3-4 調査開始
長時間外出していたような気がしたが、帰ってみればまだ午前十一時。予定より早めに出たのだから当然か。
ヴィッツを駐車スペースに入れて、花乃と二人で庭に降り立つ。
空は明るく、風はほどよく冷たかった。気の早い落ち葉がせわしなく土の上を転がっていく。目で追いかけていくと、自然と狼人形も飛び込んでくる。
「ほら、塀際に等間隔で並んでるだろ。足が固定されてるから風が吹いても飛ばないようになってるんだ」
花乃が狼の一体に近づいた。
「あっ――」
その彼女が急によろけたので、私は慌てて支えた。
「大丈夫か?」
「すみません、平気です。でも、今のはなんだったんだろう……」
「今のってなんだい」
「やっぱり、引っ張られるような感じがしたんです。ほんの一瞬だけですけど」
花乃の特異体質に反応する何かが、この人形に宿っているのだろうか。
私が黙ると、花乃は不安そうな顔になった。
「ごめんなさい。嘘くさいですよね、こんな話」
沈黙を別の意味に受け取ったらしい。
「いやいや、そうじゃない。この人形にどんな秘密が隠されてるのか考えてただけなんだ。花乃を信じてないわけじゃない」
必死で頭をひねると、いい質問が浮かんだ。
「いま引っ張られるような感じがしたって言ったけど、精神的に消耗した感覚はある? こう、霊能力者の生気を奪う人形的な物だったりして」
「いえ、そんな感じはしませんでした。悪い人形には思えません」
すると、一体なんなのだろう。
考えても埒が明かないので、家に入ることにした。
玄関を開けると、由希さんが奧の台所から顔を出した。
「おかえり。無事に片付いたの?」
「はい、ギリギリでした」
「そ、お手柄だねセンセ」
「やめてくださいよ」
また恥ずかしさがこみ上げてきて、手を振ってごまかす。
「先生なんですか?」
横から、花乃が上目づかいで見つめてきた。
「静岡で中学の教師をやってるんだ。国語の担当」
「だから、あんなしゃべり方をするんですね」
「そんなに変かな」
「変とは言ってませんけど」
花乃には居間に入ってもらった。
私は自室からアルバムを持っていき、こたつの上で広げる。
「これが兄の高明ね」
高明の写真はかなりぼけている。一番新しいのは、事故死する一時間くらい前に撮られた物だ。
高明と、親戚である島木さんの子供――ここは島木少年と呼ぼう――と並んで映っているのが一枚。
高明が大紅葉を見上げているのが一枚。
真ん中に高明、右は島木少年、左隣にはおじさんが一人映っているのが一枚。
「あ、お父さま……」
おじさんを見て、花乃が驚いたように言った。
「やっぱりそうか」
右手に竹製の水鉄砲を持っていたので、そんな予感はしたのだ。ポロシャツ姿で、気のいい笑顔を見せている。高明も楽しそうだ。花乃の父親――桃山智人にはよく懐いていたのだろう。
「高明は結婚六年目でやっと生まれた子供だったんだ。それだけに親父の溺愛ぶりも半端じゃなかったみたいだよ」
「この写真なんてすごい笑顔ですね、誠次さん」
花乃がアルバムの一枚を指差す。
父が抱きかかえた高明に頬ずりしている写真だった。私が学生時代に見てきた父とは別人のように楽しそうな笑顔だ。高明はちょっと窮屈そうにしている。髭がじょりじょりして嫌だったのではないだろうか。
他の写真でも、父は笑顔を見せている。
高明を撫でたり、高い高いしたり、肩車してやったり。どれも本当に幸せそうだ。これがあそこまで変わってしまうのだから、人間とはわからないものだ。
数ページめくる。
「こっちが弟の清吾だ」
事件の一ヶ月前、門の前で撮られた写真だった。
私と清吾が右と左に映っている。それぞれ門柱に手を当てているので、距離が開いているのだ。私はただ手をついているだけだが、清吾は右足を少し曲げてポーズをとっている。
他にも二人一緒に映っている写真がたくさんある。高明の写真との最大の違いは、父がどこにも映っていないということだ。
母、秀信さん、由希さん、彩香さんに健作さんまで一緒に入っているのに、父の姿だけは見つからない。
私達になど興味がないと言われているかのようだ。高明と我々兄弟との差は、父の不在が雄弁に物語っている。
「双子なんですよね?」
「あんまり似てないでしょ。二卵性双生児だからね」
「そうですね。竜吾さんと高明君の方が似てるくらいです」
「別の人にも言われたよ」
「わたしは、この二人を捜せばいいんですね」
「うん、頼む。一応、事件のことを知っておいてもらおうかな」
私は十数分かけて、清吾の誘拐事件について説明した。花乃は聞き込みをする刑事さながらの集中力で、じっと聞いてくれた。
「だいたいはわかりました。やれるだけやってみます」
花乃は清吾と高明の写真を一枚ずつ取り出して立ち上がった。居間を出ていこうとして、由希さんとぶつかりそうになる。
「あ、ごめんね」
「こちらこそ、すみません」
「その、幽霊探しをするのね?」
「一応……」
急に花乃の声が小さくなった。第三者に言われると、自分の行為が馬鹿馬鹿しく思えてくるのかもしれない。
「この屋敷、何かいるみたいだからぜひ暴いてほしいな」
え、と花乃が驚く。予想していた言葉と違ったらしい。
「竜吾君、ついてってあげるんでしょ? 誠次さんの部屋周りは気をつけてね」
「了解です。親父、ご飯は食べられましたか?」
「スプーン二、三杯はなんとか。それだけでお腹いっぱいだって」
「そうですか……」
「ま、地道に食べさせてあげるしかないよ。そっちは私に任せてくれていいから、調べるの頑張ってよね」
私は礼を言って、花乃と共に廊下を渡った。
最初の下座敷を、花乃はそっと覗き込んだが、何もいなかったようだ。
障子戸を開けて縁側に出た。足元が温かい。日が全面に当たっているので、縁側の板材がよく陽気を吸い込んでいる。
廊下の板を軋ませながら、私達は歩いていく。
父が眠っている中座敷の前は、特に慎重に歩いた。
次にぶつかるのは、問題の和室である。
「あの日、この部屋でぼくと清吾が昼寝をしていたんだ。向こうに木戸が見えるだろう」
和室の東側に広がる庭の、塀際を指差す。
「犯人はあそこの木戸から入ってきたと思われる」
「近くにあるのは犬小屋ですか?」
「そうだ。セントーっていう名前のセント・バーナードがいたんだ。犯人はセントーを殴り殺していった」
花乃の眉が寄った。
「わんちゃんを殺してまで、清吾君を誘拐しなければいけなかったんですか」
「ぼくにも理解できないよ」
意外に感じた。花乃が「わんちゃん」と言うのがイメージできていなかったからだ。「飼い犬」とか言いそうなのに。
「……なんですか?」
「いや、なんでもない。とりあえず、和室をよく見てくれるかな」
花乃が先に和室に入った。ギシッと畳が軋む。私も続いて入り、床を鳴らした。
「誰もいないですね」
ぐるぐると部屋全体を見渡し、花乃が言った。
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