親父っぽい客

 10月4日(日) 曇


 休みだった。あーゴロゴロした。


 本当は6日が休みなんだよね。でも急な用事でシフトを代わってほしいって子がいたから代わってあげたんだ。

 別に優しくなんかないよ。あたしだってこれまでに何回も代わってもらっているんだから。でもこれで次の休日は1週間後になっちゃった。長いぜ。


 ついにGoToイートが始まった。今のところ影響なし。予約数を制限しているらしい。予約時間は15分刻みなんだけど、ひとつの時刻にひとつの予約しか入れられないんだって。だから予約客は1時間で最大4組まで。これなら予約なしの客を長時間待たせる心配もない。それなりに考えてくれているようだ。


 そうだ、今日は親父からビデオレターが届いたんだ。定年退職してから暇を持て余しているみたいでさ、退職金であれこれ機材を買い集めていろんな趣味に手を出している。

 そんなくだらないことに金を使わないであたしの老後のために貯金しろって言っているのに全然聞く耳持たないんだよ。ビデオの中では偉そうに踏ん反り返って、


「父父たらずといえども子は子たらざるべからずと言うであろう。おまえも我が子なれば父である我に孝を尽くすべし」


 なんてほざいているんだよ。アホくさ。おまえもうすぐ年金生活なんだろう。その年金を払うのはあたしらなんだよ。感謝しろ。


「父の恩は山より高い」

 はいはい。あんたの恩は標高3mの日和山ひよりやまだね。


「体が動くうちに孫と遊びたい」

 仕方ねえだろ。こっちだって作りたいのは山々だけど相手がいないんだよ。


 まったく何だよ、昔はさあ、

「嫁になんか行かないでくれ。父さんをひとりにしないでくれ」

 とか言っていたくせに、あたしが25才を超えたころから、

「そろそろいい人でもできたんじゃないのか。今度父さんに紹介してくれ」

 とか言い出してさ、お見合いの話まで持ってきたんだよね。


 あんまり乗り気じゃなかったけど親父の顔を潰すのもなんだし、仕方ないから会ってやろうとわざわざ年休取って田舎に帰ってみれば、見合いの相手はバツイチ子持ち。しかも40才超えで頭髪には枯葉の季節が到来している。


「冗談じゃねえよ。こっちは初婚なんだぞ。ふざけてるのか親父」

 と毒づいたら、

「年収700万だぞ」

 だってさ。


 金かよ。金が全てなのかよ。親父の尻に蹴り入れたくなったわ。尻に蹴り。しりけり。なんか古典でそんなのなかった? 


「いかでこの人に、思ひ知りけりとも見えにしがなと、常にこそおぼゆれ」


 ああ、これこれ枕草子。また教養がにじみでちゃった。授業中にここを読んだとき、

「思い知りけり→重い尻蹴り? ぶわはははは」

 って大笑いしちゃったんだよね。先生めっちゃ怒ってたわ。女子サッカー部の顧問の先生だったから尻蹴られるかと思った。蹴られなかったけど。


 えーっと何書いてたんだっけ。ああ見合いの話か。当然破談。以後、親父が持ってくる見合い話は全て断っている。会うだけ無駄。


 まあでも寂しいのはわかる。女房に逃げられた男ほど惨めなものはないから。男後家ごけにはぼろ下がり、女後家には花が咲く。離別男性は10年早死にするらしいね。だからって老後の面倒を見てやろうとは思わない。老人ホームにでも入って余生を過ごせばいいんじゃない。葬式は出してあげる。


 さてとおそ松の3期放送開始記念イベントでも見るか。今日までアーカイブ配信やってるんだ。全然話題になっていないのが悲しいね。鬼退治アニメが全てを持って行っちゃったからしょうがないわ。



 10月5日(月) 曇


 来たわー。ヤバイ客来た。5日目にしてGoToの威力を実感させられた。

 おひとり様の男。いきなりホールへ侵入してくるからビックリだよ。そこに、

「係りの者が案内いたします。しばらくお待ちください」

 って看板あるでしょうが。見えないの? 仕方ないから前に立ち塞がって言ってやった。


「まずはあちらでアルコール消毒をお願いします」


 素直に従ってくれた。たまに無視する客もいるんだよね。そうなったらこっちも無視するけど。


「1名様ですか」

「はい」

「予約の方ですか」

「はい」

「こちらへどうぞ」

「えっ、ここ? ひとりで4人席って。えっと、ひとり席はないの?」


 ないよ。ぼっち席で食いたいのならガ〇トに行けば、っていうかそこは喜ぶポイントじゃないの。4人テーブルを独り占めできるんだから。


「ありません。それから予約席はここと決まっておりますので」

「あ、そ、そうなの」

「注文が決まったらベルでお知らせください」


 見た感じでは30才前後、あたしと同じくらい。なんか親父に似てるなってのが第一印象。

 あたしの親父って表情が乏しくて背が低くてぼさぼさの黒髪で動きがぎくしゃくして黒縁メガネなんだけど、それらが全て当てはまるんだよね。さすがに頭髪に関しては親父みたいに白髪はないし毛量も圧倒的に豊富だけど。


 チー牛?


 それそれ、あんな感じ。ちなみに兄もオシャレな点を除けば親父と雰囲気がよく似ている。あたしは母親似で良かったわ。


 なんて考えているうちに呼び出し。ちょっとヤバくない? 「チーズ牛丼温玉付きでお願いします」とか言われたらどうしよう。「お客様。もしかして吉〇家とお間違えではないでしょうか」とでも言ってやろうか。


 ワクワクしながらテーブルに行くとメニューを指差して、

「これで」

 とつぶやくだけ。


 ちょっと、料理名ぐらい言いなさいよと思いつつ、

「ランチセットのAですね」

 と言えば、

「ええ」

 と返事。


 何それ? シャレのつもり? もしかして笑いを取りにきてる? ランチセットのBだったら「びい」って答えるの? 少しも面白くないんだけど。


 それにしても終始うつむいているのはどうなの。注文の時くらい顔を上げてもいいんじゃない。

 確信したわ。こいつは完全にGoToのポイント目当て。普段は外食なんて滅多にしないのにキャンペーンが始まったから超久しぶりにファミレスに食べにきた、そんなところね。

 でもまあ騒いだり文句を言ったりせず黙って座っているだけだから、グダグダ長居して文句ばっかり垂れる高圧的な客よりはよっぽどマシかも。


「お待たせしました」


 料理をテーブルに置く。相変わらず顔を伏せてスマホを凝視。あたしが子どものころは「テレビばっかり見てないで早く食べなさい」って怒られたものだけど、今の子どもは「スマホばっかり見てないで早く食べなさい」って言われるんだろうな。


「ごゆっくりどうぞ」

「あれ?」


 男が何か言っているけど無視。「あれ」だけじゃ感嘆詞なのか指示代名詞なのかあたしに用があるのかわからないからね。


「あの、すみません」


 こうなると無視できない。「何でしょうか」と答える。


「お水、まだ来てないんですけど」


 あ~、やっちゃったよ。これはこちら側のミスなんだよなあ。マニュアルでは「水はセルフになっております」と客に周知することになっているからね。でもほとんどの客は知っているから言ったことがない、いや、一度だけ今みたいに訊かれて教えたことがあったっけ。

 それにしても迂闊だった。こいつが「久々に外食をする出不精野郎」であることは見抜いていただけに、自分の失態が歯がゆくてしょうがない。


「すみません。お冷はセルフになっております」

「えっ、セルフ、自分でやるの? えっ、えっ、ど、どこ、どうやって」


 おいおい、これくらいのことで動揺するなよ。見ていて可哀想になってくるわ。ドリンクバーの場所を教えてもきっとあたふたするんだろうな。そしてジュースやらコーラやらをスープのカップに注いだりして大騒ぎ、なんてシーンが容易に想像できる。しょうがないな。


「ご案内します。どうぞ」


 あたしは男をドリンクバーまで連れて行くと、コップはこれ、水はここ、ランチセットのスープカップはこれ、スープはこの鍋から、紙おしぼりはこちらと、いちいち説明してあげた。まるで幼稚園の先生になった気分。男も幼稚園児みたいに素直に聞いていた。


「あ、ありがとう」


 おお、ちゃんとお礼が言えるじゃない。えらいぞ。最低限の礼儀は心得ているみたいだ。男は顔を上げてこちらをじっと見つめている。子犬みたいな目だ。


「あ、あの、どうしてボクにこんなに親切にしてくれるの?」


 ちょっと待て。嫌な予感がする。なんか勘違いしていないか。まずいぞ。あたしはありったけの軽蔑の笑いを浮かべてこう言ってやった。


「お客様ですから」


 わかる? 客だから親切にしたのであって、客じゃなかったら口を利くのも嫌なんだからね。ほら、さっさと席に戻ってさっさと食ってさっさと帰んな。それから男はのんびり食事してのんびりスープを3杯おかわりしてのんびり会計して帰って行った。スープ飲み過ぎ!


 ま、何はともあれ大きなトラブルもなく退店してくれてよかった。あの男、絶対彼女いないわ。彼女いない歴=年齢。間違いなし。でもそれってヤバイんだよね。あーゆー男の頭の中では「女性からの親切=自分への好意」って法則が証明もされずに成立しちゃってるんだから。ドリンクバーまで連れて行ったのは失敗だったかも。だからって今更どうしようもないしね。


 きっとまた来るんだろうな。恨むぜGoTo。おまえさえいなきゃあんなヤバイ客は来なかったのに。GoToを楽しむためだけに生まれてきた男、いわばGoToの申し子だな。いや待て、それだとGoTo終了したら存在価値も終了してしまうじゃないか。


 むしろGoToの犠牲者か。ポイントという甘い罠に誘惑されて居心地の良い部屋から引きずり出され、社会の荒波の中へ放り込まれ、自分の無知をさらけ出し、アラサー女に鼻で笑われ、高カロリー高脂肪の食物で束の間の幸福に浸り、やがてGoToが終了すればひと回り太くなった腹をだぶつかせながら元の部屋へ帰っていく、以前より悪化した自分の健康状態を自覚しながら。ああ、なんて哀れなの。


 ふっ、くだらない妄想にふけっちまった。平日の昼に住宅街のファミレスに来るアラサー男の職業ってなんだろう。自営? ニート? ひきこもり? 何でもいいか。次に来店したときはできるだけ関わらないようにしよう。


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