血路

「孫三郎さま! 謀られただわ。坂の下の追手は我ら殿軍を足止めするだけの役目にて」

「なにっ!? あの追い足の鈍さはそれゆえか!」

「儂はこれより殿の後を追いまする」

「なればあ奴らを食い止めるが我のすべきことじゃな?」

「……お頼み申す」

「かかっ! うぬの様な小童に心配されるほど耄碌してはおらぬわ。よからあず、すぐにでも発てるか?」

「ははっ!」

 孫三郎様の側仕えたちは目を見開いている。松平の奇襲よりこの方最前線で戦い詰めゆえか。


「こやつは疲れというものを知らぬのか」

 呆れたようなつぶやきが耳に入るが意に介せずすっくと立ちあがる。


「義兄上、お許しが出た故、すぐにでも向かいましょうず」

「ああ、わかっただわ。その前にじゃ。半介!」

「なんじゃ?」

「おのしは孫三郎様の陣に加わり以前言うておったあの兵法を試すがよい」

「ふむ、わかったでや。まかせるがよからあず」

 盛次義兄は孫三郎様に半介の繰り引き戦法を説明していた。陣を二列に敷き、交互に敵を支える。また伏せ勢を用いて敵の追い足を鈍らせる。

 辛抱強い半介なれば不覚をとることもないであろう。


「権六、先ほどの手柄に報うるに、馬を与える。うぬが図体に合わせた名馬故、間に合わなんだとは言わせぬぞ」

「ははっ!」

 馬番が引いてきた馬にまたがり、そのまま駆け出す。その後には盛次義兄上が続き、乗馬を許された武者三十樹が駆け出す。

「大学! 徒士の兵をまとめ、殿の旗が見えたら一文字に突きかかれ! 我らは先に行くでや!」

「わかったでや!」

 佐久間大学盛重が徒士武者を率いて走る。大学も剛勇の武者ゆえに後れを取ることはないであろう。

 杞憂で終わるが最善ではあるが、彼の黒衣の宰相が通うに手ぬるい兵法を使うとはどうしても思えぬ。

 焦燥のまま儂は馬腹を蹴り、疾駆した。

 

Side織田信秀


 してやられた思いが胸を焦がす。多くの兵を危険にさらしたことは今更ゆえに悔やんでも仕方がない。それよりも我が家中にあれほどの剛勇の士を見出したことが幸いであった。


 安祥の城まで一里、道半ばまで来た。ここに及んで敵の追撃がないのは殿がうまく戦っておるゆえか。

 そのまま進み間もなく城が見えてくる。何とか生き延びたと旗本どもが息を吐いたその刹那……右手から矢が降り注いだ。


「かかれ!」

 気負いなく、むしろ穏やかな声色で命を下す声。今わの際に引導を渡す坊主の様な声色と感じた。


 墨染の法衣を纏い、こちらに細い竹鞭を向けている。あれに見ゆるが黒衣の宰相か!


「前進! のち右に旋回し、敵に食らいつけ!」

 その場で足を止め陣の向きを変えるならば、どれだけの討ち死にを出すか知れたものではない。ならば動く。

 こちらの動きを見た雪斎坊主はくるりと竹鞭を回す。周囲の武者が走り出し、こちらの動きに合わせて別の兵がこちらの側面をつく動きを見せる。


「脇備え、新手を食い止めよ!」

 こちらの手に合わせて敵は小勢を動かし、先読みされているのであろうか、次々と先回りされる。

 

「三郎五郎! 血路を開き城に駆け込め! 儂はここで食い止める故、城の番手を引き連れて参るだわ!」

「父上!」

「とばくさ言うておる暇はないぞえ! 駆けよ!」

 

 すでにこちらに倍する敵勢に取り込められ、円陣を敷いて立ち向かう。円陣は守りが硬いが身動きがとれぬ。

 

「弓衆! 西の敵勢に向け一斉に放て!」

「「おおう!」」

 

「続け!」

 平手中務の嫡子、長政は剛勇をもって知られていた。大身の槍を振るい駿河勢を叩き伏せる。

 飛び交う矢が具足に突き刺さりハリネズミの様な有様になってもなおその槍の鋭鋒は鈍らない。

 平手の郎党が若を死なすなと一斉に突出する。その懸命の働きによってわずかに開いた敵兵の隙間に三郎五郎が率いる騎馬武者が道をこじ開けた。


「ふふ、あとは吉法師に任すだわ。だが虎と呼ばれたわが身、ただでは逝かん。彼の坊主を閻魔大王の前に連れ出してくれようぞ!」

 

 儂の鬨に、兵たちが応える。そこに戸板に乗って平手長政が運ばれてきた。


「おう。殿、見苦しいさまを見せておりまする」

「お主も悪運強き男じゃの。その有様で深手がないとはのう」

「具足を新調しておいたのだわ。殿の先陣に立つ武者がみすぼらしくては士気にかかわると思いましてのう。しかし、ここまで穴だらけになっては繕うのも一苦労でや」

「ふん、そなたの働き見事なり。古渡に戻ったら新たな具足をしつらえてやろうず」

「それはありがたきことにて」

 こやつもわかっておろう。もはや生きては帰れぬことに。雪斎坊主の罠にはまり、機先を制された。万が一殿軍が勝ちを拾い、ここに駆け付ければなんとでもなろうがの。

 死を覚悟した武者はまるで悟りを開いたが如き笑みを浮かべる。それは透き通るような、赤子の様な無垢な笑みだった。


「では行こうかのう」

「長政、お供仕る」

「おう、おのしとは長い付き合いじゃったな。生まれも同じなら死す時も一緒かや」

「殿が家来としては望外の幸せにござる。先に討ち死に遂げて賽の河原にてお待ち申し上げる」


 久しく握っていなかった槍を手に取る。幾多の戦場を共にした愛用の得物はまるで吸い付くように手になじんだ。


「敵の一番分厚き所を探せ、坊主めはそこにおるでや」

「御大将! 南西の陣が侍どもより集まり、槍衾を掲げており申す!」

「なればそこに突っ込むでや。者ども、死ねい! 死して地獄の天下を取ろうず!」

「我ら幾多の戦場にて敵を討ち取り続けております故な。一族が念仏が届けば極楽にいけますかのう?」

「そう思うておるならばすでに煩悩にまみれておるでや!」

 決死の戦場に向かう旗本どもが冗談を言い合う。善き侍どもじゃ。


「すわ、かかれえええい! かかれ、かかれ、かかれ!」

「儂に続け!」

 平手長政が再び槍を掲げて突き進む。槍衾の兵が立てた穂先を落とす中をかいくぐり、手槍で敵兵の喉首を貫く。

 弓衆の浅野、太田らは、日ごろ鍛えた強弓のわざをここぞとばかりに披露する。

 馬上で指揮を執る物頭を撃ち落とし、混乱する敵兵を追い散らす。


「いけえええええええええい!」

 儂の怒号が戦場にとどろき、弱兵と笑われる尾張の武者はここが死に所と狂い立ち、縦横無尽の働きをみせる。

 それでも太原雪斎の采配は見事に尽きた。我が鋭鋒を躱し、側面より精鋭をたたきつけ、足が鈍ったところに矢が降り注ぐ。

 手負い死人が多く出て再び敵勢に取り囲まれる。左右の敵勢が槍を構え突撃体制を取ろうとしたさなか、敵の後方で騒ぎが起きた。


Side:柴田権六


「権六! 西の先に土煙が上がっておるだわ!」

「おう、やはり雪斎坊主は小豆坂をすり抜けておったか!」

 先の方では旗指物が激しく動き、激戦が繰り広げられているのがわかる。


「あれは殿の旗でや、旗本に向けて一斉に取り掛かってござるだわ!」

 物見に向かった兵が報告をよこす。


「このままいけば殿が向かう先の真後ろを突けるでや。者ども、我ら一文字に敵を貫き、殿の御前に参るだわ。このいくさに勝てば恩賞多きは間違いないでや」

「義兄上の申すとおりだがや。功名立てたくばおくるるな!」

「「おおおおおおおう!」」

「末代までの功名じゃ! かかれえええええええええええええええええええええええいいい!!!!」

 

 孫三郎様より拝領した薙刀を手に敵中に切り込む。馬上で縦横に振り回し、敵兵は弾け飛び宙に跳ね上がった。


「というか、朝から戦い詰めじゃというに、権六は底なしじゃの」

 呆れたように槍を振るう義兄上も大概だと思うがのう。

「つべこべ言うておる暇はないがや! 進め、進めえええい!」

 陣の真後ろからの奇襲となった故に敵の抵抗はもろい。

 それでも中央は陣容が分厚く、かなりの敵を倒したが先はまだ見えない。というかここで足を止めれば包囲されすり潰される。


「権六! そろそろ危ういでや!」

「かといって戻る道もないでや。ここは前に進もうず」

「よかろう! 討ち死にしてもとばくさいうでないぞ」

「死のうは一定よ!」

「死してなお残すもよかろうがのん」

「無駄口はそこまでじゃ。かかれ、かかれええええええい!」

 

「うぬ、小童が、儂が討ち取ってくれん!」

 立派な兜をしつらえた武者が儂の前に立ちふさがる。

「とばくさ言う前に突きの一つも放て!」

 儂は振り上げた薙刀を唐竹割に振り下ろし、敵を左右真っ二つに叩き斬る。


「しもうた。兜まで叩き割ってしまっただわ。あれを売ればいい銭になったろうがのん」

 今川方の名の知れた武者が一合も打ち合わす間もなく叩き斬られた。敵勢の心が折れ、及び腰になりつつある。


「そこじゃ! 続けえええええい!」

 儂が馬を進めると、敵は敢えて立ち塞がらず道を開ける。そしてここで三度戦況が動いた。

 大学の率いてきた武者が、雪斎坊主の本陣を見つけそこを突いたのだ。

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