借金令嬢は異世界でカフェを開きます
相内充希
第1話 レディ・グレース①
グレースが前世を思い出したのは、今から四年前の十七歳の時。事故で亡くなった父を埋葬した夜の事だった。
「キムラ、ミコト……。木村……美古都……?」
不意に頭に浮かんだ見慣れぬ文字、言葉。それを口にした瞬間「あ、懐かしいものを思い出した」――そんな当たり前みたいな感覚で、自分がかつて二十一世紀の日本人、木村美古都という女の子だったことを思い出したのだ。
◆
「レディ・グレース。コーヒーのお代わりをください」
「はい、少々お待ちください」
「レディ・グレース。注文いいですか~?」
「はい、どうぞ。――ピラフセットで、食後にカフェオレですね。かしこまりました」
満席になったカフェの中を、グレースは笑顔を絶やさずくるくると働いていた。一見メイド服にも見えるエプロンドレス姿のグレースが店内を歩くと、春の陽だまりを飛んでいる可愛らしい小鳥のような印象を与える。
「やあ、今日も大盛況だね、レディ・グレース。おや? 今日は一人なのかい?」
いつもならもう一人、手伝いの少女がいるはずの店内を見回した常連客の一人が、本日のランチセットと書かれたメニューを手にグレースに声をかけた。
「そうなのよ、スコットさん。モリーが風邪で寝込んでしまったの。一人にしておくわけにもいかないから、今日はサウザさんのところで休ませていただいてるの」
近所に住む薬師の老女サウザはモリーの遠縁にあたり、彼女を孫のようにかわいがっている。以前サウザがひどいねん挫で歩くのが困難だった時に助けたこともあって、今回快くモリーの看病を引き受けてくれた。
「風邪かぁ。最近めっきり冷え込んできたからなぁ。お大事にと伝えておくれ。おっ、今日は煮込みハンバーグセットがあるのか。いいね、これにするよ」
「はい、煮込みハンバーグセットですね。承知しました。――いったんキッチンに入りまーす!」
注文を一通り受け終わったたグレースは、客たちに声をかけてからオープンキッチンに駆け込む。今日はホールもキッチンもグレース自分一人で賄っている為、目が回るような忙しさだ。
幸い常連ばかりのためか急かされることもなく、次々と料理を盛りつけては配膳していく。
夕方からは常連客の学生のサイモンが手伝いを申し出てくれたため、少しだけ甘える。客が引けた後お礼にデザートをサービスした。今日のデザートはナッツ入りのパウンドケーキだ。
「こんなサービスがあるならいつでも手伝いますよ」
彼はぺろりとそれを平らげ、まるで喉を鳴らしそうな猫のような顔でそう言うと、宿題があるからと席を立つ。
「あ、サイモン。これはお母様に差し上げて」
もう数切れ同じケーキを入れた箱を渡すと、一瞬驚いたような顔をしたサイモンは照れくさそうに笑った。
客らの会話で、彼が出かけに喧嘩をして帰りにくいと小耳に挟んでいたため、仲直りのきっかけになればと思ったのだ。
「ありがとう、レディ・グレース。母も喜びます」
「こちらこそありがとうございました。またどうぞー」
サイモンを送り出すと、グレースはドアの開閉で入ってきた冷たい空気にブルリと震えた。季節は冬。ウィーラの女神が眠ると言われる氷月。日本で言えば十二月に入ったというところだ。
「今日はオズワルドさん来なかったわね。忙しいのかな」
眼鏡をかけた常連客の顔を思い浮かべ、店に誰もいないことをいいことに独り言つ。彼の名前を口にするだけで、グレースの胸の奥がきゅっと痛んだ。普段なら絶対口にしないが、今店には自分しかいないのだ。
「少し早いけど閉店にしようかな」
がらんとした店内の照明を少し落とすと、世界から切り離されたような錯覚に陥る。ここだけが異世界のような……。
(ううん。前世から見れば、実際異世界なんだけどね)
ここはイリシア国の王都リドロンにあるカフェ、「レディ・グレース」。
十年ほど前から飲まれだしたコーヒーが気軽に飲めて、変わった軽食も楽しめる。レストランよりも気軽で、露店よりも落ち着く店。
もともとはソリス伯爵のタウンハウスだが、身体が弱いため領地から出られない令嬢グレースが出資して三年前に店を開いた――ということにしている。
だってグレースこそが、当のレディ・グレース・メアリー・ソリスその人だからだ。
街の人にはお嬢様と同じ名前の店員だと思われているが、本当のことを言ったところで「まさか」と笑われるのがオチだろう。
(働く女性が珍しくなくなったとはいえ、どこの世界の貴族が庶民中心のお客様相手にコーヒーをついで回ったり、厨房でバリバリ料理をしたりする? しないわよね? ……たぶん)
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