蝮の道三

Side:斎藤道三


「あれがうつけだと!? そんなわけはないでや!」

 正徳寺の広間で向かい合った娘婿を見て、そう叫ぶことを必死にこらえた。長年積み重ねてきた年の功といえど、薄く笑みを浮かべる婿殿は見透かしておるやもしれぬ。そう思うと背筋に冷たいものが流れた。


 斎藤道三入道は頭を抱えていた。美濃に入ってくる噂は、彼の三郎があれをやらかした、これをやらかしたといった話が面白おかしく伝わってくる。

 しかもそのような醜聞が次々と漏れ聞こえてくるということで、家臣たちも織田を完全に舐めてしまっていた。

 しかし、弾正忠信秀が打つ手はどれもはまり、ついには斯波武衛を奉じて尾張をほぼ統一してしまった。

 尾張の虎と言われたほどの大将が情に負けてうつけを跡継ぎにするであろうか? 否、断じて否! 虎の子が猫くらいはあるかもしれぬが、子飼いの細作が拾ってくる噂には聞き捨てならぬものもあった。

 特に、鷹狩りの段取りは実に見事で、新九郎に手本にしてほしいとすら思うほどであった。

 また、最近聞こえてくる、今川や織田の内紛で活躍しておる柴田権六なる武者も気になるところであった。さらに最近は川筋の者共も織田に着いたとみえ、材木の値が地味に値上げされておる。


「尾張とのよしみは切ってはならぬ。今は内輪もめをしておる場合ではないでや。新九郎はわかっておらぬ」

「ご隠居、間もなく正徳寺でございまするに」

「うむ、武者どもを配置につかせるでや」

「はっ」

「兵助、おのしゃあ婿殿をどう見る?」

「儂が存じておるのは、守役の言うことも聞かず、日々遊び暮れておるとのうわさにてございまするに」

「ふむ。鷹狩りに行くとするでや。まずは何を行う?」

「でありまするな、行先に獲物がおるか、ぬかるみはできておらぬか、川や淵はいかなる様子か……まさか!?」

「そういうことでや。婿殿は鷹狩りと称して尾張すべての地勢を目にし、そらんじておるに違いなし」

「まさか……」

「なに、まもなく本物を見ることができるであらあず」

「はっ、なれば儂は尾張方面の道を見張っておきまするに」

「ふむ。なれば行け」


 先ぶれの武者がやってきた。甲冑をまとい、完全武装のいでたちで、こちらを相手に全く油断をしておらぬ。家来どもは我らを恐れておると愉快気に嘲笑っておったが、儂はとても笑う気になれぬ。

 使者の口上は、半刻ほどで到着の見込みとのことであった。秋も深まり、暑気目だったころ合いで、使い番の武者は全身を汗で濡らしている。

 この気候でここまで疾駆できるほど鍛え上げられておるように見えた。

 使い番が戻ったのと前後して兵助が戻ってきた。

「ご隠居、三郎様はこちらを攻め滅ぼすつもりかもしれませぬ」

 わざと大声で周囲の家来どもに聞こえるように言い放った。家来どもは顔を見合わせて、へらへらと笑っておる。こやつらのうちの何名かは新九郎に通じておるのだろう。

「聞かせよ」

「はっ、三郎様におかれましては茶筅髷に虎柄の毛皮の羽織をまとい、袴は吐いておられませなんだ。傾き者のごとく見た目にて、噂通りのうつけ者にござった」

「……それだけではあるまい。何を見た?」

「……三間半の長槍衆が三百余り。弓衆は猟師が使うかのような短弓にございましたが、一人の武者が鴨を射落としてござる」

「短き弓ならばそこまで届くまいに?」

「それが届いてござる。馬上より引いてすぐにでも放った矢にございました」

 おそらくこちらの物見がいるとみてわざとやったことであろう。

「そして……」

「うむ」

「種子島が二百ほどもそろえてござりました」

「なにっ!?」

 儂ですら五丁しか入手できておらぬに、二百だと!? まずい、裃姿の五百では勝負にならぬ。

「殿、種子島など一度打てば連射の利かぬものにございませぬか。それに狙ってもまず当たらぬ。一度打たせて一気に切り込めば何とでもなりましょうぞ」

「たわけが、そのための連射が効く弓衆であろうが。それに常識外れの槍衆がおる。近寄ったらハリネズミになるかくし刺しじゃ」

 その一言に、自らの運命を悟ったか、顔色がゆっくりと白くなる。


「もやはこれまでよ。我らが命はうつけの婿殿の手のひらの内じゃ。こちらが申し込んでおいて逃げ帰ってはそしりを受けるに違いなし」

「な、なれば……?」

「尾張のうつけ見物といたそうでや。見物料は儂らの命でや」

「はっ! なんとしても殿のお命だけでも守りまするに!」

「ふむ、いざとなったらこの皺首一つで収まればよいがのう」


 とにかくも、こちらが上の立場じゃ。泰然とせねばならぬ。家来どもも何とか落ち着きを取り戻した。


「たのもう!」

 朱縅の甲冑をまとった武者が先頭に立って門前で声をかけてきた。

「織田家中の方にございますか?」

「はっ、お初にお目にかかる。儂は柴田修理勝家と申しまする」

 ギラリとした眼光で、応対に出たものが怯んだのがわかった。

「お待ち申し上げておりましたなも。どうぞこちらへお入りくださいませ」

「はっ」

 権六は油断なき目線を向け、特に物陰を注視する。いかなる伏勢も見逃さぬとの風情に、再び家来どもが気圧された。


「出迎え大儀である」

 馬上のまま、噂通りの姿をした婿殿、三郎信長が入ってきた。奇矯な姿に目を奪われるが、体躯は鍛え上げられて引き締まっており、馬を見事に操っておる。

 日に焼けた顔は山野で過ごす時間が長いように見える。ただ遊んでおるのではなく、合戦稽古に余念がないのであろう。

 付き従う馬廻り、小姓衆も主と同様に鍛え上げられておるのがよくわかる。


 槍は長い方が良い。無論長すぎては振るうこともできないゆえ、適度な長さを探らねばならぬ。

 そしてその長さの槍を扱えるだけの鍛錬も要る。


 弓衆は長弓を持つものもいたが、大多数は短弓を持っていた。そして鉄砲衆は、右頬に痘痕のようなやけどの跡が出きている。火縄が弾け、火の粉が散ることがあるためだ。

 何度も鉄砲を放って鍛錬した証である。


 鉄砲はそろえるのもそうだが、維持するにも金がかかる。稽古をさせるにしても弾や玉薬が恐ろしいまでに高価だ。

 ただ、普段から稽古をさせておかねば、不発だったり暴発などで、百の筒先から弾が出るのが半分にもならぬということになりかねない。


 婿殿のいくさ備えを思い出す。おそらくここに連れてきている兵は最精鋭で、すべての兵がそこまで鍛えられているわけではないだろう。

 それでも軍の中核をなす精鋭がいるのといないのでは、いくさ場においては大きな差となる。


 広間で悶々としていると、だんだんだんと足音を響かせ、一人の若者の姿が見えた。薄汚れた傾き者ではなく、古式の作法にのっとった非の打ちどころの無い立ち振る舞いをする若武者である。


「お、おう……」

 思わずあっけにとられていた。我に返って周囲を見渡すと、兵助が拳が入りそうなほど大口を開けている。

 ぴしゃりと扇子を閉じると、周囲の者どもがようやく我に返る。


「お舅様にはお初にお目にかかり申す。織田三郎信長にござる」

 折り目正しい礼は、噂のうつけ者のそぶりは一切見えなかった。

「うむ。娘はすこやかにしておるかや?」

「はっ、小濃は良き嫁にござります。ちと嫉妬深いことが玉に瑕ですがなん」

「なんじゃ、側女に目くじらを立ておるか。それは儂のしつけが足りなんだで」

「それほど情の深き妻にございまする……お舅様には先にお話しいたしまするが、どうも身ごもったようでしてなん」

「なにっ!」

「月のものが来ておらぬと出がけに言われましてござる」

「そうか、そうか! まことにめでたきことであらあず!」

「斯様に喜んでいただき、恐悦にござる」

 それからいくつかの話をした。儂が加納の市で行った楽市のこと。長槍のこと、短弓は元寇のおり、蒙古の兵が使っていたものを唐の書籍から復元したとの話であった。

 そして核心の話をする。


「婿殿は新しきものが好みかや。種子島をあれほどそろえること能うはうらやましき限りでや」

「はっ、方々の伝手を頼ってなんとか揃える事ができましてなん」

「しかし、あれは不発も多く、伏奸(ふせかまり)にて将や物頭を狙うくらいにしか役に立つまい。一度放てば、騎馬武者であれば次の弾を打つまでに攻めかかられよう」

「これは痛き所を申されまする」

「婿殿のことなればこの程度のことはすでに思いついて御座ろうが」

「数をそろえたのもそのことにござります。一斉に放てばそれなりの役には立つものにて」

「なるほどなん。どうかや、儂にもその伝手で種子島を譲ってくれぬかのん?」

「かしこまってございまするに。お届け先は井口でございまするか? それとも鷺山にて?」

「恐ろしきおとこだでなん。儂と新九郎のこと、早くもかぎつけておるか?」

「商人どものうわさ話を集めておるだけにございまするに」

「……鷺山に頼む」

「かしこまってございまするに」

 婿殿はいざ美濃が割れるとなったときは儂の方に助力すると言うて来た。今はそれでよい。

 儂であっても相討ち覚悟……「新九郎は婿殿の門前に馬をつなぐことになろうなあ」

 不意に口を突いて出てきた言葉に、家来どもが色めき立つ。だが、尾張衆のあの備えを見た後では軽口どころか、強がりすら出てこぬありさまであった。


 場合によっては儂だけでも織田に降ることも考えねばならぬな。

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