毒槽アパート

@ZKarma

第1話


「水がゲロ不味ィ」


一人暮らしを始めた友人宅で、酒盛りをしようとやってきた俺に向かって彼――河邑はやおらそう言った。


「つってもさ、こんなアパートに給水タンクとか無いだろ。その辺の水道水と変わんないんじゃないのか」


「それは俺も思ったンだけどさ、マジでゲロみたいな味がするンだって」


私はずいと突き出された、コップに注がれた水の匂いを嗅ぐが特になんということもない。

勇気を出して舐めるように一口飲んだが、やはりカルキ味が不愉快なだけのいつもの水道水の味だった。


「ほら、ゲロみたいな味すンだろ?水道管が腐ってンじゃねーかな…」


「そもそも、私の田舎の水と比べりゃ東京の水道水なんてゲロみたいなもんだぞ。よく飲めるなこんな薬品臭い水」


「っべーな田舎。大学出たら上手い水飲む為にお前の地元就職もワン有りだわ…」


実際、地元の水にすっかり慣れてしまった私にとって一番キツかったのはエグ味すら感じる薬品洗浄された水の味だった。


「濾過機とかさ、結構試したけど駄目っぽさが凄いんだワ。はーマジクソ…」


ドボドボとウォッカに私が買ってきた割り材のカルピスを注ぎながら、河邑は毒づいた。



三階建ての学生賃貸。

大家は、皺だらけの陰気な老婆。

こちらが挨拶しても碌に返事をしないらしい。


ありゃボケが回ってきてるな、とは河邑の弁。

なんでも常に部屋の窓を開けっぱなしにしてなにかやっているらしい。


河邑が一人暮らしを始めたのは先月だった。

ようやく念願の城が手に入る、とはしゃいでいた彼は、しかし引っ越してから徐々に顔色が悪くなっていった。


一人暮らしで気をやっているんじゃないかと心配した私は、こうして彼の宅での酒盛りを持ちかけた訳だ。


「もしかして、水が不味いから体調崩してたのか、お前」


「それよ。結局コンビニで水買ってたんだけどさ、コンビニの水もほっとくとゲロみたいな味してくンだよな」


「は?」


いや、それはお前の味覚の方が異常なんじゃないのか。


酒を飲みながら話を聞いた結果、どうも調理に使う分には大丈夫らしい。

水質が汚染されているなら調理しても駄目だろ。やっぱり味覚壊れてんじゃないのか。


「ま、お前が酒持ってきてくれて助かったワ。買いに行く手間が省けた」


「風呂とか、トイレとかはどうなんだ?」


「んーー、ちょっとヘンな感じするけどそも普段銭湯の方行くから良くわかんね」


始終このノリだ。

真面目に取るべきかどうかもよく分からなかった



ボチャン、ボチャン、という水音の連続で目が覚めた。


どうやら酒が回り過ぎて気絶していたらしい。

ちゃぶ台の向こうを見やれば、河邑もぶっ倒れているのが見える。

しかし、水音…?

耳を澄ませば、ボチャン、という音は相変わらず一定周期で聞こえてくる。


シンクを見るが、特に蛇口が緩んでいるという風でもないし、トイレや風呂場を見ても同じだった。


河邑の言う通り、水道管かどこかからの音なのかも知れない。


「おい、頭痛止めの薬は?」


死んでいる河邑の頭をつま先で小突きながら声を掛ける。

妙に頭が痛かった。

酒には強い方を自認していたし、酒カスの典型じみた飲み方をしていた河邑に比べれば、今日の私はまだ大人しい方だったというのに。


「酔いどめェ?無ぇよ、そんなの」


「じゃあ起きろ散歩に行くぞ。気分が悪いし、空気も悪い」


「男の一人暮らしなんてそんなモンだろ…」


これでも掃除したんだぞ、とぶつくさ言いながら、河邑はのそりと起き上がった。


財布を持ち、電気を消して部屋を出る。

ドアを閉じる瞬間も、ボチャンという水音が耳に付いた。




「お、こんな時間でもまだ起きてんのかよあのババア」


部屋を出て階段を下りると、大家の部屋と思しき場所は、深夜三時を回る今になっても明りが付いたままだった。


「こんな時間でも窓は全開か。不用心な」


「だから言ったろ。ボケてンだよあのバアさん」


そうして前を通り過ぎる瞬間、何げなく窓の中を一瞥した時、


「あれは、何だ?」


奇妙なものを見た。


その部屋の中央には、それなりの大きさの水槽が鎮座していた。

それだけならどうということはない。

奇妙なのは、それが三段に渡って積み重なっていたことだ。


「オイオイあれじゃ下の方に水入らんベ。やっぱボケてんだなあのバアさん」


河邑のデカい声がしても、大家は出てこない。

どうやら外出中らしい。


そしてその通り、案の条一番下の水槽は腐って濁っていた。


そして、さらに奇妙なのは、その下段の水槽には、点滴のように細い管が垂らされていて、そこから何か、水のようなものが落ちていっていることだった。


私は知らず、身を乗り出してその水槽を見つめ――


「おい河邑、お前の家の上に住んでる人の苗字って、木村か?」


「あ?なんだよ急に」


「良いから。それと、お前の隣に住んでて、今は居ないって人の苗字、高原だったか?」


「ん、それだと思う。木村サンには引っ越しした時挨拶したし、高原ってのは隣の空き部屋にまだついてる表札だったな」


「河邑。お前、さっさと引っ越すべきだよ」



あれを見ろ、と指をさす。


その水槽の上には、一つ一つ、名前が書いてあった。

二段目には、高原。

緑に濁った一段目には、河邑。その隣には、高原。


点滴の管を視線で辿ると、それは、濁った青色の薬液のような何かが入った透明な袋に繋がっていた。


ボチャン、ボチャンとその液体が、緑色の水槽に垂れていく。

そしてその水槽の奥で、何かが蠢いたような気がして、私は見るのを止めた。


同じものを見たであろう河邑と、顔を見合わせる


何かの実験なのだと、そんな確信があった。


「河邑、引っ越した方が良いぞ」


「………」


部屋からは、生臭い匂いが漂っていた。











【都内・某所】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

毒槽アパート @ZKarma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る