24話 夢と現実と夢と
「あっつ……」
目覚めた第一声はそれだった。エアコンの無い祖母の家の居間で、暑さにさらされて汗だくになっていた。
木造りの天井をぼーっと見つめながら、薫は「帰って来たんやな……」と呟いた。そのまま視線を縁側から繋がる庭にやると、空の色はすっかりと沈み、太陽の名残がわずかに赤く見えている。
「……ん?」
おかしい。猫の世界を出た時間は夜だったはずだ。空は暗く星も見えていた。
薫は近くに放り出されていたバッグを手元に寄せ、中からスマートフォンを取り出す。結局猫の世界にいるときには1度も見ることの無かったものだ。
時間を見ると夜の7時ごろだった。向こうにいる時は時間の感覚がはっきりしていなかったが、夕方開店のお食事処を終えて酒場に行き、猫神さまのお屋敷に行くころにはすっかりと夜になっていた。
しかしそれより驚いたのは日付だった。
「なんでや!」
薫は上半身をがばっと起こす。カガリに付いて行ったあの時から、時間こそ変化があったが、日付が変わっていなかったのである。
と言うことは、猫又の世界に行ってから数時間しか経っていないことになる。体感では丸2日経っているのに。
これではただ昼寝をしただけでは無いか。
そう思ったところで、ああ、そうかと考え至る。
猫又の世界での体験は、基本的に夢の中のできごとなのだ。薫と潤は昼あたりから夜まで寝ていた間に、夢で2日間ほどの時を過ごしたのだ。
薫は「はぁ〜」と大きな溜め息を吐く。こうしてみると、あれが夢だったのか現実だったのかがあやふやになりそうだ。
だが薫が料理人になりたいと思った気持ちはしっかりと中にある。あれは薫にとって紛れも無い現実だ。薫に夢を示してくれた経験だ。
横を見ると、潤はまだ気持ち良さそうに寝こけていた。薫は「潤、起きぃ」とその肩を揺する。だが寝起きの悪い潤は「んん〜」と呻くだけで目を冷ます気配は無かった。
「しゃあないなぁ」
薫は「潤、起きぃや」と言いながら潤の身体を横にごろんと転がす。するとさすがの潤も「ん〜?」と薄眼を開いた。すると途端にその双眸がぱっと開かれて、慌てた様に上半身を上げた。
「猫、猫!」
そう声を上げる。薫は一瞬呆気に取られ、次には「ぷっ」と吹き出した。
「落ち着けや。戻って来たんやで」
「え、あ? ええ?」
潤は目を白黒させながらきょろきょろと辺りを見渡す。そして「ああ」と声を漏らした。
「凄い夢を見た気がするんだけど、あれって」
「俺は現実やったって思っとる」
薫がはっきりと言うと、潤は呆けた様な顔で黙り込み、やがて「そっか」と納得した様に呟いて、「ふふ」と笑みをこぼした。
その時、縁側から「にゃあ」と声が響いた。
薫と潤はその声に弾かれた様に縁側を見る。するとそこには1匹の黒猫がちょこんと座っていた。黒猫はまた「にゃあ」と鳴く。
「……カガリ」
薫がおずおずと呼ぶと、黒猫はまた「にゃあ」と鳴いた。その声はどことなく嬉しそうに聞こえた。薫の願望がそう思わせたのだろうか。
「カガリ」
潤が呼んで手を伸ばすと、黒猫はすっと立ち上がって歩いて来て潤の手に頬を添える。潤はふっと笑みを浮かべた。
「カガリなんだね?」
潤が訊くと黒猫は、カガリはまた「にゃあ」と鳴いた。薫も近付いてその頭を撫でた。するとカガリはごろごろと喉を鳴らす。
「せやな。こっちじゃ普通の猫のふりしてんねんもんな」
「そうだよね。尻尾も1本だもんね」
カガリが揺らす尻尾は確かに1本だった。そして言葉も話さない。話せないのだろうか。
「カガリ、猫神さまや皆は元気か?」
薫が訊くと、カガリは「にゃあ」と鳴く。喋れなくても言葉は通じている様だ。そしてしみじみと思う。本当にあの世界はあったのだと。カガリは猫又なのだと。
「そうかそうか」
薫がやや乱暴とも言える手つきでカガリの頭を撫でるが、カガリは目を閉じて受け入れていた。
「そや、カガリ、飯食うて行くか?」
カガリは小首を傾げて「にゃあ?」と鳴く。
「猫又は人間が食べる様な味付けでも大丈夫や言うとったけど、こっちでも大丈夫なんか?」
するとカガリは肯定する様に「にゃあ」と鳴く。
「猫まんまと言うか、混ぜご飯しか食われへんのか?」
カガリは「にゃっ」と鳴くとふるりと首を振った。
「せやったらそうめん食うてみるか?」
カガリは「にゃ?」と首を傾げる。
「そうめん言うて小麦で作られた細い麺があんねん。味は米に少し似とるかもな。どうや?」
するとカガリは嬉しそうに目を細めて「にゃあ!」と鳴いた。
「よしよし、食うか。ほんじゃ作って来るから潤と遊んで待っとってくれな」
「にゃあ」
「潤、そこの箱に婆ちゃんが買い揃えた猫のおもちゃ入っとるから、使てくれてええで」
「はいは〜い。じゃあカガリ、僕と遊んでくれる〜?」
カガリはまた嬉しそうに「にゃあ!」と鳴いた。
薫は立ち上がるとようやく部屋の電気を点け、キッチンに向かった。
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