嫌らしい視線にうんざり

 10月6日(火) 曇


 やっぱり来たよGoTo男。今日は昼と夕の2回。しかもどちらも滞在時間2時間超え。平日の午後に食事だけで4時間以上も潰せるって、こりゃもう絶対まともな職業のヤツじゃないね。


 で、悪い予感が当たっちゃった。昼に来たとき、なかなか入ろうとしないんだよ。内扉のガラス越しに店内をうかがってるの。で、あたしがレジに立って会計を済ませた途端、「こんにちは」って入ってくるワケ。そしたらあたしが案内するしかないじゃん。


 その後、呼び出しベルが鳴ったけど無視。別の店員が注文を取りに行った。そしたら「あれ、どうして案内してくれた人と違うの?」とか言って全然注文しようとしないんだよ。

 渋々あたしが行ったら昨日と同じ。うつむいたままメニューを指差して「これで」だよ。ランチセットA。そのうち「いつものヤツ」とか言い出すんじゃないか。うちは居酒屋じゃないんだからそーゆーのはやめてくれよな。

 って言うかさ、うつむいたまま注文するならあたしじゃなくてもいいじゃん。顔見ないんだから。


 その後もウザイ。料理は別の店員が運んだんだけど「あれ、どうして注文の人と違う人が持ってくるの」だってよ。まあ、さすがに運び直すなんて面倒なことはできないからそのまま置いてきたらしいんだけど、これには温厚な同僚も憤慨していたね。「あの客、うちを指名制のキャバクラかなんかと勘違いしているんじゃない」って。まったくだ。


 会計は言うまでもなくあたし。食べ終わってもじーっと待ってて、あたしが他の客のレジを打ち出した途端、席を立ってやって来るんだもん。そのままあたしがそいつの会計もやるしかないじゃん。入店時と同じ手口。


 夕方はもっとムカツクことがあった。会計をしていたらこんなことを言い出しやがった。


「あのお、注文のとき紙を渡している客がいたけど、あれ何?」


 クーポンのことだとすぐわかった。先月配布していたドリンクバーとデザート5枚つづりの割引券。有効期間は今月末までだけど配布は先月で終了している。そのように説明したら、


「えっ、でもボク先月は来てないしGoToは今月からでしょ。先月もらうなんて無理だよ」


 だって。

 こいつどんな思考回路してんだよ。おまえの都合なんか知らないしGoToとクーポンは関係ないだろ。

 とにかく配布は終了しているのでお渡しできないと説明するも完全に馬耳東風。


「でも今月使ってるんだよね。だったら今月配布してくれてもいいと思う」


 こいつの頭の中どうなってんだよ。配布と使用が同じ期間じゃなきゃいけないなんて誰が決めたんだ。

 ムダだと思いながら再度同じ説明をしようとしたところで店長登場。手にはクーポン券を持っている。


「これ、渡してあげて」

「えっ、でも」

「いいから」


 店長命令とあれば仕方がない。最大限の軽蔑の眼差しで睨み付けながら「どうぞ」と渡す。男は「ども」とだけ言って帰っていった。


「渡してよかったんですか、店長」

「う~ん、本当はいけないんだけどトラブル回避のためにクーポンを差し上げている店は結構あるみたいよ。それにしてもあなたも大変ね、変なお客様に懐かれて。鳥の雛は初めて見た動くものを母鳥だと思い込むっていうけど、あなたもそんな感じかしら」


 刷り込みか。あいつ、まさかあたしを自分の恋人だと思い込んでいるんじゃないだろうな。おいおい勘弁してくれよ。


「それからひとつお願いがあるんだけど」

「何ですか」

「あのお客様のお相手、これからずっとあなたがしてくれないかしら。ああわかってるわ。あのお客様、嫌いなのよね。でも彼はあなただけを気に入っている。だからあなたがお相手したほうがスムーズに業務が運ぶと思うの。大丈夫よお。どうせGoToが終了したら来なくなるに決まってるんだからあ。それまでの辛抱よ。ね、お・ね・が・い!」


 引き受けるしかなかった。やっぱり昨日のドリンクバー案内は失敗だったな。後悔、後に立つ。

 ちなみにこんな話し方をしているけど店長は男。その系統の店でブイブイ働いていたところを引き抜かれて店長になったらしい。あくまでウワサだけどね。


 あたしじゃなかったらどうなってたんだろ。


 って思う。

 昨日、もし案内したのが別の店員だったら、もし注文やお冷の説明や会計があたしじゃなかったら、きっとあたしに執着することはなかったはず。つまりあいつにとって重要なのは顔とかスタイルとか知性じゃなくて、


 自分に親切にしてくれるかどうか!


 なんだろうね。くそっ、親切にしてやるんじゃなかった。


 えっ、でもちょっと待ってよ。そしたらもし店長が親切にしてやっていたら店長があいつのお気に入りになってたってことじゃん。禁断のボーイズラブ? アリだわー。全然アリ。その場合攻めはどっちになる? 店長ってあれで結構マッチョだからやっぱり攻めだろうな。で、あいつが受け。


「さあ、今日のプレイはランチセットAよ。かわいい声で鳴きなさい。それ、それ」

「えええええ!」

「次はランチセットBよ。もっと萌え萌えな鳴き声を聞かせて。パコ、パコ」

「びいいいい!」


 そしてふたりはバラ色に染まった快楽の世界に落ちていくのであった。

 うはー、いいわ。これいい!

 腐女子な妄想のおかげでスッキリしたわ。寝よ。



 10月7日(水) 曇


 あいつ、さっそく使ってきやがった。昼にランチセットAを注文したあと、「これ」と言って差し出したのが昨日のクーポン。まあこうなるだろうなとは思っていたから心の準備はできていたけど。


「このクーポンはセット商品にはご利用いただけません」


 その後はクドクド説明してやった。最初は腑抜けた顔をしていたけど、ようやく事情が理解できたらしくメニューを食い入るように見つめ始めた。そんなにまでしてクーポン使いたいのかよ。クーポン使わないと死ぬ病気にでもかかってるのかよ。哀れなヤツだな。


「こ、これ。これならクーポン使えるよね」


 ちっ、500円のスパゲッティか。しかも滅多に出ない品じゃないか。キッチン嫌がるだろうなあ。

 それにこいつ、普段から他人の料理とか会計とか結構見てるからな。ランチスパならサラダとドリンクバーとスープバーが付いて700円。「あれれ、ボクはサラダもスープバーも付いてないのにどうして値段がほとんど同じなの」とか言われると面倒だ。仕方ない。


「それならスパゲッティのランチセットにされてはいかがでしょう」


 と説明してやったよ。意外と素直に納得してくれた。さすがポイント目当ての客。「お得」の二文字には弱いようだ。


 夕方も当たり前のように来た。しかもすっごいキモいことがあった。

 うちの店はバックヤードの休憩室の他に、目立たない場所に椅子がひとつ置いてある。やっぱり立ちっぱなしってツライじゃん。だから手隙ができればそこに腰掛けて休憩できるようにって、わざわざ店長がスペースを作ってくれたんだ。もちろん客からは見えないような位置。

 で、今日、一段落したんでそこでスマホをいじっていたら、なんだか背中に殺気を感じるんだよね。


「ひっ!」


 こんな声を出したのは何年ぶりかな。いや驚いたよ。冷蔵庫を開けたらゴキブリが飛び出してきたときよりも驚いた。振り向いたらあいつが立っていたんだ、嫌らしい目をして。


「休憩中?」


 そう言いながらのニヤニヤ笑いはほとんど妖怪子泣きジジイ。あたしは無言でスマホをしまって業務に復帰した。あいつ逐一あたしの行動を監視していたんだ。そうでなきゃ店の奥のあんな場所にわざわざ来るはずがないもん。虫酸が走るってこーゆー時に使うんだろうね。


 それからはあいつの嫌らしい視線が気になってしょうがなかった。もういい加減にしてって感じ。会計するときも嫌だったなあ。あ~、GoTo早く終了してええ。



 10月8日(木) 雨


 ダメ。もう限界。あいつ今日は1回しか来なかったけど、その1回の破壊力が強烈すぎる。


 最近はあいつの予約時刻を店長が教えてくれるんだ。で今日は午後3時だけと聞いてちょっと安心。本当はあたしの勤務時間外に予約取ってほしいんだけどね。日に2回予約できるからよほど偏った取り方をしない限りどちらか1回は引っ掛かるだろうな。まあ、今日は1回だけだったのでラッキーだと思おう。


「あいつ、何を頼む気だ」


 ちょっと興味があった。昼と夜を外した時刻の予約は初めてだったから。すでにお得なランチセットは終了している。さあ、何を食う!


「うーん」


 案の定迷っていた。「すみません、店員さんのおススメ教えてください」とか言われたらどうしようかと思っていたけどそれはなかった。そこまでの度胸はないんだよな、あいつ。


「これとこれ」


 結局選んだのはパフェとポテト。平凡だな。ライス6皿頼んでお握り作って持ち帰るとか、とん汁5杯頼んで水筒に入れて持ち帰るとか期待していたのにがっかりだ。


「季節のマロンパフェとフライドポテト、以上ですね。しばらくお待ちください」


 ハンディに入力して帰ろうとすると声がかかった。


「それだけ?」

「はい?」

「おかしいと思わない?」


 おかしいのはおまえの頭だよ。何言ってるんだ、こいつ。


「何かおかしかったですか」

「おかしいよ。だってもう3時過ぎてるんだよ。1000円以上注文しないとポイントもらえないんだよ。それなのにボクの注文は1000円未満なんだよ。どう考えてもおかしいよ」


 知らねえよ、そんなこと。おまえにポイントが付こうが付くまいがこっちには関係ないんだよ。くだらないことで時間取らせるなよ。


 さすがにちょっとイラついてきた。だけど邪険にもできないので適当に、

「そうですね」

 と答える。いきなり笑顔になった。


「そうでしょ。おかしいよね。でも心配してくれなくても大丈夫」


 誰もおまえの心配なんかしてねえよ。


「じゃじゃーん、これ見て。クーポン。今回はセットじゃないから使えるよね。そしてこれを使えば合計金額は1000円を超えるのであります」


 ああ、クーポンを使いたかったのか。だったら回りくどい言い方せずに最初からそう言えよ。面倒なヤツだな。


「追加でドリンクバーのクーポン1枚。以上でよろしいですね」


 素っ気ない声で返事をした。あいつはニヤニヤ笑っている。嫌な予感しかしない。


「おそ松さん、好きなの?」


 心臓を鷲掴みにされたような気分だった。どうしてそれを……そうか、昨日だ。あたしのスマホにはおそ松のストラップが付いている。昨日休憩スペースでスマホをいじっているときに見られたんだ。


「え、ええ」

「ボクの母ちゃんも好きなんだ。店員さんって母ちゃんに似てるね」


 おまえの母ちゃん何才だよ。母親に似てるって言われて喜ぶ女がいるわけないだろ。もしかして馬鹿にしてるのか。


「お客様もまるでちいぎゅうみた……」

「えっ?」

「いえ、なんでもありません」


 ヤッベえ。危うく「チー牛みたいですね」って言うところだった、っていうか90%言っちまったよ。店長って優しいけどこーゆーところは厳しいからな。気をつけなくちゃ。


 しかしこいつ最上級のヤバイ客だわ。そのうちマジで「パンツ何色?」とか訊いてきそうだ。で、こっちが「ウンコ色です」って答えたら翌日「ボクもウンコ色のパンツはいてきたよー」とか言ってズボンを脱ぎだすんだろうな。

 いやウンコ色のパンツならまだいい。ウンコが付いているパンツだったらどうする。しばらく営業停止になりかねんぞ。ダメだ、こいつ。早く何とかしないと。

 おっ、メール。兄からだ。いい加減にLINE使えばいいのにかたくなにメールを愛好しているんだよなあ……待てよ、兄、男、これは使えるんじゃないか。ちょっと手を貸してもらおうかな。

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