俺のドッペルゲンガーから妹の身体を取り戻す、妹のドッペルゲンガーを連れて。

比奈里諭

プロローグ 海に降る雪

 なんで、こんなことになってしまったんだ。

 俺は息も絶え絶えに自分自答を繰り返していた。けれど、帰ってくるのは答えにならない質問だけ。

 他人に聞こうにも、冷たい眼差しと鮮血がベッタリと張り付いた剣を向けた戦士たちが囲んでいる。

この場から離れて落ち着こうにも、船の上。外に飛び出せば、底なしの海が口を開けて待っている


 500年続いた帝国の滅亡。

 革命軍の圧勝による政権の奪取。

 皇帝一族の全処刑と、帝国を牛耳り民を搾取してきた貴族の討伐。

 その総仕上げとして、帝国残党勢力との決戦――否、一方的な虐殺が終わろうとしていた。

 帝国残党勢力とはいっても、そのほとんどが離反して革命軍に投降したり、脱走あるいは討伐されたりで人数を減らし、末路なんて目に見えて分かっていた。

現に帝国残党勢力は今、旧帝国領西海岸を離れてノートランテ海上を奔走していた。

けれど、逃げる獲物を革命軍が見逃すはずもなく、最大戦力で追撃、包囲網からじわじわとなぶり殺しにしていった。


それでも、たとえ沈みかけた船に乗っていようと、俺は足を踏ん張り、手にした剣を構え直した。直後、鬼の形相で囲んでいた戦士達が群がり、刃が振り下ろされる。


「ふざけるな……!」


 怒号が四方から迫ってくるも、俺は刃を躱し、あるいは剣で捌き、そして突進してくる戦士達を斬り飛ばす。


「悪魔が……!」


 最期に胴体を切り裂かれた戦士が吐血しながら怨みを吐き、すぐに海中に沈んだ。

 けれど、俺もすべての攻撃を躱しきれず、刃を脚や腹に喰らってしまい、鮮血が流れ落ちる。


「どっちが悪魔だよ……!」


 男もまた血を吐きながら剣を構えるも、剣が使い物にならなくなるのも時間の問題だった。

 それ以前に、革命軍の追撃と敗走を延々と繰り返してきた身体は、すでに限界を超えていた。少しでも気を抜けば、あっという間に意識が途絶えてしまう。


 せめて剣だけは手放してはいけない。足元に転がっている戦士の鉢巻きを奪い、柄を握りしめる右手を固く結ぶ。

 突如戦場の一角から歓声が爆発したのは、まさに鉢巻きを結び終えた直後だった。


「大公夫人が身投げしたぞ――!」

「引き揚げろ、引き揚げて首を掻っ切れ――!」


 その声を耳にしたとき、ギリギリで保っていた意識が暗転してしまう。

滅亡を前にしながらも帝国の船団を希望を捨てずに引っ張ってきたのは、皇帝一族唯一の生き残りの大公夫人だった。

 その夫人の入水が意味することは、帝国が名実ともに崩壊したのだ。


「そ、そんな……」


 目の前が真っ暗になり、平衡感覚が崩れ落ちる。背中が船のヘリに当たるが、痛みも感じられなくなっていた。

 最後の希望が、壊された。帝国再建の夢は潰えた。

船のヘリに持たれかかり、浅くなっていく呼吸の中で虚空を見上げる。


 その現実に追い打ちをかけるように、一本の矢が男の肩を貫いた。

 燃えるような激痛が走り、うめき声をあげるものの、もう声は枯れてまともに出ない。

どこに向けていいのか分からない怒りで顔を上げれば、離れたところから灰色髪の青年が弓を構えている。かすり傷や擦り傷が至る所に見られたが、藍色の瞳から向けられる強い眼差しを、はっきりと覚えている。


「アルカイオス、貴様……!」 

「ご覚悟を、ローラシア卿……いいや、ファンデフカ」


 ゆっくりと近づく船の上で、革命軍司令兼剣総隊長アルカイオスが宣告する。

 周りを見渡せば、既に無数の戦士達を乗せた船が、船団から取り残された俺を取り囲もうとしていた。


「残っているのは貴方だけ。貴方の血が、この戦いで流れる最後の血です」


 船に飛び乗ったアルカイオスが、スラリと剣を抜く。

見つめたままま動じることのないアルカイオスの瞳を、俺は直視できなかった。


「俺は、俺は何のために……」


 白い唇を噛みしめるが、その唇から血が流れることはない。

 矢の当たり所が悪かったのか、剣を握る腕も上がることはなかった。

 もはやこれまで。全身から力が抜け、心臓の鼓動が小さく聞こえていく。


 もう、疲れた。このまま、眠っていたい。

 ゆっくりと瞼を閉じて、アルカイオスが自分の首を落とす瞬間を待とうとした。


「貴方が信じていたことは理解できます。ただ、方法が間違っていただけです。どれだけ努力しても、間違った努力はすべてが無駄です」


 アルカイオスの言葉に、肩が一瞬跳ね上がった。


 止まりかけていた思考が、再び動き出す。

 自分の身体の状態、装備、足場の状況、アルカイオス含む革命軍の人数と配置および装備。そして、今日の天気。

 この戦いで摩耗しきっていた経験と知識が、高速回転しながら最期の答えを導いていく。


「無駄、だと……?」


 ゆっくりと瞼を薄く開け、剣を振り上げるアルカイオスを見据える。

 止まりかけていた思考のスイッチを押したのが、アルカイオスの言葉。

 閉じかかっている瞼の裏側には、一つの像が結ばれようとしていた。


「でも、私達が正しい方向に導きます。ですから安心してお眠りください。できることなら、ファンデフカの悪魔になる前の貴方の頃にもう一度会いたかった」


 アルカイオスの言葉は、もう男の耳に届かない。


 瞼の裏に浮かび上がるのは、自分をこの場所まで駆り立てた悲劇の始まり。

 自分の手を握りながら、空色の瞳を向ける金髪の少女の寂しそうな笑み。

 真っ赤な血だまりの中に沈む、少女の変わり果てた姿。


「分かるものか……」


 腹からのひと声で残像を霧散させ、ギロリと眼を回した時には既に手にした剣に力が込められている。

 剣を振り下ろさんとアルカイオスが踏み込む瞬間を、見逃さない。


「分かって、たまるかよ!」


 剣が振り下ろされるよりも速く、アルカイオスの懐に飛び込んで腹に剣を突き刺す。同時に、開いていた手を自分の腰に当て、拳大の鉄球を高く掲げた。

 周りの戦士達が怒声を上げる中、いち早く俺が持つに気付いたアルカイオスは目を剥いた。


「全員海に飛び込め!」


 血を吐きながら慌てて周りの戦士達に向けて叫ぶが、もう遅い。


「お前らなんかに、俺の何が分かるってんだ――――!」


 曇天の空気をかき消すほどの絶叫を吐きながら、鉄球のボタンを押す。

 瞬間、視界と聴覚がホワイトアウトし、身体から感覚が消失する。

 けれど、それもまた一瞬の出来事。次の瞬間には、身体は海の中に没していた。


 男が起動させたのは、帝国が最後に作った高性能爆弾。それも、炸裂すれば回避不能な光線と猛毒の浮遊物質を撒き散らす切り札。

まさか、全滅してから使う羽目になるとは。

 確認はできないが、アルカイオスは即死、近づいていた戦士達もあっという間に血だるまか、あるいは粉微塵となって海を漂うことになるだろう。

 おまけに風向きと波の方向から、宙を舞う猛毒物質が船団を襲っていた連中を逃がさない。

 残党狩りの大勝利に酔っていた部隊は、今頃地獄だ。


 ざまみやがれ。

 にやりと笑うも、直後に肺の中の空気が血の塊と一緒に吐き出され、残された意識が急速に遠のいていく。


 春風の前の何とやら。それでも、最期まで諦められなかった。

 太陽が見える水面が遠く暗くなり、闇の中に消える光に少女の幻を重ねてしまう。


「--------」


 少女の名前を呼んだけど、暗い海の中で声を聴く者はいない。

代わりに、周囲を真っ白な雪が水底へ沈んでいく取り囲んでいく。おそらく、戦士達の残骸が散り散りになって、水中を漂っているのだろう。

 海の中では雪なんか降らない。それでも、その幻想的な雪は、暗く冷たい海の中を温かいものに感じさせる。


 この雪、なんていう名前だろう。

 残された意識の問いかけに答えが出ないまま、そのまま視界は暗転し――



『大丈夫、分からないならもう一度思い出して』



 唐突に、誰かの声が聞こえた。

 でも、目を開けようにも鍵を掛けられたように視界は真っ暗。

 おまけに聞こえた声は、耳から入ってきたというよりも、直接頭に投げ込まれたように明瞭。

 肌の感覚は、海の冷たさから一転して、毛布のように温かく、そして優しく男を包み込んでいた。


『貴方には分かっているはずよ、アルファルド。貴方はずっと、その答えを見てきたんだから』


 声の主は、男に似た力強さを持っているけど、女にも似た柔らかさも宿している。子供のようなあどけなさを内包しているようでいて、老人のような強かさも通っていた。

 そして、なぜか分からないけどこの声には、聞き覚えがあった。それでも、誰なのか思い出せない。

 視界が黒から白に反転し、感覚が恐ろしくはっきりとしてくる。

 不意に、傷ついた頬を何者かの手が、そっと添える。その肌のぬくもりに、男はうっすらと瞼を開けた。


『思い出して、アルファルド。貴方の最愛は誰だったか』

「誰だ。お前は、誰だ。どうして俺の名前を」

『私は――』


 その名前を聞く前に、その手の主を見る前に、世界はもう一度黒に反転した。


 ●


「生存者だ! 子供3人、うち二人は赤ん坊だ。すぐに医療班に連絡してくれ!」


 唐突に、視界が真っ白になる。最初はあまりの眩しさに目を瞑ったが、光に慣れてくれば強すぎる光を当てられていたと、なんとなく分かった。


「光を落とせ。そんな強い光を当ててると、怯えて出てこられないだろ」

「す、すいません!」


 光の中心に立つ男の叱責で、ライトの光が若干揺れる。

 しばらくすると、ライトの光が落とされ、中央に立つ男の輪郭がはっきりとしてくる。


 髪はボサボサ、服は散り散りになって原型を留めているのが不思議なぐらいだ。頬には白い筋が何本も流れ落ちて、その元の目は憔悴しきっている。

 けれど、そのすべてが崩れ落ちそうなほどの笑みを、目の前の男は浮かべていた。


「よかった……。君たちが生きてくれて」


 そっと差し出した手は、黒く汚れていて所々切り傷が走っている。

 それでも、その大きな手のひらを掴もうと、目一杯に手を伸ばす。


「さあ出ようか、君たちを待っている人がいるから」


 掴んだ掌は、汚れているけどかすかな温もりを感じる。

 ゆっくりと男に引き寄せられて、光の中に飛び出したは、心の底に誓った。


 もう一度やり直す。

 もう二度と、自分の最愛を失わせないために。

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