかのふたりが「おー」と拍手しているので、どうやら間違いではないようだ。7万円。最高売上7万円。


 ……待て待て待て。


 今日のシチュエーションを考えてほしい。神宮近くで参拝客がごったかえす1月3日、ぶっちぎりの稼ぎ時。そのうえ、本来の店員数にわたしが入ってプラス1。その四人がフルで入って、休憩も取らずに働き続けた数字である。


 おそらく、かなりの限界値だ。これ以上の数字を出すのは難しいんじゃないかと思う。


 ……それが7万円? 売上最高額が7万円? とんでもない数字だ。あまりにも低すぎる。



 考えてもみてほしい。この日は4人がフルでシフトに入っている。(わたしはただ働きとはいえ、本来なら)4人分の人件費がかかるわけだ。正社員4人分の。それで売上が7万円って……、この店の家賃40万やぞ。


 この店、大丈夫か? わたしは正直そう思ったわけだが、まぁ言うまでもなくぜんぜん大丈夫じゃなかった。



 だいぶあとの話になるが、総務からわたしのいる営業所に、この店の売上記録が添付されたメールが届いた。総務が宛先を間違えてメールを送る、という情報漏洩のお手本みたいなことをやったのだ。


 店舗の売上をわたしたちが知る術はない。言うまでもなく、そんな面白そうなファイルが来たら見る。当たり前だ。見る。


 そこには悲惨な数字が並んでいた。


 7万円が最高額というのも納得だ。ひどいときには四桁しか売上がない日もある。それもたくさん。驚いたのが、土日と平日で売り上げに差異がないことだ。軒並み売り上げが低迷している。



 それはもう大変な赤字経営だろう。


 しかし、わたしたちは知っている。社長は、日頃からこんなことを言っている。



「まぁ店舗に関しては、3年は赤字覚悟やな」



 3年は赤字経営覚悟でやっていくようだ。いやいやしかし、一日の売上額が1万円を超えない店を抱え続けるのは大変ではないか。



 それに、3年覚悟というのもよくわからない。4年目からは黒字に変わる確信があるということか? 「地元に根付くまでは3年掛かるから」という意味らしいが、スタートダッシュでこけた飲食店が後々黒字に持っていける確率とはどんなものなのだろう。



 そして何より、何より恐ろしいのは。



 こんな状態の店舗が、ほかにいくつもあることである。

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