12話 猫又の世界
「おはようございますニャ!」
薫はそんな元気で可愛らしい声で目を覚ました。横で潤も「うう〜ん……」と呻き声を上げる。
寝起きの悪くない薫はのそりと上半身を起こす。枕元を見るとカガリが行儀良く座っていた。
「カガリ、おはようさん」
まだ覚醒しきっていないぼんやりとした声になった。
「おはようございますニャ。朝ですニャ」
「カガリは朝から元気やな。ああ〜よう寝たわ」
薫は両腕を上に上げて「んん〜」とあくびとともに伸びをする。上半身が伸びて気持ちが良い。
「ほら、潤も起きぃや」
声を掛けると、潤はまた「うう〜」と唸りながら寝返りを打つ。潤は寝起きが悪いのだ。過去にもこうして起こすのに苦労したことがある。
「済まんなぁカガリ。ほら潤」
また声を掛けると、潤はようやく布団の中から両腕を伸ばした。
「うう〜ん」
そうしてのろのろとうつぶせのまま身体を上げた。いつもは揺すりに揺すってどうにか起こすので、それを思うと今日は優秀だ。もしかしたら深く眠れなかったのだろうか。
「おはようさん。顔洗って目ぇ覚ましといで」
「ん〜……」
どうにかと言った様子でふらふらと立ち上がった潤は、まるでゾンビの様な動きで洗面所に向かった。
「カガリ、もうちょい待っててくれな。そういや今何時や。ん? この世界時間の感覚はあるんか?」
この部屋には家具どころか時計も無いのである。薫たちはここに来る時にバッグを引っ掴んで来たのでスマートフォンがあったが、この世界では使えないだろうし時間表示もあてにならないだろう。
「ありますニャ。今は朝の10時ですニャ」
「なんや、俺らそんなに寝とったんか。でも久々にゆっくり寝た気ぃするわ」
「昨日はお疲れだったと思いますニャ。普段もお忙しくされているのですニャ。せめてここではごゆっくりして欲しいのですニャ」
「ありがとうな。よっしゃ、布団畳むか」
薫は勢いを付けて立ち上がると潤の布団も一緒に畳んで行く。掛け布団を畳んで押入れに入れ、シーツを剥がして丸めると敷き布団も畳んで押入れへ。枕カバーを外してシーツと一緒にして、枕本体も押入れへ。
「これ、シーツと枕カバーどうしたら良いんや? 洗わんとなぁ」
「猫神さまのお屋敷のお世話係の人間さまがしてくれるのですニャ。このまま置いておいて大丈夫ですニャ」
「ええんか? こんな大物。なんや申し訳無いわ」
「大丈夫ですニャ。お洗濯は他にもあるのですニャ」
「じゃあありがたく甘えよか」
その時潤が洗面所から戻って来た。まだ眠たそうに目をこすっている。薫は「はは」とおかしそうに笑った。カガリも楽しそうににこにこしている。
「ほんま寝起き悪いなぁ。俺も顔洗ってくるわ」
「はいですニャ。今日はお食事処の準備の時間まで、この世界をご案内しますニャ」
「おう、楽しみや」
薫はまだぼんやりしている潤と入れ違う様に洗面所に向かった。
支度を終えた薫と潤、カガリは離れを出る。お屋敷の灰ぶち猫に「世話になったなぁ、ありがとうな」と声を掛けると「はいはーい。今日も楽しんでおくれね!」と陽気な声が返って来た。
まだ少しぼーっとしている潤と並び、薫はカガリに案内されて通りを歩く。すると小さな家でなにやらしている人間が数人いた。
男性も女性もいる。共通しているのは皆比較的若いということだろうか。
「カガリ、あの人らが世話してくれるっちゅう人らか?」
「そうですニャ。人間さまたちは猫たちのお家に敷かれている布を取り替えて、使ったもののお洗濯をしてくれるのですニャ」
「へぇ、この世界に洗濯機なんかはあるんか?」
「ありますニャ。この世界は人間さまのお世話で維持している様なものなのですニャ。なので少しでも人間さまのお手間が少なく済む様にしているのですニャ」
「ああ、そういや電気があるもんな。食事処に冷蔵庫もあったし。その辺は便利になっとるんやな」
「そうなのですニャ」
「ねぇ、昨日も思ったんだけどさぁ」
ようやく頭がしゃっきりして来たのか、潤がカガリに訊く。
「ご飯屋さんにしても僕たちが泊まらせてもらったところもそうだけど、そういう建物って全部人間が作ったの?」
「そうですニャ。この世界ができた時は僕は多分まだ猫としても生まれていなかったと思うのですが、猫神さまが専門の人間さまに来てもらって作ってもらったと聞いていますニャ」
「大工さんとかかな?」
「そうだと思いますニャ」
「だからかなぁ、建物のデザインとかが時代劇で見るような感じだもんね。猫のお家なんて長屋ってやつみたい。サイズはかなり違うけどねぇ」
「そうやな。猫神さまの屋敷なんか、築年数のめっちゃある旅館みたいやもんな」
「それそれ。趣があって良いよねぇ」
「そうやな。今人間の世界ってコンクリとかの建物とかビルとかが多いから、なんや新鮮やわ。婆ちゃんの家は鉄骨組み込んだ木造やけどな。景色に合うた家にしたい言うて」
「そういうのも風情って言うのかなぁ。エアコンなくて暑っついけど、余計なものがなくて清々しいって言うかね」
「縁側もあるしな。都会の家じゃなかなか見られへんわ」
庭に繋がる縁側も祖母のこだわりだったのだ。薫や弟の優がもっと小さければ、もしかしたら夏には庭でビニールプールに入れさせてもらうなんてこともあったかも知れない。
「僕は人間世界では緑の多いところにいることが多いので、人間さまのお家は万智子お婆ちゃまのお家ぐらいしか知らないのですニャ。薫さんと潤さんがお住まいのあたりは全然違うのですかニャ?」
「ちゃうなぁ。公園とかでもなけりゃ緑も少ないしな。カガリもそのうち来てみたらどうや。田舎と違うて車も多いから、それだけ気ぃ付けてな」
「ぜひ見てみたいのですニャ」
そうしてぶらぶらと歩いていると、猫の家から両手いっぱいに敷布を抱え上げた快活そうな青年が「あ、カガリだ。カガリ」と声を掛けて来た。
「智史さん、おはようございますニャ」
「おはよう。そちらのおふたりは?」
「僕のお客さまなのですニャ。でも昨日はお食事処の調理をお任せしてしまうことになってしまったのですニャ」
「ああ、猫たちが言ってた、特に美味しい猫まんま作るって言う人か。あなた方、この世界は初めてで?」
「そうです。おはようございます」
「おはようございます。こんな時間にいるってことは、昨日はこちらにお泊まりでしたか?」
「そうです」
「よく眠れましたか?」
「そりゃあもうぐっすりと」
少なくとも薫は良く眠れた。潤も横で「はい」と頷いている。
「だったら良かった。もしかしたら今日もお食事処の切り盛りするんですか?」
「はい」
「じゃあそれまでここの観光かな。特段珍しいものがあるわけじゃ無いですけど、猫たくさんってだけで癒されるでしょ」
「それはもう」
薫が応えると、青年は嬉しそうに口角を上げた。
「でしょでしょ。じゃあ俺は洗濯行くので。また後で機会があったら」
「はい」
青年は洗濯物をどっさり抱えて歩いて行った。
「ここに来られる皆さんは猫好きなので、僕たちも可愛がってもらって本当に嬉しいのですニャ」
「ほんまやなぁ。俺らまだまだマニア度が足らんよな」
「僕は結構好きだけどなぁ」
通りを闊歩する猫又たち、そんな猫たちのお世話をする人間たちを横目に歩く。すると色々な猫たちが出入りする箇所があった。
そこは屋根が無かったので、薫たち人間の視点だと中の様子を見ることができた。
「お、猫が遊んどる」
「え? あ、本当だ」
薫が指差す先を見て、潤は嬉しそうに顔を綻ばせた。でれでれという表現がぴったりの表情だ。
「はいですニャ。あそこは遊技場なのですニャ。ボール遊びやキャットタワー登りができるのですニャ」
「立派なキャットタワーやで。あれも人間が作ったんか?」
「そうですニャ。この世界には登るところがそれぞれのお家の屋根以外に無いのですニャ。なので人間さまが「それじゃつまらないだろう」と作ってくれたのですニャ。大人気なのですニャ」
「みたいだねぇ。渋滞起こしちゃってるよ〜」
まるでアスレチックの様な大きなキャットタワーに、大勢の猫が詰めかけていた。気紛れに途中で腰を下ろしたり伏せる猫がいるので、通りが滞りがちなのだ。
そして床のあちらこちらには野球ボールやゴムボールなどが転がっていて、猫たちはそれを突いたり抱き付いたりしながら遊んでいた。
「猫又や言うでも遊び方は普通の猫とそう変わらへんねんな」
「本当だねぇ。あれだけ猫がいたら圧巻だよねぇ〜」
「ほんまやな」
「猫カフェに通う人がいるの解る気がするよ〜」
「それにしてもここの猫たちって皆猫又やねんな?」
「そうですニャ」
「猫又になって、皆毎日何やってるんや?」
今更の疑問ではあるのだが。
「この世界でご飯をいただいたりああして遊んだり散歩をしたり、人間さまの世界に行って野良をしたり、あ、少ないですけど人間さまに飼われている猫又もいますニャ」
「へぇ。じゃあ飼うとる人に福を運んだりとかそんなんか?」
カガリは「いいえ」と首を振る。
「僕たち猫又にそんな凄いことはできませんニャ。僕たちはただいるだけなのですニャ」
「えっと、死んだ猫を猫又にするのは猫神さまやんな」
「はいですニャ」
「猫神さまはなんのために猫を猫又にしとるんや?」
「それは……」
カガリは迷う様に視線をさまよわせる。しかし申し訳無さげに目を伏せた。
「申し訳無いのですニャ。まだ僕の口からは言えないのですニャ」
「猫又にする猫を選ぶのも猫神さまやんな。猫神さまは気紛れや言うとったけど、そんなあやふやなもんなんか?」
カガリは一瞬口を開き掛けるが、「にゃあ……」と言い淀みながら結局口を閉じてしまった。
「ああ、済まんな。言われへんこともあるやろうな。困らせてしもて済まん」
「いいえ、いいえなのですニャ。猫神さまはあの、決して理由も無しに猫又にしているわけでは無いのですニャ。猫神さまは気紛れだとおっしゃいましたけど、違うのですニャ。それは知っておいて欲しいのですニャ」
カガリは必死そうにそう訴える。薫も神と呼ばれる猫がそう適当だなんて思ってはいない。しかしはぐらかされてしまえば気にもなってしまう。
だが猫神さまが言えないことなのだから、きっと詮索は無駄なのだろう。
「薫は難しく考え過ぎなんじゃ無いのかなぁ。この世界に意味はあるんだろうけど、僕たちはお客の立場なんだし、そこはそっとしておこうよ〜」
潤にも言われ、薫は「そうやな」と引き下がるしか無い。確かに猫神さまにも食い下がることはできないだろう。
気にはなる。だが今は忘れることにしよう。薫は小さく息を吐いて言葉を飲み込んだ。
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