14話 この世界の猫又たち

 薫たちは猫神さまのお屋敷に招き入れられる。猫神さまの部屋までまっすぐに進み、猫神さまは抱えていた人間に降ろされると、定位置であろう奥の座布団に腰を下ろした。


「皆さまもどうぞお掛けくださいな」


 猫神さまが言うので、薫たちはあぐらをかく。カガリもちょこんと座る。


 お世話係の人間が部屋を出るのを見届けてから、猫神さまはゆっくりと口を開く。


「薫さま、潤さま、あなた方はこの世界を夢だと思っておられるかしら?」


 その言葉に薫と潤は顔を見合わせる。そして薫が困った様に「あ〜」と頭を掻いた。


「それが俺の中でもはっきりせえへん言うか。寝た覚えが無いもんで」


「僕は夢だって思いたがってるのかも知れないです。でないと頭が付いていかなくて」


 ふたりが言うと、猫神さまはゆったりと頷いた。


「この世界に来てくださる人間さまは、皆さま夢だと思っておられます。ですので猫又の由来ですとかそういうことはお気になさらないのですわ。ただただ猫がたくさんのこの世界を楽しんでおられます。ですがおふたりはそうでは無いのですわね。それはカガリに一任した妾の責任ですわ」


「あかんことやったんですか?」


 カガリが咎められてしまうのだろうか。薫は心配になって腰を上げ掛けた。


「いいえ。どうか落ち着いてくださいませ薫さま。ただ混乱をさせてしまうのはこちらも本意ではありませんので。薫さま、潤さま、昨日は猫又にする猫は気紛れに選んでいると申しましたが、本当はどうだと思われますか?」


「なんや生きとる時にええことしたとか、そんなんですか?」


「いいえ。猫又になる猫は」


 猫神さまは言葉を切る。そして小さく息を吐くと、また口を開いた。


「人間さまに殺められた猫なのですわ」


「……え?」


 薫は衝撃に間抜けな声を上げてまたふらりと腰を浮かした。横で潤も目を見開いて呆然としている。


「どういうことです? 殺められたて、人間に殺された言うこと、ですか……?」


「その通りですわ」


 猫神さまの落ち着いた表情からその心のうちまでは読み取れない。しかし次の猫神さまの言葉はさらに薫と潤を打ちのめした。


「妾も元は猫又なのですわ。ええ、人間さまに殺められて、先の猫神に猫又にしていただきました」


 薫は脱力し、ぺたんとその場にへたり込んでしまう。潤の目はこれ以上無いほどに開かれて血走った。


「え、どういうこと……?」


 潤の口からそんな力無い呟きが漏れる。


「ちょお待ってや。猫又からの猫神さまも驚いた。けど、じゃあ猫らは自分らを殺した人間らに世話させとるんか?」


「その通りですわ」


「まさか、まさか世話しとる人間は過去に猫を殺したことがあって、その罪を償わさせとるとか」


 そんな薫の思い付きを猫神さまは「いいえ」と否定する。


「そんな愚は犯しません。ここに来ていただいている人間さまは本当に猫を愛して可愛がってくださる方たちばかりです。猫殺しの人間さまの罪を救う義務は妾たちにはありません」


「じゃあなんで」


 薫は丁寧語を使うことも忘れて、ただ思ったことを口にしてしまう。


「簡単なことです。猫たちの人間さまに対しての憎しみや恐怖などを濯ぐためですわ」


 猫神さまは静かに言った。


「人間への恨みと恐怖……」


 薫はぽつりと呟く。そうだ、憎しみだってあるだろう。当たり前だ。


「そうですわ。それを抱えたまま次の猫生に行って欲しく無いのですわ。それは影響を及ぼします。幸い素晴らしい人間さまの元に迎えられたとしても、その人間さまに不信感を持ってしまうのです。頭では覚えていなくとも魂が記憶しているのですわ。妾たち猫神は代々その様な猫を生み出さないために、そういう猫たちを猫又にして、猫好きの人間さまと触れ合える環境を作っているのですわ」


 薫はカガリを見る。するとカガリは困った様に笑みを浮かべた。


「カガリもなんか? カガリも人間にやられたんか?」


「……はいですニャ」


「それやのに婆ちゃんのとこに毎日来てくれとったんか? 怖いとか思わんかったんか?」


 薫は自分の声が震えていることが分かる。つかえそうになりながらどうにか喉奥から絞り出していた。


「思いませんでしたニャ。僕は確かに人間さまの手で生命を落としましたですニャ。僕はそれが悲しかったのですニャ。……猫又になったばかりのころは少し怖いと思っていましたニャ。でもここでお世話してくださる人間さまは皆さんとても優しかったのですニャ。皆さん笑顔で僕とお話をしてくれて、たくさん撫でてくれましたニャ。だから僕はまた人間さまの世界に行ってみようと思ったのですニャ。それでも人間さまの少なそうな街を選んで……」


 カガリは一生懸命話してくれる。薫も潤も静かに、だが時折「うん」と相槌を打ちながら耳を傾けた。


「そうしたらお家の縁側で日向ぼっこをしている万智子お婆ちゃまを見つけたのですニャ。とても優しそうなお婆ちゃまだと思ったので近付いてみたのですニャ。そうしたら優しく笑いかけてくれて、撫でてくれて、おやつだよってかつお節をくれたのですニャ。次は美味しいご飯を用意しておくからまたおいでって言ってくれたのですニャ。なのでまた次の日に行ってみたのですニャ。万智子お婆ちゃまは縁側で待っていてくれたのですニャ。そして茹でたささみを乗せたまぐろ味のかりかりを出してくれたのですニャ。ごちそうですニャ。その時の味は忘れられないのですニャ。僕は毎日万智子お婆ちゃまに会うのが楽しみだったのですニャ。だから万智子お婆ちゃまが亡くなられたと知った時には本当に悲しかったのですニャ」


 薫の祖母のことを思い出したからか、カガリはずずっと鼻をすすった。


「万智子お婆ちゃまは、僕の人間さまへの感情を特別に良くしてくれた恩人なのですニャ」


 薫は目頭が熱くなる。少し目が潤んでいるかも知れない。


「そうか。婆ちゃんのことそんな風に思ってくれとったんか。ありがとうな。でも婆ちゃんもカガリが来てくれるん毎日楽しみにしとったんやから、婆ちゃんも俺もカガリには感謝しとるんや。婆ちゃんはカガリが可愛い可愛い言うてな。それがカガリの助けになっとったんやったら、ほんまに嬉しいことや」


「はいですニャ」


 カガリは泣き笑いの様な顔になって、だがにっこりと笑った。


 猫神さまはまた静かに口を開く。やはりそこから感情を感じ取ることはできなかった。


「人間さまの大半がお優しいことは重々承知しております。悪い人間さまは一部ですわ。妾も猫又にしていただいた時には人間さまを怖いと感じておりましたが、今では愛しい存在だと思っております。そうして人間さまへの感情が良いものになり、揺るがなくなった時に猫又の生は終わり、次の段階に行くのですわ。もちろんそういう被害に遭ってしまった猫全てをすくい上げることはできません。ここにおりますのはほんの一部です。それでも少しでも、猫神としてできることをするのですわ。先ほど猫又の生を終えられたヤシも、人間さまへの感情が良いものとなったのですわ」


「ヤシ、昨日酒場で俺のこと気遣ってくれたんや。そんな人間嫌いとか怖いとか、そんなん全然思わんかった」


「でしたら、それがきっかけだったのかも知れませんわね。ヤシは自然と人間さまを思うことができた。それはヤシの心からの感情だったのですわ。あくまで憶測ですけれどもね」


「そうか。それやったらヤシは成仏したんやな。えらい霧みたいに消えてもうてびっくりしたけど、ええことなんやな」


「良かったんだね。でもやっぱりびっくりしたよ。猫又の身体ってどうなってるんですか?」


「肉体はありません。魂が形作っているのですわ」


「だからああいう消え方をしたんですか」


「はい」


「でも、そしたら俺らこれから食事処で猫らの飯作るんやけど、そういうのも大事なんやろうか」


「ええ、それはもちろん。人間さまに美味しいものを作っていただき、手ずから振舞っていただく。それはとても大切なことなのですわ。人間さまのお優しい心、ご厚意が込められた美味しい猫まんまは猫又を癒すのですわ」


「そうか」


 薫はぐっと表情を引き締め、両手で軽く両頬を叩いた。


「ほな気合い入れなあかんな。昨日ももちろん美味しいもん食うて欲しくて工夫もしたけど、今日も頑張らんとな。また旨いもん食うて欲しいわ」


「そうだね。もちろん僕もやるよー。青ねぎの小口切り、昨日より巧くできると思うよ」


「おう。今日も任すわな」


 薫と潤は顔を合わせてにっと口角を上げた。


「素敵ですわね。妾もご相伴にあずかりたいですわ」


「あ、じゃあ後で持って来よか?」


 薫はもうすっかり丁寧語が抜けてしまっているが、猫神さまが気にしている様子は無い。自然とフランクな言葉遣いになってしまっていた。


「いいえ。適当な時にお世話係に取りに行っていただきますわ。そうですわね……、鮭としめじの猫まんまが良いですわ」


「分かった。来てもろたらすぐに作るわな」


「楽しみにしておりますわ」


 猫神さまはここでようやく美しい笑顔を見せてくれた。

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