フィナンシェのバターの香りはクリスマス
ぽちこ
フィナンシェのバターの香りはクリスマス
せっかくのクリスマスなのに、朝から憂鬱な私。
ただのクリスマスじゃない。
今年の12月25日は、付き合い始めて1年目の記念日。
なのに1週間前のデートでケンカ。
今となっては何がきっかけだったのかも思い出せないくらい、多分どうでもいい話から言い合いになっちゃった気がする。
あの日から、LINEも電話もしてない。
昨日になって
「明日いつもの所に迎えに行くから」
「うん、わかった」
っていうLINEのやり取りだけをした。
1年前のこと。
アレが無くなると、わたしは何で自分を元気にしたらいいのかわからなくなる。
それくらいあそこのケーキ屋さんのフィナンシェはわたしにとって必要不可欠な必需品。
疲れた時の癒しであって、元気の出ない時の発奮剤にもなる。
焦がしバターの豊潤な香りがたまらない。
定期的に買いに行くようになってどれくらい経つんだろう。
「はぁ~、いい匂い」
お店の中に入ると思わず声が漏れちゃう。
甘~い幸せな香りに包まれてるこの空間。
なんでケーキ屋さんてこんなに幸せな匂いがするんだろうね。
身体中の細胞でこの香りを受け止めたい。って思う。
その日もそんな事を考えながら、いつものように焼き菓子のコーナーへ。
たまにケーキを買う事があるけど、わたしのメインはこっち。
あ、人がいる…
お店なんだから人がいてもおかしくないんだけど、だいたいこの平日の閉店近い時間って、ケーキを買う人がまばらにいるぐらいだから。
オシャレな帽子を被った黒のロングコートの男の人が腕を組んで仁王立ち。雰囲気が何だか怖い。
甘い香り漂うケーキ屋さんに不似合いで浮いてる。
その立ってる目の前にあるフィナンシェを買いたいんですけどねー。
って言いたいところだけど、わざと他のものを見ているふりして、様子を伺うわたし。
何を買うか悩んでるのかな?
ちょっと近づいたら察して場所あけてくれるかな?ってよけてくれない……
しょうがないから、横からフィナンシェへ手を伸ばすと
「あっ!」
「へぇっ!」
え?なに?なんですか?変な声が出たわたし。
フィナンシェを1つ掴んだまま固まる。
「それって、バターの香りたくさんする?」
「え、あ、します、よ……」
って言いながら、声を発した怖そうな雰囲気の人の顔をチラリと見るわたし。
『へぇぇ!!』と心の中で声を上げる。
イケメン圧がスゴすぎる。
パーツはそれぞれハッキリしていて、いわゆる濃い顔なんだけど、爽やかな笑みを浮かべていて、怖そうな雰囲気からは全く想像できなかったキラキラしオーラみたいなモノがわたしには見えた。
後から考えると、こういうのを一目惚れって言うんだろうな。
顔を見た瞬間に恋に落ちたわたし。
「バターのいい香りがするお菓子って何が1番なんだろう。やっぱりフィナンシェなの?」
「い、い、1番はフィナンシェだと思います。他のもバターの香りはしますけど、焦がしバターの何とも言えない良い香りがすっごくします、よ」
ドキドキしすぎて、つまく話せない。
変な敬語口調になったじゃん。
「へぇー、詳しいんだね」
「色々食べたけど、わたしはここのフィナンシェが1番好きかな」
「ここ、よく来るの?」
「定期的に。2週間に1回くらいかな?」
だいぶ落ち着いてきた。
サラリーマンではないのは確かだと思う。
黒のスーツ×黒シャツ×深紅のネクタイ。
を、爽やかに着こなしてる。
「ふ~ん、じゃあキミにのった」
ってフィナンシェを5、6コ掴んでる。
「えっと、別の焼き菓子もおいしいから色々食べてみた方が……」
「ここのがコレが1番なんでしょ?」
「そ、そうだけど」
「じゃあ、いいじゃん。2週間後ここで」
「2週間後?」
「また2週間後ここに来るんでしょ?
食べた感想伝えるから。じゃあ、また!」
また?2週間後?食べた感想?
その後どうやってフィナンシェを買って、どうやって家に帰ったのかよくわかんない。
社交辞令って感じで言ったのだろうと思いつつ、また会えるんだ!と舞い上がっているわたし。
そして、カレンダーを見てまた茫然……
2週間後はクリスマス。
さすがに、無いな。
無いんだけど、堕ちたわたしはフィナンシェをニヤニヤして食べながら、あの日のことを思い出していた。
自分の中にまだこんなウキウキする気持ちがあったんだ…っていう2週間を過ごした。
クリスマスの日の朝、期待はしてないんだけどね?と思いつつ少しきれい目な格好で仕事に向かったわたし。
仕事を終えてフィナンシェを買いにいつものケーキ屋さんへ向かう。
こんなキモチにさせてくれたことが、クリスマスプレゼントだなぁと思いながら、ケーキ屋さんのドアを開けた。
やっぱり居ないよねって、ホッとしてる部分もあった。また会えた時に自分の感情がどうなるのか分からなったから。
なんて事を思いながら、フィナンシェを手にする。
わたしがお店に入ったのを確認したかのようなタイミングで入ってきた彼に全く気づいていなかった。
「今日もたくさん買うね〜。年越しの分?」
突然後ろから声がして、ビクッとするわたし。
心臓がドキドキしすぎて、胸元を手で抑えながらゆっくりと振り返った。
やっぱりオシャレ帽子に黒のコートとスーツで今日はサングラスまで。ケーキ屋さんの中でその雰囲気は浮いてるんだよ。
サングラスを外しながら
「1時間も待ってたのに、そんな怪訝そうな顔する?」
って、人懐っこく笑ってる。
その濃い顔立ちは笑っていないとキリッと整いすぎて怖いくらいなんだけど、絶対心の優しい人に違いないってその時思った。
「1時間…も?」
「まぁ、1時間はウソたけど」
ウソで良かった。1時間も待たれてたなんて耐えられないじゃん。
今また会えたことに舞い上がってるのに。
「ちょっと付き合って欲しいところがあるから、フィナンシェ早く買っちゃってよ」
「あ、う、うん」
ドキドキしすぎて、いちいち彼の言うことを理解するのにとても時間がかかる。
付き合って欲しいところ?
わたしのクリスマス、一体どうなるんだろ。
何でも、半ば強引に決めちゃうところは1年経っても変わらない。
あの日、彼がよく行くっていうイタリアンのお店に連れて行かれて、オレが探していたお菓子に出会わせてくれてありがとうってフィナンシェのお礼だと言って、クリスマスディナーを彼と過ごした。
彼は小さなイベント会社を立ち上げたばかりだって教えてくれた。
わたしに断る理由はなかったけれど、彼はわたしをどうにかして連れてこようと、ずっと考えていたらしい。
大好きなフィナンシェがこんなステキなクリスマスを過ごさせてくれるなんて思ってもいなかった。
先週ケンカする前に行ったばかりだけど、あのケーキ屋さんに寄ってから待ち合わせ場所に行こうかな。
あれからちょうど1年なんだもん。
ケーキ屋さんに着いて、駐車場を見て一瞬立ち止まる。
見覚えのある車がとまっていたから。
「ウソでしょ」
口に出して言っちゃった。
わたしは1年前と同じくらい、ニヤニヤしながらお店の中に入る。
今度はわたしが驚かせてやるんだから。
今年のクリスマスも昨年と同じくらい、それ以上にステキなクリスマスに間違いない。
フィナンシェのバターの香りはクリスマス ぽちこ @po-chi-ko
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