3-2 退けない戦い
今日は金曜日だから、もちろん学校があるはずだ。いじめグループは学校をサボって花乃でストレス発散でもするつもりだろうか。
私は「いじめっ子」という言葉は使わない。そんな、かわいらしい呼称をつけてやる必要はないと思っている。
集団ならグループで充分、個人なら単に加害者でいい。そもそも個人より、明らかにグループでのいじめの方が多い。私は単独でクラスメイトに危害を加えている生徒を見たことがなかった。
川中島の直線道路をまっすぐに南下していく。時刻は午前九時半。信号にひっかかり、メールをもらってからすでに二十分以上が経過している。
陸橋の手前を左折し、昨日と同じ道順を辿る。桃山家の近くまで来たものの、外には人影がまったくない。路肩に停車して様子を窺うが、誰も現れない。
もう家の周辺にはいないだろう。
花乃を連れ出してどこへ行くだろうか。やはり通い慣れた場所に行く可能性が高いのではないだろうか。
秋乃に訊いていいものか。母も知らなくて、余計に不安を煽るだけではないか。
必死で知恵を絞る。
花乃の制服には覚えがあった。あの高校はどこに建っていただろう。高校がもう少し南にあったのは確かだ。そちらに向かった可能性は充分にある。東方面は、学生にとってさほど面白い場所もない。
そもそも、グループが花乃を連れ出した理由はなんだ?
暴行するつもりなのか、学校まで強制連行するつもりなのか、他に理由があるのか。
近隣住民に尋ねればいいと思っていたが、事情を正直に話すわけにはいかない。近所の人間にこれ以上変な目で見られるのは、花乃だって嫌だろう。かといって事情を話せなければ、情報は得られない。しかも「女子高生の集団を見ませんでした?」などと言えば、私が変質者扱いされてしまう。
そこでふと、秋乃の言葉を思い出した。
――学校の近くに、空き家があるみたいで――
「よし、学校だ」
ヴィッツをUターンさせ、勢いよく発進した。左手で携帯をいじって学校の位置を検索する。記憶とほとんど同じところだった。空き家はその近くにあるはずだ。
二車線の通りを爆走し、二つ先の信号を右折した。一気に道が細くなる。
道路の左右に目をやって、誰も住んでいなさそうな家を探す。
道沿いにあればいいのだが、そううまくいかないような気もする。道端だったら、花乃が大声をあげれば気づかれる恐れがある。いじめる側というのは、そうした点には注意深かったりするのだ。
柴犬を連れている老人が歩いてきた。車を止めて窓を下げる。
「すみませーん」
「なんですね?」
顔のまん丸な老人だった。
「私、この辺りに住みたいと思ってる者でして、空き家になってる家を探してるんですよ。いま県が空き家の改築とかを支援してくれてましてね。ここいらで思い当たる場所とかありません?」
冷や汗が出るほど適当なことを一気にしゃべった。
「へえ、住むの? この辺に?」
「はい、なるべく一軒家を持ちたいんです」
堂々とした顔を意識する。
「だったらなぁ……そこに曲がり道、あるでしょ」
「ありますね」
「そこ入ってけば、二軒くらいあったはずだよ」
「そうですか! 早速見に行ってみます、ありがとうございます」
おうおう、と手を振って、老人は私が来た方へ歩いて行った。
私は右折して、よけ違いも一苦労な狭い道を進んでいく。左手が畑になっている。落としたら大変だ。焦らず慎重にいこう。
やがて、どう見ても空き家だろうと思えるボロ家が見えてきた。
ブロック塀が剥げている。車も自転車もなく、窓にはカーテンもない。トタン屋根の錆び具合もひどく、放置されて長いことは明らかだった。
私は迷いなく、鼻先から門に入った。
携帯を右手に持ち、ムービーを起動する。車を降りて、玄関に向かうと同時に録画スタート。証拠は映像で押さえるに限る。
玄関の鍵は何かでこじ開けられた形跡があった。戸を左にスライドさせる。奧から人の声がした。秋乃の言う通りだったようだ。
声は廊下の突き当たり、左側のドアから聞こえる。廊下の軋みはほとんどない。日守家の屋敷よりはしっかりした造りだ。
私はドアの前に立ち、耳を澄ます。
聞こえるのは、誰か女の子が呼吸困難になっているとしか思えない音だった。
私はドアを押し開けて室内に入った。
部屋には五人の女子高生がいた。一人は間違いなく、桃山花乃だった。
彼女は流し台の前に立たされていた。そこにはたっぷりと水が溜められている。
花乃は目を真っ赤にして、はあはあと肩で息をしていた。顔から滴る水と一緒に、涎が流れ落ちた。
「……おい」
我知らず、声が低くなった。
「な、なんなのあんた」
リーダーと思わしき女子が睨みつけてきた。ブラウスをだらしなく着崩している。
「お前ら、何やってるか自覚してるのか? 殺人だぞ、それは」
「あんた誰なの?」
「誰だっていいだろ。殺人未遂だって言ってるんだよ」
完全に現場を押さえられているのに、リーダーだけは怯えた様子もない。他の三人は真っ青な顔で突っ立っているだけなのに。
「あたしはこいつに復讐してる途中なんだけど?」
「復讐?」
「こいつの母親がやってた宗教のせいで、うちの母親がおかしくなったってこと!」
リーダーの少女が怒鳴った。
私は幾分か冷静さを取り戻していた。相手がここまでして花乃をいたぶる理由がわかったからだ。
花乃は水と涙が一緒になった顔で、私をじっと見ている。まばたきすらしなかった。花乃のすがるような顔は、初めて見た。
「君のお母さんは自殺したのか?」
私は問いかける。
「そこまではいってない。でも毎日ぼんやりしてるだけになっちゃった。家に残ってる霊がどうとか、明らかにおかしいこと言ってるのに自覚なくなってるの! それもこれも全部こいつのせい! こいつがあたしの家で変なことばっか言いやがったせいでお母さんが幽霊の目が気になるとか言って眠れなくなって体壊したの!」
「なるほどね。だけど、今のうちならまだ引き返せる」
「は? なに言ってんの? あたしの話聞いてなかったの?」
「聞いてたよ。君はお母さんを傷つけられた。だから桃山さんを傷つけた。気持ちはわからないでもないよ。だけど、もしこれで彼女が死んだら、今度は君が桃山さんの立場になるんだぞ。桃山の親族が君を攻撃する。そしたら今度は君の親族が反撃するかもしれない。そうやっていつまでも連鎖していくかもしれないんだよ」
「そんなの……!」
威勢よく前のめりになったものの、言葉が出てこないようだ。
「だって、だって、耐えられないじゃん、こんなの……」
少女は泣きじゃくり、崩れるように近くのイスに座る。
私は近くに固まっている三人に目を向けた。
「君達も上天会の関係者なのか」
三人は怯えているだけで、答えてくれない。
「ちゃんと言ってもらえれば、ぼくも強引な手段には出ないようにするつもりだ」
「あ、あたしらは大村の知り合いなだけです」
一人が返事をよこした。
――知り合い、か。
この一瞬で仲間を見放そうとしている。どう考えても言い逃れできる状況ではないのに。
「一緒になって桃山さんをいじめていたわけだね」
「だって……」
一人が言いかけて、口ごもる。
「ちゃんと言ってほしい」
「だってあたしらも、桃山のこと好きじゃなかったし……」
「好きじゃなかったらいじめてもいいのか?」
全員が黙り込んでうつむいた。
私は流し台に近づき、花乃に肩を貸してやる。こんな状況でも、濡れた顔を私の服につけないよう努力しているのがわかった。
「大丈夫か」
「なんとか……」
花乃を支えて、四人に視線を送る。
「ぼくの家は桃山家と仲が良くてね、勝手ながら割り込ませてもらった。この件は迂闊に口出しできる問題じゃないから、今回は何もしないことにする」
全員がホッとした表情を浮かべた。
「だけど、次も同じようにするとは思わないでほしい。お互い、なるべく穏便にいきたいよね。以上、忠告はしたよ」
花乃を促して、私達は空き家を出た。四人はその場を最後まで動かなかった。
大村の話を考えれば、復讐したくなるのもわかる。とはいえ花乃を殺してしまえば、彼女はどこまでも堕ちていくしかなくなる。あそこで無理に止める判断は間違っていなかったと思いたい。
花乃を後部座席に乗せた。彼女は私服姿で、昨日とほとんど同じ格好だった。長袖Tシャツの色がグレーに変わっているだけだ。
「とりあえず、家に戻ろうか」
「お願いします……」
車を走らせ、一路桃山家へ。
花乃は後ろで横になっていた。小さな身体が小刻みに震えていた。
「う、う……」
家に近づいた頃、震えは涙に変わった。シートにしがみつくようにして、花乃は押し殺した泣き声を漏らした。声を封じようとして、カチカチと歯の当たる音が聞こえた。かけられる言葉はなく、無言の時間が流れる。
「着いたよ」
桃山家の正面にヴィッツを停車させる。
花乃は黙って車を降り、門を抜けていく。
「昨日の話、別の日に変えよう」
「いいです、今日で」
即座の返事だった。
花乃は振り返って、私を見つめてくる。目が真っ赤だ。
「何もしないでいたら潰れそうです……。仕事、させてください」
「……わかった。じゃあ、着替えてきて。ここで待ってる」
こくんと頷き、花乃の姿が家の中に消えた。小さな背中と風景がシンクロする。
荒れた一軒家。
家族の仲も、彼女自身も傷だらけだ。回復するには、長い時間が必要になる。生徒を見てきた経験から、そう思う。
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