とびっきりのプレゼントを
金糸雀
死んでくれ。
うわぁ死んでくれ。
私はげんなりとしてスマホ画面から目を離そうとしたけれど、見たくないのに離れがたくて、結局は画面を見詰め続けていた。ちょっと自分自身に呆れながら。
私はこいつに、捉われている。
死んでくれとナチュラルに思うほど憎いのに、こいつの動向が気になってたまらない。今日は一体どんな
ふたつ持っているアカウントのうち、プライベートなことを心ゆくまで吐き出すためにつくったいわゆる鍵垢で、端的に「ヲチ」と名前を付けた非公開リストに登録しているアカウントはひとつだけ。そのアカウントの主は、一般的な社会人ならば忙しく働いているはずの平日の真っ昼間に、ツイートを連投していた。毎日が日曜日状態のこいつは、今日が平日かどうかわかっているかどうかも怪しいけれど。
それにしても――これはないだろう。
いっそ縊り殺してくれようかと歯噛みしながら繰り返しツイートを読む。殺したいほど腹が立つようなツイートならば読まなければ良い。頭ではそうわかっているのに、私はこいつから――こいつの吐く戯言から、どうしても逃れることができない。誘蛾灯に群がる羽虫みたいに。
今、私が一段と怒りを掻き立てられているツイート。
それは――
『東京の死者数すげえな。そろそろ4桁乗るんじゃね?田舎で引きこもってる俺、やっぱ勝ち組だわ。てか、こんなにバタバタ死んでんのに休まず会社行ってる社畜の皆さん乙w』
二年前に流行が始まった新型コロナウイルスは、感染力と死亡率、症状と後遺症、そういったもの全てのバランスが、ウイルス側の生存戦略としては大変賢く、迎え撃つ人類から見ると全くもって厄介な代物だ。
老若男女問わず多くの人が感染し、風邪に似た症状から、やがて肺炎を発症する。十人に一人は重症化するが命を落とすことはそうそうない。しかし、治ったらそれでおしまいということはなく、身体に大きなダメージを残す。多くの人が、呼吸器の不調や倦怠感をはじめとした、軽くはない後遺症を抱えて社会復帰せざるを得ない状況である。
人類を相手に生かさず殺さず繁栄し、猛威を振るうこのウイルスに対し、策を打たなかったわけではない。ワクチンは急ピッチで開発され、日本国内での接種も始まったけれど、医療従事者に行き渡る前にウイルスの変異が始まり、変異種は二つ三つと数を増やして、ワクチンが効かないケースが急増した。そうして、予防接種を通した穏当なやり方で全国民に免疫を獲得させる、という封じ込め作戦は失敗に終わった。次の手をどうするのか、国は有効な方針を出すことができていない。
一年延期して開催予定だった東京オリンピックだって、中止が決定してしまった。新型コロナウイルスは全世界の脅威となっており、ヨーロッパの状況はもっとひどいことになっているから、次のオリンピックだって開催できるのかどうかわかったものではないけれど――ともかく、オリンピック中止が決定したことで落胆ムードが高まり、オリンピックに伴う経済的効果の一切が期待できなくなったことによる危機感も相当なものとなった。
去年は、ワクチンが用意できるまで頑張ろうとばかりに皆が外出を自粛し、仕事は極力テレワークで済ませようという機運もあった。あともう少しだから、今だけだからと、不自由で心細い生活に耐えた。
けれど、ウイルスの変異が確認され、開発されたワクチンが最早効力を失ったことが知れ渡ると、空気は一変した。もう、こうなったら誰もが罹るものと諦めよう、大丈夫、命までは多分、取られないから。多分――というふうに。
きっと誰もが疲れていたし、ワクチンへの期待が破れたことで、糸がぷつりと切れてしまったのだろう。オリンピックという最大級のイベントが流れたことで、別にスポーツ観戦が趣味というわけではなくても、国中がなんとなくがっかりしてしまった。
こうした情勢を受けて、私の職場も数ヶ月前にテレワークの推奨を取りやめた。
頼みのオリンピックだってポシャったのだから、とにかく経済を少しは回さなければならない。テレワークだけしていては十全の企業活動ができない。移動によるウイルス感染リスクは無視できないけれど、いつまでもテレワーク一辺倒でいるわけでも行かない。なんせ、いつになれば流行が収束するか、予測が付かなくなってしまったのだから――とまぁ、理屈はそういう感じで、数社の大企業が方針を変えると、右に倣えでその他大勢もそれに従った。
だから私は、そうすること自体がリスクだと知りながら、毎日電車に揺られて多摩地域のマンションから都心のオフィスまで通勤している。気休め程度の意味しかないマスクを着けて。
今や通勤電車の混雑率だってすっかり元通りだ。たとえ電車内でクラスターが発生しても、運がなかったね、と流されて終わる。感染するのは誰だって嫌に決まっている。けれど、有効な対応策がない今、ウイルスが怖くても逃げることはできない。経済活動を再開しなければ、ウイルスでは死ななくても国が破産しかねない。だから、ウイルスが日本に持ち込まれる前と同じような生活を続けるしかない。
それが、私たちが置かれている生活だ。
それなのに――
安全なところでぬくぬくと暮らしている、こいつは。
実は私の弟である。
一応は有名大学卒という肩書を持ち、一流企業で働いたこともあるけれど、今やどこに出しても恥ずかしい立派なひきこもり。それが、今のこいつの姿だ。
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