幕間Ⅰ ゼラニューム・エイス
地球から彼を呼び寄せておよそ三ヶ月。
勇者召喚は初めてだったせいか、転移場所を見失うというトラブルはあったものの、結果として彼は無事に旅立った。
ユニークスキルの効果か、それとも彼自身の資質か。この世界への適応力は高い。
反面、習得しているスキルは低級ばかり。その真価はまだ測りかねている。
人格は良好で、接客業をしていた社会人らしい、まともな常識を備えている。
過去の増長した勇者たちと比べると、自分達が忘れていた「普通」を思い出す。
ユカリが「あの常識にノスタルジーを感じる」と言っていて、思わず「そこまで!?」と突っ込んでしまった。
彼の語る「リゾートホテルでの仕事」や「りらくなんとか」という職業は、私もユカリも知らなかった。
サブカル趣味だったユカリは、あまり旅行をしなかったそうだ。
なら、ユカリよりも前の時代から来たセージも、おそらく知らないだろう。
最も驚いたのは、平成が終わり、令和という時代になっていたことだ。
私の知る限り、これまではユカリが最も新しい時代から来た勇者だった。
それより新しい時代からの勇者に会うのは、彼が初めてだった。
さらに念願のスマートフォンを見せてもらった。
ちゃんと動いているものに触れたのは初めてだったので、少しばかりはしゃいでしまった。
神の力や魔法を使わず、ステータス画面みたいに操作できるなんて……タッチパネルすごい。
もっと私の死後の日本について聞きたかったが、本題から外れるのでそこは自重した。
平成初期に中学生で病死した私の掠れた記憶では、到底思いつかないほど日本は発展しているようだ。
私は私であり、私以外に私が世界を認識することはできない。
だから私が死ぬということは、世界もまた死んでしまうのではないか――そんな思いがいつも胸の奥にあった。
もちろん理屈ではありえないと理解している。
だが世界を認識する私が失われた時点で、私にとって世界は確かに死んだのだ。
それでも、その「死んだ世界」にも未来はある。
その未来の話を聞いていると、まるで死者がなおも動き、生者と同じように日々を営んでいるかのような奇妙な感覚に囚われた。
そのせいか、どうしても実感が持てなかった。
ユカリやセージから私の死後の時代の話を聞いても、あまり心が動かなかったのはそのためだろう。
まあ、あの頃は……未来を追うのに必死で、余裕が無かったのもある。
けれど今回、『平成が終わった』『時代が変わった』という言葉には、不意を突かれたように心を揺さぶられた。転生して五十年。失われた前世への想いが、今さら堰を切ったように溢れてきた。
もうあの頃へは戻れない――そんな陳腐な言葉の意味を本当の意味で理解し、使命も忘れてただ泣き続けた。
それからの三ヶ月、私は何をしても心が定まらず、何もできないまま過ごしてしまった。
ユカリから彼の訓練が終わりそうだと連絡が来たのは、ちょうどその頃だった。
私が勝手に連れてきて、『あなたには何の得にもならないけれど、私達のために命を賭けて世界を救って、用事が済んだら帰ってほしい』――そんな滅茶苦茶な話を押し付けておいて、のうのうと泣いていた自分の愚かしさに怒りを覚え、ようやく立ち直る気力を取り戻せた。
心が定まったわけではない。だが、この世界で神にまでなった以上、今さら前世を嘆いて歩みを止めるわけにはいかない。
私は神として、あの戦争を主導した者の一人として、戦争で死んだ者達と、この世界に生きるすべての者達に対し、成果と責任を示さねばならないのだ。
神になってからは《飛翔》や《転移》ばかりで移動していた。
だが、たまには村まで歩いて行ってもいい。
長い間、上も下もない場所にいたせいで、人間としての本能が不安を募らせ、心が揺らいだのだろう。
やはり人は地を歩く生き物だ。
地に足を付け、大地を踏みしめ、一歩一歩進めばいい。
私は人であるという初心を、もう一度思い出すのだ。
村の入り口まで歩いて行くと、迎えに出た彼が私を見て変な顔をした。
どうしたのかと思えば、いきなり頭を撫でられる。
――ずいぶん目が疲れてるな。水分が多くて少し腫れぼったい……痛めてる? 花粉症にでもなったか?
その一言にハッとした。
驚く私に、彼は「神になっても身体の構造は同じなんだな、安心した」と少しずれたことを言った。
ついでに「神の身体を見てみたい」と頼まれ、興味が湧いた私は背中を診てもらうことにした。
――お前、いっつも何凝視してるんだ? 首も肩も石みたいに固まってるぞ。頭も情報でパンパンだ。
どうしてそんなことが分かるのかと問うと、彼は肩をすくめる。
――二十年以上で数万という身体を触ってきたからな。身体は嘘吐けないってのが俺の持論だ。あ、神様でも猫背になるんだ?
そんなはずは――と思ったが、言われてみれば思い当たる節もあった。
――ぱっと見じゃ分からないけど胸椎が丸まってる。腰は大丈夫そうだが……なんだろう、この身体の歪み方。
背中を指がすっと降りて行く。思ったよりくすぐったくない。
――事務仕事に近い疲れ方だが、腰は歪んでない。車の運転にしては目と首の疲れ方が違う。……座ったまま、正面か少し上、数メートル先を凝視して、大量の情報を頭に詰め込みながら、ずっと頭を使い続けている感じ?
大体あってます……凄いですね、スキルを使わずにそんな事まで分かるんですか。
――身体の歪みで普段の姿勢が見える。身体の疲れで習慣が分かる。その二つが分かれば、その人の生活が見えてくると思わないか?
確かに……普段の姿勢と疲れる場所が分かれば、そういう推理は出来そうだ。
――お前、普段全然動いてないだろ。もっとストレッチやれ。特に首と背中。あと目は意識して休めろ。身体もだ。一週間くらい休暇を取れ。
休暇って……会社に勤めてる訳じゃ無いんですから。
――それと休みの間は全てを忘れろ。頭に情報が入り過ぎている。入れるな。全力で心身を休める事に集中しろ。海よりも深く眠れ。
難しいと思いますが……善処してみます。
――神様が何やるのかは知らないが、あまり根詰め過ぎるなよ。ストレスが胸で詰まってて息苦しそうだぞ。
笑って誤魔化すしかなかった。
本当に身体は嘘が吐けないようだ。
せっかくだからと、彼は首と肩を揉んでくれた。
強くも弱くもなく、刺激がじわりと身体に染み込んでいく。
一見簡単そうなのに、緊張が自然と解けていくのが分かる。
これは見立ての的確さが、そのまま心地よさつながっているのだろう。
十分もすると首や肩の淀みが抜けて、頭の重さもすっと軽くなる。
肺の奥に澄んだ空気が流れ込み、胸の奥で詰まっていた息苦しささえ薄れていった。
その後、彼と軽く手合わせをして、私は驚愕する。
なんと彼はチートスキルをすり抜け、実に二十年ぶりに私に痛みをもたらした。
これまで戦争の最中でさえ、そんなことは滅多になかった。
対抗スキルで打ち消された時や、対応スキルで突破された時くらいのものだ。
まして彼の攻撃など、本来なら取るに足らない……反応するまでもないもののはずだった。
けれど最後のあの痛み――「ツボだ」と彼は言った。
だが、私のスキルは痛みにも反応するはずだ。
なのに、しなかった。
理由は分からない。
もしかしたら、私たちが頼ってきたスキルには、何らかの穴があるのかもしれない。
彼は……そのわずかな不備を、偶然か、それとも必然か――どうやって見抜いたのだろう。
贔屓目かもしれない。
だが、これまでの勇者とはやはりどこか違って見える。
彼らは誰もが、原初の神が残したスキルシステムをどう活用するかに夢中だった。
それはこの世界では常識であり、実際その方が圧倒的に効率が良い。
なのに、彼は同じ方向を見ていない気がする。
スキルを否定しているわけではない。
けれど根本のところで、私たちと認識が異なっているように思う。
これまでの勇者が持っていなかった、今まで私達が見落としていた何かを持っているように感じる。
……いや、それはただの願望かもしれない。
それでも、そう信じたかった。
なぜ?
どうして私は、そうまでして信じたいと思うのか。
彼に親近感を抱いているせいかもしれない。
それは自分で喚んだからか、それとももっと別の理由があるのか。
いずれにしても、信じることでしか前に進めない。
私は、すべてを話さなかった。
自分に不利なことは伏せた。
だが、私がそういう話し方をした事には気付いているはずだ。
気付いた上で……それでも受け止めてくれたのだと、そう思いたい。
きっとそうだ。
そうであって欲しい。
でなければ、私はもう――
時空の穴は、まだ開いている。
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