金が全ての問題を引き起こすのです
10月27日(火) 晴
全ての真相が明らかになりました。そしてその解決策も見つかりました。何もかも私の頑張りにかかっています。準備が整い次第、大勝負に出ようと思います。
来週はいよいよアメリカ大統領選挙。開票状況によってはドル円が大きく動くかもしれません。投資チャンスです。
ああ、また話が先走ってしまいましたね。今日、きっちり彼女と話を付けてきました。あの男の言葉を信じて午後6時45分、私はファミレスの従業員出入り口の前で彼女を待っていました。半信半疑でした。もしかしたらこれはあの男の罠なのではないか、突然警察官が現れて不審者の疑いで連行されるのではないか、そんなことも考えていたのです。
「来た!」
しかしそんな心配は無用でした。ほどなく彼女が姿を現したのです。驚く彼女。それを見て私も驚きました。昨日私と会ったことも今日の終業時刻を私に教えたことも男は彼女には話さなかったのです。もし話していたら彼女がこれほど驚くことはなかったでしょうし、私を避けて時間をずらして帰宅したはずですから。外見からは想像もできないあの男の律義さに私は少なからず驚いていました。
「あなた、どうしてここに」
「昨日あの男と話をしたのです。そして教えてくれたのです。今日のあなたの終業時刻を」
「彼と、話を……」
言い淀んでいましたが彼女の目は私をしっかりと見据えていました。どこまで話をしたのか、どこまで聞いたのか、それを探ろうとするかのような視線です。私は答えました。
「何もかも聞きました。あの男のことも、あの男とあなたの関係も、そしてあなたの借金のことも。指輪も同居も全てでたらめだったのですね。私を諦めさせるためにあなたがでっちあげた作り話にすぎなかったのですね」
「そう。それも知られてしまったのね。ならますます私を嫌いになったでしょう。借金を隠していただけでなくウソまでついていたのですから」
「いいえ、逆です。私はあなたを助けたいのです」
ファミレスの客がこちらを見ています。従業員出入り口と言っても駐車場に面しているので結構人目に付くのです。
「ここで立ち話も何ですから落ち着いて話せる場所に行きませんか」
「そうね。今度こそあなたに愛想を尽かしてもらうために」
彼女の案内で入った店はファミレスからしばらく歩いた場所にありました。古びた雑居ビルの2階。事務所かと思いましたがコーヒーの香りが漂う喫茶店でした。
「まだ信じられないのです。どうしてあなたのような女性が借金を作ってしまったのか。よかったら話してくれませんか」
「いいわ」
彼女の話は次のようなものでした。母親は幼い頃に亡くなり父親と兄の3人で暮らしていたそうです。兄は大学卒業後就職して実家を離れ、それからは父親との2人暮らしになったのですがケンカが絶えませんでした。その原因は彼女の恋人でした。彼女はまだ高校生でしたが相手はアラサーの社会人だったのです。それだけでも父親から反感を買っていたのにあろうことか彼女は高校を卒業したら結婚すると言い出したのです。もちろん父親は大反対。それでも諦めきれない彼女は高校を卒業すると駆け落ち同然で家を飛び出しこの街にやってきたのでした。
「あの頃のあたしは本当にどうかしていたのでしょうね。男を見る目がなかった。父の話をきちんと聞けばよかった。でも全ては後の祭りだった」
駆け落ちした男性に借金があると知ったのは1年ほどしてからでした。さらに彼女の無知に付け込んで知らぬ間に借金の保証人にされていたのです。男の態度も変わり始めました。彼女をただの金づるとしか見なくなっていたのです。彼女は身を粉にして働きました。しかし駆け落ちから数年たったある日、突然男がいなくなったのです。返しきれないほどの借用書の束を残して。それからは地獄の日々でした。父を頼ることも兄に相談することもできず彼女はコツコツと返済を続けました。そしてそれは今も続いているのです。
「そんなことが……」
まるで絵に描いたような転落人生でした。映画やマンガで使い古された展開でもこうして現実に目の当たりにすると妙に新鮮に感じられるのが不思議です。
「家族には相談しなかったのですか」
「しませんでした。父や兄には迷惑をかけたくなかったのです」
「では弁護士に相談してみてはどうですか。無料で対応してくれる事務所はたくさんあるでしょう」
「しました。でもムダでした。闇金とはいってもそれほど悪質な業者ではなく、貸出金利は利息制限法の上限を超えていないのです。法に反していないのですから手の打ちようがありません」
「自己破産という道もあるでしょう」
「それだけはしたくありません。私にもプライドはあるのです。もうおわかりでしょう。私は最低の人間なのです。あなたの好意は嬉しく思いますがそれは別の女性に向けてあげてください。私のためにあなたが苦しむ姿を見たくないのです」
「……」
言葉が出ませんでした。自業自得と言ってしまえばそれまでです。父親の忠告を無視したのも駆け落ち同然に家を飛び出したのも、その責任は彼女にあるのですから。しかし高校を卒業したばかりの世間知らずの娘に全ての責任を負わせるのは気の毒すぎます。しかも今は過去の過ちを悔いているのです。過ちを犯さない人間などいません。救えるものならば救ってあげるべきではないでしょうか。
私は決めました。いや、ここへ来る前から私の心は決まっていたのです。彼女から聞かされる話がどんなものであろうとこの言葉を言うつもりだったのです。
「借金の額はどれくらいあるのですか。あの男からだけでなく全ての借金の総額はいくらなのですか」
「えっ!」
半開きになる彼女の口。しかしすぐ閉じられました。そのまま開こうとしません。唇を固く結んだまま彼女は身を強張らせていました。
「これくらいですか」
私は人差し指を立てました。彼女の頭がかすかに横に振れました。中指を立てました。同じです。薬指を立てたところで彼女の体がビクリと震えました。3百万。今の私なら無理な額ではありません。
「わかりました。では私がその借金を肩代わりしましょう。借りている全ての業者にそう伝えてください」
「そんなこと許されるはずがありません!」
勢いよく席を立つ彼女。頬がほんのりと上気しています。感情を
「あなたは自分が何を言っているのかわかっているのですか。私たちは知り合ってからまだひと月もたっていないのですよ。そんな赤の他人のためにどうして自分を犠牲にしようとするのですか。私にはそれほどの価値はありません。もっと自分を大切にしてください」
ああ、なんと思いやりにあふれた言葉でしょう。これほどまでに私を大切に思ってくれる女性は他にはいないでしょう。彼女と巡り合わせてくれた運命に私は感謝しました。
「わかっていないのはあなたのほうです。私は自分を大切に思っているからこそあなたを助けたいのです。これまで私は金こそが人を幸福にできると思っていました。この3年間、ただ口座の残高を増やすことだけを目標にして生きてきたのです。でもそれは間違いでした。どれだけ金を貯めようと人は幸せになれません。貯めた金を誰かのために使ってこそ人は幸せになれるのです。私はあなたのために金を使いたいのです。それはあなたの幸福であり同時に私の幸福でもあるのですから」
「そんな、私みたいな女のために、あなたはそこまで……」
座り直した彼女は顔を伏せました。両手で顔を覆っています。泣いているのかもしれません。しばらくして顔を上げた彼女の表情はいつもの笑顔にあふれていました。
「お申し出、有難くお受けいたします。でもこれは肩代わりではなく借り換えです。借金の返済相手が闇金からあなたに変わったのです。あなたが立て替えてくれたお金は絶対に返します。私の一生をかけてお約束します」
「では私も約束しましょう。私の一生をかけてあなたを幸せにすると」
私も笑顔で答えました。彼女は右手でテーブルのカップを示しました。
「冷めないうちに飲んでください。ここのコーヒーは一級品ですよ」
彼女の言葉通り味も香りも素晴らしいコーヒーでした。染みわたる美味しさが心のわだまかりを溶かしていくような気がしました。
「一生をかけて……」
ついさっき、喫茶店で聞いた彼女の声はまだ耳の底に残っています。一生をかけて約束する……これは私と一生添い遂げたいと告白しているのと同じではないですか。あの男の指輪に代わって、私が捧げた愛の指輪が彼女の薬指に輝く日も、そう遠くない未来にやって来るような気がします。私はスマホをタップしました。
「なんて打とうかな」
そしてもうひとつのハッピーイベント。ついに彼女のメールアドレスをゲットしたのです。これでもうアパートやファミレスの周囲を徘徊する必要はなくなりました。いつでも彼女に連絡できるのですからね。
紆余曲折はありましたがようやく彼女の信頼を得ることができました。もうゴールは見えています。3百万、それは現在私の口座に表示されている出金可能額にほぼ等しい金額です。全額引き出してあの男に叩きつけてやればそれで全てが終わります。しかしそんなことをしたら明日から生活できません。借金返済後に始まる彼女との生活、それを支えるための投資原資。今の口座残高を減らしたくはありません。
「一気に稼ぐんだ、3百万」
利息制限法の上限を超えていないとは言っても金利は15%近くあるはずです。長期返済では金利負担が馬鹿になりません。一気に稼いで一括返済する、これしかありません。折しも来週は大統領選挙。為替の変動も大きくなる可能性があります。このチャンスに賭けるしかないでしょう。
3百万、簡単な額ではありません。ポジションもリスクも可能な限り大きくしてロスカットギリギリのラインで勝負しなければ稼ぎ出すのは不可能です。胃が痛くなるような数日間になるでしょう。しかしその後にやって来るバラ色の生活を考えればその痛みにも耐えられるはずです。
「それに今は彼女の応援だってあるんだ。大丈夫、できる。やれる」
私はスマホを見ました。そこにはつい先ほど届いた彼女の応援メールが表示されています。私に百倍の勇気を与えてくれる彼女の励ましの言葉。これさえあればどんな困難にも立ち向かえる気がするのです。
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