第4話 便利な嘘

 揺さぶっても澄玲は反応しない。手をとると、いやに冷たかった。


 汗をかいて苦悶の表情を浮かべる澄玲の顔は、ここ最近どこかで見たことのあるものだった。


 線香が香る部屋の真ん中に置かれた棺で眠る、土気色の肌と紫褐色の唇。まるで大きな人形を横たわらせたように重力に従う不気味な体。


 澄玲の母親は心臓の病気で、秋が終わる頃の夜に具合が悪くなりそのまま息をひきとった、という話を集まった親戚が話していたのを思い出す。


 サーッと、血の気が引いていくのが分かった。


「澄玲!」


 もし、もしそれが遺伝性のもので澄玲も体が弱いのなら、これだけ寒空の下に連れ出せば様態が急変するのは当然だ。


 私は急いでスマホを取り出した。


 しかし、どれだけ画面をタッチしても無駄だった。充電が切れていたのだ。


 触れても押しても反応しない無機質な黒に澄玲が映り、背筋が凍った。


「――ッ!」


 持っていた荷物には大事なものがたくさん入っていた。けど、そんなものを持って走れるほど私は強靱的な体力を持ち合わせていない。


 身につけた全てのものを投げ捨てて、私は澄玲を抱えた。


「澄玲、澄玲ッ!」


 嘘だ、嘘だ。冗談であってくれ。お願いだから。


 限界を迎えた足を、ひたすらに動かした。それでも人一人抱きかかえて走るのは困難を極めた。


 暗い、暗い田道。辺りは真っ暗で、足下すらおぼつかない。こんな道作ったのは誰だ街灯ぐらい設置しろ。


 思いつく限りの悪態をついて、気付く。


 この道を選んだのは、私だ。


 澄玲を道連れにしたのは、この私だ。


 腕の中で細かく息をする澄玲が落ちないように必死に力を込める。膝が悲鳴をあげて走ることがかなわなくなる。何度も立ち止まって、ああ、無理だと諦めた。


 そのたびに澄玲の言葉を思い出す。


『やってみないと、わかんないよ』


 私は再び走り出す。よろよろに体勢を崩して蛇行しながらも前に進んだ。


「誰か・・・・・・」


 結局、こうなるのだ。


 子供が一人家を飛び出したところで、外で生きていけるわけがない。


 暗闇の中寂しくなって、怒られると思いながら家に帰るとテーブルに置かれたご飯が湯気を立てて私を待っている。そんな昔の出来事を思い出す。


 けど、澄玲に、そんなものない。だってこの子には母親がいないのだ。唯一残された父親からも、私が引き離してしまった。


「助けて・・・・・・」


 ようやく私は気付いた。


 どれだけ幼稚で、とり返しのつかないことをしてしまったのか。


 このまま澄玲も、あの母親のようにこの世から消え去ってしまうのだろうか。


 もう二度と、あの無邪気な笑顔を見ることはできないのだろうか。


「いやだ」


 泥水が顔に跳ね、小石が指を穿つ。けれど走る。絶対に、走る、


「いやだ、いやだいやだ!」


 外は寒いのに体は熱く、どんどん汗があふれ出してくる。


 呼吸すらがむしゃらに、咳き込みながらようやく出た大通りを通過する。


「誰か、誰かいませんか!」


 澄玲を抱きかかえながら、街の中を駆け回った。


「誰か、救急車、救急車を呼んでください! お願いしますッ!!」


 どれだけ叫んでも、喉は金切り声をあげるだけで遠くに響く声をもたらさない。いつもいつも、言いたいことを云わず、言葉を嘘で塗り固めて、感情を押し殺して、そうやって密閉した口元は、ざまあみろと私を嘲笑った。


「お願い・・・・・・します・・・・・・」


 どうして私はこうなのだろう。


 どうしてきっかけがないと前に進まないのだろう。


 幼稚で我が儘で哀れで滑稽で救いようのない私なんて、一人で朽ち果てていけばいいのだ。それなのに誰かを巻き込んで、こうして助けを求めて叫ぶ。


 もう何もかも遅いのに、


 本当、子供の時から変わっていない。


「誰か・・・・・・」


 走っても走っても、周りの人たちは好奇の視線を送るだけで助けてはくれなかった。


 ショッピングモールに設置されたガラスケースの前で、ついに私は膝をついた。


 腕を支えにして嘔吐にも似た息を吐き出す。澄玲は対照的にか細い息を繰り返していた。


「助けて、ください・・・・・・」


 神様なんてものがもし、この世にいるのなら。


 どうか私を許してください。


 もう、嘘なんてつきませんから。


 強がったりしませんから。


 良い子にしますから。


「澄玲・・・・・・お願い・・・・・・死んじゃやだ・・・・・・」


 澄玲を、殺さないでください。


「あ、あの」


 後ろから声をかけられて、振り向くとそこにはスーツを着た男性が立っていた。風貌を確かめる余裕はなかったのでそれ以外の特徴は掴めない。


「救急車、今向かっているそうです」

「・・・・・・え?」

「毛布かなにかをとってくるので、少し待っていてください」

「あ、ありがとう・・・・・・ございます・・・・・・」


 男性は表情を引き締めたまま早足で停めてある車へ向かった。彼が呼んでくれたのだろうか。


 よかった。これで・・・・・・。


 あとは救急車が到着するのを待とう。あとは、大人たちに任せよう。


 私にできることなんて、こうして澄玲を抱きしめることだけなのだから。


 目を閉じて、祈るようにしていると、袖がちょいちょいと小さな力に引っ張られた。


「あ、えっと、まつり」

「澄玲っ!?」


 私の腕の中で、澄玲が困ったように笑いながら私を見ていた。


「ご、ごめん澄玲っ、私のせいで、えっと今救急車が来るから、だから、しっかりしてっ」

「いや、あの・・・・・・まつり、すみれのほうこそごめん」


 耳元で聞こえた声は、やけにハキハキしていた。


「冗談の、つもりだったんだけど・・・・・・」

「いやっ、冗談って言っても、澄玲が、あ、っの、あ、ん? ・・・・・・は?」

「だから、その・・・・・・悪ふざけで、まつりどれくらいすみれのこと心配してくれるかなって思って・・・・・・」


 荒げた息が、次第に収まっていく。私はしばらく瞳孔の開いた目で澄玲を見つめていたが、やがて視界は淡く滲み、現実味を帯びてくる。周りの足音にも気を割けるようになった頃、私は拳を握って澄玲の頭にゲンコツを喰らわせようとした。


 しかしそれは、澄玲の俊敏な防御によって防がれてしまった。


「澄玲、お前」

「え、えへへ」

「やってくれたな」


 頬を手でガッツリホールドする。澄玲はおちょぼ口になりながらも「ほぉはっふぇ」となにやら抗議しているが、知ったことか。


「冗談でやっていいことと悪いことがあるでしょ! このバカ!」


 こいつにはやはり、お笑いの才能がない。


 ギャグというのは限度があって、行きすぎてしまうと逆にドン引きしてしまうのだ。忘年会などで上司に無礼を働く新人の振る舞いがまさにそれだ。


「もっと早く言う機会あったでしょ」

「だって、お姫様だっこされるの夢だったんだもん」


 だからといって、ここまで大事にしてから暴露していいわけがない。救急車に乗ってくる人だって無限にいるわけじゃない。こういったおふざけのせいで、逆に本当に具合の悪い人が助からなかったらどうするんだ。


 私の頭はもはや怒りに満ちていた。


「それに、まつり。すごい形相だったんだもん。誰か助けてって、走り回ってくれて、そんなにすみれのこと心配してくれるなんて、すごく嬉しかった」

「なっ、ばっ・・・・・・! それは・・・・・・!」


 自分の行いを思い出すと顔が熱くなっていく。


 そういえば私、あんなに大声出して走ったの初めてだ。


 やがて後ろの方で車のドアが閉まる音がして、スーツ姿の男性が駆けつけてくる。


「いい澄玲。病院に着くまで具合悪いフリしてないと悪戯で呼んだのかって怒られるから」

「えー」

「い、い、か、ら。寝てろ!」

「わぷ」


 受け取った毛布を澄玲の顔にぶん投げた。男性はやや驚いていたが、なんとか大丈夫そうですと伝えると仕事があるからとその場を去った。


 もっとお礼を言えればよかったのだが、私は「ありがとう」以外の感謝の気持ちを知らない。


 この先もっと生きていけば、分かる時が来るのだろうか。


 やがて救急車が到着し、澄玲を担架に乗せていく。


「嘘って便利だね、まつり」

「寝てろ」

「はい」


 被った毛布ごしに手刀を喰らわせたら救急隊員の一人がギョっと私を見ていた。ははは。なんでもないです。


 搬送先の病院は私も知っている場所だった。手続きなどもあるので来て欲しいとのことだったので私もタクシーで後を追った。


 受付に顔を出すと、すぐに通して貰えた。


 白一色の壁元に置かれた茶色のソファに座って、ポケットのスマホを取り出す。充電器を借りたので挿してみると、一気に着信の知らせが押し寄せてきた。


 到着して三十分ほど経つと、私の前に眼鏡をかけた年配の男性が現れた。白衣を見るに、医師だろうか。今は別の部屋で点滴を打っている。様態は安定しているが念のため血液検査と心臓のCTをとると説明を受けた。


「ご家族の方、でしょうか」

「いえ、私はその・・・・・・」


 私は澄玲のなんなのだろうと考えて、結局ただの知り合いと答えた。


「まだ未成年のようなので、できれば保護者の方を呼んでいただきたいのですが」

「ああ」


 それもそうか、と私はスマホを取る。


 えっと。


 保護者って、誰だ。


 家族ではなく、保護者。ううん、定義が曖昧だ。


 澄玲の父親に連絡が取れたらいいのだが、あいにく電話番号を聞きそびれた。


「あの?」


 私がスマホと睨めっこを始めたのを不思議に思ったのか医師が怪訝そうに尋ねてくる。


 慣れない病院という場所もあって、私は少しだけパニックになっていた。澄玲以外の人と話すのも久しぶりだったのでうまく頭が回らない。


 どうすればいいか分からなかった私は、結局自分の母親に電話をかけた。

 

 

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